白銀の風 アーク

第八章

第四話 許し難き人物



沙絵莉は右か左か悩んだ末に、右に行ってみることにした。

先ほど治療所に入っていったふたり連れが、この方向からやって来たから、そちらが出入口なのではと見当をつけたのだ。

行き止まりまで来てまた左右を見比べ、ずいぶんと騒がしい人声のする方に向かって歩いた。

開いたドアから中を覗いて見た沙絵莉は、顔をしかめた。

どうやら誤った方向に来てしまったらしい。

中はだだっ広いドームのような部屋だった。

内装がとても綺麗だし、なにより天井の高さに沙絵莉は驚かされた。

高度な技術によって、建てられたと思われる建築物。

な、なんかアークの世界って、凄いかも。

剣を持った人たちが大勢いて、剣と剣が合わさる音が凄まじいまでの爆音を響かせている。

それぞれの剣は光を放ち、その光が剣を振るたびに光の線を描く。

なまくらな剣ではない。絶対に真剣というやつだ。

きっと剣を避け切れなかったら、ザックリ…

考えたくもない光景が頭に浮かび、ぞっとした沙絵莉は入口で固まってしまった。





アークは、すぐさまサエリを探して意識を飛ばした。そして、彼女を感じたと同時に飛んでいた。

目の前にサエリの背中があった。が、ここがどこだか気づき、彼はパッと姿を消した。

人があまりに多すぎる。だが、彼の姿は誰にも見られなかったようだ。

しかし、なぜサエリは、修練場などにいるのだ?

さっぱりわけがわからない。

サエリを驚かせないように声をかけようとしたアークは、巨漢のギルがサエリに向かって歩いてくるのに気づいた。
さらに、自分がいま、びしょ濡れだという事実も思い出した。

あまりに慌てていたために、浴槽に入ってずぶ濡れになっていたというのに、そのまま飛んできてしまったのだ。

見ると、彼の身体から滴った水で、足元には水たまりができていた。

アークはまずい気分で唇を噛んだ。

びしょ濡れのまま、姿を現すわけにはゆかないだろう。

目の前にサエリがいるというのに…

「どうしたんだ?」

サエリにかけられたギルの声を耳にしつつ、アークはもどかしさを抱えながら、その場から自分の部屋へと飛んで戻った。





先ほど怪我を負ったパウエイのことが心配で、ギルは出入り口ばかり気にしていた。

軽い打撲だったようだから、すぐに治癒できることはわかっているのだが、ことが彼女のことになると、どうにも気になってならないのだ。

できることなら、あの若者の代わりに、治療所までついていきたかった。

だが、彼の前に立つと、パウエイは極度に緊張する。それはこの強面の容貌のせいに違いないのだ。

ギルは自分の顔が嫌になった。

好きな女に威圧感を与えてしまうなんて…

だからといって、この首の上に居座っているものを…どうしようもない。

本人自覚無しの鋭い眼光で、出入り口に監視の目を向けたギルは、見覚えのある娘の姿を目にし、きゅっと眉を上げた。

なんだ? 今朝、拾った娘じゃないか。

具合は良くなったのだろうか?

確かに見るところ、なんともなさそうだが…

しかし、どうしてこんなところに?

修練場の入口で、突っ立ったままの娘にギルは近づいていった。

「どうしたんだ?」

声をかけたギルに、娘はパッと振り返ってきたが、その顔は、少々青ざめていた。

心配になったギルは、ぐっと眉を寄せてしまう。その顔は、部下達が恐れる形相になっていた。

「まだ気分が悪いんじゃないのか? お前、顔色があまりよくないようだぞ。治療所で休んでいなくてよいのか?」

娘はギルを見つめ、ほっとしたような笑みを浮かべた。

「さきほどはお世話になりました」

どうしてか、この娘、他の娘たちとは違い、ギルのことが恐くないようだ。

「い、いや」

「治療所が満員になってきたので、出てきたんです。だけど、迷ってしまって。出口はどちらですか?」

なんだ、迷ってここに来たのか?

この建物はかなり複雑な造りになっている。

初めての者に、出口を口頭で伝えても正しくは飲み込めないだろう。

「警備兵舎まで誰かを付き添わせよう」

そう言って、ギルは周りを見回した。誰か適当な人物は…

「もうすぐ迎えが来ると思いますから」

娘の言葉はギルを戸惑わせた。

友人の家に遊びに来て、迷子になって行き倒れたのではなかったのか?

さらに、修練場でも迷子になっておいて…

迎えが来ると何でもなさそうに言うとは?

戸惑いながら娘を見ると、屈託無く微笑んでいる。

よくわからん娘だ。だが…

親しみを感じる。それは娘が、彼に対してまったく緊張していないからなのだと思えた。

きっと、行き倒れたところを救ってやったから、慕ってくれているのだろう。

娘を見つめていたギルは、ため息をつきたくなった。

パウエイも、これくらい緊張せずに話をしてくれないものだろうか?

