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第十二話 不十分な通信
「母が君を連れて行ったのか? サエリ、あそこはいったいどこだったんだい?」
「アクセサリーのお店だけど…」
アークの顔を、知らずまじまじと見つめながら、沙絵莉は答えた。
彼って、やっぱりこの世界の有名人なのだろうか?
あの女の子たち、たまたまアークの知り合いだったとかいう感じじゃなかったし。
「ねぇ、アーク。あの店にいたひとたち、みんな貴方のことを知っていたみたいだったけど…」
沙絵莉はアークを窺いながら尋ねた。
アークは、きゅっと眉を寄せて口を引き延ばす。
確かに、アークは、とても人目を惹く容姿をしている。
けど、この世界にテレビみたいなものなんてないんだろうし…
役者とか、歌手とか、そういうので舞台に立ってたりするなら、顔が売れちゃうこともあるだろうけど…
彼は、役者や歌手なんかじゃなくて、魔法使いの弟子なのよね?
それとも、もしや、魔法を使ったパフォーマンスで舞台に立っていたりするのだろうか?
「アーク?」
返事をしてくれないアークに、沙絵莉は答えを催促して呼びかけた。
アークは仕方なさそうに口を開く。
「私は…」
トントンとノックの音が響いた。そしてサリスの声で「入っても良いかしら?」と聞こえた。
「あ、はい。どうぞ」
店に置き去りにしてきてしまったサリスのことが気になっていた沙絵莉は、すぐに返事をしたが、おかげでアークの答えは聞けぬままだ。
「母上。どうして…」
母に向けて叱るような言葉をかけたアークに、サリスはわかっているというように手を振り、アークを黙らせた。
「サエリと一緒に出歩いてみたかったの。体調も良いようだったし…」
具合が悪くなったらとアークが言い出すのが分かっていて、サリスはそう付け加えたようだった。
アークはしかめっ面を母に向ける。
「はい。サエリ、これ」
サリスが差し出してきたのは彫刻の施された箱だった。両手を広げて収まるほどの大きさの箱。
「あの、これは?」
「アクセサリーを入れるのに良いのではないかと思って、これも買ってきたの。アクセサリーを入れておいたから」
「ありがとうございます。たくさん買っていただいて…」
箱を受け取った沙絵莉は、思わずアークに向けて箱を差し出していた。
「アーク、これ。買ってもらったの」
「ああ。君が嬉しいなら…私はまあ…」
いくぶん困惑気味にアークは言い、眉を寄せて母に向いた。
「ほらほら、アーク、早く連絡を取ってはあげてはどう?」
連絡?
その言葉に、沙絵莉はアークに向いた。
そうだった。アークも戻ってきてくれたのだし、何を差し置いても、母と連絡を取らなければ…
「アーク、いますぐお願いできる?」
沙絵莉は急くように聞いた。
「ああ、もちろんだ」
「私は…ここにいてもよいのかしら?」
サリスは沙絵莉とアークを交互に見つめながら尋ねてきた。
連絡を取る場面に同席したいというわけではなく、自分がいないほうがいいなら出て行きますよということらしい。もちろん、沙絵莉としては、アークの母がいてはちょっと話しづらい気もする。
けれど出て行って欲しいとは、自分からは言い難いし…
困っていると、アークは沙絵莉の表情を読んだようで、彼女に向けて小さく頷き、母に顔を向けた。
「母上、すみませんが…」
アークの返事に、サリスは瞬時に理解をみせ、すぐに部屋から出て行った。
「なんか…お母様…アーク、良かった?」
「ああ。同席したかったようだけどね」
「そ、そうよね」
沙絵莉もそう感じた。
「気にしなくていい。母も気にしていないさ。通信を終えたあと、君が話せることだけ、母に話して聞かせればいい。沙絵莉、ともかく座ったほうがいいんじゃないか? 気分は悪くないかい?」
「ええ。ちょっと疲れを感じるけど…」
アークに答えながら、沙絵莉は眉を寄せた。
どうして少し動いただけで、こんなに疲れてしまうのだろうか?
やはり、まだ身体は本調子ではないということなんだろう。
傷は癒えているし痛みもないと、もうすっかり元気になれたような気がしてしまうけど、それは癒しを施してもらったからに過ぎないのだ。
アークが言ったように、彼女はまだまだ静養を必要としているということらしい。
それでも、元気なときは、まったく元気なのに…
沙絵莉がベッドに腰かけると、アークは自分の首元に手を触れ、不思議な輝きを放つ首飾りを外した。
目の前に、首飾りが差し出され、沙絵莉は手のひらで受け取った。
彼女はアークを見つめ、彼の頷きを見てから、自分も頷き返した。
今度こそ!
「お母さん? お母さん、いる?」
数秒待ったが、呼びかけに返事はない。
母は、まだ起きていないのだろうか?
ま、まさか、心配のしすぎで、起き上がれないほど具合が悪くなっているのでは?
