白銀の風 アーク

第十三章

                     
第四話 残っているのは



「父上!」

「まあ、あなた!」

驚きとともに叫んだアークに続き、母のサリスまでも驚いたように叫ぶ。

どうやら母も知らぬことだったらしい。

だが、ポンテルスは知っていたようだ。

いや、彼こそ、この事態の主犯格ではないのか?

ざっと見たところ、大賢者は全員揃っているし、王に王妃もいる。

どういうことです? という問いを込めて父を見ると、ゼノンはアークと視線を合わせ、微かに肩を竦めてみせた。

アークの周りにいるこの世界の人々は、いくぶんパニックに陥ったように、こそこそと言葉を交わし合っている。

「ちょ、ちょっとジェライドさん、これはどういうことなの?」

おおいに動揺した様子で、アユコがジェライドに詰め寄った。

だが、部屋の中にいる者たちに声が届かないように、物凄くボリュームを絞っている。

「私も知らなかったのです。たぶん、ポンテルス殿は知っておられたのだと思いますが」

ジェライドは部屋の人々をひどく気にしつつ、ポンテルスに視線を向けて早口に言う。

「ジェライド殿」

この場の会話を良しとしないようで、ポンテルスがジェライドに呼びかけた。

ポンテルスはさらに、「さあ、婚約の儀を進めましょうかの」と、強固に促す。

その言葉に顔を引き締めたジェライドは、アユコやみんなに頭を下げ、再度、みんなに中に入るように促してきた。

アユコも、入り口であれやこれや言っているわけにもいかないと思ったようだ。トシヒコやシュウゴたちと目を合わせ、中に入って行った。

そのとき、アークの腕にサエリが触れてきて、アークは彼女に顔を向けた。

「驚かせてすまない」

サエリに謝罪していると、ゼノンがサエリとアークに歩み寄ってきた。

アークたちの後ろには、ポンテルスとサリスがいる。

「父上、これはどういうことです?」

「婚約の儀に、我々が参加せぬわけにはいかぬと、ポンテルスが言うのでな」

「いったいどういった方法で、ここに?」

「私にもわからない。我々はポンテルスに従ったまでだ」

その答えに、ポンテルスに目をやるが、いつも通り鷹揚な笑みを浮かべているばかり。

聞いたところで教えてもらえないことは、はっきりしている。

「聖なるひとであるアーク様の婚約の儀は、大賢者に見守られる中、執り行われねばなりませぬのでな」

そう口にしたポンテルスは、一瞬にして表情を改めた。

そして儀式を行う部屋に向かい合う。

そこでジェライドが戻って来た。

すでに全員、椅子に着席している。

「ゼノン様、サリス様。どうぞ、お着席を」

ジェライドが言葉をかけると、アークの両親は中央を進んで行き、祭壇の両側に置かれた椅子にそれぞれ座った。

「では、アーク様、サエリ様、祭壇へとともにお進みください」

促され、アークはサエリに振り返った。

見つめ返してきたサエリの瞳は、とても不安そうだ。

「心配いらない」

安心させようと声をかけたものの、正直、自分が一番安心していられなかった。

ついに始まってしまう。

思わずため息をつきそうになる。

十二歳の誕生日のことが頭を去来し、どうにも気が滅入る。

ついに、あの指輪を晒すことになるのか。

サエリは落胆するに決まっている。

これから先、ずっと指輪を身につけ続けることになるというのに……

母上の小指に嵌っている指輪のデザインは、とてもセンスがある。

父上の過去を聞いたが……それでも、十二歳の誕生日には、ちゃんとした指輪を作っていたのだ。

つまり父上は、私のように愚かではなかったと言うことか……

「アーク、どうしたの?」

気遣わしそうにサエリが声をかけてきて、アークは考えるのを止めて彼女に向いた。

「さあ、お進み下さい」

どうやら、催促されていたらしい。アークが考え込んでしまい、いつまでも動かなかったので、サエリを不安がらせてしまったようだ。

