笑顔に誘われて… | |
第21話 贈り物のぬくもり 廊下に出た由香は、そこに吉倉の姿がないことにどきりとした。 入り口近くにいてくれるとばかり…… 焦って両側の廊下の先に視線を向け、安堵する。 かなり離れた場所に吉倉がいた。 由香と目を合わせた吉倉が手招きしてきて、彼女は小走りで彼の側に向かった。 「びっくりしました。入り口の側にいると……」 「あそこでは、お姉さんの耳に、我々の話し声が届くかもしれませんからね」 「え?」 「私と貴方のぼそぼそとした話し声は、お姉さんの感情を逆なでするだろうと思うのですよ」 いつもと同じ笑みを浮かべてそんなことを言う吉倉を、由香は目を見開いて見つめた。 そこまで冷静に考えて、このひとはここに? 「どうしました? 私の顔に何かついていますか?」 「い、いえ……きっと、気分を悪くされてると……あ、あの……姉がひどいことばかり言ったから……ごめんなさい」 「謝ったりしなくていいんですよ。気にしてなどいませんからね。いまのお姉さんは病んでいる。たぶん……私だけではなく、すべての男性を嫌悪しているんじゃないかな」 由香は、肩を落として頷いた。吉倉の言うとおりだと由香も思う。 「ここにいては、お姉さんの感情をさらに逆なでしてしまいますよ。貴方は、お姉さんのところに早く戻って。……病室を出てきたのは、私のことを心配してでしょうが……ありがとう」 由香は思わず吹き出した。 まったく吉倉には呆れる。由香の思いをすべてわかっているとは…… 「何が……おかしかったのかな?」 困惑したように聞いてくる。 由香は、ますます笑いが膨らんだ。 すべてわかっているところを由香に見せつけたところなのに…… 「おかしかったわけじゃなくて……うーん、そう、安心したんです」 「安心?」 「はい。姉のところに行ってきます」 もう姉が何を言おうとも、怒りを感じなくてすみそうだ。 「ええ。行ってらっしゃい。ここで待っていますから」 由香は頷き、吉倉に背を向けて病室へと歩き出したが、「由香」と呼びかけられて、振り返った。 「はい」 「これを」 吉倉は、手にしている何かをぽーんと放ってきた。 由香は慌てて受け取った。 手を開いてキャッチしたものを見てみると、カラフルでキラキラな包みに包まれた小さなキャンディーみたいなのが五つほど、透明なセロファンの中に入っている。 ピンクのリボンが結んであって、ずいぶん可愛い。 「昨日のパーティでもらったものです。貴方に上げようと思っていたのに、忘れていた」 由香は吉倉に向けて、包みに負けないほど華やいだ笑みを浮かべていた。 「いまの姉じゃなくて、未来の姉を見つめて話をしてきますね」 「うむ。いいことだ」 力強い返事に、彼女はカラフルな包みを小さく振って見せ、弾むように背を向けた。 病室に戻った由香は、すぐさま姉にプレゼントを差し出した。弾んだ心のまま、姉にクリスマスの贈り物を手渡したかった。 「お姉ちゃん、メリークリスマス」 心を込めて由香は姉に言った。 だが姉は、ひどく苛立った表情で由香を見つめてくるばかりで受け取ろうとしない。 あんな風に病室から出ていった由香が、吉倉と話をしてきたのだろうことはまるわかりで、苦々しく思っているのだろう。 「謝らないわよ。私はね、あんたを心配してんのよ」 「うん。これ、受け取ってくれないの?」 由香は紙袋を振りながら姉に言ったが、姉に抱かれている真央の手が伸びてきて、紙袋を奪われた。 「ま、真央ちゃん」 真央は、興味津々で袋の中身を覗き込む。 「まーお、それはね、由香おばちゃんが、ママにって……」 「やん、真央の」 姉が渡すように手を差し出すものの、真央は身体を大きく捻って拒む。 「真央ってば」 母と叔母を無視し、真央は紙袋から中身を取り出してしまった。 「わあっ♪」 イチゴサンタちゃんがラッピングしてくれた芸術作品的パッケージを見て、真央は嬉しげに声を張り上げる。 早紀もまた、「あらぁ〜」と声を上げた。 「ま、真央。それママにちょうだい」 せっかくのラッピングの危機を見越し、慌てたように早紀が言ったが、その時には、真央の無邪気な手によって、リボンは無残に引っ張られていた。 「あーあ」 早紀と由香は、がっかりした声をぴったりとハモらせてしまい、ふたりして、思わず顔を見合わせた。そしてまた同時に、さらに無残なことになりつつあるプレゼントに目を戻した。 