白銀の風 アーク

第八章

第五話 ことの重大さ



「お前、人の心が読めるのか?」

ギルの言葉にきょとんとした沙絵莉は、次の瞬間、彼女の肩を掴んでいたギルの手が弾かれたように離れ、その不自然さに驚いて「えっ?」と叫んだ。

「サエリ」

彼女の叫びに重なるように、「サエリ」と、ささやく声が聞こえた。

アークだ。

ようやく迎えに来てくれた。

沙絵莉は、声が聞こえたほうへさっと顔を向けてみたが、そこにアークの姿はなかった。

えっ、幻で姿を消してるの?

戸惑いを感じる暇もなく、左手を握り締められ目の前の風景がぼやけはじめた。

「わっ」

驚きの声を上げたときには、自分が寝ていたベッドの側にいた。

戻ってきたのだ。

「アーク」

安堵と喜びを感じ、沙絵莉はアークに振り返った。

彼はもう姿を見せていて、沙絵莉は笑いかけたが、アークは眉間を寄せている。

「いったい、どうやってあんなところまで行ったんだ?」

「ど、どうやってって…」

怒っているようではないが、アークから急き込むように聞かれ、沙絵莉は困惑した。

だが、唐突に戻ってきてしまったことが気にかかる。

彼女を救ってくれた恩人であるギルを、びっくりさせてしまったに違いない。

それも、さんざん世話をかけたというのに、去り際お礼を言えなかったし、治療代も返さなければならなかったのに、返さないまま…

「それよりアーク。突然テレポするんだもの。私…」

「サエリ、まだ答えを聞かせてもらっていないぞ」

苛立ちながら言うアークに、反抗心が湧きあがった。

「私にすれば、あなたこそ、迎えに来てくれるのが遅すぎじゃないのって言いたいわ。だってあなたは、私を感じて飛んでこられるんでしょ?」

「あ、ああ。まあ…そうだ」

「私がいないことに気づいて、すぐに来られたはずなのに…ちっとも来てくれなくて…おかげで私は…」

「私だって、とんでもなく驚いたんだぞ」

むっとして言い返していた沙絵莉に、アークもむっとした顔で言い返してきた。

「目が覚めたら君はベッドにいなくて、風呂に入っているのかと思っていたのに風呂にもいなくて。ドアは開けられないように封印しておいたのに、いったいどうやって出て行ったんだ?」

ドアに封印? そんなものがしてあったのか?
ドアは開けてみようともしなかったけど…

「私は窓から出たのよ」

「窓?」

アークは怪訝な顔になった。

どうも窓から出るなど、ありえないと思っているようだ。

「ええ。窓から…」

「サエリ、まさか、窓から飛び降りたというのか?」

「まさか、そんな度胸はないわよ。せっかく治してもらったばかりなのに、そんなことしたら脚を骨折しちゃうわ」

「なら、どうやって降りたんだ?」

「歩いて下りたに決まってるわ」

あの不思議な道を歩いて…

けど、あの不思議な道のせいで、迷子になっちゃったんだわ。

「歩いて? どうやって歩いて下りたというんだ?」

アークってば…ここは彼の家だ。…彼が知らないはずがないのに…

「ベランダにある道よ。…でも、歩いて下りたら違う場所に着いちゃったの。後ろを見てもあなたの家はなくて、全然知らない場所で、もうどしようって思っちゃったわ」

「サエリ…私は君が何を言っているのか、さっぱりわからないんだが?」

アークの言葉は、沙絵莉を困惑させた。

この家はアークの家ではないか。どうして彼がわからないのだ?

