白銀の風 アーク

第九章

第三話 当たり前に驚愕



「この辺りにあるんじゃないかな…」

部屋の一角に歩み寄ったアークは、床に片膝をつけてしゃがみ込んだ。

そんなアークの様子を見ていた沙絵莉は、周りに目を向け、ゆっくりと眺めまわした。

部屋中に色んなものが無造作に置いてあるし、床の上にもいっぱい転がっている。

身体を屈めて手を伸ばし、沙絵莉は転がっているものをひとつ取り上げてみた。

いったい、これはなんなのだろう?

まず、材質がなんだかわからない。

先が広がってて、割れてるというか枝分かれしてて…
ちょっと熊手みたいな形をしてるといえばいいのか?

これがなんなのかアークに聞こうとしたが、彼は杖探しに忙しいようで、声をかけるのがためらわれた。

沙絵莉は熊手型のものを床に置き、また別の物を手に取った。

今度のやつは、やわらかくて、こぶしくらいの丸いものがいくつもくっついてる感じ。

これも、さっぱり正体がわからない。

眉を寄せていた沙絵莉だが、転がっているものを改めて目に入れ、くすりと笑った。

それがなんだかわかるものなど、ひとつもない。

「ねぇ、アーク」

「うん?」

アークは返事をしたが、こちらには顔を向けず、大きな箱の中に手を入れて、中のものを漁っている。

「ここにあるものって、使えるものなの?」

「使えるもの? うーん、子どものおもちゃ程度のものばかりだ。私とジェライドで作ったものも多いし…」

ははぁ。
つまり、これなんかも、子どもが工作程度に作ったものってことなわけね。

沙絵莉は、先ほどの熊手を取り上げ、アークの方に突き出した。

「ねぇ、アーク、これも貴方が…えっ?」

沙絵莉はぎょっとして叫んだ。

熊手の先端から、なにやら色のついたものがにょろっと出てきたのだ。

「な、なによこれ!?」

彼女の叫びにアークが驚いた様子で振り返ってきた。

沙絵莉は、熊手の棒状のほうを両手で掴んだまま、唖然として固まっていた。

ハッとしたように目を見開いたアークは、次の瞬間、沙絵莉の側にいた。

「サエリ、放すんだ!」

熊手はアークの手で乱暴に取り上げられ、彼女は彼の剣幕に身を竦めた。

どうやら、さわってはいけないものだったらしい。

「ご、ごめんなさい。勝手に触って…」

「サエリ、大丈夫か?」

沙絵莉から取り上げた勢いで、熊手を床に落としたアークは、気遣わしそうに彼女の身体を支えてきた。もちろん、沙絵莉は戸惑った。

「えっ?」

触ってはいけないものに触って、叱られたのではなかったのか?

「すまない。無闇に手に触れないほうがいいと、注意しておくべきだった」

「アーク、い、いいの。貴方が謝ることないわ。私が勝手に触っちゃったから。ごめんなさい。触っちゃいけなかったんでしょう?」

「いまの君はね」

いまの君は?

沙絵莉は、アークの言葉にひどく戸惑った。

「あの、それってどういうことなの?」

アークはきゅっと眉を上げた。

「すでに説明しただろう? いまの君は魔力を核に閉じ込めたままだ。だから身体に魔力が巡らない状態になってる。その状態で魔力の利器を使えば、また倒れてしまう」

「それも、魔力の利器なの?」

沙絵莉はアークが投げ捨てた熊手を指して尋ねた。

「ああ、ここにあるものはだいたいそうだ」

「魔力の利器って、手にしただけで魔力を吸い取っちゃうの?」

彼女の言葉に、アークはくすくす笑い出した。

「吸い取りはしない。君が注入しているんだ」

沙絵莉は、同意できず顔をしかめた。

「私、そんなことしてないわ」

「君は、意識せずにしているようだ」

意識しないで魔力の注入?

