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第八話 魔力の暴走
サエリの物問いたげな瞳。
直前まで味わっていた、恍惚となりそうな甘い感覚…
そのせいで、強烈に反応している自分の身体…
アークは、きまりが悪くてならず、サエリから目を逸らした。
「あの…アーク?」
数秒沈黙が続いたあと、サエリが呼びかけてきた。ひどく戸惑った声だ。
彼が味わったと同じような恍惚感、彼女も感じたのだろうか?
ともかく何か話さなければ…
「サエリ…その…、君に話さなければならないことが…」
「アーク」
彼の言葉を阻むように、父が呼びかけてきて、アークは背後にいる父に、渋々振り返った。
正直、いま父と目を合わせたくはなかった。
彼がどんな感覚を味わい、どんな状況でいるのか、この父はわかっているのだろうから。
「なんですか?」
父親と視線を合わせないようにしつつ、アークは言った。
「まずは、うまくいったか確認しよう」
確認…か…。
確かに魔力を融合させたことで、サエリの魔力に秩序をもたせられたのか、まずは確認すべきだろう。
しかし……いずれは話さなければならないのだ。
正直、頭をかきむしりたい気分だった。
サエリを救うためとはいえ、本来、結婚の儀を終え、初夜に執り行うべき行為を、やってしまったのだ。
それも…父の目の前で…
ポンテルスを退室させた父の心配りは、ありがたかったが…
出来るものなら、父にも退室してもらい、ふたりきりで行えたらよかったのに…
だが、父の援助がなければ、聖なる力の配分、そしてサエリの魔力の核に、魔力を限りなく均等に注ぎ込むことは不可能だったかもしれない。
「あの…アーク?」
戸惑った顔のサエリの呼びかけに、アークはくよくよ考えるのをやめた。
もうやってしまったのだ。彼女にはこのあと事実を告げるしかない。
「サエリ。気分はどうだい?」
「気分?」
サエリは眉をひそめて、アークとゼノンに視線を向け、首を傾げながら自分の胸のあたりに手のひらを当てた。無意識か、ちょうど核のある場所だ。
「気分は悪くないわ」
「そうか。苦しくはないんだね?」
「苦しいっていうか…。走ったあとみたいに心臓がドキドキしてて、身体が熱いけど…」
サエリは、問うような目をアークに向けてくる。
「なんだい?」
「いえ…あなたも私と同じように息が苦しそうだから…」
「サエリ」
言葉が出せずにいると、父が前に出てきてサエリに話しかけた。
「は、はい」
「先ほど、声が聞こえたと言っていたが、どんな声が聞こえたのかな?」
困ったようにサエリが顔をしかめる。
少し薄まっていた頬の赤みが、またぐっと増した。
「あの…ごめんなさい。声じゃないんです」
「声ではない? それでは、どんなものが聞こえたのかな?」
「笑い声だったんです」
「笑い声? 女性か、それとも男性かね?」
「あの…私なんです…」
困りあぐねたような顔をしていたサエリは、申し訳なさそうに言う。
「君?」
サエリの答えはあまりにも意外で、アークは思わず聞き返していた。そして父と目を合わせた。
「聞こえた声が、自分の笑い声だったと、どうしてわかったのかな?」
「それが…」
サエリは困ったように視線を逸らし、もじもじしはじめた。
答え辛いらしく、いつまでたっても口ごもったままだ。
「サエリ。なんでもいいから話してみてくれないか?」
「だって…笑わない?」
ひどく恥かしそうに聞かれ、アークは真剣な目で頷いた。
「けして笑わないよ」
サエリは唇を小さく突き出したり、ひっこめたりしながら思案していたが、仕方なさそうに口を開いた。
「怪我をして意識不明になってたときに、彼女が夢に出てきたの。私にそっくりで、自分は『沙絵莉』だって…」
そこまで言ったサエリは、アークとゼノンの反応を見るように黙り込んだ。
「それで?」
話を催促したアークに、サエリはきょとんとした顔になった。
「サエリ?」
「え、えっと。だから、その…その夢の中の沙絵莉が、笑う声が聞こえてきたんだけど…」
「それで、君が倒れる直前、何か言葉を口にしたのかな?」
「言葉は…そのときは何も。笑い声が聞こえたあと、このあたりがじりじりしてきて…」
額に指を当てながら彼女は言う。
そのときは何もということは…
