笑顔に誘われて…
第16話 通訳に感心



両親のマンションが視界に入ると、由香はひどくドキドキしてきた。

遊園地での被り物という作戦はうまくゆくだろうか?
靖章の正体が、真央にばれたりしないだろうか?

靖章は、どうしてもトナカイになりたいようだった。
接触が少ないほうが、真央に父親だとバレる確率が低いだろうからと。

もちろん、真央はきっと、トナカイよりもサンタクロースを気に入るだろう。
それをトナカイの被り物で見ていることになるだろう靖章の心を思うと…なんとも、切ない気持ちになる。

それでも、靖章の決断は正しいと思う。
今回のことが、もしも姉にばれたりしたら…また騒動になるに違いない。

いまの姉は、正常な精神状態ではないから…

将来を考えて悲観的になっている自分に気づき、由香は気持ちを切り替えた。
そして、吉倉が口にした言葉を思い返した。

彼の言った通り、今日を無心に楽しもう。
不安など投げ捨てて、楽しい気分で挑まなくちゃ。





「ユカバン、ユカバン」

両親の家のドアが開いたと同時に、真央が大声で呼んできた。

笑みを浮かべて家の中に入ると、右腕と左腕にぬいぐるみを抱え込んだ真央がいた。

「まあ、真央ちゃん、大丈夫?」

驚いて言ったものの、内心嬉しくてならない。

真央の右手に抱えられているのは、一番のお気に入りのネコのぬいぐるみのまーしゃん。そして左腕に抱えているのは、今朝サンタクロースから届いたはずの、ピンクのウサギのぬいぐるみだ。

