白銀の風 アーク

第九章

                     
第八話 魔力の暴走



サエリの物問いたげな瞳。

直前まで味わっていた、恍惚となりそうな甘い感覚…

そのせいで、強烈に反応している自分の身体…

アークは、きまりが悪くてならず、サエリから目を逸らした。

「あの…アーク?」

数秒沈黙が続いたあと、サエリが呼びかけてきた。ひどく戸惑った声だ。

彼が味わったと同じような恍惚感、彼女も感じたのだろうか?

ともかく何か話さなければ…

「サエリ…その…、君に話さなければならないことが…」

「アーク」

彼の言葉を阻むように、父が呼びかけてきて、アークは背後にいる父に、渋々振り返った。

正直、いま父と目を合わせたくはなかった。

彼がどんな感覚を味わい、どんな状況でいるのか、この父はわかっているのだろうから。

「なんですか?」

父親と視線を合わせないようにしつつ、アークは言った。

「まずは、うまくいったか確認しよう」

確認…か…。

確かに魔力を融合させたことで、サエリの魔力に秩序をもたせられたのか、まずは確認すべきだろう。

しかし……いずれは話さなければならないのだ。

正直、頭をかきむしりたい気分だった。

サエリを救うためとはいえ、本来、結婚の儀を終え、初夜に執り行うべき行為を、やってしまったのだ。

それも…父の目の前で…

ポンテルスを退室させた父の心配りは、ありがたかったが…

出来るものなら、父にも退室してもらい、ふたりきりで行えたらよかったのに…

だが、父の援助がなければ、聖なる力の配分、そしてサエリの魔力の核に、魔力を限りなく均等に注ぎ込むことは不可能だったかもしれない。

「あの…アーク?」

戸惑った顔のサエリの呼びかけに、アークはくよくよ考えるのをやめた。

もうやってしまったのだ。彼女にはこのあと事実を告げるしかない。

「サエリ。気分はどうだい?」

「気分?」

サエリは眉をひそめて、アークとゼノンに視線を向け、首を傾げながら自分の胸のあたりに手のひらを当てた。無意識か、ちょうど核のある場所だ。

「気分は悪くないわ」

「そうか。苦しくはないんだね?」

「苦しいっていうか…。走ったあとみたいに心臓がドキドキしてて、身体が熱いけど…」

サエリは、問うような目をアークに向けてくる。

「なんだい?」

「いえ…あなたも私と同じように息が苦しそうだから…」

「サエリ」

言葉が出せずにいると、父が前に出てきてサエリに話しかけた。

「は、はい」

「先ほど、声が聞こえたと言っていたが、どんな声が聞こえたのかな?」

困ったようにサエリが顔をしかめる。

少し薄まっていた頬の赤みが、またぐっと増した。

「あの…ごめんなさい。声じゃないんです」

「声ではない? それでは、どんなものが聞こえたのかな?」

「笑い声だったんです」

「笑い声? 女性か、それとも男性かね?」

「あの…私なんです…」

困りあぐねたような顔をしていたサエリは、申し訳なさそうに言う。

「君?」

サエリの答えはあまりにも意外で、アークは思わず聞き返していた。そして父と目を合わせた。

「聞こえた声が、自分の笑い声だったと、どうしてわかったのかな?」

「それが…」

サエリは困ったように視線を逸らし、もじもじしはじめた。

答え辛いらしく、いつまでたっても口ごもったままだ。

「サエリ。なんでもいいから話してみてくれないか?」

「だって…笑わない?」

ひどく恥かしそうに聞かれ、アークは真剣な目で頷いた。

「けして笑わないよ」

サエリは唇を小さく突き出したり、ひっこめたりしながら思案していたが、仕方なさそうに口を開いた。

「怪我をして意識不明になってたときに、彼女が夢に出てきたの。私にそっくりで、自分は『沙絵莉』だって…」

そこまで言ったサエリは、アークとゼノンの反応を見るように黙り込んだ。

「それで?」

話を催促したアークに、サエリはきょとんとした顔になった。

「サエリ?」

「え、えっと。だから、その…その夢の中の沙絵莉が、笑う声が聞こえてきたんだけど…」

「それで、君が倒れる直前、何か言葉を口にしたのかな?」

「言葉は…そのときは何も。笑い声が聞こえたあと、このあたりがじりじりしてきて…」

額に指を当てながら彼女は言う。

そのときは何もということは…

「そのあと何か言ったのかい? 君が意識を失っているときに?」

「ええっと…それは、色々話したけど…」

「サエリ、聞かせてくれ、できるだけ君が耳にしたまま、正確に」

アークの言葉に、サエリは困惑した表情でパチパチ瞬きする。

「ゆ、夢の話なのよ」

「とても重要なことなんだ。話してくれないか?」

アークは頼み込むように言った。

サエリは眉を寄せていたが、ようやく口を開いた。

「大事な局面だって言ったわ」

アークは真剣な目で頷いた。

「ほかにも何か言われたかい?」

「えっと…」

サエリは俯き、考え込んだ。思い出したのか、すぐに顔を上げてきた。

「魔法への興味が膨らんだかって聞いてきたの。私、とってもすごいと思うって答えたら、魔力は特別なものじゃなくて、どこにでも存在してる。ただ、私の生まれた世界とは、力の使い方が違うだけだって、教えてくれたの」

