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第七話 無秩序な魔力
聖なる館を後にして、修練場にやってきたジェライドは、騒がしい内部を見回し、ギルの気を感じつつその姿を探した。
ここでは大勢が剣を振り上げて魔剣技を磨いている。
ギルの気を感じて飛べはすぐに彼を見つけられるが、魔法剣を使って修練をしている中に飛び込んでは、危険だ。
もちろん、危険に遭遇するのは、ギルとギルの周囲にいる者達のほうだ。彼自身は強固なシールドでこの身を守っているからどうということはない。
あ、いた。
ひときわ大きい図体のギルは、やはりよく目立つ。
ジェライドは、ギルが修練の手を休めるのを辛抱強く待った。
まずはギルに謝礼を渡し、そのあとは…
透明な玉から指輪の箱を取り出せないものか、まずはパンセ殿に相談して…
パンセ殿でも手に負えなければ…出向きたくはないが…キラタ殿に頼むしかない。
「おお、ジェライド殿。どうされました? こんなところにおいでとは」
でかいため息をついていたジェライドは、大声で話しかけられて顔を上げた。
「やあ、ギル。君に用があって、待っていたんだ」
そう返事をしたジェライドは、ギルの左腕の肩に近い部分に十センチほどの傷があるのに気づいて眉をあげた。
「いったいどうしたんだい? 傷を負うなんて君らしくないじゃないか」
「情けないことに、集中を欠いてしまったようで、やられました」
ギルは苦笑いしながら言う。
「これから治療所に行ってこようと…」
「ああ、それくらい私が直してあげるよ」
「いえ。大賢者殿にそのようなことは…」
「これもお礼のひとつだよ」
「お礼のとは?」
当然、意味がわからないのだろう。
ギルはサエリが、この国にとって、アークに並ぶ重要な人物だなどとは知らないわけだし…
そして、彼らのすぐ近くで魔剣士パウエイが、ギルの傷をひどく気にかけていることにも気づいていないのだろう。
このふたり、まだまだ先は遠そうだ。
ジェライドは胸の内で微笑みながら、ギルの傷に癒しをほどこした。
傷は単純なものだから、一瞬にしてふさがった。
もともとギルの治癒力が高いからなのだが、彼らのやりとりを見ていた者達から歓声が上がった。
「さすがだ。ジェライド殿の癒しの技の効き目には驚かされますな」
「まあね。君にはとても世話になったからね」
「世話…ですか? そんな覚えはありませんが…」
「娘を助けたでしょう?」
「は?」
ジェライドの言葉に、ギルはぽかんとした顔になり、次の瞬間きゅっと眉を寄せた。
「あの娘は、ジェライド殿のお知り合いでしたか? 風変わりな衣装をまとったおかしな娘でしたが…最後にはテレポまで使って姿を消してしまって、なんとも驚かされました。女性でテレポを使う者は滅多におりませんからな。ですが、ジェライド殿の知り合いとなれば、それも納得」
「ギル、君にお礼をしたいと申されていましたよ。いずれお礼においでになるかもしれませんが…」
アークとともに…とジェライドは心の中で付け加えた。
「それで、治療費を払ってもらったそうですね。これを…」
ジェライドは、金色の玉をポケットから取り出し、ギルに差し出した。
「これはなんですか?」
「謝礼として、貴方はお金は受け取らないだろうと思ってね。魔法の利器ならば喜んで受け取ってくれるんじゃないかと…」
ギルはありえないというように、玉から手を遠ざけてしまう。
「こ、こんな高価なもの、治療費の代わりにだなんて、とてもいただけませんよ。それに、もう腕の傷を治していただいたんです。これで充分ですよ」
「これでも足りないくらいですよ。貴方がしてくれたことに対する謝礼はね」
「はあっ? 意味が?」
「いずれ、その意味のわかるときが来ますよ。さあ、ギル受け取って」
ジェライドはギルの手に玉を握らせ、また別の物をポケットから取り出した。
「それと、これは私個人からのお礼だと思ってください」
ジェライドはそう言い、細長いガラス状のものを手渡した。カラフルな文字が埋め込んである。
「これは…?」
「演劇会のチケットですよ。王宮でもうすぐ行われる予定の」
「お、王宮ですか? ジェライド殿、申し訳ないが、私はそのようなものにはまったく興味が…」
「ない? ギル、本当に?」
ジェライドは意味ありげな笑みを浮かべ、ギルに背を向けると、目的を持って前へと歩いて行った。
「ジェライド殿? これは私には無用のものです。もったいないからお返ししますよ」
後ろから聞こえるギルの声を無視し、ジェライドはパウエイの前に立った。
突然自分に歩み寄ってきた大賢者を見て、パウエイはひどく戸惑っている。
「パウエイ、君にこれをあげよう」
面食らっているパウエイに、ジェライドはギルに渡したと同じチケットを渡した。
「ギルと楽しんでいらっしゃい」
そう言葉を残し、ジェライドはにっこりと微笑んでその場から消えた。
