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第一話 木の葉の道
ドアをそって開けて外を窺うと、窓辺に立っているアークの姿があった。
部屋にはアークだけだ、アークの母の姿はない。
もう夜も遅いし、部屋に引き取ってしまったのだろう。
沙絵莉は、彼女が使っていたベッドのある反対側の壁に、先ほどまではなかったベッドがあるのに気づいた。広い部屋だから、ベッドの間には距離があるが…
これって、まさか、アークがここで寝るつもり…とか?
「あ、あの…」
沙絵莉の呼びかけにアークがゆっくりと振り返った。
絵になる人だと、改めて思う。
銀色の髪が月の明かりに照らされているからか、微かにキラキラしているように見えるし…
「サエリ。身体は大丈夫か?」
「あ、え、ええ…ちょっと疲れを感じるけど…」
「疲れを?」
沙絵莉の言葉に眉を寄せ、アークはすぐに歩み寄ってきた。
「気分は悪くないかい? 身体のどこかに違和感を感じたりは?」
アークはそう言いながら、胸の辺りに手のひらを当てる。
「違和感とかはないわ。ただ、身体が…少しだけなんだけど重い感じがするだけ」
「ベッドに横になった方がいい」
沙絵莉は頷き、ベッドに入った。
「ほら、横になって」
アークに促されるまま、沙絵莉は枕に頭をつけた。
沙絵莉の顔を、アークは顔を寄せるようにして見つめてくる。その距離の近さに沙絵莉の心臓がバクバクし始めた。
そんな彼女の脳裏に、アークの母が現れる直前のことがはっきりと浮かんだ。
アークから、キスされそうになってて…
も、もしかして…キスされたり?
「あ、あの…アーク…」
苦しいくらい心臓がバクバクし、彼と見詰め合っていられず、沙絵莉は思わず彼に呼びかけていた。
「もう寝た方がいい」
即座に返ってきた返事に、沙絵莉はアークをじっと見つめてしまう。
「そ、そうね…」
何かわからないが、アークは会話をすることを避けているように感じた。
どうしてなのだろう?
ただ、私の身を案じてのこと?
それとも、聞かれたくないことがあるからとか?
そう考えた沙絵莉は、アークとの間に起こった、超常現象のことをいまさら思い出した。
すっかり忘れてたわ。
「あの、アーク」
「サエリ、話はまた明日になってからにしよう」
「でも、気になって眠れないわ」
「大丈夫。眠れるよ。目を閉じて…」
アークが額に手を触れてきそうになり、沙絵莉は咄嗟に彼の手を掴んだ。
「サエリ」
彼女の行動に、アークは渋い顔で見つめてくる。
「だって…魔法で寝るのは嫌よ」
「これは魔法とかじゃない」
反論するように言われたが、正直いまの沙絵莉はそんなことどっちだっていい。
「ねぇ、手が焼けるように熱くなったあれは、なんだったの?」
「うん? ああ、あれか…あれは…」
「あれは?」
「私にも、はっきりと答えられるわけではないんだ」
「どういうこと?」
「私も生まれて初めて体験したことだ…。ただ…」
「ただ?」
「サエリ、明日にしよう。いまの君は、休まなくてはだめだ」
諭すように言われ、沙絵莉は唇を突き出したものの、頷いた。
彼女の世界に帰るためにも、身体を回復させなくては。
それに、考えたら、アークのほうこそ、明日テレポができるようになるために、寝てもらわなければならないのだ。
「アークこそ、休まなきゃ」
「ああ。サエリ、私は今夜、あそこのベッドで休むから…」
アークは、同じ部屋にあるベッドを指さして言う。
同じ部屋で寝るのか?
そう考えて、どきりとしてしまう。
「気分が悪くなったりしたら、我慢せずに、必ず私を起こすんだよ」
わたしの具合が悪くなったときの用心つてことなのだ。ドキドキすることない…
いや、やっぱりドキドキするし…
頬が少し赤くなったことに、気まずく感じていると、すっとアークの手のひらが額に触れた。
あっと思った一瞬後、沙絵莉の意識は途絶えていた。
淡い光を瞼に感じ、沙絵莉は目を覚ました。
あら、アークはどこ?
沙絵莉は戸惑いながら周りを見回した。
部屋の反対側のベッドにふくらみがあるのを確認し、沙絵莉は眉をひそめた。
いま、アークはここにいて、私の額に触れたのに…なんで?
意味がわからずに、戸惑いを深めていた沙絵莉は、窓の外が明るいことに気づいた。
はい? 朝なの?
沙絵莉はベッドから出て、現実を確かめてみることにした。
カーテンをそっと開けてみると、間違いなく夜が明けている。
私、時を飛んで、一瞬で朝に来ちゃったわけじゃないわよね?
