笑顔に誘われて…
第11話 不思議なほどの安堵



「やはり、車が多いな。停められるところがあればいいんだが…」

困ったように口にする吉倉を見つめ、由香はのろのろと走っている車の窓から外を眺めた。

道沿いに延々と車が停められている。

イブの夜だというのに、いったい…?

そのとき、パンパンという爆発音が聞こえてくるのに由香は気づいた。

あの音って?

「あの、何か爆発音みたいなのが聞こえてきてますけど…あれは?」

由香の問いかけに、吉倉は眉を寄せ、彼女の言う音に耳を傾けてみたようだった。

「たぶん…花火じゃないかな」

「花火? イブなのに?」

「イブに、花火は変ですか?」

そう問い返されると困るが…イメージが合わないというか。
だって、花火は夏の風物詩…

「そういうわけじゃ…あの、ここってどこなんですか?」

「公園ですよ。来たことはありませんか?」

公園なのか?

「夜道でしたし…どの方向に来たのか…公園なんですか? 公園で花火?」

「…公園で花火のようですね」

「吉倉さん、まるで花火を上げてるのを知らなかったように聞こえますけど…」

「ええ、確かに知らなかった」

「それじゃ、花火を見るために来たんじゃなんですか?」

「花火が目的ではなかったのですが…見られるのなら見たくありませんか? それとも、花火は嫌いとか?」

「もちろん嫌いじゃないです。花火って、心が躍るし…。夏の花火大会とか、行った事だってあります」

「なら、せっかくだし、花火も見て帰りましょう」

花火もという言葉に引っかかりを感じて、それ以外に何がと聞こうとしたが、目の前に空いているスペースがあるのに気づき、由香は慌てて指をさして吉倉に教えた。

「吉倉さん、空いてますよ。あそこ」

「ええ。正門からかなり離れてしまったが…高知さん、ここから歩くことになりますが、いいですか?」

「もちろんいいですよ。歩くのは嫌いじゃないです」

とはいっても、わざわざ歩くなんてことはあんまりないが…特に夜には…

ギリギリのスペースに、吉倉は見事な手際で車を停めた。
由香ならば、この吉倉ほどの大きさの車だったら、断念するだろう狭さだ。

車を降りた由香は、吉倉と並び、正門がある方へと歩いていった。

彼らの前後には、花火を見物に来たのだろう人たちが歩いている。

「寒くないですか?」

気づかうように顔を向けて言う吉倉に、由香は首を傾げた。

「寒くないと言ったら嘘になるくらい、冷え込んでますね」

手袋がないから、手がかじかんできそうだ。
由香はコートのポケットに手を突っ込んだ。

「君の場合、スカートだし、やはり足元が寒いでしょう?」

「でも、花火が見られるんでしょう? 花火は何時までやってるのかしら?」

「さあ、わかりませんが…。公園の中央あたりでやってるんだろうし、中に入ったら遠目にでも見えるんじゃないかな」

「ここって、大きな公園なんですか?」

「そうみたいですよ」

「もしかして、ここに来たことないんですか?」

「ええ。ありません」

「なんでここに?」

「ちょっと、情報を…」

情報?