「そのあと何か言ったのかい? 君が意識を失っているときに?」
「ええっと…それは、色々話したけど…」
「サエリ、聞かせてくれ、できるだけ君が耳にしたまま、正確に」
アークの言葉に、サエリは困惑した表情でパチパチ瞬きする。
「ゆ、夢の話なのよ」
「とても重要なことなんだ。話してくれないか?」
アークは頼み込むように言った。
サエリは眉を寄せていたが、ようやく口を開いた。
「大事な局面だって言ったわ」
アークは真剣な目で頷いた。
「ほかにも何か言われたかい?」
「えっと…」
サエリは俯き、考え込んだ。思い出したのか、すぐに顔を上げてきた。
「魔法への興味が膨らんだかって聞いてきたの。私、とってもすごいと思うって答えたら、魔力は特別なものじゃなくて、どこにでも存在してる。ただ、私の生まれた世界とは、力の使い方が違うだけだって、教えてくれたの」
話しながら、だんだん興奮してきたらしいサエリは、笑顔でさらに話を続ける。
「私、驚いてしまって。だって、彼女は私の夢の中の存在なのに、私の知らないことを知ってるように言うから…。私、思わず、あなたは私じゃないのって聞いちゃったの」
「彼女はなんと答えた?」
「笑い出したわ。もちろん、私は貴方だって。ただ、別々の部分もあるって…」
どうしたのか、急にサエリは笑みを消した。
「サエリ?」
「いえ…」
なんでもないというようにサエリは首を振る。だが、何かあるのははっきりと感じた。
「サエリ、彼女は、まだ何か言ったんだろう?」
「よく…わからないんだけど…。覚悟しなきゃならなくなったって…」
「覚悟?」
「変でしょ? なんのための覚悟なのって聞いたら、生き続けるためだって…」
アークは、思わず息を止めた。サエリの夢の中のサエリ…それだけの存在ではもちろんない。
そして、そのサエリだと名乗る存在は、自分がそれだけの存在ではないと知らしめるために、彼女の意識があるときに彼女に笑い声を聞かせたのだろう。
意識のない彼女に、アークが行おうとしていたことすら、知っていたのだ。
そして、彼女に教えた。
「サエリ、彼女は他にはもう何も言わなかったのかね?」
「あとは…道は間違っていない。でも…」
「でも?」
「私はそう思わないかもって。どういう意味なのかわからないんだけど…」
サエリにはわからなくても、アークもゼノンも意味がわかる。
アークは安堵を感じていた。
道は間違っていない。サエリに語りかけた存在はそう言ってくれたのだ。
もちろん、サエリがそう思ってくれるかは、わからないが…
「サエリ、両方の手のひらを出してごらん。アーク」
ゼノンはサエリに言い、アークに呼びかけてきた。アークは頷き、サエリに両手を差し伸べた。
サエリは、どうすればいいのかわからないようだったが、両手を差し出してきた。
「いま、胸は苦しくはないか?」
サエリの手を彼の手の上に乗せたところで、ゼノンが聞いた。
サエリは首を横に振る。
アークもゼノンも、サエリの魔力の核が落ち着いているのは感じる。
それは秩序を覚えたからこその落ち着きのはずだ。だが、果たして、本当に秩序を学ばせられたのか、確認しておく必要がある。
全身に魔力が巡っているのを感じる。
これまでのように無秩序に漏れ出てくるのではなく、核から生まれた必要なだけの気の魔力が全身を包み込んでいる。
「大丈夫のようです」
「うむ」
「あの、いったいなんなの?」
いったいいま何が行われているのか、意味がわからないことに、サエリはもどかしそうに尋ねてくる。
「魔力の核…それを作ったことで、君の身体はうまく機能しなくなっていた。だから、秩序を学ぶ必要があると言っただろ?」
「ええ、そう言っていたけど…それが?」
「君の魔力は、限界を超えて膨張した。そのままにしておいたら、埋め込んだ核の入れ物ごと、破裂する寸前だった」
「は、破裂? そ、それって…」
「君の命が危うかった。性急に、君の魔力に秩序を学ばせる必要があった」
サエリは、きゅっと眉を寄せ、首を傾げて自分の胸に手を当てた。
「もしかして…わたしの魔力は……もう秩序を学んだってことなの?」
「ああ、そうだ」
「どうやって? 私、意識を無くしてのに…」
核心を突く問いになり、アークはごくりと唾を飲み込んだ。
彼女はわかってくれるだろうか?
