笑顔に誘われて… | |
第18話 夫婦になった経緯 「それじゃ、真央さん、またあとで」 しゃがみ込んで真央と視線を合わせ、吉倉サンタが言った。 真央はちょっと寂しそうにサンタさんとトナカイさんを見たが、こくりと頷いてくれた。 これからお昼を食べることにしたのだが、被り物を被ったままでは食事もままならないからと、昼食の間だけ、別行動することにしたのだ。 最初、真央はトナカイさんの手を離すのを嫌がったが、トナカイさんに抱きしめられ、頭を撫でてもらって、しぶしぶ納得したようだった。 「それじゃ、真央ちゃん、ハンバーグ食べにいこうね?」 由香は、真央の手を握りしめると、可愛らしい洋館みたいな外観をした目の前のレストランに足を向けた。 足を踏ん張っていたらしく、繋いでいる手が突っ張る。 由香はため息をつきつつ、真央を見下ろした。 真央は、自分を見送るために並んで立っているトナカイさんとサンタさんに、じっと視線を注ぐ。 トナカイさんがおずおずとした仕草で右手を上げ、小さく手を振った。 真央は駄々をこねるように身体を左右に揺らしたが、きゅっと唇を突き出すと、仕方なさそうに小首を曲げた。 そして、小さな手を胸のところに持ってきて、トナカイさんに渋々としか言いようのない仕草で振り返した。 うんうんとトナカイさんが頷き返す。 トナカイの被り物に隠れている靖章の表情が手に取るようにわかって、由香の目はじんわりとうるんだ。 危うく涙を零しそうになった由香は、みなに悟られないように顔を伏せ、さっと涙を拭いた。 「それじゃ、真央ちゃん、ハンバーグ食べてこよ」 由香の呼びかけに、真央は「うん」と元気に返事をし、もう一度ふたりに手を振り、由香を見上げてきた。 まだ喉を詰まらせていた由香は、慌てて笑顔を取り繕い、真央に向けてにっこり微笑むとレストランに向かった。 真央は、歩みを止めはしなかったが、自分を見つめているサンタさんとトナカイさんに、何度も振り返り、迷いを見せながら店内に入った。 「いらっしゃいませぇ♪」 真っ白でふりふりのエプロンをつけたウエイトレスさんが、店内に足を踏み入れた途端、とびっきりの笑顔でふたり出迎えてくれた。 真央はその挨拶にちょっとめんくらったようだが、すぐに笑顔になった。 それでも真央は、残してきたふたりを気にして、ドアに振り返った。 ガラスのドアだから、外に並んで立っているサンタさんとトナカイさんの姿はまだ見える。 「とーたん」 真央はガラスを手のひらで、ペタペタと叩きながら呼びかける。 由香は顔を曇らせた。 やれやれ、これはちょっとばかし、帰りが不安になってきたかも… 大丈夫だろうか? あまりに泣かれたら、引き離すのが大変そうだ。 しっかり遊ばせて、帰りの車で寝てくれると助かるかも。 そしたら、トナカイやサンタと遊園地で遊んだのは夢みたいな曖昧な記憶になって… そうなってくれたら、一番いいかもしれない。 お腹はかなり空いていたらしく、トナカイさんとサンタさんにしばしの別れをようやく告げ終えた真央は、店内に漂よう美味しそうな匂いに、誘われているようだった。 ウエイトレスさんにテーブルへと案内されながら、鼻を上向けるようにして、くんくん匂いを嗅いでいる。 「ほら、真央ちゃん、座りましょう」 「ハンバーグ食べゆの。アイスクも食べゆよ」 子ども用の椅子に腰かけた真央は、口に人差し指を突っ込み、もごもごと言う。 「はいはい。アイスクリームもね」 ふたりして、ハンバーグセットとストロベリーアイスとソーダ水を美味しくいだたいていると、店内になんと、この遊園地のキャラクターがサンタに扮して現れた。 座った場所が良かったのか悪かったのか、店内に流れる軽快な音楽に合わせて跳ね回っていたサンタが、ふたりの前にもやってきた。 真央は目の前にやってきたサンタを、目を見開き、口もぽかんと開けて見上げる。 「お姫様、楽しんでるか〜い?」 サンタは、真央に弾むような声をかけてきた。 だが真央は、無言で見つめ返すばかりだ。 こういうとき、同行者の由香としては、せっかくのサンタの好意に、嬉しげな顔のひとつもしてほしいのだが… 返事をしないのは、やはりびっくりしすぎたからだろうか? 「あ、あの…びっくりしちゃったらしくて」 いつまで経っても無反応なままの真央に業を煮やし、由香はサンタにそう言って取り成した。 サンタは由香の言葉に、わかったといいうようにコクコクと頷き、真央の手を握る。 「やん!」 まさかの事態だった。 真央はしかめっ面で、サンタを拒絶したのだ。 握られた手も拒んで引き抜き、不機嫌な顔でそっぽを向く。 遊園地のアイドルキャラサンタが、一時停止した。 