白銀の風 アーク

第九章

第七話 強烈な抱擁



ほとんどの者が、大賢者の間を去った後も、ジェライドは自分の椅子に座りこんでいた。

パンセとフゲムも、まだ残っている。

しかし、サエリ様はいったいどんな閃知を?

閃知とは、それぞれの守護者より賜るものだ。一人一人、閃知を賜る守護者は違う。

閃知や予知、幸言などの出来る者達は、皆それぞれの守護者の言葉を聞くことのできる、特異な者達なのだ。

ジェライドのような大賢者の守護者は、過去の大賢者であり、予知者の守護者は過去の予知者とだいたい決まっている。

もちろんすべての人に守護者はいる。例外はない。ただ、特異な能力を持っていない限り、言葉という形での閃知は受け取れないし、予知などは不可能なのだ。

それでも、予知夢や、ちょっとした閃きならば誰しも受けとっている。それが予知夢だとか閃知の類だと、本人が気づくかどうかはわからないが…

サエリ様の守護者は、いったい誰なのだろう?

ジェライドはわからなかったが、大賢者達の中には、それが誰だかわかった者もいるのだろうか?

考え込んでいると、目の前に唐突にポンテルスが現れた。

ジェライドは立ち上がり、ポンテルスに向けて軽く頭を下げた。

「セサラサーはどうかの?」

その問いは、まるで予想しないもので、ジェライドは少々戸惑った。

「セサラサーですか?」

セサラサーはジェライドの弟子だが、ポンテルスが興味を持つような人物ではないのだが…

「彼ならば、修練に励んでいるはずですが」

そう言えば、バッシラ族との戦以降、彼と会っていない。

向こうからも会いに来ないし…

「そうかの」

そう口にしたポンテルスは、すぐに背を向け、部屋から出て行った。

ジェライドは戸惑いを深めながら、ポンテルスを見送ったが、ポンテルスの姿が見えなくなった途端、ハッと気づいた。

意識を失ったサエリを連れて姿を消したゼノンとアーク。その三人に、ポンテルスはついて行ったのだった。

私ときたら…サエリ様の容態を聞きたかったのに…

唐突に現れたと思った途端、セサラサーのことを聞かれたせいで…

しかし、ポンテルスがセサラサーのことを持ち出したのには、何がしかの意図があったと思える。

セサラサーか…

どうやら、様子を見に行ったほうがよさそうだ。

ジェライドは即刻立ち上がり、大賢者の間を後にした。


賢者の塔を下降しながら、ジェライドは思わず小さく笑った。

セサラサーは、こいつに乗り込むのに、あんなにも怖れて嫌がったというのに、サエリ様はまるで動じていなかったな。

これに似た乗り物に、精通しているのだろうか?

サエリの住んでいる国は、いったいどんなところなのだろうか?

アークによると、かなり風変わりな国らしい。

行ってみたいものだが…残念ながら、彼はアークのようには飛んでゆけない。

サエリの国に飛んで行ったアークを、感知することはできなかったし…

正直、アークがサエリの国に飛ぶたびに、ジェライドはヒヤヒヤさせられている。

大賢者の誰も話題にしないが…サエリの国に飛んでいるアークを、感じられているのだろうか?

ポンテルスやキラタはどうなのだろう?

出口が開き、ジェライドは無意識に外に出た。そして、そのまま賢者の塔を後にした。

何も考えずに騎士館を眺めつつ歩いていた彼は、ぴたりと足を止めた。

そうだった。セサラサー…

ジェライドはセサラサーを感じてみた。
どうやら彼は書庫にいるようだった。





書庫にやってきたのは本当に久しぶりだった。

ここは魔力が複雑に絡み合い、なんとも表現しようのない匂いが漂う場所。

書籍の材質とインクが、多種多様なせいだろう。

おっ、セサラサーだ。

セサラサーでしかありえない後ろ姿を見つけ、歩み寄っていくと、彼は誰かと熱心に話し込んでいた。

だが、セサラサーばかりが夢中になり、一方的に相手に話しているという感じだ。

「セザ」

声をかけると、セサラサーはすぐに振り返ってきた。

「おおっ、これはジェライド殿」

ジェライドはセサラサーに笑みを見せ、セサラサーが話し相手にしていた人物に目を向けてみた。

彼は確か…?

