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第6話 案件却下
「バイトでも入ってくれたら、全員クリスマスに定時で帰れるかもしれないのにな」
三時の休憩に入り、藤沢が独り言のように言った。
みんな揃って彼に顔を向ける。
「あーっ、藤沢先輩、それって芹香先輩のことを言ってるんですね?」
大川が俄然勢いづいて言う。
突然芹香の名が出て、誠志朗はどうにも落ち着かない。
誠志朗と芹菜が付き合っていることは、ここでは公にしていない。
そしてここでの芹菜は、依然渡瀬芹香という名で認知されている。
もちろん真帆と杉林だけは、芹菜の正体を知っているし、誠志朗と付き合っていることも知っている。
藤沢は、すべてを把握しているわけではないし、確認してもこないが、誠志朗と芹菜の関係に気づいているようだ。
だからこそ、いま芹香のことを、誠志朗に向けて持ち出したのだと思う。
そして、いまがいま藤沢は、芹菜がここのバイトに明日からでも入ってくれる可能性はないのかと、誠志朗に眼差しで問いかけてきていた。
「別に、千尋さん以外、全員残業すればいいじゃないの。わたしは構わないわよ」
「ええーっ」
益田が仰天したように叫ぶ。
「益田。あんた、なんでそんなにも意外そうに叫ぶのよ?」
「だ、だって……令嬢が一番文句言いそうなのにさ」
「はあっ? わたしはあんたより数百倍、真面目に仕事に打ち込んでいるわよ」
「確かに、渡瀬先輩、頑張ってますよね」
大川が勢い込んで真帆を持ち上げる。
「でっしょう。大川君、よくわかってんじゃないの」
「は、はい」
大川は破顔して頷く。
やれやれ……
まあ、真帆が仕事に打ち込んでいるというのは、嘘ではない。
能力的に、いまひとつ足りないとしても……
実際のところ、ここでの仕事は、真帆にはあまり合っていないと思う。真帆本人もそう思っているはずだ。
それこそ、真帆の母親のように、女優になればよかったんじゃないだろうか。
真帆はなぜ、この職場にずっといるのだろう?
やはり、仲のいい杉林がいるからなのか?
今度、芹に聞いてみるかな。
芹菜は不思議なほど、真帆のことを理解している。
性格は正反対で、まったく噛み合うところのないようなふたりなのに……
これも、魂の入れ替わりなどという、信じがたい超常現象を体験したあとだからなのか?
まあ、そんなこといまはどうでもいいか……
真帆がイブの残業に対して、文句を言わない理由はわかっている。
イブの日に透輝と会えないからに違いない。
真帆の婚約者の透輝は、人気俳優だ。スケジュールはぎっしりで、イブの夜に、プライベートのデートする暇など、とてもないはずなのだ。
ならば、真帆としては、ここで仕事をしていたほうが気が紛れるということなんじゃないか。
杉林を除く全員を巻き添えにできれば、なお嬉しいのかもしれない。
「宮島主任」
真帆を見て、苦笑していたら藤沢から呼びかけられた。
「うん?」
「ですからバイトの件ですよ。お願いできませんか? 私も、できればこの残業地獄から抜け出したいんで」
縋るように見つめられ、誠志朗は眉を寄せた。
見れば、全員が藤沢と同じ目で、誠志朗を見つめている。
芹菜にバイトを頼むというのはな……
彼女のことだから、頼めばどんなに都合が悪くたって引き受けてくれるだろうが……
今の彼女は、学業で手一杯のはずだ。負担になるとわかっていて頼めはしない。
それでも、彼女がバイトを引き受けてくれれば、一緒に過ごせる時間が増えることになる。
バイトの帰りは、誠志朗の車で実家まで送ってやれるし……
けど……やはり、無理はさせたくないしな……
迷った誠志朗は、真帆に視線を向けた。
表向き、芹香は真帆の親戚ということになっている。ここで真帆に問いかけるのは自然なことだ。
「令嬢、芹香君は無理だろう?」
「さあ……大学のほうが終わってから来てもらうとなると、課題だってあるだろうし、無理させちゃうんじゃないの? まあ、あの子がここでバイトしてくれれば、わたしとしては楽しいけどね」
「僕もそうなったら楽しいですよ」
大川が諸手を上げて、真帆に同意する。
「俺も、芹香ちゃんに会えたら嬉しいなぁ。ああ、それに、芹香ちゃんがバイトにくるってんなら、俺、イブの残業も、喜んでやらせてもらうけどなぁ」
誠志朗は、ニヤニヤ笑っている益田の顔を、思い切りグーで殴ってやりたくなった。
やはり、芹菜がここでバイトする案は却下だな。
誠志朗はそう結論を出した。
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