白銀の風 アーク

第八章

第九話 嫌いな理由



「なあ、ジェライド。キラタでなければ駄目なのか? 彼に相談するというのは…いささか躊躇いが湧くんだが…」

「私だって、喜んでキラタ殿に相談するわけじゃないよ。けど…」

「パンセ殿には? もう相談してみたのか?」

「いや、まだだけど…」

「それなら…」

「アーク、残念だけど、パンセ殿では無理だと思うよ。あの方の得意分野ではないから」

「わからないだろう。どのみち、まだキラタは父のところから出てきそうもないし…ともかく、行って相談してみようじゃないか」

ジェライドは気が乗らないようだったが、アークはジェライドの腕を掴み、その場でテレポした。

場所は、聖なる館から聖なる地へと繋がる小道。

すぐ目前に、いつもの靄が見える。

「どうせ、無駄なのに…」

優れた予知能力を持っているジェライドの言葉に、アークは眉を寄せた。

これだけジェライドが無駄というのであれば、きっと徒労で終わるんだろうが…

なんとなく、道が開けるような気がするのだ。

大きな玉を抱え、渋々というようについてくるジェライドに苦笑しつつ、アークは靄の中へと足を踏み入れた。

「アーク」

少し歩いたところで、ジェライドが声をかけてきた。

戸惑いを含んだような声で、アークは眉を上げてジェライドを振り返った。

「なんだい?」

「おかしくないか?」

ジェライドはどうしたというのか、眉をひそめてキョロキョロと周りを見回している。

「おかしい? ジェライド、なにがだ?」

「この靄だよ。いつもよりずっと濃くないか?」

不安がこめられたジェライドの言葉に、アークは周囲に視線を向けてみた。

靄のかかった小道は、どう見ても、いつもと同じにしか見えない。

「気のせいだろう。変わりないようだぞ」

「いや、そんなことはない。ほら、君の姿すら見失いそうだ」

右腕に玉を抱えているジェライドは、立ち止まり、アークに向かって、空いている左手を伸ばしてくる。

「何を言っているんだ。私からは、ちゃんと見えているぞ」

「アーク、手を…」

焦ったように言っていたジェライドは、ぴたりと動きを止めた。

唇は開いたまま…そして、アークに向けて左手を伸ばしたまま…

「ジ、ジェライド?」

異様な雰囲気に、驚いたアークはジェライドの手を掴もうと手を伸ばしかけたが、ぐっと後ろに引っぱられた。

「な、なんだ?」

気づいたときには、身体が後ろ向きに空中を飛んでいた。

誰かが長い腕を伸ばしてきて、アークの身体を引っ張っている、そんな感じだった。

抵抗などまったくできず、アークは宙に浮いている足を無意味にバタつかせた。

空中を飛んでいたのは、一瞬だったろうと思う。

次に気づいときには、アークは地に足をつけていた。

周りを確認し、アークはハッと息を呑んだ。

靄の小道から外れ、森の中に入り込んでしまっている。

いったい何者がアークを森の中に引っぱりこんだのか?

この森は、古の森…
聖なる地を守るためにあり、古き精霊達が住まうところ…

迷い込んだら出られないと言われている。

さすがのアークも冷や汗が出た。

「ほうよ、座ると良い」

おかしな言い回しで、言葉をかけられ、アークは声がした方向にさっと顔を向けた。

「誰だ?」

「見よ。わかろうぞぉ」

甲高い声が、歌うように言う。

いったい?

アークは、用心しつつ声に近づいていった。

周りは白い靄に包まれているのだが、凝縮された靄の塊のようなものがあるのに気づいた。

その靄にゆっくりと歩み寄り、アークは正体を突き止めようと目を凝らした。

バン!