沙絵莉は、どうにも納得できずに首を傾けた。

そんなすごいことを自分がしちゃってるなんて、とても信じられないんだけど…

「だから、なおさらいまの君にとって、魔力の利器は危険だ」

アークは考え込み、おもむろに口を開いた。

「杖はまた今度にしょう。ともかく、少しでも早く、君の訓練をしたほうがよさそうだ」

また今度と言われ、沙絵莉は慌てた。

せっかく、杖で魔法を使うところが見られるところだったのに…

テレビや映画で観る魔法使いのように、アークが杖をひとふりして、なんらかの魔法を使うところが見たい。

「アーク、もう何も触らないわ。絶対に触らないから。だから、貴方が杖で魔法を使うところを見せて」

沙絵莉は、両手を合わせて一生懸命頼んだ。

テレビや映画はフィクションだけど、こちらはノンフィクション、どんなささいな魔法であれ、テレビや映画より凄いと思う。

「だが…」

「お願いっ」

縋るような眼差しつきの本気のお願いがきいたのか、渋い顔をしていたアークも折れてくれたようだった。

「わかった。それじゃ、君は私に触れているといい」

「貴方に触れる?」

アークがなぜそんなことを言い出したのかわからず、沙絵莉はパチパチと瞬きした。

「どこでもいいから触れていてくれれば、君に魔力を送る」

へーっ!
ただ触れていれば、魔力を送れるというのか?

いやいや、それはしちゃいけない。

沙絵莉は首を横に振った。

「駄目よ。そんなことしたら、貴方の魔力がなくなっちゃうってことでしょう? 家に帰るために、貴方には魔力を回復してもらわなきゃならないんだもの」

「サエリ、私の魔力は君に必要量を送るくらいのことで、減じたりしない。それに、私はもう充分魔力を回復している」

「えっ、そうなの?」

ということは、アークのほうはいつでも沙絵莉を家に送れるということなのだ。

あとは、沙絵莉自身が、気分が悪くて倒れたりしない程度に、訓練をする必要があるってことで…

どんな訓練かまるで想像つかないけど…

「訓練って、難しいのかしら?」

少し不安な面持ちで沙絵莉は尋ねた。

「わからない。…気落ちさせなくないが…サエリ、聞くかい?」

聞いたら気落ちするのがわかっているような話らしい。だが、沙絵莉は頷いた。

自分の身体のことなのだ。どんなに気落ちしようと、きちんと聞くべきだ。

「教えて。自分のことだもの。ちゃんと聞いておきたい」

アークは沙絵莉の目を覗き込み、彼女の決意を読み取って頷き、口を開いた。

「君の訓練のレベルは、この世界の生まれたばかりの赤ん坊でも習得していることだ。つまり、呼吸をするのと同じ、本能でできることを学ぶことになるんだ」

「呼吸を覚えるようなもの?」

「ああ。そうなる。本能でできるはずのことは、本来ひとが教えるものではない」

確かにその通りだ。
理解したとたん、かなりの不安が湧いてきた。

「アーク、わ、私、覚えられそう?」

「大丈夫。心配ないと思う。大賢者ポンテルスは手立てがあると言っていた。彼はとても頼りになる人物だ」

これまで何度も出てきたポンテルスという人物。
興味が湧く。

「ねぇ、ポンテルスさんって、どんなひとなの?」

「どんな?」

沙絵莉の質問に、アークはそう口にして、困ったように眉を寄せる。

「そんなに説明しづらい容貌のひとなの?」

「いや…コブがいっぱいある」

「こ、コブ? どこに?」

「あちこちに」

身体のあちこちにコブがあるひと?

子どもの頃に読んだ、昔話の絵本の、こぶとりじいさんの顔が頭に浮かぶ。

あんな顔をしてるってことだろうか?

でも、いっぱいって…?

「老齢に見えるんだが…」

あちこちにコブがあるという情報だけで困惑している沙絵莉に、アークはさらに困惑が増す情報を追加する。

「それが…老齢に見えるだけなのか、そうでないのか…わからない」

老齢に見えるだけなのか、そうでないのか?