「それじゃ、ちょっと来て。アークも歩いてみればいいのよ」

沙絵莉はアークの腕を掴み、窓のところまで彼をひっぱって連れて行った。

窓を開け、ふたりして外へと出る。

ベランダの端に目を向けた沙絵莉は、目をパチパチさせた。

「あ、あらっ?」

ベランダは先ほどとは、完全に違っていた。

「お、おかしいわ。こちら側の端が、ずーっと先まで伸びてたのよ。木の枝と一体化してて…」

だが、明らかにそんなものはない。

沙絵莉は思わず「そ、そんなあ」と叫んでいた。

これじゃ、まるで私が嘘つきみたいじゃない。

「アーク、本当なのよ。ほんとに、この先に道が続いてたの。…なのに…なくなっちゃってて…」

自分が必死に嘘をついているようで、沙絵莉は泣きたくなった。

嘘じゃないのに…

「サエリ」

「アーク、ほんとよ。嘘じゃないの」

「ああ。そうだろうな」

そう口にしたアークの真意が掴めず、沙絵莉は彼の目を見つめ返した。

「あの…信じてくれるの?」

「もちろんだ。実際、君は出てゆけないはずのこの部屋から出て行ってしまっている」

「でも…でも、それなら…私が歩いた道は?」

沙絵莉はベランダの端を指さして問いかけていた。

おかしなことだが、アークよりも自分の方が、あれは現実ではなかったのではと思い始めてる。

頷いたアークは、沙絵莉を連れてベランダの端へと歩いて行った。

なんの変化も起こらず、ふたりは立ち止まった。

沙絵莉はがっかりした。

「うーん。道は現れないようだな。何か条件が揃う必要があるのかもしれないな」

「条件? それが揃えばあの道は、またここに現れるってこと?」

「そう考えるのが、一番妥当だろうな。あとで父上か母上に聞いてみるとしよう。私よりも、この屋敷については通じているからね」

沙絵莉はくすくす笑い出した。

「アークの家って、こんな不思議でいっぱいなの?」

「まあそうかもしれないな。私自身、いまみたいに、いまだに驚かされるわけだからな」

アークは愉快そうに笑いだした。

沙絵莉はそんなアークを見つめて、嬉しくなった。

彼はやっぱり素敵だわ。私の言葉を疑ったりせず、すぐに信じてくれた。


「アーク、あのギルというひと、あなた知っている?」

部屋に戻った沙絵莉は、アークは尋ねた。

「知っている」

「私、あのひとにとてもお世話になったの」

「彼に?」

「ええ。私、迷子になったうえに、道端でものすごく気分が悪くなって行き倒れちゃって…」

「い、行き倒れた? サエリ、いまは大丈夫なのか?」

「まだ完治したわけじゃないって言われてたとおりだったわ。元気になったつもりだったけど…歩き回ってたら気分が悪くなってしまって…。それでね、あのギルっていうひとが通りかかって助けてくれたの」

「そうだったのか。ギルには礼を言わなければならないな。だが、どうして修練場に?」

「あの建物にある治療所に連れてってもらったの。治療費も、ギルさんが立て替えてくれたの」

「わかった。彼には充分な礼をしよう。それよりサエリ、君は横になったほうがいいんじゃないか? 朝食は食べられそうか?」

なんともないと言おうとしたものの、沙絵莉はアークの勧めどおり、ベッドに横になることにした。

「そうね。早く身体を治さないと、家にも帰れないし」

「横になるなら、もっとゆったりとした服に着替えたほうがラクだろう」

「そうかもだけど…ねぇ、アーク。お風呂っていつでも入れるの?」

「ああ、いつでも入れるが」

「入ってきていいかしら?」

「気分は悪くないんだね?」

「ええ」

アークの了解をもらえ、沙絵莉は喜び勇んで豪華風呂に入りに行った。

昨日と変わりないお湯の量。

お湯が気持ちよくて、もっと入っていたかったが、アークが気を揉むかもしれないと考え、沙絵莉は早めに出た。

珠の洗濯機の下には、入る前に沙絵莉が入れた洗濯物がきれいになって入っていた。

下着をつけた沙絵莉は、アークの母から借りている服を取り出して着た。

お風呂も二度目、洗面所は三度目。
沙絵莉は、すっかり慣れてしまってる自分を笑った。

部屋に戻ると、アークだけでなくアークの母とジェライドがいた。

「サエリ。大冒険をしたんですって?」

サリスは笑いながらサエリに近づき、きゅっと抱きしめてきた。

抱擁されてちょっと恥ずかしかったが、アークの母に、好意をもってもらえていることが嬉しかった。

「アークに聞いたんですか?」

「ええ」

「あのベランダって…」

「そのことは、後にしましょう。朝食を用意したの。まずは食べてちょうだい」

確かに、テーブルの上に食事が用意されている。

治療所で食べたのとは大違いの豪華さだ。

あのときは、身元不明者の行き倒れ状態で、恵んでもらった感じで、食べていても虚しくて…。

「サエリ様。おはようございます」

楚々とした風情で、ジェライドが少し前に出てきて挨拶してきた。

沙絵莉は焦りつつ、挨拶を返していた。

アークとふたりして食事を始めた。どうやらサリスもジェライドもすでに朝食は済ませているらしい。

それにしても、ジェライドというひと…やっぱり女性としか思えない。

「ギルに感謝しないといけないわね」

その言葉に、スープを飲んでいた沙絵莉は、スプーンを口から離し、サリスに顔を向けた。

「ギルさんを知っていらっしゃるんですか?」

「ええ。もちろんよ」

「彼には充分に謝礼をしておきましょう」

そう言ったのは、ジェライドだった。

「私も、改めてお礼を言いにゆきたいです」

沙絵莉のその言葉は、ジェライドを困らせたようだった。

「それは…」

「サエリ、私も一緒に行こう」

「ほんと? ありがとう、アーク」


食事を終え、沙絵莉がベッドに入ると、サリスもジェライドも部屋から出て行った。

アークとふたりきりだと、やはり気がラクだ。

「ねぇ、アーク」

「なんだい?」

「私、あとどのくらいで帰れるかしら? おとなしく寝ていたら、明日にでも帰れそう?」

「まだわからないな。私も…」

「そうだったわ。私ってば、またあなたにテレポを使わせちゃったのよね」

連れて帰ってもらうために、魔力を回復してもらわなければならないというのに…

これはもう、おとなしく寝ているのが一番のようだ。

それにしても、私がこちらにきてから、向うはどうなっているのだろうか?

由美香と泰美の記憶は消してきたとアークは言ったけど…

私がいなくなっていることに、家族は気づいているだろうか?

そ、そうだ。電話…

毎日の日課になってる電話、夕べ、お母さんにしていないんだ!

アパートに探しに来たんじゃないだろうか? けど、行っても私はいない。

となると、娘は行方不明になったって思うよね?

そしたら当然、警察に捜索願いなんてもの出すんじゃ……

ことの重大さにようやく気づき、沙絵莉は真っ青になった。






   
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