ふとっちょピンクうさぎくんも、気に入ってもらえたようね。

「真央ちゃん、さあ、遊園地に行くわよ。お出かけの準備はできてる?」

両腕いっぱいにふたつのぬいぐるみを抱えた真央は、力強く頷く。

あまり愛らしく、由香は頬をゆるめて笑った。

「真央ちゃん、この子たちは置いてゆきましよう。ほら、その代わり、お出かけのバッグを持たないと」

「ヤン、行くの。一緒なのっ!」

真央は右足を上げて、ドンドンと床を踏み、頬を膨らませて怒ったように言う。それでだいたい状況がつかめた。

たぶん、両親からもぬいぐるみは置いてゆかないとと言われたのに違いない。だが、持ってゆきたい真央は、両手に掴んだまま離そうとしなかったのだろう。

「由香、おはよう。吉倉さんも、今日はありがとうございます」

由香に声をかけた母は、すぐに吉倉に向き、頭を下げる。

「いえ、みなで楽しんできますよ」

「ねぇ、お母さん、あれって、いつから抱えてるの?」

由香は母に顔を寄せ、真央に聞かれないように小声で尋ねた。

「一時間前くらいからよ。ほんと、小さいくせにとんだ根性があるもんだって、お父さんと大笑いよ」

由香は思わず吹き出した。彼女の背後でも同じように吹き出した者がいた。吉倉だ。

「すみません」

笑いながら吉倉が謝る。

「いえいえ、いいんですよぉ。ともかく吉倉さん、居間にどうぞ」

「いえ。すぐに出かけようと思いますので」

「あっ、わたし、真央の髪にリボンをつけてあげようと思ってるの。…あの、佳樹さん、ちょっと待っててくださる?」

吉倉との約束を思い出し、由香はいくぶんつっかえ気味に言った。

「ああ、いいよ、由香」

からかうように吉倉は返事をする。

おかげで由香は、頬が赤らむのを感じた。

母は、あらまぁとでも言いたいような表情をしている。

三人は、居間に入っていった。
ソファには父が座っていたが、吉倉の姿を目にして、にこやかな笑顔で立ち上がった。

その父の歓迎ぶりは、由香をちょっと不安にさせた。

両親とも、すっかりふたりは付き合っていると信じ込んでしまったようだ。
いまさら、実はそうじゃないと言い出しづらいが、いずれは本当のことを伝えなければならない。

ちょっと過ちをおかしたんじゃ…

そんな不安も、一瞬だった。

真央に目を向けた由香は、笑いが込み上げそうになってぐっと堪えた。

抱えている荷物はやはり抱え続けるには荷が重すぎるらしい。

いま真央は、床にぺたりと座り込み、それでも両脇にふたつのぬいぐるみをしっかりと抱き寄せている。

どうあっても、持ってゆくつもりのようだ。

「由香、どうする?」

父が潜めた声で問いかけてきた。

その問いに答えたのは吉倉だった。

「連れて行きましょう。真央さんがぬいぐるみを抱えていられなくなったら、私が抱えますよ」

「でもねぇ、遊園地じゃ、絶対に邪魔になるに違いないのにねぇ」

母が困ったように言う。確かに母の言う通りだろうが…

由香は、吉倉に視線を向け、彼と目を合わせてから、小さく微笑んだ。
彼は、由香の笑みを見て、なんだ? というように眉を上げる。

由香はそんな彼ににっこり笑いかけ、両親に向けて口を開いた。

「いいわよ。佳樹さんが自分でいいって言うんだもの。この人に責任もって最後まで抱えていてもらうわ」

由香はわざと大きな声で言った。

父は少々ぽかんとしているし、母は由香に向けて、「まあっ」と咎めるように叫んだ。が、吉倉は声を上げて笑い出した。

由香も笑ったが、自分の発言の大胆さに、いまさらながらにドキドキし、頬が赤らんだ。

ちょっと焦りを感じた由香は、誤魔化すようにバッグの中からリボンを取り出し、大きな荷物を抱えこんだまま床に座り込んでいる真央に歩み寄って行った。





「本当にかわいいな」

マンションの出口に向けて、よちよちと危なっかしげに歩いている真央の背中を背後から見守りつつ、吉倉が呟いた。

いつ転んでもおかしくない真央の歩みだ。
さっと手を伸ばせば届く距離に、由香と吉倉はついている。

由香がつけてやったリボンはかわいらしく似合っているし、真っ赤な小さな靴を履き、ひらひらのレースやリボンがついた、ピンクのコートを着てる真央。
その愛らしさは堪らない。

