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第九話 嫌いな理由
「なあ、ジェライド。キラタでなければ駄目なのか? 彼に相談するというのは…いささか躊躇いが湧くんだが…」
「私だって、喜んでキラタ殿に相談するわけじゃないよ。けど…」
「パンセ殿には? もう相談してみたのか?」
「いや、まだだけど…」
「それなら…」
「アーク、残念だけど、パンセ殿では無理だと思うよ。あの方の得意分野ではないから」
「わからないだろう。どのみち、まだキラタは父のところから出てきそうもないし…ともかく、行って相談してみようじゃないか」
ジェライドは気が乗らないようだったが、アークはジェライドの腕を掴み、その場でテレポした。
場所は、聖なる館から聖なる地へと繋がる小道。
すぐ目前に、いつもの靄が見える。
「どうせ、無駄なのに…」
優れた予知能力を持っているジェライドの言葉に、アークは眉を寄せた。
これだけジェライドが無駄というのであれば、きっと徒労で終わるんだろうが…
なんとなく、道が開けるような気がするのだ。
大きな玉を抱え、渋々というようについてくるジェライドに苦笑しつつ、アークは靄の中へと足を踏み入れた。
「アーク」
少し歩いたところで、ジェライドが声をかけてきた。
戸惑いを含んだような声で、アークは眉を上げてジェライドを振り返った。
「なんだい?」
「おかしくないか?」
ジェライドはどうしたというのか、眉をひそめてキョロキョロと周りを見回している。
「おかしい? ジェライド、なにがだ?」
「この靄だよ。いつもよりずっと濃くないか?」
不安がこめられたジェライドの言葉に、アークは周囲に視線を向けてみた。
靄のかかった小道は、どう見ても、いつもと同じにしか見えない。
「気のせいだろう。変わりないようだぞ」
「いや、そんなことはない。ほら、君の姿すら見失いそうだ」
右腕に玉を抱えているジェライドは、立ち止まり、アークに向かって、空いている左手を伸ばしてくる。
「何を言っているんだ。私からは、ちゃんと見えているぞ」
「アーク、手を…」
焦ったように言っていたジェライドは、ぴたりと動きを止めた。
唇は開いたまま…そして、アークに向けて左手を伸ばしたまま…
「ジ、ジェライド?」
異様な雰囲気に、驚いたアークはジェライドの手を掴もうと手を伸ばしかけたが、ぐっと後ろに引っぱられた。
「な、なんだ?」
気づいたときには、身体が後ろ向きに空中を飛んでいた。
誰かが長い腕を伸ばしてきて、アークの身体を引っ張っている、そんな感じだった。
抵抗などまったくできず、アークは宙に浮いている足を無意味にバタつかせた。
空中を飛んでいたのは、一瞬だったろうと思う。
次に気づいときには、アークは地に足をつけていた。
周りを確認し、アークはハッと息を呑んだ。
靄の小道から外れ、森の中に入り込んでしまっている。
いったい何者がアークを森の中に引っぱりこんだのか?
この森は、古の森…
聖なる地を守るためにあり、古き精霊達が住まうところ…
迷い込んだら出られないと言われている。
さすがのアークも冷や汗が出た。
「ほうよ、座ると良い」
おかしな言い回しで、言葉をかけられ、アークは声がした方向にさっと顔を向けた。
「誰だ?」
「見よ。わかろうぞぉ」
甲高い声が、歌うように言う。
いったい?
アークは、用心しつつ声に近づいていった。
周りは白い靄に包まれているのだが、凝縮された靄の塊のようなものがあるのに気づいた。
その靄にゆっくりと歩み寄り、アークは正体を突き止めようと目を凝らした。
バン!