「ほら、入口ですよ。少し急ぎませんか?」

そう口にした吉倉は、さっと手を伸ばしてきて由香の腕を握り締め、ぐっと引っ張りながら走り出した。

なんだかんだ言いつつも、彼は花火が見たいようだ。もちろん、由香も見られるもんならみたい。

そう考え、由香は吉倉の走りを助けるように足を速めた。

たくさんのひとたちを追い越しつつ、人の流れの中を走ってゆくのは、ただそれだけのことなのに、やたら胸が弾んだ。愉快でならない。

だって、今日会ったばかりの人に腕を掴まれて、花火を見るために走ってるなんて…どう考えても普通じゃない…変だ。なのに楽しいのだ♪

おかしくてたまらず、由香は走りながらくすくす笑い出した。

「高知さん、何がそんなにおかしいんですか?」

不審そうに聞いてくる吉倉の表情に、さらに笑いが増す。

「走ってることがですよ」

「走ると笑いたくなるんですか?」

「いつもじゃないですよ。だって、この状況がおかしいんですもの」

「この状況?」

息が上がり、はあはあと喘ぎながら、由香は頷いた。

「吉倉さんに会ったのは…今日なんですよ」

「確かに」

吉倉はそんな相槌を打ち、由香が何を言い出すのかと、走り続けながらチラチラと視線を向けてくる。

「始めて会った人と、花火を見るために走ってるなんて、普通じゃないです」

「まあ、そうですね…」

真面目な顔で頷いた吉倉は、自分もくすくす笑い出した。





坂を上りきったふたりは、同時に足を止めた。

「わあっ」

歓声を上げた由香は、口を開けたまま目の前の光景に見入った。

色とりどりの光が、一度に目に飛び込んできた。

なんと、クリスマスのイルミネーションだ。

こういうのをやっていると、テレビなんかで報道していたが、実際目にしたのは初めてだ。

たくさんの光のツリーが水に浮かび、鮮やかな色の光が、広がる水面に反射している。

そして夜空には花火。

圧巻というか…驚きすぎて言葉がない。

ショックのような感動が徐々に去ってゆき、由香は感激のため息をついてから、隣に立つ吉倉を見上げた。

由香の動きに気づいたのか、吉倉も顔を向けてきた。

彼の方から何か言うかと待っていたが、由香を見つめるばかりで何も言ってくれない。

まっすぐに向けられている眼差しに、顔が赤らんできていたたまれなくなり、由香は目を伏せた。

「…お、驚きました」

他に言う言葉を思いつけず、由香はそんなありきたりな言葉を口にしてしまった瞬間、いささか悔いを感じた。

驚いたなんて言葉じゃ、あの光の氾濫を見た瞬間の気持ちを色褪せさせてしまう。

由香は顔を上げ、再び吉倉を見つめた。

「吉倉さん」

「はい」

返事をした吉倉は、由香の言葉を待っている。

感動した瞬間を表せる言葉を一生懸命頭の中で探したが、やはりどうしても思いつけない。

必死に言葉を探している自分が、滑稽にも思えてきた。
感動を表す言葉なんて…必要ない。

言葉を探すのを諦めた途端、不思議なほど満ち足りた思いに包まれ、由香は大きな笑みを浮かべていた。

「ありがとう」

吉倉に感じる深い感謝をそのままに、由香は言った。

「…いえ」

吉倉はそっけなく答え、顔をそむけてしまった。

彼の反応が物足りなく、由香はしょぼんとした。

またまた拍子抜けさせられたというか…

ほんと、よくわかんないひと。

戸惑いと、不服が胸に渦巻く。

「よかった…ですよ。お誘いして…」

ぼそぼそと口にされた吉倉の言葉を耳にして、由香は戸惑いから顔をしかめた。

由香の感謝を、ずいぶんとそっけなく受け流したくせに…よかった?

わ、わっかんないひとだぁ〜。

彼女は、心の中で頭を抱えた。

それからしばらくの間、ふたりは黙ったまま花火とイルミネーションを見つめ続けた。





「明日のことですが」

ハンドルに手をかけた吉倉は、エンジンをかけようとしていた手を止め、考え込んだように話かけてきた。

「はい。…あの、本当に、いいんですか?」

「ええ。もちろんですよ。私の方から引き受けると申し出たんです。それより、気になることが」

「なんでしょう?」

「お姉さんに、明日、真央さんと父親の…靖章さんでしたか…ふたりが会ったことがわかると、うまくない事態になりはしませんか?」

物凄く不安に思っていることを問われ、由香は顔を強張らせた。

「小さな真央さんに、とても口止めはできないでしょう? 彼女は父親と一緒だったと、当然母親に話すのでは?」

いまさらどうにもならない事実を、はっきりと言われても、由香だって困るのだ。

「でも…私…」

「わかりますよ。貴方の気持ちは。だが、いまの状況で事態を悪化させるのは」

「ならどうすればいいんですか? そんなどうしようもないこと責められて…私だって…私だって…」

「困ったな。貴方を責めようとして口にしたわけではありませんよ。問題点をはっきりさせて、もっと良い方法を…」

「良い方法ってなんなんですか? そんなものあるんですか?」

真剣に考えてくれているとわかるのに、由香は感情が突き上げるまま吉倉に食ってかかるように聞き返してしまっていた。

吉倉は、よかれと思って口にしてくれているとわかっているのに…

「だ、だって…お義兄さん…会社休んでまで、明日を楽しみにしてるのに…いまさら…」

そう口にした由香は、自分が恥ずかしくてならず、顔を真っ赤にした。

「ご、ごめんなさい。私、お義兄さんが可哀想で、しっかり考えもせずに誘ってしまって…。吉倉さんが指摘したこと、ずっと心にあって、本当は不安で…どうしようって…」

「わかってますよ」

「え?」

「問題点ははっきりしているんです。ならば、問題点を失くす方法がないものか、ふたりで考える。高知さん、それでよくないかな?」

吉倉を責めてしまったことに対する後悔と、明日のことを考えての不安に胸を圧迫されていた由香は、冷静に口にする吉倉をじっと見つめた。

どこまでもクールに見える吉倉。

なのに…このひとの心って…広くて深くて…あたたかい。

「いいんですか?」

「いいとは?」

「だって…吉倉さんにとって、姉も義兄も…私だって…見ず知らずの相手なのに…お世話をかけてしまって…」

「恋人でしょう?」

「は、はい?」

「明日限定だが、私は貴方の恋人でしょう?」

真面目顔の吉倉の冗談に、不思議なほどの安堵を感じ、由香は彼に向かって頷いていた。





   

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