由香も固まった。 店内の空気まで凍ったようで、由香は身が縮んだ。 フ、フォローしなきゃ! 「あ、あ、す、すみません。な、なんか、もう眠たいみたいで、ちょっと、いえ、かなり機嫌が」 「楽しいクリスマスを♪」 サンタは気を取り直したように明るく叫び、真央の前から離れていった。 どっと疲れに襲われた。 「サンタしゃん、ちあうもん!」 テーブルに突っ伏していた由香は、真央の言葉にハッとして顔を上げた。 「えっ?」 「ちあうのっ! サンタしゃん、とーたんと一緒なもん」 真央は唇を尖らせて怒った顔をしかめている。 その目尻に涙が滲んでいるのを見て、由香は胸を突かれた。 あ、ああ…そうか…そうだったんだ。 「うん。本物のサンタさんとトナカイさんは、いま別のところでご飯食べてるんだものね」 由香の言葉が嬉しかったようで、真央はにこっと笑顔になり、小さな手のひらでテーブルをパンパンと叩いた。 「真央行くの」 心が逸るように言った真央は、椅子から下りたがり、由香に手を差し伸べてくる。 由香は立ち上がり、真央を抱き上げた。 吉倉と靖章の食事は、まだ終わっていないかもしれないけど、待ち合わせの場所に行って、待っているとしよう。 もしかしたら、真央と同じで、早く合流したくて待ち合わせ場所にいってるかもしれない。 レストランを出たふたりは、途中でお手洗いを済ませ、待ち合わせ場所である池のほとりに向かった。 人がたくさん集まる広場とかだと、探すのが難しいかもしれないと、吉倉がこの場所を選んだのだ。 残念なことに、待ち合わせ場所に、ふたりはまだ来ていなかった。 開いているベンチを見つけ、由香は真央と並んで座った。 真冬だが、日差しがあり、昼のこの時間、気温も上がってきていて、外でもそんなに寒くない。 「チッチ。チッチ」 真央がはしゃいで手を叩く。 池の際に建てられた看板の上に、カラフルな小鳥が止まっている。 驚いて目を見張ったものの、良く見れば作り物だ。 だが真央は、本物だと思い込んでいるらしく、飛び跳ねたり歓声を上げたりしながら見つめている。 「可愛いわね」 「かーいーねぇ」 由香の言葉を真似るように真央が言い、彼女は吹き出した。 おしゃまな顔が、なんともいえないほど可愛くてならない。 道の向こうから誰かが歩いてくるのに気づき、由香は期待しつつ顔を向けて見た。だが、残念ながら待ちびとではなかった。 親子四人連れだ。 小さな男の子がふたり、父親と母親の周りで追いかけっこをするようにはしゃぎながら歩いている。 四歳くらいだろうか? もうひとりは、真央より小さそうだ。 仲の良い家族の様子に、思わず頬が緩む。 母親のほうは、由香と同年代のように思えた。 わたしも、この女性と同じくらいのとき結婚していれば、こんな子どもたちに囲まれた生活してるんだろうな。 羨ましい気持ちが湧いたが、自分にそれは無理なことだとわかっている。 恋愛に、こんなにも臆病では、結婚など夢の夢。 「た…かちさん?」 驚いたような呼びかけに、由香も驚いて顔を上げた。 呼びかけてきたのは、父親だ。 え? あっ、このひと… 「ど、どうも」 慌てて頭を下げる。 彼は、仕事で工房に出入りしている田上だ。 もうだいぶ前のことになるのだが、結婚を前提に付き合ってほしいと申し込んできたひとだったりもする。 「あ……ごめ。気づいたら呼んで…え、えっと」 田上は困惑した顔で、自分の隣にいる妻と、足元の子どもたちに目を向ける。 「あなた、どなたなの?」 当然と言える妻の問いかけに、田上はしどろもどろになってしまってる。妻の声には、いくぶん鋭さがあった。 由香は顔をしかめた。 田上ときたら、こんな反応を見せては、ほんのわずかだとしても、自分の妻に、おかしな風に疑われてしまいかねないのに。 案の定、妻は夫の反応に、いくぶん顔を強張らせている。 こうなったら、由香がフォローするしかないようだ。 「ご家族とご一緒のところを、仕事関係の者に見られたからと、そう恥ずかしがらないでください、田上さん」 由香は、礼儀正しくも、少々からかいを込めて言った。 「は、はぁ」 田上は顔を赤らめて、困ったように頭を掻く。 妻の方は、様子を見ようと言うのか、由香に値踏みするような視線を注いでくる。 精神に濃い疲労を感じたが、由香はいまだ作り物の小鳥を見上げている真央に近づき、田上に話しかけた。 真央のことを、由香の娘だと思ってくれれば…妙な誤解など招かないだろう。 「田上さん、新作のぬいぐるみ、売れ行きのほうはいかがでしょうか? 気になっているんですが」 仕事上の付き合いを強調し、堅苦しく問いかけた。 「あ、ああ。