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第四話 許し難き人物
沙絵莉は右か左か悩んだ末に、右に行ってみることにした。
先ほど治療所に入っていったふたり連れが、この方向からやって来たから、そちらが出入口なのではと見当をつけたのだ。
行き止まりまで来てまた左右を見比べ、ずいぶんと騒がしい人声のする方に向かって歩いた。
開いたドアから中を覗いて見た沙絵莉は、顔をしかめた。
どうやら誤った方向に来てしまったらしい。
中はだだっ広いドームのような部屋だった。
内装がとても綺麗だし、なにより天井の高さに沙絵莉は驚かされた。
高度な技術によって、建てられたと思われる建築物。
な、なんかアークの世界って、凄いかも。
剣を持った人たちが大勢いて、剣と剣が合わさる音が凄まじいまでの爆音を響かせている。
それぞれの剣は光を放ち、その光が剣を振るたびに光の線を描く。
なまくらな剣ではない。絶対に真剣というやつだ。
きっと剣を避け切れなかったら、ザックリ…
考えたくもない光景が頭に浮かび、ぞっとした沙絵莉は入口で固まってしまった。
アークは、すぐさまサエリを探して意識を飛ばした。そして、彼女を感じたと同時に飛んでいた。
目の前にサエリの背中があった。が、ここがどこだか気づき、彼はパッと姿を消した。
人があまりに多すぎる。だが、彼の姿は誰にも見られなかったようだ。
しかし、なぜサエリは、修練場などにいるのだ?
さっぱりわけがわからない。
サエリを驚かせないように声をかけようとしたアークは、巨漢のギルがサエリに向かって歩いてくるのに気づいた。
さらに、自分がいま、びしょ濡れだという事実も思い出した。
あまりに慌てていたために、浴槽に入ってずぶ濡れになっていたというのに、そのまま飛んできてしまったのだ。
見ると、彼の身体から滴った水で、足元には水たまりができていた。
アークはまずい気分で唇を噛んだ。
びしょ濡れのまま、姿を現すわけにはゆかないだろう。
目の前にサエリがいるというのに…
「どうしたんだ?」
サエリにかけられたギルの声を耳にしつつ、アークはもどかしさを抱えながら、その場から自分の部屋へと飛んで戻った。
先ほど怪我を負ったパウエイのことが心配で、ギルは出入り口ばかり気にしていた。
軽い打撲だったようだから、すぐに治癒できることはわかっているのだが、ことが彼女のことになると、どうにも気になってならないのだ。
できることなら、あの若者の代わりに、治療所までついていきたかった。
だが、彼の前に立つと、パウエイは極度に緊張する。それはこの強面の容貌のせいに違いないのだ。
ギルは自分の顔が嫌になった。
好きな女に威圧感を与えてしまうなんて…
だからといって、この首の上に居座っているものを…どうしようもない。
本人自覚無しの鋭い眼光で、出入り口に監視の目を向けたギルは、見覚えのある娘の姿を目にし、きゅっと眉を上げた。
なんだ? 今朝、拾った娘じゃないか。
具合は良くなったのだろうか?
確かに見るところ、なんともなさそうだが…
しかし、どうしてこんなところに?
修練場の入口で、突っ立ったままの娘にギルは近づいていった。
「どうしたんだ?」
声をかけたギルに、娘はパッと振り返ってきたが、その顔は、少々青ざめていた。
心配になったギルは、ぐっと眉を寄せてしまう。その顔は、部下達が恐れる形相になっていた。
「まだ気分が悪いんじゃないのか? お前、顔色があまりよくないようだぞ。治療所で休んでいなくてよいのか?」
娘はギルを見つめ、ほっとしたような笑みを浮かべた。
「さきほどはお世話になりました」
どうしてか、この娘、他の娘たちとは違い、ギルのことが恐くないようだ。
「い、いや」
「治療所が満員になってきたので、出てきたんです。だけど、迷ってしまって。出口はどちらですか?」
なんだ、迷ってここに来たのか?
この建物はかなり複雑な造りになっている。
初めての者に、出口を口頭で伝えても正しくは飲み込めないだろう。
「警備兵舎まで誰かを付き添わせよう」
そう言って、ギルは周りを見回した。誰か適当な人物は…
「もうすぐ迎えが来ると思いますから」
娘の言葉はギルを戸惑わせた。
友人の家に遊びに来て、迷子になって行き倒れたのではなかったのか?
さらに、修練場でも迷子になっておいて…
迎えが来ると何でもなさそうに言うとは?
戸惑いながら娘を見ると、屈託無く微笑んでいる。
よくわからん娘だ。だが…
親しみを感じる。それは娘が、彼に対してまったく緊張していないからなのだと思えた。
きっと、行き倒れたところを救ってやったから、慕ってくれているのだろう。
娘を見つめていたギルは、ため息をつきたくなった。
パウエイも、これくらい緊張せずに話をしてくれないものだろうか?