繰り返し声をかけたが、やはり誰も応じてくれない。
顔を伏せて唇を噛み締めていた沙絵莉は、頭に触れてきたアークを見上げた。
「サエリ、いずれ答えてくれるさ。それより気分は悪くないのか?」
沙絵莉は黙って頷いた。
「横になってはどうだ?」
手している首飾りの玉をぎゅっと握り締め、彼女は首を横に振った。母と連絡が取れないのでは、とても横になっていられない。
アークが寄り添うように隣に座ってきた。
泣きたい気分だった沙絵莉は、彼にそっと身を寄せた。
「帰り…たいか?」
ひどく苦しげにアークが聞いてきた。沙絵莉は顔を上げてアークの目を見つめ返した。
「アーク?」
「ここに残って欲しい」
意を決したようにアークは沙絵莉を見つめてくる。
「私の気持ちはすでに知っているだろう。私とともに、ずっとここで暮らして欲しい」
彼女は目を見開いた。
アークが上体を屈め、彼女に顔を近づけてきた。
彼女の瞳をとらえたまま、そっと髪に指を差し入れてくる。
彼の指が触れたところがひどくピリピリして、沙絵莉は小さく震えた。
心臓がドキドキしてたまらない。
アークの瞳の不思議な銀色の輝き…小刻みに震える身体…その感覚に尻込みし、沙絵莉は無意識に彼の胸元を両手で突っ張っていた。
「君を愛して…」
「俊彦さんを信じない訳じゃないのよ。でも…」
突然に割りこんできた母親の声。
沙絵莉は思わず飛び上がった。
いけないことをしていたところを見つかったようでどぎまぎする。
「陽奈も聞いているんだよ、大丈夫だ。必ず連絡すると言ってたんだ」
「でもちっとも聞こえてこないじゃない!」
「お…お母さん」
母親の剣幕に恐れをなし、沙絵莉はおずおずと呼びかけた。
誰のものかわからないが、激しく息を飲んだ音がした。
「さ、沙絵莉…? 沙絵莉の声よね、今の?」
呼吸困難に陥っているような母親の声が続いた。
「お母さん。私。心配かけてごめんなさい」
沙絵莉は早口に言った。
「さ、沙絵莉ぃ」
腹の底から吐き出してでもいるかのような、力のこもった声にびびり、沙絵莉は思わず首をすくめた。
「いーったいぜんたい、どういうことなのっ! いったい、ど、どれだけ心配したと思ってるのよっ!」
ひゃーーっ、こ、怖い!
「ご、ごめんな…」
「いいからっ! 早く帰ってらっしゃいっ! 今すぐよ! いったいどこにいるのっ? いますぐ私が迎えに行くわっ!」
噛み付くように母は言い立てる。
思わず祈るように両手を合わせ、沙絵莉はアークを見つめた。だが、アークはゆっくりと首を横に振る。
彼女は肩を落とした。やはり、まだ帰れないのだ。
「沙絵莉、聞こえてるの? 返事なさいっ!」
その母の声には、強烈な怯えが含まれていた。
「お母さん、聞こえてるわ」
彼女は慌てて答えた。
「でもね、まだすぐには帰れないの。…いつ頃なら帰れる?」
沙絵莉は小声でアークに尋ねた。
それが失敗だった。
即座に母親が噛みついてきた。
「誰と話してるのよ! あんた、いったい誰と一緒なのっ?」
「か、帰ったら話すから。また連絡するし。その玉を大切にしてね。壊れたら話せなくなるから」
「一体誰と一緒なのよ! いまどこにいるの?」
沙絵莉は顔をしかめた。
真実を話したいが、異世界にいると言っても信じてもらえるわけがない。
娘は気がおかしくなってしまったのではないかと思うだろうし、心配が膨らむだけだろう。
でも、この世界に連れてきてもらえたから、命が助かったのだ。
そうでなければ、私はすでにこの世にいない。
そう考えて、いまさら身が震えた。
わたし、本当にあのまま死んでいたかもしれないのよね。
家を出るときに母に向けて口にした言葉が、真実になってしまっていたかも知れなくて…
「ごめんなさい。私、まだ帰れないの。でも、とにかく無事だから…安心して」
母親はほとんど沙絵莉の言葉を聞いていない。誰と一緒なのか、いまどこにいるのかと繰り返すばかりだ。
「お母さん、ちゃんと話を聞いて」
手のひらに乗せていた首飾りに、アークがそっと手をかけてきた。
もう終わりかと思い、沙絵莉は縋るような眼差しでアークを見つめた。
このまま通信を終えてしまったら、母が…
アークは、すっと玉を取り上げてしまった。
「アーク? お、お願い、もう少しだけ…」
「わかっている。ただ、通信の玉を、他の誰にも見せないようにと言って欲しい。それから、そろそろ通信を終えないと…力を消耗しすぎてしまう」
言い聞かせるように言われ、沙絵莉は仕方なく頷いた。
アークに、力を使わせ過ぎちゃいけない。
帰るのがさらに延びてしまう。
アークからまた首飾りの玉を受け取ったとき、間髪入れず、「沙絵莉っ!」と母の怯えた声が飛んできた。
大声が頭に響いたせいなのか、くらりと眩暈がした。
ここで倒れるわけにはゆかないと、沙絵莉はアークに悟られないように、肩にぐっと力を入れて、身を支えた。
「母さん、聞いて」
そう言ってみたが、興奮している母は、大人しく聞いてくれそうもなかった。
頭にキリキリとした痛みを感じ、沙絵莉は唇を噛み締めた。
気分まで悪くなってきている…
わ、私の身体…いったいどうなってるの?
仕方がない。こうなったらもう一方的に話をして会話を終えるしかない。
「お母さん、とにかく私は大丈夫だから。詳しいことは帰って話すから。その玉は、他の人には見せないでね。お願いね。ごめんね、心配かけて。また連絡するから。必ずするから」
畳みかけるように言うだけ言うと、沙絵莉は首飾りをアークに押し付けるようにして返した。
こんな不十分な形で通信を打ち切ってしまって…
母の気持ちを思うと、たまらなく辛い。
強張った顔でアークは沙絵莉を見つめ、首飾りを首にかけた。首飾りはすぐに見えなくなった。
「お、怒られ…ちゃった…」
冗談めかし、ちろりと舌を出して沙絵莉は言ったが、唇が震えてうまく言葉にならなかった。
「サエリ」
慈しむようなアークの呼びかけに胸がいっぱいになり、みるみる涙が溢れた。
アークの胸に縋りつき、沙絵莉は泣きじゃくった。
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