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第9話 再演
透輝は威厳のある表情で、躊躇いなく部屋の中に入ってきた。
普段の彼とは別人のように、堂々とした歩みで誠志朗に向かってくる。
これは?
自分がどう動けばいいのかわからず、その場に立ち竦んでしまう。
すると透輝は、誠志朗とすれ違いざま、なんと手に持っていた書類の束を彼の胸にバシッと音を立ててぶつけてきた。
まさかそんなことをされるとは思っていなかった誠志朗は、書類が落ちない様に、咄嗟に受け止める態勢を取っていた。
「突っ立っていないで、さっさと仕事しろ!」
透輝は苛立ったように誠志朗に指図する。
そして大原室長の机に歩み寄り、当たり前のようにその席に着席した。
もちろんそこに、大原室長の姿はない。
どうやら、誠志朗たちの部署以外、この企画室の全員が結託していたらしい。
透輝を見ると、彼は役者の部下たちと、本気を見せて仕事のやりとりをしている。
だいたいは把握できたし、撮影を台無しにしないためには、おとなしく引き下がっているべきなのだろう。
だが、この状況に従うのは、とんでもなくむかついた。
そうだ。真帆はこの状況をどう見ているのだ?
真帆に目を向けてみたら、憤怒の形相でトウキを睨みつけていた。
もちろん透輝は、この真帆の怒りに気づいているはずだ。
それでも、平然と演技を続けているあたり、やはりさすがというべきか……
真帆の尻にしっかりと敷かれている透輝だ。この後の展開を思って、内心は震え上がっているに違いなかった。
しかし、これでいくと……芹菜がここに現れないはずはない。
芹菜はどこにいるんだ?
もしかして、これからここに現れるのか?
誠志朗はギリリと歯を噛み締めた。
久野監督の思惑通りに動くなんて、まっぴらだ!
芹菜を見つけて、連れて逃げてやる。
そう決めて、誠志朗はドアに歩み寄ろうとした。だが、役者の社員たちに行く手を阻まれる。
くそっ!
こっちの行動はお見通しということか?
最初に向かってきた相手から身を捻って避けたら、相手は床に勢いよく転がった。
ドシン! と、大きな音が立つ。
「ええーっ」
益田の仰天した声が響いた。
「しゅ、主任!」
心配した藤沢の声も続く。
「なんだかよくわからないけど、主任頑張れぇ!」
大川は場違いな声援を飛ばしてくる。さらに、真帆までも……
「宮島、わたしも応援するわよ! ぶっ壊してやりなさい」
命じるように言われたのは、むっとしたが……
誠志朗は、彼を捕まえようとする連中と揉み合いになったが、最後には投げ飛ばし、開いているドアに向かって突進した。
すると、いつからそこにいたのか、芹菜が立っていた。
いや、芹菜ではない。これはカノンだ。
カノンはオフィスに相応しいスーツを身にまとい、髪を柔らかに結いあげている。
首筋に垂れた後れ毛が、妖精のようというか……現実離れした儚さのようなものを感じさせる。
彼女は、先ほどの透輝と同じく書類の束を抱えていた。
芹菜とは関係ないのだが、透輝にやられたことを思い出してしまい、苛立ちが湧く。
芹菜はかなり動揺しているようで、目を見開いて誠志朗を見つめている。
誠志朗は芹菜が手にしている書類の束を取り上げ、後ろに向かって思い切り放り投げた。
「わっ!」
「わーっ」
「ええっ!」
大勢が口々に叫ぶ。
誠志朗は後を振り返ることなく、芹菜の手を取ると、そのまま職場から駆け出した。
「せ、誠志朗さん」
「大丈夫だ。わかってる」
そう声をかけると、芹菜はほっとした様に頷いた。
正直、社内では逃げ場はないだろう。
だが、撮影の邪魔はできたはずだ。
久野の思惑通りに運ばなかったのなら、それでいい。