あのぬいぐるみ、かなり個性的で、注目を引いてますよ」 「注目だけですか?」 「いやいや、そ、それなり…いや、思った以上に売れてますよ」 「そうですか。安心しました」 由香は田上の妻に向き、笑みを見せながら話しかけた。 「わたし、ぬいぐるみ工房の工員なんです」 妻の方には、心して親しげに声をかける。 田上との仲を、変に誤解されないようにと考えてのことで、そんな小細工まがいのことをしている自分が、正直なところ嫌でならない。 それでも、この夫婦の諍いのもとには、どんなに些細なものであれ、なりたくない。 「ああ、そうなの」 相槌を打って答えつつ、田上の妻は、由香が頭を撫でている真央を見る。 妻の視線と注意が真央に向き、由香はほっとした。 そのとき、田上と目が合った。 彼はすまないというように、微かに頭を下げてきた。 「あの、あなたのご主人は? 今日は娘さんとおふたりで遊びにいらしたんですか?」 「いえ」 なんと答えようか一瞬迷ったが、この子は姪っ子ですなんて、真実の説明などしないほうが、よさそうだ。 もちろん田上は、由香がいまだ独身であることを知っているのだが… 彼女は結婚していないよなんて、いまこの場に、最も不必要である事実を、わざわざ口にしたりしないだろう。 「彼は…いまお手洗いに…」 「由香」 突然の呼びかけに、由香は顔を向けた。 呼びかけてきたのは、もちろん吉倉。だが、彼は普通の吉倉だった。いまの彼は、サンタの被り物を被っていない。 「よ…佳樹さん」 吉倉と呼びかけそうになり、由香は慌てて言い直した。 だが、この状況で彼の登場はまずい気がする。 「あら、ご主人様、戻っていらしたのね」 田上の妻の、罪のない言葉に、由香はすーっと血の気が引いた。 田上ときたら、目を丸くして驚いているし… だが、吉倉は平然としている。 「どうも、こんにちは。由香、こちらはどなたかな?」 由香は顔を上げて吉倉と目を合わせた。 緊張のあまりごくりと唾を飲み込んだ由香とは対照的に、吉倉は、やさしい笑みで見つめ返してくる。 この場の状況を見切って、ご主人扱いを受け入れ、話を合わせてくれるつもりのようだ。 「え、ええ。仕事でお世話になっている田上さんと、ご家族なの」 「そうでしたか。どうも、田上さん、初めまして。妻がお世話になっております」 「あ…ああ。ど、どうも。こちらこそ…あの、よろしく」 我に返った様子で、田上はしどろもどろに答える。 「可愛い娘さんですね。わたしも女の子が欲しくて。ねぇ、あなた、お名前はなんて言うの?」 田上の妻は、さきほどよりもしおらしい感じで、真央の前にしゃがみ込んで尋ねる。 「まーお」 真央は、大きな声ではっきりと口にした。 「まおちゃんなの。ふふ、やっぱり、女の子は可愛いわねぇ」 「男の子もいいですよ。…私たちも、次は男の子が欲しいですよ」 吉倉ときたら…さすがに乗り過ぎだ。 由香は苦笑しつつ、吉倉に頷いて見せた。 由香と吉倉が夫婦でないことを知っている田上は、目を白黒させている。 きっと、どう考えればいいのかわからないのだろう。 これは、後々面倒なことになりそうだ。 「けど、男の子はほんと、やんちゃで困るんですよぉ。それもふたりでしょ、振り回されてばっかりで」 「振り回されるのが、またしあわせなんじゃないかなと思いますが」 「まあ、そうですね」 田上の妻は、機嫌よく笑う。 「ママ、パパ、ねぇ、まだぁ」 「マー、くぅ」 少し離れた場所で騒いでいた男の子たちが駆け戻ってきて、口々に催促しはじめた。 同じ場所にいるのに、いい加減辛抱が切れたのだろう。 「おう、そうだな。それじゃ、そろそろ行こうか? あの、高知さん、それじゃ」 「はい。お引止めしてしまって、すみませんでした」 由香は、田上ではなく、彼の妻に向けて頭を下げた。 男の子ふたりと手を繋いでいた妻は、にこやかにお辞儀し、田上とともに去って行った。 つ、疲れた… 「由香」 前屈みになって息をついていた由香は、吉倉から呼ばれて振り返った。 「は、はい」 「僕らが夫婦になった経緯を、できれば詳しく聞きたいが…」 吉倉の言葉に、由香はぎょっとして彼を見た。が、彼は先ほどやってきた方向に首を回して、そちらを窺っている。 「トナカイさんが待ちあぐねていますからね。では、由香、すぐに出直してきます」 言い終わらないうちに、吉倉は駆け出して行ってしまった。 由香は、吉倉の後ろ姿を見つめながら、口をへの字に曲げた。 吉倉と由香が夫婦になった経緯…吉倉は、けしてそのままにはしないだろう。 「あーあ、弱ったかもぉ…」 思わず疲れた声を出し、由香はがっくりと肩を落としたのだった。 |