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第五話 ことの重大さ
「お前、人の心が読めるのか?」
ギルの言葉にきょとんとした沙絵莉は、次の瞬間、彼女の肩を掴んでいたギルの手が弾かれたように離れ、その不自然さに驚いて「えっ?」と叫んだ。
「サエリ」
彼女の叫びに重なるように、「サエリ」と、ささやく声が聞こえた。
アークだ。
ようやく迎えに来てくれた。
沙絵莉は、声が聞こえたほうへさっと顔を向けてみたが、そこにアークの姿はなかった。
えっ、幻で姿を消してるの?
戸惑いを感じる暇もなく、左手を握り締められ目の前の風景がぼやけはじめた。
「わっ」
驚きの声を上げたときには、自分が寝ていたベッドの側にいた。
戻ってきたのだ。
「アーク」
安堵と喜びを感じ、沙絵莉はアークに振り返った。
彼はもう姿を見せていて、沙絵莉は笑いかけたが、アークは眉間を寄せている。
「いったい、どうやってあんなところまで行ったんだ?」
「ど、どうやってって…」
怒っているようではないが、アークから急き込むように聞かれ、沙絵莉は困惑した。
だが、唐突に戻ってきてしまったことが気にかかる。
彼女を救ってくれた恩人であるギルを、びっくりさせてしまったに違いない。
それも、さんざん世話をかけたというのに、去り際お礼を言えなかったし、治療代も返さなければならなかったのに、返さないまま…
「それよりアーク。突然テレポするんだもの。私…」
「サエリ、まだ答えを聞かせてもらっていないぞ」
苛立ちながら言うアークに、反抗心が湧きあがった。
「私にすれば、あなたこそ、迎えに来てくれるのが遅すぎじゃないのって言いたいわ。だってあなたは、私を感じて飛んでこられるんでしょ?」
「あ、ああ。まあ…そうだ」
「私がいないことに気づいて、すぐに来られたはずなのに…ちっとも来てくれなくて…おかげで私は…」
「私だって、とんでもなく驚いたんだぞ」
むっとして言い返していた沙絵莉に、アークもむっとした顔で言い返してきた。
「目が覚めたら君はベッドにいなくて、風呂に入っているのかと思っていたのに風呂にもいなくて。ドアは開けられないように封印しておいたのに、いったいどうやって出て行ったんだ?」
ドアに封印? そんなものがしてあったのか?
ドアは開けてみようともしなかったけど…
「私は窓から出たのよ」
「窓?」
アークは怪訝な顔になった。
どうも窓から出るなど、ありえないと思っているようだ。
「ええ。窓から…」
「サエリ、まさか、窓から飛び降りたというのか?」
「まさか、そんな度胸はないわよ。せっかく治してもらったばかりなのに、そんなことしたら脚を骨折しちゃうわ」
「なら、どうやって降りたんだ?」
「歩いて下りたに決まってるわ」
あの不思議な道を歩いて…
けど、あの不思議な道のせいで、迷子になっちゃったんだわ。
「歩いて? どうやって歩いて下りたというんだ?」
アークってば…ここは彼の家だ。…彼が知らないはずがないのに…
「ベランダにある道よ。…でも、歩いて下りたら違う場所に着いちゃったの。後ろを見てもあなたの家はなくて、全然知らない場所で、もうどしようって思っちゃったわ」
「サエリ…私は君が何を言っているのか、さっぱりわからないんだが?」
アークの言葉は、沙絵莉を困惑させた。
この家はアークの家ではないか。どうして彼がわからないのだ?
「それじゃ、ちょっと来て。アークも歩いてみればいいのよ」
沙絵莉はアークの腕を掴み、窓のところまで彼をひっぱって連れて行った。
窓を開け、ふたりして外へと出る。
ベランダの端に目を向けた沙絵莉は、目をパチパチさせた。
「あ、あらっ?」
ベランダは先ほどとは、完全に違っていた。
「お、おかしいわ。こちら側の端が、ずーっと先まで伸びてたのよ。木の枝と一体化してて…」
だが、明らかにそんなものはない。
沙絵莉は思わず「そ、そんなあ」と叫んでいた。
これじゃ、まるで私が嘘つきみたいじゃない。
「アーク、本当なのよ。ほんとに、この先に道が続いてたの。…なのに…なくなっちゃってて…」
自分が必死に嘘をついているようで、沙絵莉は泣きたくなった。
嘘じゃないのに…
「サエリ」
「アーク、ほんとよ。嘘じゃないの」
「ああ。そうだろうな」
そう口にしたアークの真意が掴めず、沙絵莉は彼の目を見つめ返した。
「あの…信じてくれるの?」
「もちろんだ。実際、君は出てゆけないはずのこの部屋から出て行ってしまっている」
「でも…でも、それなら…私が歩いた道は?」
沙絵莉はベランダの端を指さして問いかけていた。
おかしなことだが、アークよりも自分の方が、あれは現実ではなかったのではと思い始めてる。
頷いたアークは、沙絵莉を連れてベランダの端へと歩いて行った。
なんの変化も起こらず、ふたりは立ち止まった。
沙絵莉はがっかりした。
「うーん。道は現れないようだな。何か条件が揃う必要があるのかもしれないな」
「条件? それが揃えばあの道は、またここに現れるってこと?」
「そう考えるのが、一番妥当だろうな。あとで父上か母上に聞いてみるとしよう。私よりも、この屋敷については通じているからね」