コブだらけで、年寄りか年寄りでないのかわからない顔を想像しようとして、イメージは頭の中ででぐしゃぐしゃになった。

「サエリ、そんなに真剣に考えなくても、会えばわかるさ」

それはそうだけど…

「だって…アークの説明、なんだか謎めいてて…いったいどんなひとなのか気になっちゃって」

「それじゃ、幻の技で…」

さっと手を振り上げたアークは、「あっ」と何か思い出したように小さく叫び、手を止めた。そして、「いいものがある」と言い、部屋の中をきょろきょろと見回す。

「おっ、これだこれだ」

そう口にしたアークは、部屋の中を移動し、手鏡らしきものを手に取して戻ってきた。

「それ、鏡なんじゃ…」

そう言った瞬間、沙絵莉は何か思い出しそうになった。が…頭の中に浮かんだイメージは、彼女が意識する前にぼやっと霞んで消えた。

沙絵莉は、パチパチと瞬きしたが、アークが彼女の前に掲げている鏡のようなものに目を向けてぎょっとした。

鏡のようなのに、沙絵莉の姿が……いや、何も映っていない。

あえて言うと、真っ白な煙のようなものがもやもやしているのが映っている。

「こ、これは…?」

アークが映らない鏡にさっと手を触れた。

「これがポンテルスだ」

鏡の中に、不思議な容貌の人物がいた。

「こ、このひとがポンテルスさんなの?」

「ああ。ちょっと笑わせてみるかい?」

なぜか少し笑いながらアークは言い、また鏡に触れた。

鏡の中のポンテルスが楽しげに笑い出した。
もちろん、声までは聞こえないが…

「こ、これ…どうなってるの?」

「幻さ。私が作り上げたポンテルスだから、本人に似ている程度だが。…だいたいポンテルスは、こんな風には笑わない」

「それじゃ、どんな風に笑うの?」

「この利器で作った幻では、本物のように笑わせるのは難しいな」

「利器で作ってるの? 幻を」

「ああ。だがもちろん、この利器では、子どもだまし程度の幻しかできない」

沙絵莉は目を丸くした。
この世界には、まったく面白いおもちゃがあるものだ。

「ねぇ、さっきの熊手は?」

「クマデ?」

「さっきのあれよ、私が手にしてた」

「ああ、あれか。あれはこれ以上に子どもだましだ。空中に単純な絵を…いや、色をつけるだけの利器だ」

「ええっ?」

沙絵莉はびっくりして叫んだ。

「く、空中に絵が描けるっていうの?」

「絵というほどのもは…あれも幻の類だ…単純なしかけさ」

熊手みたいなやつから沙絵莉は目が離せないでいるというのに、アークはその熊手もどきを足で蹴飛ばす。

「アーク、そんなに凄いもの、蹴っちゃだめよっ」

「こんなもの凄くはないぞ。このあたりのやつのほうが、もっとマシ…ああ、杖があったぞ、サエリ」

棚の一番上に目を向けたアークは、そう言って笑みを浮かべる。

彼が向いた先に顔を向けてみると、確かに棒状のものが十センチほど見えている。

「あれが貴方の杖なの?」

だが、天井につきそうなほど高いところにあり、アークでも手に届く場所ではない。

「アーク、何か踏み台が必…」

沙絵莉は、目の前のアークを見つめ、カチンと固まった。

ア、アークが……ち、宙に浮いてる!!

彼女の驚愕に気づかず、アークの身体はすーっと浮上していく。そして、先ほどの杖を手にして、もとの場所に下りてきた。

当たり前のように…

「あ、あ、あ…」

「サエリ、思ったよりも保存状態がいいようだ。これなら、使えるかもしれないな」

杖のあちこちに目を向けて、そんな説明をするアークに、沙絵莉はぶち切れた。

いま、とんでもないことをやってのけたくせに、なぜ彼は平然と語っているのだ。

「サエリ?」

首を傾げて呼びかけてきたアークに、沙絵莉は思わず掴みかかった。

「信じられないっ!」






   
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