突然の大音響にびっくりしたアークは、飛び上がってしまい尻餅をついた。
ケラケラケラと靄が笑う。
その笑い声に、アークの中で封じられていた記憶が蘇った。
「リージ!」
アークに名を呼ばれた相手は、ぴたりと笑いやんだ。
「ひさしぶりだ」
リージは、古の森の精霊だ。幼かったアークの遊び相手だった。
けれど、古の森は、森から外に出てしまうと、自動的に記憶を封印する。ここでの記憶は、ここに戻ってきたときでなければ、思い出せないのだ。
「本当に、ひさしぶりだ。元気でいたかい、リージ」
アークは、懐かしさと愛情をこめて声をかけた。
「君は大きくなりすぎた」
リージは、無念そうに言う。
「ああ。そうだな。君は変わらないけど…」
「変わらない。どうして君は変わる?」
「ひとは成長するからな」
「なら、成長しなければいい。そう決めればいい」
それですべてが解決というように、リージは言う。アークは笑った。
「成長は自然なことなんだ」
「自然なこと? リージは自然じゃない?」
「いや、君は精霊だから、そのままでいいんだよ」
「リージと君は違う?」
「そうだね。けど、楽しいときを共有できた。私はとても楽しかったよ」
「リージも楽しい。ねぇ、君、今度は小さく成長しない?」
期待するように言うリージに、アークは微笑んだ。
「私は小さくはなれないよ」
「そうか…」
「ところでリージ。私を森の中にひっぱりこんだのは、君か?」
しょぼくれた様子のリージに、アークは尋ねた。
「そうだ」
「私とまた遊びたくなって、ひっぱり込んだのかい?」
リージは、急に何かを思い出したようで、ぴょんと大きく飛び上がった。
「大きな玉だ。リージ、あれが欲しい」
アークの周りをピョンピョン飛び跳ねながらリージが言う。
「大きな玉?」
アークは、眉を寄せた。
大きな玉と言われて思いつくのは、あのやっかいな玉しか思いつかないのだが…
まさか、あれのことなのか?
「宝物、宝物。もらっていいって言った」
もらっていい?
「誰が言ったんだい?」
リージはいったん動きを止め、狙いを定めたようにポーンと飛び上がり、アークの肩に乗ってきた。
「内緒のひとだ」
アークの耳元に向けて、ほとんど聞き取れないほどの小声で言う。
「内緒の…?」
「しーっ。内緒のひとの内緒の内緒」
リージは、また小さな声で言うと、アークの頭の上によじ登りはじめた。
もともとが靄の塊のような存在だから、よじ登られるのはおかしな感覚だった。
持ち主に断りなく、頭のてっぺんに無事居座ったリージは、歩くのを催促するようにバウンドしはじめた。
重力を無視したように、アークの頭が上下に強く揺れる。
ぎょっとしたアークは、慌てて頭の両側を押さえこんだ。
「お、おい。リージ、それはやめてくれ。首がもげそうだ」
「首?」
「頭と身体の間さ。この部分だ」
「ふおっ、首? なんのためにある?」
「リージ、そんなことより、あの玉はあげられないよ。あれは私にとってとても大切なものなんだ」
「大切? 君の宝物?」
「あ…」
宝物と言う言葉に、アークは一瞬、言葉に詰まった。
中身の指輪については、本音、目にしたくない。だが、あれがないと、サエリとの婚儀は執り行えない。
つまり、宝ではないが、凄まじく大切なものだ。
「ああ、宝物なんだ。だからあげられない」
きっぱり言ったが、リージは納得できないようだった。
プリプリしているのが伝わってくる。
「内緒のひと、もらっていいって言った。君はあの玉を邪魔っけにしてる。リージはもらっていい」
「いや、内緒のひとがなんと言ったのか知らないが、あの玉の中には大切な箱がはいっているんだ」
「箱? リージ、箱なんていらない」
「だが、取り出せないんだ。なんとか取り出そうとしているところなのさ」
「いらないもの、取り出す。だから、あの玉、リージがもらう」
アークは、頭の上で小さく跳ねるリージに目を向けた。
「リージ、君は取り出せるっていうのか?」
正直、半信半疑だったが、アークはリージを頭に載せたまま、リージの案内で森の中を進んだ。
「アーク、手を繋ごう。この靄は、絶対ただごとじゃ…」
手を差し出してきていたジェライドが、一瞬身を固め、「えっ?」と叫びを上げて周りを見回す。
「今度はどうしたんだ?」
「い、いや…一瞬にして、普通に戻ったようだ…」
戸惑ったようにジェライドが言う。
「靄がかい?」
からかうように言ったアークは、自分が何かを手にしているのに気づき、びくりとして目を向けた。
「はっ?」
こ、これは…?
どう見ても、玉の中に取り込まれていた指輪の箱ではないか。
「ジェライド!」
「な、なんで? た、玉は?」
アークが指輪の箱を持っているのを見て、仰天したようにジェライドが叫ぶ。
一瞬前まで、ジェライドが右腕に抱えていた玉は消え去り、玉の中に入っていた指輪の箱は、なぜかアークがそれぞれの手にひとつずつ握り締めている。
「いったい、いま、何が起こったんだ、ジェライド?」
アークは、目を丸くしてジェライドに尋ねた。
あれほど取り出すのに難儀していたというのに…
「私が聞きたいよ!」
噛み付くように言ったジェライドは、むっとして、周囲に漂っている靄を敵のように睨みつけた。
「だから、この靄の小道は嫌いなんだよ」
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