「もおっ、真央ってば、あんなに綺麗に包んであったのに」 顔をしかめた早紀は、ひどく無念そうに娘に文句を言う。 「ママ、じっくり見てなかったのよ」 すでに包装紙も無残に破られてしまっている。 ひどく無念そうな顔をしている姉がおかしくて、由香は声を上げて笑った。 「真央の手にかかっちゃ、駄目ね」 「真央、中身は壊しちゃ駄目よ」 「やん」 母の頼み込むような言葉を、真央はばっさりと切り捨てる。 「お姉ちゃん、このままじゃ、中身も危ないかもよ」 あんな細いチェーンでは、真央の傍若無人な手にかかれば、ひとたまりもなさそうだ。 「だ、駄目よ。せっかくの贈り物なのに……」 姉は、真央の手にある箱に手をかけて取り上げようとするが、真央は取り上げられまいと必死に抵抗して頑張る。 「もおおっ、こういうやっかいなところ、絶対靖章さんから受け継いだんだからぁ」 靖章の名が姉の口から飛び出て、由香の心臓がトクンと跳ねた。 「ちょっと由香、黙って見てないで……真央のおもちゃとか、持ってないの?」 おもちゃはないが……そうだ。 由香は先ほど吉倉がくれた包みを思い出し、ポケットから取り出した。 そのまま上げようとして、ためらう。 せっかく吉倉からもらったのに、真央に全部あげないで、手元に残したいかも……。 由香は急いでリボンを解き、中身をひとつ取り出して、母と格闘している真央の鼻先にぶら下げて揺らした。 もちろんカラフルで小さな包みに、真央は一瞬にして気を取られた。 箱のほうに向けていた意識はお留守になり、すぐさま小さな包みに食いつく。 小さな手に、小さな包みを握りしめ、真央はほくほくとした笑顔を浮かべた。 「それ、キャンディー? 硬いのは喉に詰まらせるかもしれないから、駄目よ」 「ごめん、中身を確認してない。ちょっと待って確認するから。お姉ちゃん、真央が食べないように見てて」 「見ててって、もう食べる気満々よ」 確かに、真央は包みを開け始めている。 「あら、チョコ玉?」 「チョコなら、いい?」 「まあ、これ一粒なら。今夜、あんたんちに泊めてくれるんでしょう? 寝る前に、しっかり歯を磨いてやってね。歯ブラシは、ちゃんと持ってきた?」 「たぶんね。お母さんからお泊りの荷物預かってきたから、あの中に入ってると思う」 「もし入ってなかったら、悪いけど、コンビニででも調達して磨いてやってよね」 「了解」 美味しそうにもぐもぐやってた真央が、どうしたのか、突然顔をしかめ、べーっと舌を出した。 舌の上にはチョコが張り付いている…… 「ま、不味かったのかな?」 「そう……みたいね」 「真央、出すの?」 「お姉ちゃん、はい、ティッシュ」 気を利かせてティッシュを取り、姉に差し出したが、真央はまたもぐもぐやり始めてる。 「あら、食べてるわ」 ティッシュは必要なかったらしい。 「でも、おいしいチョコとは言い難かったみたいね」 「チョコ!」 元気に叫び、真央は由香に手を差し出してきた。 「あら、気に入ったの?」 「いったの」 真央が叫ぶ。 「もうないのよ」 「ないの?」 唇を突き出し、ひどく不服そうに言う。 「お姉ちゃん、それじゃ、そろそろ帰るわ。明日は退院だし、明日からまた一緒だから」 「そうね。午前中には、退院できるらしいから」 「迎えは、お父さん?」 「ふたりできてくれるはず。真央とあんたは、直接マンションに帰ってて。鍵は持ってるのよね?」 「うん。持ってる。それじゃ、明日ね」 「ええ」 「ほら、真央ちゃん、帰りましょう」 真央に手を差し出すと、素直に由香に抱かれてくれた。 「あの……由香」 「うん?」 「ありがとう。それと……あの、ごめん」 姉は顔を赤らめて、言い難そうに謝罪の言葉を口にする。 「お姉……」 「わ、私、どうかしてたわ。ひどいこと言っちゃって……あんたにも……あのひとにも……名前、あの、なんてひとだったっけ?」 「吉倉佳樹さん」 「うん。あのひとにも……ごめんなさいって、伝えてくれる」 嬉しさが胸にじんと広がった。 「うん。ね、お姉ちゃん?」 胸を熱くして、由香は姉に声をかけた。 「何?」 「私の目には、未来に、しあわせなお姉ちゃんが見えるよ」 「え?」 驚いた顔で、小さく叫んだ姉を目にした由香は、姉から否定のような言葉をもらったりせぬうちに、「おやすみぃ」と声をかけ、急いで病室から出た。 イチゴサンタちゃんのラッピング…… 姉にじっくり楽しんでもらうことはできなかったけど……充分、姉の心を温めてくれたように思えた。 |