いや、いまはそんなことより…

ギルは意識を娘に戻した。

「お前、迷子なんだろう? どうして迎えが来るとわかる?」

「さあ〜、それは私にもわからないんですけど…」

ギルはくっくっと笑った。

「おかしな娘だな」

「普通に見えませんか? 私って」

眉を寄せつつ問い返され、ギルはにやりと笑った。

「私と対等に話すところからして、普通ではないようだな」

ギルの言葉は、彼女を困惑させたようだった。

目をパチパチさせて彼を見返してくる。

「えっ、どうして?」

「女はみな、私の人相に怯えるようだからな」

「そう言われれば…」

そういいつつ、ギルの顔をつぶさに眺め回し、さらに彼女は言葉を続けた。

「身体も顔も…その、とってもたくましい…かしら」

「ごついと言えばいいんだ、正直に」

軽いやりとりに、いつのまにやらギルも彼女のペースに巻き込まれてしまう。

「助けてくれた恩人に向かって、そんなことは口が裂けても言えません」

あまりに大まじめな顔で宣言するように言われ、笑いがこみ上げてならず、ギルは肩を震わせていたが、我慢できずに最終的に吹き出してしまった。

彼女も笑い出し、楽しげな声を上げて笑う。

まったくもって愉快な娘だ。

ギルはその邪気のない顔につられて、思わず娘の頭を撫でた。

女に対して、こんな親しげな動作を彼が見せることなどない。
そんな希な動作を、治療所から戻ってきたばかりのパウエイが、さらには修練場にいる多くが目にしているとは、ギルは思いもしなかった。

自分の真横をパウエイがすり抜けたのを見て、ギルは唐突に笑いを止めた。

思わず視線がその後ろ姿を追う。

彼女の髪は、肩胛骨よりも長く伸びたようだ。

髪の先端が自然にカールした髪がふわりと揺れる様を見て、ギルは微笑んだ。

「足は治ったみたいね」

隣にいる彼女が言い、ギルは顔を向けた。

この娘、パウエイを知っているのか?

ギルの瞳にもの問いたげな色を見て取ったか、彼女が眉を上げる。

「お前、パウエイを知っているのか?」

「知っているわけじゃないんです。さっき、ちょっとすれ違っただけなの」

なんだ、そうか…

「あなたは、あのひとが好きなのね」

さらりと口にされた言葉は、ギルの息を止めた。

驚愕に近い驚きをひとに与えておいて、彼女はさらに語り続ける。

「とても美しい人ですね。青い髪が揺れると波のしぶきみたいに見えて、とってもきれいだわ」

ギルはパウエイに見惚れている、彼女の肩を思わず掴み、自分に向き直らせた。

「どうしてそんなことを? お前、人の心が読めるのか?」

思わず問い詰めるように言ったギルだったが、娘の肩に置いている自分の手が、何かに弾かれ、ぎょっとした。





「アーク」

自分の部屋に戻ったアークは、聞き慣れた声にどきりとして振り返った。

「ジェライド。なんでこんなところにいる?」

「私は君付きの賢者だからね。君の側にいるのが役目だし…ところで…」

「言いたいことはわかってる。なんでびしょ濡れなんだと言いたいんだろう?」

「まあね。で、いったい修練場で何があったんだい? 君はいま修練場に飛んでいたろ?」

「なんでもお見通しじゃないか。なら、それがなぜかも知ってるんじゃないのか?」

早く着替えを済ませてサエリのもとに飛びたいアークは、邪魔なジェライドに噛み付くように言い、服を脱ぎ始めた。

だが、濡れた服は肌に貼り付き、脱ぐのは楽じゃなかった。

「アーク、いったい何があったというんだい?」

「はあっ、何を言っている。知っているだろ?」

「知ってるって、だから何を?」

平行線を辿る会話に、上着を脱ぎ捨てて上半身裸になったアークは、眉を寄せてジェライドに振り返った。

サエリが修練場にいることを、ジェライドは知っているはずだ。知らないはずがないのに…

「アーク? いったい修練場で何があったんだい? 修練場でびしょ濡れになったんだろう?」

アークはジェライドに返事をせず、着替えを続けながら考え込んだ。

どういうことだ?

ジェライドは、サエリが修練場にいることに気づいていないようだ。

だが、なぜ?

「アーク、サエリ様はまだ眠っておいでなのか? そろそろ目覚められるかもしれないのに、君はサエリ様の側にいなくてもいいのかい?」

その言葉で、アークは確信した。

なぜだか、ジェライドはサエリの気を感じ取れていない。

そんなことはありえないと思えるが、どうやらそれが真実のようだ。

着替えを終えたアークは、これからどうするか迷った。

ジェライドにサエリは修練場にいると告げるか。

それとも、何も言わずに飛んでゆき、サエリを連れ帰るか。

そう考えていたアークは、あることに気づいて眉をひそめた。

自分がサエリの気を感じ取れていないことを、ジェライドはわかっているはずだ。

サエリの気を感じようとしたことが、一度もないなんてあるはずがない。

それとも、聖賢者の妃となる者の気を、無闇に感じてはいけないなんて、規則で定められているのか?

私は賢者ではないからな。そんな規則があるのかどうか、知るわけもないが…

「アーク、話してくれないのか?」

「君はここで待っていてくれ、すぐに戻る」

アークはそれだけ言い、サエリの元に飛んだ。

「…とってもきれいだわ」

サエリの声を聞き取った瞬間、サエリの肩を誰かが掴んだ。

アークは眉を寄せ、サエリの肩を掴んでいる許し難い人物を見据えた。

やはり、ギルだ。

「どうしてそんなことを? お前、人の心が読めるのか?」

問い詰めるように、ギルはサエリに言う。

アークは考えもせず、ギルの手をサエリの肩から叩き落した。

もちろんギルはぎょっとした。

「えっ?」

サエリが小さく叫ぶのと同時に、アークは彼女の耳元で「サエリ」とささやいた。そして、彼女の左手をそっと握り締めた。

「お前…?」

ギルはひどく怪訝な顔をしている。

だがアークは構わず、サエリを連れてその場から飛んだ。






   
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