指輪のことを考えずにはいられないが、うじうじしている場合じゃないな。

アークはサエリを安心させるために微笑み、彼女とともに祭壇に向かって歩き始めた。

祭壇の上にはシャラの木が光に包まれて浮かんでいる。

そしてアークとサエリが歩き始めた瞬間から、キラキラとした光の粒が、シャラの木から降り注ぎ始めた。

その光の粒は部屋全体にちりばめられていく。

サエリの世界の人々は、その現象に驚いているようだ。

婚約の儀式は、ジェライドの進行によって進んで行った。

ジェライドとしても、これは初めての経験だ。かなり緊張しているようだった。

それでも太古の言語で綴られる言葉は、美しい韻を踏み、耳に心地よい。

ジェライドが口を閉じ、静けさが広がる。

いまやシャラの木は、眩いばかりの光を発し始めていた。

ジェライドが、アークとサエリに向けて両手を差し出してきた。

その手の上には、それぞれ見覚えのある小箱が載っている。

荘厳な雰囲気に浸っていたアークは、それを見た途端、眩暈を感じた。

思わずすぐ側にいるゼノンに目を向けてしまう。

思った通り、ゼノンは口元に愉快そうな笑みを浮かべていた。

「さあ、お受け取りください」

ちっとも受け取ろうとしないアークに業を煮やしたようで、ジェライドが催促してくる。

サエリが戸惑いながら受け取り、アークも腹を決めて、自分に差し出されている小箱を取った。

箱自体は、マリアナが保管しておいてくれたので、そこまで汚れてはいない。

まあ、箱はどうでもいいのだ。

問題は、中身……

「さあ、両手で捧げてください」

その言葉に、まるで小箱に導かれるように手が自然と動く。

サエリと一緒に小箱を捧げると、部屋に散りばめられていたシャラの木の光が、ふたつの小箱にゆっくりと吸い込まれていく。

そして箱はふたりの手を離れ、宙に浮かび上がった。

ゆっくりと蓋が開き、箱は螺旋を描いて降りてくる。

アークはごくりと唾を呑み込んだ。

完全に蓋が空いたところで、光が薄まり、中に入っている指輪が姿を現わした。

えっ?

箱の中に入っている指輪を見て、アークは唖然とした。

これは、私が作ったものではないよな。だって、こんなに美しい指輪のはずはないのだ。

「さあアーク様、サエリ様の小指に、愛の印を」

ジェライドに促され、アークは戸惑いつつ指輪を手に取った。そしてサエリに向き合った。

その瞬間、アークは気を引き締めた。

特別な儀式の中にあるのだと、いまさら自覚する。

アークはサエリの瞳を覗き込み、それから彼女の手を取る。

細くしなやかなサエリの指を特別な思いで見つめ、アークは小指に指輪を嵌めた。

サエリは、小指に嵌められた指輪をじっと見つめている。

「さあサエリ様、アーク様の小指に、愛の印を」

サエリも指輪を手に取り、アークの小指に嵌めてくれた。

ふたりは左手と左手を繋ぎ、右手と右手を繋いだ。

唇から勝手に言葉が紡ぎ出される。

「この世の生を終えるまで、我らはともにあらん」

ふたりの声は柔らかに響き、シャラの木は喜び謳うように震えた。

アークとサエリは祭壇に向かう。

「ル・シャラの恩寵と導きを」

アークはサエリとともに、そっと口ずさむように唱え、顔の前で右手を内側から外側に向け、瞑目した。

「ル・シャラの恩寵と導きを」

ジェライドもまた口ずさむように唱え、顔の前で、右手を内側から外側に向け、深く瞑目すると、大賢者たちがそれにならう。

シャラシャラとやわらかな音とともに、シャラの木は光の中に消え、そして光も消えた。

「えっ?」

「はっ!」

いくつかの驚きの声が沙絵莉の世界の人々のほうから上がり、そこでアークも気づいた。

ジェライドを除き、ゼノンを始めとする、アークの世界の者達は全員いなくなっていた。

残っているのは、この世界に送り届けられた品物だけだった。






   
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