もちろん、そんなはずはないだろう。
つまり、アークが額に手を当てた瞬間眠りに落ち、夢も見ずに目覚めたってことのようだ。
いまいち、腑に落ちないけど…そういうことなんだろう。
沙絵莉はまだ寝ているらしいアークを起こしたりしないように気をつけながら、カーテンを静かに開けた。
わあっ!
この屋敷は小高い位置にあるらしい。遠く家並みが続いているのが見える。
もしかして、アークと花の祭りで回ったあたりだろうか?
ちょっと散歩してみたいけど…
沙絵莉は窓を開けてみた。
すーっと開く。鍵とか、かけられていなかった。
これって、この世界は、鍵など必要ないくらい治安がいいということだろうか?
窓を閉めた彼女は、ベッドに寝ているアークに振り返り、しばし思案したあと、彼に近づいていった。
起こすのはやめたほうがいいだろうか?
散歩に行きたいと頼んだら、アークのことだ、きっと眠たくても起きて連れて行ってくれるだろうけど…
やめておこう…
散歩を諦め、沙絵莉はアークが目覚める前に顔を洗うことにした。
彼女の服も靴も、部屋の片隅の小さな台の上に、きちんと畳んで置いてあった。
洗濯もしてある。クリーニングに出したくらい綺麗だ。
彼女は感謝を感じつつそれを持つと、すでに一度使用した洗面所に入って着替えた。
もちろん下着も自分のものを身につけた。
普通に異世界風歯磨きをし、顔を洗う。
沙絵莉はそんな自分が愉快でならなかった。
こんなに簡単に慣れちゃうなんて…私ってば…ほんと順応性ありすぎだわ。
鏡に映っている自分の顔を見ながらクスクス笑いつつ、タオルで顔を拭いていた沙絵莉は、ふと何か気に掛かり、眉を寄せた。
えっと…何か?
…忘れてる気が…するんだけど…?
鏡をじーっと見て、気に掛かることが何か思い出そうと頑張ったが、何も思い出せない。
まあ、いいか…忘れちゃいけないことなら、いずれ思い出すだろう。
使ったタオルとアークの母にお借りした服を洗濯機の球に入れ、沙絵莉は部屋に戻った。
アークはまだ寝ているようだ。
沙絵莉はそっとそっと、足音を忍ばせて彼に近づいた。
良く寝てる…
彼の寝顔に、しあわせな気持ちが胸に溢れ、沙絵莉は微笑んだ。
少し乱れた上掛けの上にアークの手がある。
瞼にかかった前髪を無性にかきあげてみたかったが、沙絵莉は我慢した。
きっとほんの僅かでも触れたら、彼はきっと目覚めてしまう。
気がつくと、沙絵莉は知らぬ間に身を屈めるようにして、顔を近づけてしまっていた。
沙絵莉は、はっとして顔を上げた。
や、やだ…私ってば…
ずいぶん長い間、アークの寝顔を眺めていたみたいだ。
沙絵莉は自分のしていたことを誤魔化すように、アークから離れた。
明るいけれど、まだまだ早朝のようだ。
物音がしないかと耳を済ませてみたが、しんと静まり返り、人の気配も感じられない。
窓を開け、沙絵莉はベランダに出てみた。
庭には、葉をぎっしりとつけた大きな樹木が植わっている。
この部屋って、二階だろうか?
右左に顔を向けて屋敷の全体図を把握しようとしてみたが、とんでもなく複雑な造りになっていて、言葉では表せない。
ともかく大きな屋敷だ。
魔法の先生って、こんなお屋敷に住めるほど、高給取りなんだろうか?
ベランダの端のほうに行ってみた沙絵莉は、目を丸くした。
どういう造りなのか、大木の枝とベランダが合体してるように見える。
いや、これってツルなのか?
ともかく、このベランダ、木の葉で覆われた通り道があり、それが地面まで続いているようなのだ。
へえーっ!
ワクワクするような道だ。
沙絵莉は胸を躍らせながら、足を踏み出した。
少し坂道になっているけど、歩きやすかった。
庭まで下りたら、家の周りを少し散歩して…
誰かに見つかりそうになったら、すぐさまアークのところに引き返してこよう。
木の葉で覆われたトンネルの中が、途中ずいぶん薄暗くなった。葉っぱが密集しているからだ。
もう数メートル進んだところで、ふわっという浮遊感を感じ、沙絵莉はぎょっとして足を止めた。
トンネルごと落下するかと思われたが、そんなことはなかった。
ほっとした彼女は、トンネルの先に、明るい光が差しているのを見て先を急いだ。
地面に足をつけた沙絵莉は、目の前に開けた景色を見て、きょとんとした。
この景色、部屋の窓のところから見たものとは明らかに違う。
沙絵莉は眉をひそめ、ぱっと後ろを振り返った。
たったいま通ってきた木の葉のトンネル。そんなものはどこにもなかった。
彼女がいるのは両側に街路樹のある道で、アークの家も、あとかたもなかった。
ど、どうして?
沙絵莉は愕然とし、真っ白な頭であたりを見回すことしか出来なかった。
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