笑顔に誘われて…
第1話 魔法の手



最後のひと針を刺し、結んだ糸を止めた高知由香は、ふうっと息を吐きだした。

よし、できた。

手にしているものを両手で持ち、由香はじっくりと出来栄えを確かめた。

やっぱり、変♪

周囲を少し気にしつつ、由香はくすくす笑った。

二十五センチくらいの桃色。

耳が少し長くて、うさぎがモチーフ。

で、かなりのおでぶさん。

外見、かわいらしいうさぎ…なんだけど…

ごめんねぇ〜

由香は、自分が作り上げたばかりのぬいぐるみに向かって苦笑しつつ、ついつい心のこもっていない謝罪をしてしまう。

けど、かわいいいよ。

「高知さん、もうできたんですか?」

そう声をかけて来たのは、同じ工房で働いている吉倉綾美だ。

同僚といっても、由香よりかなり年下。

由香はついこの間の誕生日に三十歳になった。

綾美は二十四歳だったはず…

「相変わらず、早いですねぇ」

「ベテランだもん。それに高知さんは特別、このひとは魔法の手を持ってるのよぉ」

由香は、自分を褒めすぎの湯川弘子に顔を赤くした。

弘子はこの工房の主任だ。
そして、この工房を経営している社長の奥様でもある。

「し、主任さん」

「ああ、うん。ですね、確かに、そんな感じします。なんか、布とか糸とかそんな材料が、生きてるものに変わる感じ…」

そう思ったまま口にした綾美は、急に残念そうな顔になり、唇を突き出して、由香の持っているぬいぐるみに羨望の目を向けてくる。

「いつになったら、わたしも高知さんみたいになれるんだろう?」

綾美の言葉に、弘子が吹き出した。

「綾美ちゃん、楽しんで作ればいいのよぉ。ぬいぐるみ作りの秘訣はそれだけよ」

手を振りつつ、あはあはと笑いながら弘子は真理をついたことを言う。

由香も弘子の言うとおりだと思う。

「それ、人気あるみたい。これからますます注文くるんじゃないかしら」

「そのふぬけた親父顔、なんというか、いいですよね?」

「ほんとほんと」

弘子と綾美のやりとりを聞きつつ、由香は改めて、自分の手にしているぬいぐるみを見つめ、微笑んだ。


二時間の残業をし、ようやく仕事を終えた由香は、仕事着から着替え、同じく残業していた皆と一緒に工房を出た。

クリスマスが間近になり、ぬいぐるみ工房は一年で最も忙しい時期。
今年は特に、追加注文が多いのだ。

嬉しいことだが、今日みたいに土曜日も出勤になったりして、大変ではある。

「高知さん、それじゃまた、明後日」

明るい挨拶とともに、綾美が手を振って淡いピンクの車の運転席に乗り込んだ。

綾美の隣に停めていた自分の車に乗り込み、由香は綾美が先に出るのを待った。

淡いピンクの綾美ちゃんの車。ほんとかわいい。
車内もずいぶんとかわいらしい小物で飾ってる。

走り去ってゆく綾美の車を羨望の眼差しで見送った由香は、エンジンを掛けながら自分のシルバーグレーの車内を無表情で眺め回した。

私には、これがお似合いだから…

卑屈にそう考えた自分に気づき、由香は唇を噛み締めた。

それでも、桃色の車になんて乗って、綾美ちゃんみたいにかわいい小物なんてもの飾ってたら、きっと馬鹿みたいに見える。

自分が好きで望むものと、実際に自分にそぐうものは違うのだ。





翌日、朝八時に起き、軽く朝食をすませた由香は、すぐに掃除洗濯に取り掛かった。
彼女が住んでいるのはワンルームのアパート。

ここに越してきて半年ほどになる。それまでは両親が住むマンションでずっと一緒に暮らしていたのだが…

姉の早紀が離婚し、一人娘の真央を連れて戻ることになり、両親と話し合ったうえで、由香が家を出ることにしたのだ。

姉の結婚生活は、しあわせなものではなかった。
両親もだし由香も、姉が離婚する決断をようやくくだしたことに、正直安堵を感じているくらいだった。

結婚前の姉は、あんなにしあわせそうだったのに…
夫となったひとも、けして悪い人ではない。

ふたりは心から愛し合っていたはずなのに…

そんなふたりの歯車が大きく狂いはじめたのは、皮肉なことに真央が生まれた頃からだった。

夫婦の間に何があったのか、由香に知る良しもないが…

他人同士が夫婦として暮らすというのは、やはり難しいことなのに違いない。

姉夫婦が、ことあるごとにひどくもめる様を目にしてきた由香は、結婚どころか男性と付き合うことにも、臆してしまっている。

姉のように精神的に辛い思いなんてしたくないし…

まあ、だいたいその対象となる相手もいないのだ。恋愛なんて、私の人生には関係のないもの…

もう三十だし…

そう考えた由香は、自分に対して顔をしかめた。

もおっ、私ってば、また卑屈な考え方してる。

やだなぁ…

三段ボックスの上に置いてある携帯が鳴り出し、狭いベランダで洗濯物を干していた由香は、部屋の中に戻って携帯を取り上げた。

「お母さん、おはよう」

「ええ。おはよう。実はね、昨夜のことなんだけど…」

母の声の暗さに、由香は眉をひそめた。

「何かあった?」

「それが…早紀が夕べ苦しみ出して」

「ええっ!」

「救急車で市立病院に運ばれたの」

「いったいどうしたの? なんの病気で?」

思いもよらぬ話に驚き、由香は急くように尋ねた。

「十二指腸潰瘍ですって。かなり酷いから、先生が一週間ほど入院したほうがいいって」

ともかく命に別状はなさそうだと分かり、由香はほっとしすぎて、その場にへたり込んでいた。

「ずっと痛みを我慢してたんじゃないかって先生が…それ聞いたらお母さん、なんかね…もう」

母のすすり泣く声が聞こえ、由香の目尻にも涙が滲む。

「お母さん、いま家なの?」

「ええ。必要なもの取りに帰ってきたところ。いま、お父さんと真央ちゃんが付き添ってるわ」

「私、これからすぐ支度して行くわ」

「そうね。お願い」

「うん、それじゃ」

携帯を切った由香は、大急ぎで支度し、病院に向かった。





   

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