「こ、これは、大賢者ジェライド様」

ジェライドと目が合った途端、ぎょっとした顔をしていた相手は、焦りまくって椅子から立ち上がり、腰を折って深々と頭を下げてきた。

書庫にはあと数人いて、みな立ち上がり、頭を下げてくる。

みなの邪魔をしたくないのに、結果的に、姿を見せると居合わせた者達の邪魔になってしまうのが、なんとも…

「貴方は植物学者のケンティラでしたね?」

「は、はい」

「彼はとても物知りで、私は色々と教わっているんですよ、ジェライド殿」

「そうなのか?」

「い、いえ…お、教えるというほどのことは何も…」

ジェライドが大賢者だからか、ケンティラはひれ伏さんばかりに頭を下げる。

「ケンティラ殿。そんなにビクビクしなくても、ジェライド殿はそんなに怖い方ではありませんぞ」

「セ、セザ殿…」

セサラサーの方に向いたケンティラは、か細い声で困ったように言う。

「セザ、いまいいかい?」

これ以上、ここにいてはケンティラに気の毒でならず、ジェライドは言った。

「おおっ、ジェライド殿。もしや何かありましたか? これの出番とか?」

瞳を輝かせたセサラサーは、腰に下げている杖をぎゅっと握り締めて言う。

「いや、それの出番はないよ」

ジェライドの言葉に、セサラサーの瞳の輝きは失せ、あからさまに肩を落とす。

「あれから、集中的に訓練していて、かなりものにしたんですが…」

どうやら、ジェライドが面倒を見ていない間も、賢者の修行や、彼が与えた杖の訓練を怠ってはいなかったらしい。

基本真面目なやつだからな、セサラサーは。

「ふーん、それなら、杖の熟練度もついでに見せてもらうかな」

「おおお、そうですか?」

途端に元気を盛り返したセサラサーは、襲いかかってきそうなほどの勢いで迫ってくる。

「では、行こうか。ケンティラ殿、せっかく会話が弾んでいたようですが…」

立ち去る前に、ジェライドはセサラサーの側で萎縮しているケンティラに声をかけた。

「い、いえ」

激しく首を横に振り、ケンティラはまた頭を下げる。

「では、セザ、行こうか?」

「はっ。ケンティラ殿、ではまた」

ケンティラがセサラサーに向けて頷いたのを確認し、ジェライドはセサラサーを連れて書庫をあとにした。

「ジェライド殿。わかりましたよ」

通廊を並んで歩いていると、得々とした表情でセサラサーがそんなことを言ってきた。

「わかったって、何をだい?」

「もちろん、ジェライド殿が、私に書庫に行けとおっしゃったわけですよ」

ジェライドは足を止め、セサラサーに顔を向けた。

「何がわかった?」

「私は旅に出ます」

唐突過ぎる言葉に、ジェライドは眉を上げた。

「旅? 君はいったいどこに行くつもりだい?」

「もちろん、いまの私に必要なところですよ」

ジェライドは首を傾げた。

「その、君に必要なところってのはどこなのか聞かせてくれないか?」

「そ、それは、まだわかりません」

「わからない? 目的地がわかっていないのに、どこに向かって行くんだ?」

「きっと導きがあると思うんですよ。私が行くべき場所へと…」

「出発する日は決めているのか?」

「ジェライド殿と私の所属先の班長に許しを頂ければ、すぐにでもと思っているんです」

「セサラサー、なんのために旅に出るのか、はっきりと聞かせてもらわないと許しはやれないよ」

「そ、そんなぁ」

情けない顔でセサラサーは叫ぶ。

「旅に出たければ、目的を話すことだ」

ジェライドはきっぱりと申し渡した。セサラサーは黙り込んでしまった。

セサラサーを促し、ジェライドはまた歩き出した。

ひとりで旅に行かせたりしたら、そそっかしいセサラサーのことだ、なにかとんでもない厄介ごとに巻き込まれる気がしてならない。

それでも、セサラサーはどうしても旅に出たいと望んでいるようだ。

「ジェライド殿。…ケンティラ殿と約束したんですよ。だから…」

「うん? ケンティラと、どんな約束をしたというんだ?」

「彼と一緒に、旅に出るんです」

「ケンティラもかい? 彼の方は、なんのために旅に出るんだ?」

「もろちん植物の研究と採集のためですよ。彼は植物学者の修行者なんですから。ですが、彼も師匠に旅には出せないと言われてしまったんです。珍しい植物を研究採集したいわけで、当然場所は秘境の地、そんな場所へのひとり旅は危険だからと…」

「それで君が、用心棒として彼に付いて行こうというわけか?」

これでだいたい読めた。

用心棒ならば、賢者の修行というより、仕事は騎士に近い。

獰猛な動物や野蛮民族と戦うことにだってなるはず。

賢者の修行なんぞより、セサラサーにすれば心が躍るだろう。

許してやるべきだろうか?

「セザ、君、剣を所持していくつもりだろ?」

賢者は剣を持てない決まりになっている。だからこそ、この杖を与えたのだが…

セサラサーは、ジェライドの指摘に、ひどく気まずそうな顔になった。

「ま、まあ。杖はそこそこ使えるようにはなりましたが、剣の腕の方が達者ですし、そのほうがいいのではないかと、思ってはいますが…」

セサラサーは、ジェライドの反応を窺いながら言う。

困ったものだが…セサラサーの言うとおりだろう。

ふたりの安全を考えるなら、旅の間だけ、黙認してやるより仕方がないようだ。

「セザ、いったいどの方面に行くつもりなのか、それと日程のほうも、ケンティラから聞いて私に報告するように」

しかめっ面で言った途端、ジェライドは歓喜の叫びを上げるセサラサーから、熱くて痛みを伴う強烈な抱擁を受けていた。






   
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