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第3話 疲れる思考回路
「フカミッチー、お仕事行ってらっしゃい。頑張ってね」
玄関まで見送りに来てくれた澪が、かわいらしく声をかけてくれる。
不思議と、朝はフカミッチーと呼びかけられても、あまり気にならない。
「行って来るよ。澪、ちゃんと忘れずにお昼ご飯を食べるんだぞ」
仕事に集中すると、澪は食事を忘れることがあるのだ。急ぎの仕事を、かなりかかえているようだから、道隆としては心配になる。
「わかってる。ちゃんと食べるから。それより、源ちゃんのこと忘れないでね」
「ああ。わかってるよ」
頭に触れ、髪をくしゃっとやる。
すると、澪は嬉しそうに笑う。
そこで道隆は、すかさず澪の唇にキスを落とした。
出かける前には、毎朝やっていることなのに、澪は驚きに目を丸くして反応する。
澪と離ればなれになることを寂しく思いながら、道隆は家を出た。
マンションの管理人室を覗き、「源さん」と呼びかける。
管理人室の中にいた源次郎が、すぐに立ち上がってこちらにやってくる。
「深沢君、おはよう。今日は少し早いじゃないか。忙しいのかね?」
早かったのは、澪から指令を受けたからだ。
「これを、澪から言付かってきたんですよ」
源次郎に赤と緑のカラフルな封筒を渡す。
「澪ちゃんから?」
封筒を受け取った源次郎は、ひと目見て、それが何か察したようだ。
「もしや?」
「ええ。二十五日のクリスマスの夜に、三人でパーティーをしようって澪が……源さん、予定は空いてますか?」
「もちろんだよ。だが、いや、よかった」
「よかったとは?」
「実はね、甥の息子が二十四日のイブに、コンサートに出場するんで、甥から観に来てやってくれと言われてね。ちょっと遠いんで一泊することになっているんだよ」
「そうなんですか。その息子さんは、いくつくらいなんですか?」
「八歳だよ。ピアノのコンサートなんだ」
「楽しそうですね」
「まあな。演奏はうまくはないんだが……なんというか、それがまたいいというかな」
「わかりますよ」
そう言うと、源次郎は嬉しそうに微笑む。
「そうだ。深沢君、頼みがあるんだが……」
「なんですか?」
「デジカメを貸してもらえないかな」
「ああ。いいですよ」
思わず承諾したが、イブは、大学のパーティーのあと、イルミネーションも観に行くつもりでいる。
デジカメを貸してしまうと、澪を撮れなくなる……が。
源次郎にデジカメを貸さないという選択はない。
断わったりしたら、澪ががっかりしそうだ。
そろそろ新機種が欲しいと思っていたところだし……
いや、源次郎にクリスマスプレゼントとしてデジカメを贈ることにしてはどうだろうか?
まあ、そのあたりは、澪と相談して決めるとしよう。
オフィスの自分のデスクに座った道隆は、苦い顔で考え込んでいた。
まさか、澪が大学のクリスマスパーティーに行きたがるとはな。
あのチラシは抜いておけばよかった。
そう考えてしまった道隆だが、即座に考えを改めた。
いや、そういうことじゃない。
澪が行きたいと思った場所なのだ。
行きたい場所に連れて行ってやれるのだから、あのチラシを抜かなかったことを、俺は喜ぶべきだろう。
問題は、あの大学のクリスマスパーティーに行くためには、チケットを手に入れなければならないことだ。
もちろん、チラシを持っていた安西に聞けばいいことなのだが……
できれば、あいつには、頼みごとをしたくない。
直接大学に出向いて、買うことはできるだろうか?
まあ、買えそうだよな。
だが、ここで問題がひとつ浮上する。
道隆が大学に行けるのは夜も更けた頃だけ。
……。
もちろん夜じゃ買えないよな?
あとは……
あの大学に通っている大成君に頼むという手もあるが……
うん、それがいいな。
デジカメのこともあるし、今度大成君に会いに、ミヤジマ電気まで行ってみるとしよう。
大成は、週末はたいがい、父親の経営している電気屋でバイトをしていると言っていた。店を訪ねれば、会えるはずだ。
「あのお、深沢課長」
書類を見つめたまま考え込んでしまっていた道隆は、その呼びかけに顔を上げて振り返った。
安井だ。おずおずとした仕草に、つい身構えてしまう。
「なんだ?」
反射的に声も尖る。
こいつがこんなふうにやってくるときは、ろくなことがない。
なにやらミスをしでかしたか、書類を紛失したとか……
「澪ちゃん、来週の木曜日に来るって聞いたんですけど……」
「うん? あ、ああ、水木君か。確かにそういう予定になっているが……それがなんだ?」
「なんだじゃいなですよぉ。俺、その日、一日中外回りなんすけど……」
「仕事なんだから仕方がないだろう」
「どうして木曜日になったんすか? いつも水曜日だったのに」
「水木君が、その日が都合がいいというので、変更したんだ」
実のところは、こいつと澪を会せないための、苦肉の策だったりする。
「そんなぁ。課長、お願いします。俺の外回りの仕事、曜日を変えて下さいよぉ」
泣き落としをかけてきた安井はしつこく、諦めさせるのは容易ではなかった。
やれやれ……まったく、疲れるやつだ。
「安井、悪いことは言わないから、水木君のことは諦めろ」
「えーっ! どうして課長にそんなこと言われなきゃならないんすか?」
俺が澪の恋人だからだ。と、心の中で言い返すも、実際は口しづらい……
「水木君に聞いたんだが、彼女、恋人がいるらしい」
さりげなく伝え終え、少しほっとする。
これで、安井も……
「そんなことあり得ません!」
自信満々に言い切られ、道隆は戸惑わされた。
「お前なぁ。……それじゃ、水木君が俺に嘘をついたとでも言うのか?」
「課長を疑うわけじゃないっすけど……深沢課長、澪ちゃんの言葉を、なんか勘違いしたんじゃないですか」
「どう勘違いしたと言うんだ?」
「そんなの俺に聞かれても知りませんよ。けど、澪ちゃんは俺に好意をもってくれてるってのはわかるんすよ。だから、恋人がいるわけないんです」
つ、疲れる……
なんなんだ、こいつの思考回路は?
あー、許されるのなら、こいつの頭を、思いっ切りどついてやりたい。
つづく
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