白銀の風 アーク

第八章

第一話 木の葉の道



ドアをそって開けて外を窺うと、窓辺に立っているアークの姿があった。

部屋にはアークだけだ、アークの母の姿はない。

もう夜も遅いし、部屋に引き取ってしまったのだろう。

沙絵莉は、彼女が使っていたベッドのある反対側の壁に、先ほどまではなかったベッドがあるのに気づいた。広い部屋だから、ベッドの間には距離があるが…

これって、まさか、アークがここで寝るつもり…とか?

「あ、あの…」

沙絵莉の呼びかけにアークがゆっくりと振り返った。

絵になる人だと、改めて思う。

銀色の髪が月の明かりに照らされているからか、微かにキラキラしているように見えるし…

「サエリ。身体は大丈夫か?」

「あ、え、ええ…ちょっと疲れを感じるけど…」

「疲れを?」

沙絵莉の言葉に眉を寄せ、アークはすぐに歩み寄ってきた。

「気分は悪くないかい? 身体のどこかに違和感を感じたりは?」

アークはそう言いながら、胸の辺りに手のひらを当てる。

「違和感とかはないわ。ただ、身体が…少しだけなんだけど重い感じがするだけ」

「ベッドに横になった方がいい」

沙絵莉は頷き、ベッドに入った。

「ほら、横になって」

アークに促されるまま、沙絵莉は枕に頭をつけた。

沙絵莉の顔を、アークは顔を寄せるようにして見つめてくる。その距離の近さに沙絵莉の心臓がバクバクし始めた。

そんな彼女の脳裏に、アークの母が現れる直前のことがはっきりと浮かんだ。

アークから、キスされそうになってて…

も、もしかして…キスされたり?

「あ、あの…アーク…」

苦しいくらい心臓がバクバクし、彼と見詰め合っていられず、沙絵莉は思わず彼に呼びかけていた。

「もう寝た方がいい」

即座に返ってきた返事に、沙絵莉はアークをじっと見つめてしまう。

「そ、そうね…」

何かわからないが、アークは会話をすることを避けているように感じた。

どうしてなのだろう?

ただ、私の身を案じてのこと?

それとも、聞かれたくないことがあるからとか?

そう考えた沙絵莉は、アークとの間に起こった、超常現象のことをいまさら思い出した。

すっかり忘れてたわ。

「あの、アーク」

「サエリ、話はまた明日になってからにしよう」

「でも、気になって眠れないわ」

「大丈夫。眠れるよ。目を閉じて…」

アークが額に手を触れてきそうになり、沙絵莉は咄嗟に彼の手を掴んだ。

「サエリ」

彼女の行動に、アークは渋い顔で見つめてくる。

「だって…魔法で寝るのは嫌よ」

「これは魔法とかじゃない」

反論するように言われたが、正直いまの沙絵莉はそんなことどっちだっていい。

「ねぇ、手が焼けるように熱くなったあれは、なんだったの?」

「うん? ああ、あれか…あれは…」

「あれは?」

「私にも、はっきりと答えられるわけではないんだ」

「どういうこと?」

「私も生まれて初めて体験したことだ…。ただ…」

「ただ?」

「サエリ、明日にしよう。いまの君は、休まなくてはだめだ」

諭すように言われ、沙絵莉は唇を突き出したものの、頷いた。

彼女の世界に帰るためにも、身体を回復させなくては。

それに、考えたら、アークのほうこそ、明日テレポができるようになるために、寝てもらわなければならないのだ。

「アークこそ、休まなきゃ」

「ああ。サエリ、私は今夜、あそこのベッドで休むから…」

アークは、同じ部屋にあるベッドを指さして言う。

同じ部屋で寝るのか?

そう考えて、どきりとしてしまう。

「気分が悪くなったりしたら、我慢せずに、必ず私を起こすんだよ」

わたしの具合が悪くなったときの用心つてことなのだ。ドキドキすることない…

いや、やっぱりドキドキするし…

頬が少し赤くなったことに、気まずく感じていると、すっとアークの手のひらが額に触れた。

あっと思った一瞬後、沙絵莉の意識は途絶えていた。





淡い光を瞼に感じ、沙絵莉は目を覚ました。

あら、アークはどこ?

沙絵莉は戸惑いながら周りを見回した。

部屋の反対側のベッドにふくらみがあるのを確認し、沙絵莉は眉をひそめた。

いま、アークはここにいて、私の額に触れたのに…なんで?

意味がわからずに、戸惑いを深めていた沙絵莉は、窓の外が明るいことに気づいた。

はい? 朝なの?

沙絵莉はベッドから出て、現実を確かめてみることにした。

カーテンをそっと開けてみると、間違いなく夜が明けている。

私、時を飛んで、一瞬で朝に来ちゃったわけじゃないわよね?