話しながら、だんだん興奮してきたらしいサエリは、笑顔でさらに話を続ける。

「私、驚いてしまって。だって、彼女は私の夢の中の存在なのに、私の知らないことを知ってるように言うから…。私、思わず、あなたは私じゃないのって聞いちゃったの」

「彼女はなんと答えた?」

「笑い出したわ。もちろん、私は貴方だって。ただ、別々の部分もあるって…」

どうしたのか、急にサエリは笑みを消した。

「サエリ?」

「いえ…」

なんでもないというようにサエリは首を振る。だが、何かあるのははっきりと感じた。

「サエリ、彼女は、まだ何か言ったんだろう?」

「よく…わからないんだけど…。覚悟しなきゃならなくなったって…」

「覚悟?」

「変でしょ? なんのための覚悟なのって聞いたら、生き続けるためだって…」

アークは、思わず息を止めた。サエリの夢の中のサエリ…それだけの存在ではもちろんない。

そして、そのサエリだと名乗る存在は、自分がそれだけの存在ではないと知らしめるために、彼女の意識があるときに彼女に笑い声を聞かせたのだろう。

意識のない彼女に、アークが行おうとしていたことすら、知っていたのだ。

そして、彼女に教えた。

「サエリ、彼女は他にはもう何も言わなかったのかね?」

「あとは…道は間違っていない。でも…」

「でも?」

「私はそう思わないかもって。どういう意味なのかわからないんだけど…」

サエリにはわからなくても、アークもゼノンも意味がわかる。

アークは安堵を感じていた。

道は間違っていない。サエリに語りかけた存在はそう言ってくれたのだ。

もちろん、サエリがそう思ってくれるかは、わからないが…

「サエリ、両方の手のひらを出してごらん。アーク」

ゼノンはサエリに言い、アークに呼びかけてきた。アークは頷き、サエリに両手を差し伸べた。

サエリは、どうすればいいのかわからないようだったが、両手を差し出してきた。

「いま、胸は苦しくはないか?」

サエリの手を彼の手の上に乗せたところで、ゼノンが聞いた。

サエリは首を横に振る。

アークもゼノンも、サエリの魔力の核が落ち着いているのは感じる。

それは秩序を覚えたからこその落ち着きのはずだ。だが、果たして、本当に秩序を学ばせられたのか、確認しておく必要がある。

全身に魔力が巡っているのを感じる。

これまでのように無秩序に漏れ出てくるのではなく、核から生まれた必要なだけの気の魔力が全身を包み込んでいる。

「大丈夫のようです」

「うむ」

「あの、いったいなんなの?」

いったいいま何が行われているのか、意味がわからないことに、サエリはもどかしそうに尋ねてくる。

「魔力の核…それを作ったことで、君の身体はうまく機能しなくなっていた。だから、秩序を学ぶ必要があると言っただろ?」

「ええ、そう言っていたけど…それが?」

「君の魔力は、限界を超えて膨張した。そのままにしておいたら、埋め込んだ核の入れ物ごと、破裂する寸前だった」

「は、破裂? そ、それって…」

「君の命が危うかった。性急に、君の魔力に秩序を学ばせる必要があった」

サエリは、きゅっと眉を寄せ、首を傾げて自分の胸に手を当てた。

「もしかして…わたしの魔力は……もう秩序を学んだってことなの?」

「ああ、そうだ」

「どうやって? 私、意識を無くしてのに…」

核心を突く問いになり、アークはごくりと唾を飲み込んだ。