「あっ」
突然何か気づいたらしく、サエリが声を上げた。
「私、もう帰れるってことなんじゃない? だって…自分ではわからないけど…魔力が取り出せるようになってるんでしょ?」
「あ、ああ」
話の成り行きに、アークは困った。
確かに、彼女の言う通りではあるのだが…
魔力に秩序を持たせ、魔力を使えるようになれば、君の国に帰れると言ってしまっている。
「母も心配しているし、できればすぐにでも帰りたいんだけど…」
「サエリ。君はまだ赤ん坊と一緒なのだよ」
そう言ったのはゼノンだった。
サエリはゼノンに向き、「えっ?」と叫んだ。
「魔力の秩序は、本来生まれたての赤ん坊でも持っているものなのだ。君は魔力については、生まれたばかりと言っていい」
「まだ身体的に、何か問題があるんですか?」
「ああ。生まれたばかりの赤ん坊は、少々危険なのだよ」
「赤ん坊が危険なんですか? あの、どんな風に、危険なんですか?」
「感情に左右されるのだよ。泣いたり笑ったり怒ったり、それで魔力が暴走する」
父とサエリのやりとりをアークは黙って聞いていた。
残念ながら、なにも口出しができないのだ。
赤ん坊の魔力の暴走について知らないではないが、彼には、実際、赤ん坊に接した体験がない。
「暴走? 魔力が? でも、赤ちゃんが危険なんて…お母さん、困りますよね?」
「母親は妊娠中に、赤ん坊に接する方法を学ぶ」
接する方法?
「父上、どうやるんですか?」
アークは父に尋ねた。
サエリの魔力が暴走したりするものかわからないが、もしそういう事態が起こるとすれば、彼自身が母親の役目を…
「あの、私の魔力とかって、別に暴走したりしないんじゃないですか? だって、自分でも魔力なんて感じないですし…本当に生まれたての赤ん坊ってわけじゃないし…」
「暴走しないという可能性は、ないだろう」
ゼノンの言葉を聞いたサエリは、戸惑った顔になり、救いを求めるようにアークを見つめてきた。
「父の言葉は、確実に正しいのだろうと思う」
アークは正直に告げた。
「そ、そしたら、私…いつになったら帰れるんですか?」
涙声で言ったサエリの頬に、涙がポロポロと零れ落ちる。
「アーク!」
父の性急な叫び。
サエリの両手に触れていたアークはすでに気づいていた。
感情の揺れとともに、彼女の手に凄まじい量の魔力が一気に流れ込んできた。
魔力で打ち消そうとしたが、とても間に合わない。
アークは彼女の手を天井に向けた。
彼女の手から、ぐちゃぐちゃになった魔力が濁流のように放出された。
魔力は天井にあたり、ドーンと爆発音がした。
部屋が少々揺れたようだ。
「大丈夫だ」
ゼノンの声。
どうやら、いまの音に反応した大賢者たちが、動きを見せたようだった。
父はそれを察して、即座に声をかけたのだ。
それにしても…
聖賢者の部屋の天井は傷一つつかなかったが…これが普通の家ならば、木っ端みじん。
アークは、天井からサエリに目を戻した。
唖然とした顔で固まってしまっている。
「サエリ?」
「あ、あ、あ…」
「大丈夫だ。落ち着いて」
アークは、再び魔力の暴走が起きないよう予防するため、やさしく声をかけながら、サエリの手を強く握りしめた。
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