さらに、うさぎのポシェットまでも。
その中には、真央気に入りのお宝がこれでもかというほど詰め込まれていて、うさぎははちきれそうな顔をしている。

コートで着ぶくれしてる状態で、ふたつのぬいぐるみを抱えているのは大変そうなのに、真央はどう説得してもぬいぐるみを手放そうとせず、抱え込んだまま歩いているのだ。

車を停めている駐車場まで、そんなに距離はないが、真央の手足では楽勝とはゆかないはず。

「真央ちゃん、ふとっちょうさぎくん、由香おばちゃんが持ってあげましょうか?」

「ヤン」

拒否の言葉に、由香は思わず天を拝み、肩を竦めた。

吉倉が、またくすくす笑う。

「限界までやらせてみましょう」

「でも、腕が痛くなるかも。そしたら、ぐずり出しますよ」

「いいじゃないですか。それも真央さんにとって、いい経験ですよ」

「わたしたちにとっても、いい経験になりそうだってこと、忘れないでくださいね。佳樹さん」

吉倉がくるりと由香に振り向いてきた。

だが、黙ったまま、見つめてくるばかり。

「どうかしました?」

自分の発言になにか適切でないものがあっただろうかと、不安を覚えつつ由香は尋ねた。

「いえ。なんでもないんです。なんでも…」

苦笑しつつそう言うと、吉倉はまた真央に注意を戻した。

絶対に何か言いたいことがあったのだ。なのに話してくれないなんて…

由香にしてみれば落ち着かない。

言いたいことがあるなら、言ってくれたらよかったのに…

「ジジダン、ジジダン」

駐車場にいる父に気づいたらしく、真央は父に駆け寄ろうと速度を上げた。

「あっ」と叫び、吉倉が後を追う。

父は、車に取り付けているチャイルドシートを取り外すために、先に家を出たのだ。

すでに取り外せたらしく、手にチャイルドシートを持っている。

真央はなんとか転ばずに祖父のところまでゆき、ぬいぐるみごと、足にぶつかっていった。

ぶつかった反動で、後ろ向きに転がりそうになる。

父が手を伸ばしたが、それより早く吉倉が転ぶ直前の真央の身体をすくい取った。

彼はぬいぐるみごと、真央を抱き上げた。

「あー、びっくりしたわ。佳樹さん、ありがとう」

「いや。真央さんの安全を任されたんだからね。こんなところで怪我などさせなくてよかったよ」

「吉倉君」

「はい」

「君はいいやつだな。ありがとう」

「あ、はい。どうもありがとうございます」

父の真剣な眼差しつきの褒め言葉に、吉倉は照れくさそうな笑みを浮かべた。





無事チャイルドシートも設置され、三人はようやくマンションから出発した。

靖章をずいぶん待たせてしまったが、マンションから百メートルほど離れた路上で待っていた靖章は、吉倉の車を見て頷き、すぐに後に続いてきた。

靖章は、久しぶりになる我が子の姿を確認したかったようだが、ふたつのぬいぐるみが邪魔をして、見ることはできなかっただろうと思えた。

真央と並んで後部座席に座っている由香は、走り始めてすぐ、後ろに振り返って靖章を安心させるために手を振った。

「いい天気になりましたね。風もそんなに吹いていないし、遊園地日和といえるかな」

「吉倉さん、遊園地は久しぶりですか?」

「佳樹ですよ。由香」

「で、でも。ふたりきりですよ?」

「そんなことは関係ありませんよ。それにふたりきりではない。真央さんが一緒ですよ」

「それはそうですけど…」

「遊園地は、とてもひさしぶりですよ。そうだな…大学生の頃に来たきりかな」

「そうなんですか」

大学生か…

彼は誰ときたのだろう?
やっぱり、そのとき、付き合っていた彼女とか…?

胸がちくりと痛み、由香は慌てた。

わ、わたしったら…

「あのときは、綾美にせがまれて、仕方なくでしたね」

「あ、ああ。綾美ちゃんと」

ほっとしたせいで、思わず明るい声になり、由香は恥かしくなった。

「由香、貴方は?」

「えっ? な、なんですか?」

「遊園地ですよ」

「ああ、わたしは…そうですね。最後に行ったのって、いつだったのかしら…?」

「思い出せないほど昔なんですか?」

「そうですね。いまの工房に就職してからは、行った覚えはないですし…そうだわ。高校の時に修学旅行があって、テーマパークが入ってて、行きました。あれが最後かも」

「友達とはゆかなかったんですか?」

「うーん。遊園地って、女友達だけで行くようなことはなかったんですよ。みんな彼と行ってましたから」

「そうか。あの…」

「はい?」

「…真央さん、おとなしいですね。声が聞こえないが…」

「ああ、真央は車に乗ると、景色に集中しちゃうんですよ。いまも、窓の外を真剣に見てますよ」

口を少し半開きにして、瞬き最小限で外を見つめている真央を見ながら、由香は吉倉に報告した。

「そうでしたか。寝てしまわれたのかなと思いました」

「これから待ちに待っていた遊園地ですもの。もう目はギンギンに開いてますよ」

「そうか。それはよかった」

「ギンギン?」

ギンギンの言葉が、よほどインパクトがあったのか、顔を上げてきた真央が問うように言う。

「そう、ギンギン。遊園地、もうすぐよ、真央ちゃん」

「もうすぐ? くまたんいう? おしめたまもいう?」

「いま、真央さんはなんておっしゃったのかな? 由香、わかったなら、通訳してもらえるかな?」

「くまさんと、お姫様がいるかって聞いて来たんですよ」

「ほおっ。貴方は凄いな」

とんでもなく感心したように吉倉が言い、由香は派手に吹き出した。





   

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