突然の大音響にびっくりしたアークは、飛び上がってしまい尻餅をついた。

ケラケラケラと靄が笑う。

その笑い声に、アークの中で封じられていた記憶が蘇った。

「リージ!」

アークに名を呼ばれた相手は、ぴたりと笑いやんだ。

「ひさしぶりだ」

リージは、古の森の精霊だ。幼かったアークの遊び相手だった。

けれど、古の森は、森から外に出てしまうと、自動的に記憶を封印する。ここでの記憶は、ここに戻ってきたときでなければ、思い出せないのだ。

「本当に、ひさしぶりだ。元気でいたかい、リージ」

アークは、懐かしさと愛情をこめて声をかけた。

「君は大きくなりすぎた」

リージは、無念そうに言う。

「ああ。そうだな。君は変わらないけど…」

「変わらない。どうして君は変わる?」

「ひとは成長するからな」

「なら、成長しなければいい。そう決めればいい」

それですべてが解決というように、リージは言う。アークは笑った。

「成長は自然なことなんだ」

「自然なこと? リージは自然じゃない?」

「いや、君は精霊だから、そのままでいいんだよ」

「リージと君は違う?」

「そうだね。けど、楽しいときを共有できた。私はとても楽しかったよ」

「リージも楽しい。ねぇ、君、今度は小さく成長しない?」

期待するように言うリージに、アークは微笑んだ。

「私は小さくはなれないよ」

「そうか…」

「ところでリージ。私を森の中にひっぱりこんだのは、君か?」

しょぼくれた様子のリージに、アークは尋ねた。

「そうだ」

「私とまた遊びたくなって、ひっぱり込んだのかい?」

リージは、急に何かを思い出したようで、ぴょんと大きく飛び上がった。

「大きな玉だ。リージ、あれが欲しい」

アークの周りをピョンピョン飛び跳ねながらリージが言う。

「大きな玉?」

アークは、眉を寄せた。

大きな玉と言われて思いつくのは、あのやっかいな玉しか思いつかないのだが…

まさか、あれのことなのか?

「宝物、宝物。もらっていいって言った」

もらっていい?

「誰が言ったんだい?」

リージはいったん動きを止め、狙いを定めたようにポーンと飛び上がり、アークの肩に乗ってきた。

「内緒のひとだ」

アークの耳元に向けて、ほとんど聞き取れないほどの小声で言う。

「内緒の…?」

「しーっ。内緒のひとの内緒の内緒」

リージは、また小さな声で言うと、アークの頭の上によじ登りはじめた。

もともとが靄の塊のような存在だから、よじ登られるのはおかしな感覚だった。

持ち主に断りなく、頭のてっぺんに無事居座ったリージは、歩くのを催促するようにバウンドしはじめた。

重力を無視したように、アークの頭が上下に強く揺れる。

ぎょっとしたアークは、慌てて頭の両側を押さえこんだ。

「お、おい。リージ、それはやめてくれ。首がもげそうだ」

「首?」

「頭と身体の間さ。この部分だ」

「ふおっ、首? なんのためにある?」

「リージ、そんなことより、あの玉はあげられないよ。あれは私にとってとても大切なものなんだ」

「大切? 君の宝物?」

「あ…」

宝物と言う言葉に、アークは一瞬、言葉に詰まった。

中身の指輪については、本音、目にしたくない。だが、あれがないと、サエリとの婚儀は執り行えない。

つまり、宝ではないが、凄まじく大切なものだ。

「ああ、宝物なんだ。だからあげられない」

きっぱり言ったが、リージは納得できないようだった。

プリプリしているのが伝わってくる。

「内緒のひと、もらっていいって言った。君はあの玉を邪魔っけにしてる。リージはもらっていい」

「いや、内緒のひとがなんと言ったのか知らないが、あの玉の中には大切な箱がはいっているんだ」

「箱? リージ、箱なんていらない」

「だが、取り出せないんだ。なんとか取り出そうとしているところなのさ」

「いらないもの、取り出す。だから、あの玉、リージがもらう」

アークは、頭の上で小さく跳ねるリージに目を向けた。

「リージ、君は取り出せるっていうのか?」

正直、半信半疑だったが、アークはリージを頭に載せたまま、リージの案内で森の中を進んだ。





「アーク、手を繋ごう。この靄は、絶対ただごとじゃ…」

手を差し出してきていたジェライドが、一瞬身を固め、「えっ?」と叫びを上げて周りを見回す。

「今度はどうしたんだ?」

「い、いや…一瞬にして、普通に戻ったようだ…」

戸惑ったようにジェライドが言う。

「靄がかい?」

からかうように言ったアークは、自分が何かを手にしているのに気づき、びくりとして目を向けた。

「はっ?」

こ、これは…?

どう見ても、玉の中に取り込まれていた指輪の箱ではないか。

「ジェライド!」

「な、なんで? た、玉は?」

アークが指輪の箱を持っているのを見て、仰天したようにジェライドが叫ぶ。

一瞬前まで、ジェライドが右腕に抱えていた玉は消え去り、玉の中に入っていた指輪の箱は、なぜかアークがそれぞれの手にひとつずつ握り締めている。

「いったい、いま、何が起こったんだ、ジェライド?」

アークは、目を丸くしてジェライドに尋ねた。

あれほど取り出すのに難儀していたというのに…

「私が聞きたいよ!」

噛み付くように言ったジェライドは、むっとして、周囲に漂っている靄を敵のように睨みつけた。

「だから、この靄の小道は嫌いなんだよ」






   
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