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第九話 ぎこちなく散歩
うーん、どう接すればいいのか、皆目わかんないんですけど……
後ろについてきているはずの人物を意識に入れつつ歩く沙絵莉は、深く悩んでしまっていた。
『ちょっと、ふたりで屋敷の敷地内をお散歩してきたらどう?』と、サリスに勧められ、素直に屋敷を出てきたのだが……
沙絵莉専属らしい護衛役のパウエイは、自分からはけして口を開くことなく、数歩後ろを着いてきている。
足を速めれば相手も足を速め、遅くすれば速度を落とす。ふたりの距離は縮みもしなければ離れもしない。
こちらから話しかければ短い答えをくれるのだが、それがもう堅苦しい空気に満ち満ちていて、話し掛けづらいのだ。
『彼女は、とてもとても緊張しているのよ』とサリスは沙絵莉に耳打ちしてきて、『だから貴女からどんどん話しかけていったらいいわ』との助言をくれた。
でも、もう話しかけるネタもなくなったというか……
すでに気を使いすぎて心労を感じてしまっている有様なのよね。
弱った沙絵莉は気持ちを切り替えることにし、パウエイを頭から外して周りに目を向けてみた。
とても良い日和だ。日差しは暖かで柔らかな風が頬を撫でる。
ここは屋敷の裏手に当たるのだが、とんでもなく広いみたいだ。
手入れの行き届いた庭は、木々や花でいっぱいで見応えがある。深く息を吸えば、香しい花の香りもする。
散歩に出掛けるに当たっては、またサリスが新しい服を用意してくれた。
これまた、どこぞの民族衣装らしい。水色が主体で銀の縁取りがいい感じ。
この世界の布地って、ほんと手触りが良くて着心地もいいのよね。
どうせなら、パウエイさんも同じ民族衣装を着てくれればよかったのに。そしたら、もっと気軽な感じになれたかも……
パウエイの護衛用らしい制服は物凄くかっちりしているし、なんと腰には長めの剣まで携えているのだ。
もちろんよく似合っているし、格好いいんだけど……
護衛なわけだから、万が一、私が襲われたりなんて事態になったら、それで戦うつもりなのかな?
それはかなり怖いというか……
いやしかし、ここはお屋敷の庭でしかなくて、こんな場所で剣を携えて散歩とか……武器なんてもの、まったく必要ないと思うんだけどなぁ。
ぶつぶつ心の中で呟き、もう呟く材料もなくなった沙絵莉は、一度足を止めた。
パウエイをちらりと窺うと、沙絵莉の次の行動を待つように彼女も足を止めている。
ああ、距離を感じるわ。
実際には一メートルくらいなのに、数十メートルの距離を感じますです、はい。
「どこか、散歩するのにいいところがあったりするかしら?」
期待をもって尋ねたら、パウエイは恐縮した顔になった。
「すみません。この屋敷を訪れましたのは、今回が初めてのことなのです」
そうなのか?
なら、どこに何があるかなんてわかるはずがないか……
「それなら、適当に歩いてかまわないかしら?」
遠慮がちに尋ねたら、黙って頷かれた。
やれやれ。親しくなるどころではなさそう。
けど、まだ初日だものね。
私の護衛役になったということは、これから毎日一緒にいるってことになるんだろうから……
そんなことを考えていたら、いつの間にか鬱蒼とした森の入り口にやってきていた。
『さあ、いらっしゃい』と招かんばかりな素敵な小道が、森の奥へと続いている。
その小道の入り口にやたらキラキラした光が差し込んでいて、なんというか妙に神々しい。
「この道、ちょっと歩いてみたいけどいい?」
「はい」
反論の余地はなく頷いた感じだけれど、了承をもらえたという事で、沙絵莉は小道に足を進めた。
空気がひんやりとしている。
さらに、歩いているうちに靄がかかってきた。
それでも道の先が見えなくなるというほどでもない。
数分歩いただろうか、沙絵莉はかなり先のところに、老人ではないかと思える人物が立っているのに気づいた。
思わず足を止める。
いったい誰?
けど、この敷地にいるんだもの、このお屋敷のスタッフさんとかよね?
するとその人物が、こちらに向かって近づいてきた。
が、それが異様で、沙絵莉はビビった。
まるですべるように、すーっと近づいてくるのだ。
恐ろしいことに足が動いている様子がない。
な、なんなの、あの人? 魔法とか使ってる?