沙絵莉はくすくす笑い出した。
「アークの家って、こんな不思議でいっぱいなの?」
「まあそうかもしれないな。私自身、いまみたいに、いまだに驚かされるわけだからな」
アークは愉快そうに笑いだした。
沙絵莉はそんなアークを見つめて、嬉しくなった。
彼はやっぱり素敵だわ。私の言葉を疑ったりせず、すぐに信じてくれた。
「アーク、あのギルというひと、あなた知っている?」
部屋に戻った沙絵莉は、アークは尋ねた。
「知っている」
「私、あのひとにとてもお世話になったの」
「彼に?」
「ええ。私、迷子になったうえに、道端でものすごく気分が悪くなって行き倒れちゃって…」
「い、行き倒れた? サエリ、いまは大丈夫なのか?」
「まだ完治したわけじゃないって言われてたとおりだったわ。元気になったつもりだったけど…歩き回ってたら気分が悪くなってしまって…。それでね、あのギルっていうひとが通りかかって助けてくれたの」
「そうだったのか。ギルには礼を言わなければならないな。だが、どうして修練場に?」
「あの建物にある治療所に連れてってもらったの。治療費も、ギルさんが立て替えてくれたの」
「わかった。彼には充分な礼をしよう。それよりサエリ、君は横になったほうがいいんじゃないか? 朝食は食べられそうか?」
なんともないと言おうとしたものの、沙絵莉はアークの勧めどおり、ベッドに横になることにした。
「そうね。早く身体を治さないと、家にも帰れないし」
「横になるなら、もっとゆったりとした服に着替えたほうがラクだろう」
「そうかもだけど…ねぇ、アーク。お風呂っていつでも入れるの?」
「ああ、いつでも入れるが」
「入ってきていいかしら?」
「気分は悪くないんだね?」
「ええ」
アークの了解をもらえ、沙絵莉は喜び勇んで豪華風呂に入りに行った。
昨日と変わりないお湯の量。
お湯が気持ちよくて、もっと入っていたかったが、アークが気を揉むかもしれないと考え、沙絵莉は早めに出た。
珠の洗濯機の下には、入る前に沙絵莉が入れた洗濯物がきれいになって入っていた。
下着をつけた沙絵莉は、アークの母から借りている服を取り出して着た。
お風呂も二度目、洗面所は三度目。
沙絵莉は、すっかり慣れてしまってる自分を笑った。
部屋に戻ると、アークだけでなくアークの母とジェライドがいた。
「サエリ。大冒険をしたんですって?」
サリスは笑いながらサエリに近づき、きゅっと抱きしめてきた。
抱擁されてちょっと恥ずかしかったが、アークの母に、好意をもってもらえていることが嬉しかった。
「アークに聞いたんですか?」
「ええ」
「あのベランダって…」
「そのことは、後にしましょう。朝食を用意したの。まずは食べてちょうだい」
確かに、テーブルの上に食事が用意されている。
治療所で食べたのとは大違いの豪華さだ。
あのときは、身元不明者の行き倒れ状態で、恵んでもらった感じで、食べていても虚しくて…。
「サエリ様。おはようございます」
楚々とした風情で、ジェライドが少し前に出てきて挨拶してきた。
沙絵莉は焦りつつ、挨拶を返していた。
アークとふたりして食事を始めた。どうやらサリスもジェライドもすでに朝食は済ませているらしい。
それにしても、ジェライドというひと…やっぱり女性としか思えない。
「ギルに感謝しないといけないわね」
その言葉に、スープを飲んでいた沙絵莉は、スプーンを口から離し、サリスに顔を向けた。
「ギルさんを知っていらっしゃるんですか?」
「ええ。もちろんよ」
「彼には充分に謝礼をしておきましょう」
そう言ったのは、ジェライドだった。
「私も、改めてお礼を言いにゆきたいです」
沙絵莉のその言葉は、ジェライドを困らせたようだった。
「それは…」
「サエリ、私も一緒に行こう」
「ほんと? ありがとう、アーク」
食事を終え、沙絵莉がベッドに入ると、サリスもジェライドも部屋から出て行った。
アークとふたりきりだと、やはり気がラクだ。
「ねぇ、アーク」
「なんだい?」
「私、あとどのくらいで帰れるかしら? おとなしく寝ていたら、明日にでも帰れそう?」
「まだわからないな。私も…」
「そうだったわ。私ってば、またあなたにテレポを使わせちゃったのよね」
連れて帰ってもらうために、魔力を回復してもらわなければならないというのに…
これはもう、おとなしく寝ているのが一番のようだ。
それにしても、私がこちらにきてから、向うはどうなっているのだろうか?
由美香と泰美の記憶は消してきたとアークは言ったけど…
私がいなくなっていることに、家族は気づいているだろうか?
そ、そうだ。電話…
毎日の日課になってる電話、夕べ、お母さんにしていないんだ!
アパートに探しに来たんじゃないだろうか? けど、行っても私はいない。
となると、娘は行方不明になったって思うよね?
そしたら当然、警察に捜索願いなんてもの出すんじゃ……
ことの重大さにようやく気づき、沙絵莉は真っ青になった。
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