いや、いまはそんなことより…
ギルは意識を娘に戻した。
「お前、迷子なんだろう? どうして迎えが来るとわかる?」
「さあ〜、それは私にもわからないんですけど…」
ギルはくっくっと笑った。
「おかしな娘だな」
「普通に見えませんか? 私って」
眉を寄せつつ問い返され、ギルはにやりと笑った。
「私と対等に話すところからして、普通ではないようだな」
ギルの言葉は、彼女を困惑させたようだった。
目をパチパチさせて彼を見返してくる。
「えっ、どうして?」
「女はみな、私の人相に怯えるようだからな」
「そう言われれば…」
そういいつつ、ギルの顔をつぶさに眺め回し、さらに彼女は言葉を続けた。
「身体も顔も…その、とってもたくましい…かしら」
「ごついと言えばいいんだ、正直に」
軽いやりとりに、いつのまにやらギルも彼女のペースに巻き込まれてしまう。
「助けてくれた恩人に向かって、そんなことは口が裂けても言えません」
あまりに大まじめな顔で宣言するように言われ、笑いがこみ上げてならず、ギルは肩を震わせていたが、我慢できずに最終的に吹き出してしまった。
彼女も笑い出し、楽しげな声を上げて笑う。
まったくもって愉快な娘だ。
ギルはその邪気のない顔につられて、思わず娘の頭を撫でた。
女に対して、こんな親しげな動作を彼が見せることなどない。
そんな希な動作を、治療所から戻ってきたばかりのパウエイが、さらには修練場にいる多くが目にしているとは、ギルは思いもしなかった。
自分の真横をパウエイがすり抜けたのを見て、ギルは唐突に笑いを止めた。
思わず視線がその後ろ姿を追う。
彼女の髪は、肩胛骨よりも長く伸びたようだ。
髪の先端が自然にカールした髪がふわりと揺れる様を見て、ギルは微笑んだ。
「足は治ったみたいね」
隣にいる彼女が言い、ギルは顔を向けた。
この娘、パウエイを知っているのか?
ギルの瞳にもの問いたげな色を見て取ったか、彼女が眉を上げる。
「お前、パウエイを知っているのか?」
「知っているわけじゃないんです。さっき、ちょっとすれ違っただけなの」
なんだ、そうか…
「あなたは、あのひとが好きなのね」
さらりと口にされた言葉は、ギルの息を止めた。
驚愕に近い驚きをひとに与えておいて、彼女はさらに語り続ける。
「とても美しい人ですね。青い髪が揺れると波のしぶきみたいに見えて、とってもきれいだわ」
ギルはパウエイに見惚れている、彼女の肩を思わず掴み、自分に向き直らせた。
「どうしてそんなことを? お前、人の心が読めるのか?」
思わず問い詰めるように言ったギルだったが、娘の肩に置いている自分の手が、何かに弾かれ、ぎょっとした。
「アーク」
自分の部屋に戻ったアークは、聞き慣れた声にどきりとして振り返った。
「ジェライド。なんでこんなところにいる?」
「私は君付きの賢者だからね。君の側にいるのが役目だし…ところで…」
「言いたいことはわかってる。なんでびしょ濡れなんだと言いたいんだろう?」
「まあね。で、いったい修練場で何があったんだい? 君はいま修練場に飛んでいたろ?」
「なんでもお見通しじゃないか。なら、それがなぜかも知ってるんじゃないのか?」
早く着替えを済ませてサエリのもとに飛びたいアークは、邪魔なジェライドに噛み付くように言い、服を脱ぎ始めた。
だが、濡れた服は肌に貼り付き、脱ぐのは楽じゃなかった。
「アーク、いったい何があったというんだい?」
「はあっ、何を言っている。知っているだろ?」
「知ってるって、だから何を?」
平行線を辿る会話に、上着を脱ぎ捨てて上半身裸になったアークは、眉を寄せてジェライドに振り返った。
サエリが修練場にいることを、ジェライドは知っているはずだ。知らないはずがないのに…
「アーク? いったい修練場で何があったんだい? 修練場でびしょ濡れになったんだろう?」
アークはジェライドに返事をせず、着替えを続けながら考え込んだ。
どういうことだ?
ジェライドは、サエリが修練場にいることに気づいていないようだ。
だが、なぜ?
「アーク、サエリ様はまだ眠っておいでなのか? そろそろ目覚められるかもしれないのに、君はサエリ様の側にいなくてもいいのかい?」
その言葉で、アークは確信した。
なぜだか、ジェライドはサエリの気を感じ取れていない。
そんなことはありえないと思えるが、どうやらそれが真実のようだ。
着替えを終えたアークは、これからどうするか迷った。
ジェライドにサエリは修練場にいると告げるか。
それとも、何も言わずに飛んでゆき、サエリを連れ帰るか。
そう考えていたアークは、あることに気づいて眉をひそめた。
自分がサエリの気を感じ取れていないことを、ジェライドはわかっているはずだ。
サエリの気を感じようとしたことが、一度もないなんてあるはずがない。
それとも、聖賢者の妃となる者の気を、無闇に感じてはいけないなんて、規則で定められているのか?
私は賢者ではないからな。そんな規則があるのかどうか、知るわけもないが…
「アーク、話してくれないのか?」
「君はここで待っていてくれ、すぐに戻る」
アークはそれだけ言い、サエリの元に飛んだ。
「…とってもきれいだわ」
サエリの声を聞き取った瞬間、サエリの肩を誰かが掴んだ。
アークは眉を寄せ、サエリの肩を掴んでいる許し難い人物を見据えた。
やはり、ギルだ。
「どうしてそんなことを? お前、人の心が読めるのか?」
問い詰めるように、ギルはサエリに言う。
アークは考えもせず、ギルの手をサエリの肩から叩き落した。
もちろんギルはぎょっとした。
「えっ?」
サエリが小さく叫ぶのと同時に、アークは彼女の耳元で「サエリ」とささやいた。そして、彼女の左手をそっと握り締めた。
「お前…?」
ギルはひどく怪訝な顔をしている。
だがアークは構わず、サエリを連れてその場から飛んだ。
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