思った通り、誠志朗と芹菜の前に久野が現れた。
「久野さん」
誠志朗は、憤りをなだめ、冷静に呼びかけた。
「やってくれたね」
愉快そうに言われ、顔をしかめてしまう。
邪魔されてムカついている様子ではない。
「まさか、今回も、思惑通りだなんていいませんよね?」
「そのまさか……と言うか……まあ、君にお任せってやつだ」
「撮影にはなんの支障もなかったと?」
「ああ、まったく問題ない。四月のCMの放映を楽しみにしていてくれたまえ」
ここで苛立っては負けだ。
平然と答える久野を見て、誠志朗は心の中で久野を罵りながらも、余裕を見せて微笑んだ。
「では、楽しみにさせていただきましょう」
居丈高に答えた誠志朗は、久野と肩を並べている健吾に視線を移した。
「社長」
「いい話題になると思ってね。我社の宣伝になる」
そういうことか……
「バイトが入るという話は? まさか、あれは嘘ですか?」
誠志朗の気迫に、健吾がタジタジになる。
「嘘じゃないよ。なぁ、芹菜君」
「は、はい。今日からバイトをさせていただくことになりました」
その言葉のおかげで、誠志朗の憤りは半分くらいになった。
「そうか。助かる。……だが、大学の方は大丈夫かい?」
「はい」
「無理しなくていいんだぞ。君の負担になるようなら……」
「やらせてもらいたいんです。あ、あの……イブとか……一緒に過ごしたいから」
恥かしそうにそんなことを口にされ、誠志朗の鼓動が速まる。
「芹」
思いを込めて呼びかけると、芹菜は照れくさそうに顔を上げてきた。
カノンに扮している彼女は、いつもより大人びて、息を呑むほど美しい。
スーツ姿なのも、とても新鮮だ。
誠志朗は無意識に彼女の頬に手のひらを当てていた。
すでに誠志朗の世界には、芹菜と自分しかいない。
頭を屈めて唇を合わせ、満足して顔を上げた彼は、そこでようやく、いま自分たちのいる場所がどこだか思い出した。
ハッとして顔を上げ、誠志朗は頬をひくつかせた。
にやついている久野、そして撮影のカメラ数台が、自分達に向けられている。
「せ、誠志朗さん」
芹菜が動転して誠志朗の名を呼ぶ。
誠志朗は芹菜を落ち着かせようと、そっと彼女の肩を抱き締めた。
健吾に話しかけようとした誠志朗は、健吾の後方で、勢ぞろいしてこちらを見ている部下の姿を捉えた。
益田は仰天しているし、大川は戸惑い顔だ。
そして真帆と透輝もいたが、ふたりは喧嘩の真っ最中のようだった。
まあ、このふたりはいつものことだ。わざわざ仲裁に入ってやることもないだろう。
「社長。彼女のバイトは明日からということにさせてください。私も今日はこれで失礼させていただきますよ。久野さん、四月のCM楽しみにしています」
ふたりにそう声をかけ、誠志朗は杉林に目を向けた。
「すまない。これで帰る。後を頼めるかい?」
「了解しましたぁ」
杉林が手を振り返してくる。
「みんな今日の残業はなしでいいからな」
「や、ヤッター!」
残業地獄から抜け出せた喜びに、益田は飛び上がって喜ぶ。
その様子に笑った誠志朗は、芹菜に視線を戻した。
「それじゃ、行こう、芹」
「は、はいっ」
芹菜は顔を真っ赤にして、慌てて誠志朗についてくる。
キスシーンをみんなに見られたのが、恥ずかしくてならないのだろう。
それは誠志朗も同じだ。
芹菜を前にすると、どうにも我を忘れてしまう。
それにしても、またも公衆の面前でキスシーンを演じてしまうとは……
会社から一歩出たところで、どちらからともなく見つめ合ってしまう。
ふたりは同時に噴き出し、声を上げて笑いあった。
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