彼女はわかってくれるだろうか?

「あっ」

突然何か気づいたらしく、サエリが声を上げた。

「私、もう帰れるってことなんじゃない? だって…自分ではわからないけど…魔力が取り出せるようになってるんでしょ?」

「あ、ああ」

話の成り行きに、アークは困った。

確かに、彼女の言う通りではあるのだが…

魔力に秩序を持たせ、魔力を使えるようになれば、君の国に帰れると言ってしまっている。

「母も心配しているし、できればすぐにでも帰りたいんだけど…」

「サエリ。君はまだ赤ん坊と一緒なのだよ」

そう言ったのはゼノンだった。
サエリはゼノンに向き、「えっ?」と叫んだ。

「魔力の秩序は、本来生まれたての赤ん坊でも持っているものなのだ。君は魔力については、生まれたばかりと言っていい」

「まだ身体的に、何か問題があるんですか?」

「ああ。生まれたばかりの赤ん坊は、少々危険なのだよ」

「赤ん坊が危険なんですか? あの、どんな風に、危険なんですか?」

「感情に左右されるのだよ。泣いたり笑ったり怒ったり、それで魔力が暴走する」

父とサエリのやりとりをアークは黙って聞いていた。
残念ながら、なにも口出しができないのだ。

赤ん坊の魔力の暴走について知らないではないが、彼には、実際、赤ん坊に接した体験がない。

「暴走? 魔力が? でも、赤ちゃんが危険なんて…お母さん、困りますよね?」

「母親は妊娠中に、赤ん坊に接する方法を学ぶ」

接する方法?

「父上、どうやるんですか?」

アークは父に尋ねた。
サエリの魔力が暴走したりするものかわからないが、もしそういう事態が起こるとすれば、彼自身が母親の役目を…

「あの、私の魔力とかって、別に暴走したりしないんじゃないですか? だって、自分でも魔力なんて感じないですし…本当に生まれたての赤ん坊ってわけじゃないし…」

「暴走しないという可能性は、ないだろう」

ゼノンの言葉を聞いたサエリは、戸惑った顔になり、救いを求めるようにアークを見つめてきた。

「父の言葉は、確実に正しいのだろうと思う」

アークは正直に告げた。

「そ、そしたら、私…いつになったら帰れるんですか?」

涙声で言ったサエリの頬に、涙がポロポロと零れ落ちる。

「アーク!」

父の性急な叫び。

サエリの両手に触れていたアークはすでに気づいていた。

感情の揺れとともに、彼女の手に凄まじい量の魔力が一気に流れ込んできた。

魔力で打ち消そうとしたが、とても間に合わない。
アークは彼女の手を天井に向けた。

彼女の手から、ぐちゃぐちゃになった魔力が濁流のように放出された。
魔力は天井にあたり、ドーンと爆発音がした。

部屋が少々揺れたようだ。

「大丈夫だ」

ゼノンの声。
どうやら、いまの音に反応した大賢者たちが、動きを見せたようだった。
父はそれを察して、即座に声をかけたのだ。

それにしても…

聖賢者の部屋の天井は傷一つつかなかったが…これが普通の家ならば、木っ端みじん。

アークは、天井からサエリに目を戻した。

唖然とした顔で固まってしまっている。

「サエリ?」

「あ、あ、あ…」

「大丈夫だ。落ち着いて」

アークは、再び魔力の暴走が起きないよう予防するため、やさしく声をかけながら、サエリの手を強く握りしめた。






   
inserted by FC2 system