ここはアークの住まいの敷地内で、心配などいらないはずと思うものの、怖くなってきた。
そ、そうだ! いまの私には、心強い護衛さんがいたんだったわ。
パウエイの存在を思い出し、沙絵莉は助けを求めて背後に振り返ったのだが……
ええっ?
「い、いない?」
なんと、パウエイは忽然と姿を消している。しかも、靄で道の先はまったく見えなくなってしまっていた。
「う、嘘! ど、ど、どうして?」
「待っておったぞ」
そう声をかけられ、ぎょっとして顔を前に戻したものの、まざまざと蘇る記憶があった。
目の前に立っている老人を確認し、沙絵莉は目を見開く。
「あ、貴方?」
そう。この老人は、お屋敷の洗面所の鏡に現れたあの人物に間違いない。
なんでか、今の今まで忘れていたけど……
「だ、誰なの?」
声をうわずらせつつなんとか声を出したら、老人が渋い顔をする。
人相があまりによろしくないので、沙絵莉は「ひーっ」とあられもない悲鳴を上げてしまった。
できるならば、この場から遁走したいのだが、足が麻痺したように動かせない。
そういえば、あの時もそうだったっけ……なんで私、あんな異常なことを忘れてたわけ?
「やっかいよの」
呆れたように口にした老人の姿が、瞬時に変わった。
なんと綿の塊みたいになってしまったのだ。
「な、何?」
「リージ案内する」
綿っぽい塊が一声あげたと思ったら、ポーンと跳ねて沙絵莉の頭に乗った。
「いっ、いやーーーっ!」
奇怪なものが頭に乗り、仰天して振り落とそうとするが、なぜか手に掴めない。
すると、綿っぽい塊から、それはもう楽しそうな笑い声が響き出した。
「楽しい、楽しい、楽しいねぇ」
とんでもないことに綿っぽい塊は、沙絵莉の頭の上で歌うように言いながら跳ね始めた。
見た目と違いかなり重くて、首に繰り返し衝撃を食らう。
「や、や、やめてぇ」
情けない声を上げたら、跳ねるのが止んだ。
「いけないいけない、リージ失敗。アークも首がもげるって言ってたよ」
突然アークの名が出て、沙絵莉は目を見開いた。
この綿の塊……リージっていう名前みたいだけど……アークの知り合いなの?
「あ、あなた、アークを知っているの?」
問いかけた瞬間「リージの友達!」と返事が来る。
嬉しそうに叫んだリージだったが、「けど」と、急にしょぼくれた声になった。
「いまは大きくなっちゃって……小さく成長しない?って、お願いしたけど無理だって」
リージの言葉に、思わず吹き出してしまう。
「でも、代わりに宝物もらったね」と、一転、弾んだ声になる。
気分がコロコロ変わるところ、無邪気でこちらの気も弛むというもの。
「宝物?」
この綿の塊くんが、アークからどんな宝物をもらったのか興味あるけど……
い、いや、ちょっと待って。違うでしょう、沙絵莉?
あなた、そんなに簡単に信じてしまっていいの? いえ、絶対良くないわよ。
自分を戒め、表情を改める。とはいえ、相手は自分の頭の上に載っかっているわけなのだが……
「あ、あなた、いま老人だったわよね? 中身は結局老人なんでしょう? ほんとは悪い人なんじゃないの?」
そんな問いをしたところで、悪人が素直に真実を答えるはずもないのだが……
「リージはリージだよ」
快活な答えが返ってきた。なんだか、疑っている自分が愚かに思えてくる。
疑うのをやめたら、冷静になれた。
こんなところでのんびりしている場合じゃない。
今日任務に就いたばかりの護衛のパウエイさんなんて、私とはぐれてしまって、今頃真っ青かも。
そう考えると居ても立っても居られなくなった。
「あの、私、もう帰りたいんだけど」
「サエリは帰らないよ」
突然自分の名を出されて、沙絵莉はぎょっとした。
「ど、どうして、私の名前を知ってるの?」
「知ってる、知ってる。リージは知ってる。アークとサエリが見つけっこしてたのだって知ってるよ」
み、見つけっこ? なにそれ?
リージに問い返そうとした沙絵莉だが、自分を押しとどめた。
ダメだわ。真面目に聞いたって、きっと意味はないのよ。
この場は、とにかくリージにかまわず、森を出なきゃ。
「みんなが心配するから、帰るわ。だからリージ、早く頭から降りて頂戴」
焦ってリージを頭から降ろそうとしていたら、目の前にまた別の人物が現れ、沙絵莉は口をあんぐりと開けることになったのだった。
つづく
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