もちろん、そんなはずはないだろう。

つまり、アークが額に手を当てた瞬間眠りに落ち、夢も見ずに目覚めたってことのようだ。

いまいち、腑に落ちないけど…そういうことなんだろう。

沙絵莉はまだ寝ているらしいアークを起こしたりしないように気をつけながら、カーテンを静かに開けた。

わあっ!

この屋敷は小高い位置にあるらしい。遠く家並みが続いているのが見える。

もしかして、アークと花の祭りで回ったあたりだろうか?

ちょっと散歩してみたいけど…

沙絵莉は窓を開けてみた。

すーっと開く。鍵とか、かけられていなかった。

これって、この世界は、鍵など必要ないくらい治安がいいということだろうか?

窓を閉めた彼女は、ベッドに寝ているアークに振り返り、しばし思案したあと、彼に近づいていった。

起こすのはやめたほうがいいだろうか?

散歩に行きたいと頼んだら、アークのことだ、きっと眠たくても起きて連れて行ってくれるだろうけど…

やめておこう…

散歩を諦め、沙絵莉はアークが目覚める前に顔を洗うことにした。

彼女の服も靴も、部屋の片隅の小さな台の上に、きちんと畳んで置いてあった。

洗濯もしてある。クリーニングに出したくらい綺麗だ。

彼女は感謝を感じつつそれを持つと、すでに一度使用した洗面所に入って着替えた。
もちろん下着も自分のものを身につけた。

普通に異世界風歯磨きをし、顔を洗う。

沙絵莉はそんな自分が愉快でならなかった。

こんなに簡単に慣れちゃうなんて…私ってば…ほんと順応性ありすぎだわ。

鏡に映っている自分の顔を見ながらクスクス笑いつつ、タオルで顔を拭いていた沙絵莉は、ふと何か気に掛かり、眉を寄せた。

えっと…何か?

…忘れてる気が…するんだけど…?

鏡をじーっと見て、気に掛かることが何か思い出そうと頑張ったが、何も思い出せない。

まあ、いいか…忘れちゃいけないことなら、いずれ思い出すだろう。

使ったタオルとアークの母にお借りした服を洗濯機の球に入れ、沙絵莉は部屋に戻った。

アークはまだ寝ているようだ。

沙絵莉はそっとそっと、足音を忍ばせて彼に近づいた。

良く寝てる…

彼の寝顔に、しあわせな気持ちが胸に溢れ、沙絵莉は微笑んだ。

少し乱れた上掛けの上にアークの手がある。

瞼にかかった前髪を無性にかきあげてみたかったが、沙絵莉は我慢した。

きっとほんの僅かでも触れたら、彼はきっと目覚めてしまう。

気がつくと、沙絵莉は知らぬ間に身を屈めるようにして、顔を近づけてしまっていた。

沙絵莉は、はっとして顔を上げた。

や、やだ…私ってば…

ずいぶん長い間、アークの寝顔を眺めていたみたいだ。

沙絵莉は自分のしていたことを誤魔化すように、アークから離れた。

明るいけれど、まだまだ早朝のようだ。

物音がしないかと耳を済ませてみたが、しんと静まり返り、人の気配も感じられない。

窓を開け、沙絵莉はベランダに出てみた。

庭には、葉をぎっしりとつけた大きな樹木が植わっている。

この部屋って、二階だろうか?

右左に顔を向けて屋敷の全体図を把握しようとしてみたが、とんでもなく複雑な造りになっていて、言葉では表せない。

ともかく大きな屋敷だ。

魔法の先生って、こんなお屋敷に住めるほど、高給取りなんだろうか?

ベランダの端のほうに行ってみた沙絵莉は、目を丸くした。

どういう造りなのか、大木の枝とベランダが合体してるように見える。

いや、これってツルなのか?

ともかく、このベランダ、木の葉で覆われた通り道があり、それが地面まで続いているようなのだ。

へえーっ!

ワクワクするような道だ。

沙絵莉は胸を躍らせながら、足を踏み出した。

少し坂道になっているけど、歩きやすかった。

庭まで下りたら、家の周りを少し散歩して…

誰かに見つかりそうになったら、すぐさまアークのところに引き返してこよう。

木の葉で覆われたトンネルの中が、途中ずいぶん薄暗くなった。葉っぱが密集しているからだ。

もう数メートル進んだところで、ふわっという浮遊感を感じ、沙絵莉はぎょっとして足を止めた。

トンネルごと落下するかと思われたが、そんなことはなかった。

ほっとした彼女は、トンネルの先に、明るい光が差しているのを見て先を急いだ。

地面に足をつけた沙絵莉は、目の前に開けた景色を見て、きょとんとした。

この景色、部屋の窓のところから見たものとは明らかに違う。

沙絵莉は眉をひそめ、ぱっと後ろを振り返った。

たったいま通ってきた木の葉のトンネル。そんなものはどこにもなかった。

彼女がいるのは両側に街路樹のある道で、アークの家も、あとかたもなかった。

ど、どうして?

沙絵莉は愕然とし、真っ白な頭であたりを見回すことしか出来なかった。






   
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