「サエリは大丈夫なんでしょうか?」
アークは、部屋にやって来た父とポンテルスに向けて不安を口にした。
サエリは倒れこむように意識を失った。あれは普通ではなかった。
「彼女の身体は、変革を余儀なくされている」
「変革…ですか?」
「もともとなかった魔力の核を身に備えることになってしまったのだから…その変化に馴染むのに、時間が必要だろうし…こんなことは私も初めてだからな。見守るしかない」
「命に別状はないのですよね?」
「それは大丈夫だろうて」
ポンテルスののんびりした返事は、アークをほっとさせてくれた。
しかし、見守るしかないとは…
「魔力は生きるのに必要なものだ。我々は無意識に核に魔力を貯蔵し、必要に応じて使っている。だが、サエリはそれができないでいるから、全身に必要なだけの魔力が足りなくなって倒れるのではないかと思うが、ポンテルス、どう思います?」
「うむ。訓練が必要だの」
「訓練?」
「サエリ様は赤子と同じよの。肺で息をする方法を教えるように、初歩的なことからひとつずつ学んでゆかねばならぬでしょうのお」
「容易くはないぞ。息というのは、苦しくなれば吸うものだが…サエリはそれすら出来ない状態なわけだからな」
「生きるために魔力を必要に応じて使っているなんて意識は、誰にもありませんよ」
「そうだな。無意識に行うことを教えるというのは難しいだろう。だが、それを覚えなければ、彼女は普通に生活できないことになる」
「核を外してやって、元通りにしてはどうでしょう?」
ゼノンが駄目だというように首を横に振る。
「アーク、核を外すということは、今回のようなことがまた起こった時、同じように癒しの技が効かぬということなのだぞ。緊急の事態で、またお前は癒しを使いすぎて意識を失い、サエリも助からないという最悪が現実になってもよいのか?」
「ですが…どうすればいいのです?」
「訓練をして習得するしかありませんの」
それでは、習得するまで、サエリがどれだけ帰りたがっても、彼女の国に帰せないということになる。
アークは、自分の胸に湧いた感情に、唇を噛み締めた。
サエリに同情を感じつつも、彼の本心はその事態を嬉しがっている。
このことは、サエリを、彼女の国に帰さないうまい口実になる。
彼女を帰したくはないが、サエリに対してあまりに卑怯だ。
彼に出来ることをしなければ。
「それでは、訓練を…何かこうすればよいとか…方法がありますか?」
「うむ。ありますぞ。私も手伝いましょう」
頼りになるポンテルスがそう言って微笑みながら頷いてくれ、アークは心強かった。だが、どうしたのかゼノンは渋い顔をしている。
「父上?」
「い、いや……まあ、私はうまくいくように祈っていよう」
ゼノンらしくない歯切れの悪い返答に、アークは眉をひそめた。
ポンテルスは眠っているサエリの胸の上に手をかざした。
「ほおっ。かなりの魔力が蓄積されておりますの」
その言葉に、ゼノンが興味を示し、ポンテルスと同じようにサエリの胸の辺りに手をかざす。
「うむ。確かに…だが無秩序だ」
ゼノンの言葉を聞いて、ポンテルスが声を上げて笑う。
「無秩序とはどういう意味です」
アークはそう口にしつつ、確認のため、彼もまたサエリの胸の上に手をかざしてみた。
ゼノンやアークの言葉通りだった。
魔力が散ってしまっている。核の中で魔力が粒状になって空間を漂っているという感じだ。
無秩序…まさにその通りだ。まるで秩序がない。
「核を作っても、これでは意味がないように思いますが…」
「いやいや、魔力はわれらと同様のもの。サエリ様の魔力に秩序を学ばせれば良いだけのこと」
アークは驚きに目を見開いた。
「秩序というのは、学ばせられるものなのですか?」
「もちろんですじゃ」
「アーク」
その方法とやらをさっそく聞こうと気をはやらせていたアークは、父に呼びかけられて顔を向けた。
「父上、なんですか?」
「お前、指輪はどうなったのだ?」
ゆ、指輪?
アークは、思い出したくないことを思い出し、顔を歪めた。
結婚指輪は依然としてあの透明な玉の中。そして婚約指輪は…
そうだった、ライドとマリアナに会いに行かなければならなかったんだ。
あのふたりは、婚約指輪がどこにあるか知っているはず。
「婚約指輪は、早く探し出しておいた方がよいぞ」
どうやらゼノンは、いますぐに探しに行けと言いたいらしい。
アークは、いまだ意識の戻らないサエリを見つめた。
彼女を置いてゆきたくはないが…彼女の側にずっといるわけにもゆかない。
「我々はこれから賢者の塔にゆくが、サエリのことはサリスに頼んでゆくから大丈夫だ。アーク、行ってこい」
仕方なく頷いたアークは、飛ぶ前にサエリの手にそっと触れて、その場を後にした。
ジェライドはどこだろう?
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