笑顔に誘われて…
第23話 しどけない乙女のお誘い



「……めーっるるっ、くっるるるまぁ〜、めーるめーるめーるめーる、めっるるるまぁ〜、さんたーのおっししゃん、やったーくーたー」

プラスチックのスプーンを振り回し、右に左に身体をくねくねさせながら、大声で歌い終わった真央は、最後にテーブルの上をスプーンで小突き、トトンという音で締めくくった。

やりきった感満載の笑顔だ。

ブフーッと、派手に吹き出しそうになり、由香は顔をしかめて息も止めた。

トナカイさんは、手が痛いんじゃないかと思うほど、渾身の拍手を続けている。

「お上手でしたよ。真央さん」

パチパチと盛大に拍手していた吉倉サンタが、感嘆の面持ちで真央を称賛する。

まあ、確かに可愛かった。けど、笑っちゃうような可愛さだ。

由香としては、こんな真央を見て、吉倉が吹き出さないのが不思議だ。

父親の靖章に、吹き出すなんて選択はないのはわかるんだけど……

目に入れても痛くない、我が子の可愛いお歌とダンスなんだものね。

いまだ興奮冷めやらずの様子の靖章を見ていると、ほろりと涙が出そうになる。

吉倉のように、上手だったと言葉で褒めてやりたいに違いないのに、トナカイである以上、無言でいなければならないのだ。

「とーたん。真央、おーた、じょーず?」

トナカイさんの膝に両手を置き、真央は顔を下から見上げるようにして聞く。

薔薇色の頬と瞳は、期待にキラキラしている。

靖章トナカイは、何度も何度も大きく頷いて肯定した。

真央はその仕種に満足したようで、「ふぅっ」と、満ち足りた息を吐き、トナカイさんの膝に頭をすりつけた。

「真央ちゃん、眠たくなったの?」

「真央……あふっ……めるめるめる……リンリンリンリン……」

クリスマスソングが眠たい頭の中で流れているらしく、寝言半分で歌っている。

「真央ちゃん、寝る前に、歯磨きごしごししないと」

姉に頼まれたのだ。
つぶれたケーキを味わったばかり……このまま寝かせられない。

由香は立ち上がり、真央の歯ブラシを取に行った。

「早くしないと、真央さんはいまにも寝てしまそうだよ、由香」

「はい、はーい」

慌てて返事をし、歯ブラシと水を入れたコップを手に戻ったが、真央はほとんど寝てしまっている。

「寝てしまってるな。……甘いものを食べたばかりだし、このまま寝かせるのは駄目だよね? 由香」

「え、ええ。可哀想だけど……ここは無理やり起こしてでも、磨いた方がいいと……」

由香は、吉倉サンタと頭を寄せ合うようにして、トナカイさんの膝に寄りかかって寝てしまっている真央の顔を覗き込んだ。

「俺が起こしましょう」

潜めた声で靖章が言い、すぐに真央を抱き起こした。

「うーっ」

真央は、小さな怪獣のように、不機嫌な顔で唸る。

「歯ブラシ、ごしごしよ、真央ちゃん。バイ菌さん、バイバイしないとね」

「バイキンさん」

どうしたというのか、急に真央が叫び、その目がばっちり開いた。

「ちゃぷん、ちゃぷんよ。ユカバン、ぴぴーは?」

「由香、ちゃぷんとはなんですか? ぴぴーとはなんなのかな?」

どうやら、バイキンという単語が、真央の眠気を吹っ飛ばしたらしい。

良かったと言えば、良かったのだが……

「ちゃぷんは、お風呂のことなんです……ぴぴーは、あひるのおもちゃで」

「お風呂? ああ、そうか、真央さんは、まだお風呂に入っていないな」

「寝ちゃったなら、お風呂は、今夜一晩くらいいいかと思ったんですけど……」

「ぴぴー、真央、ぴぴーととーたんと一緒に、ちゃぷん入るぅ」

言い出したらきかないし、なにより、入らないよりは入った方がいいのだが……

しかし、ぴびーととーたんも一緒に?

そのとき、トナカイさんがトントンと自分の胸を叩いた。

由香は、それに気づき、トナカイに向いた。

こくこくと必死な様子で頷く。

自分が入れたいという意思表示のようだ。

男性がふたりもいて、自分が真央とお風呂に入るわけにもゆかないし、ここは靖章に入れてもらうのが最善かも。

「トナカイさん、下着のサイズはLでいいのかな? 入っている間に、コンビニで買ってきましょう。ほかにも必要なものがあれば言ってください」

吉倉がすかさず申し出てくれ、真央の望みどおり、トナカイさんが真央をお風呂に入れてくれることになった。

もちろん、真央は大喜びだ。即座に服を脱ごうと頑張る。

眠気など、吹っ飛んだらしい。





真央とトナカイさんがお風呂に入り、吉倉がコンビニへと出かけてゆき、由香はテーブルの上を片付けた。

まだ残っているつぶれたケーキを見つめ、由香はくすくす笑った。

開けた時の、真央のがっかりした声とため息ときたら……

思い出すたびに、笑いが込み上げてくる。

それでも、ケーキは美味しかった。ケーキの前の食事も。

大勢でテーブルを囲って食べるのって、やはり楽しさが違う。

そのとき、玄関チャイムが響き、由香は玄関に急いだ。

「おかえりなさい」

「ただいま。由香。さすがに夜のこの時間、外は寒いな」

走って来たらしく、吉倉は息を切らせている。

「佳樹さん、ご苦労様。さあ、温まってください」

吉倉は家に上がり、コートを脱ぐ。
由香は、自然に彼のコートを受け取っていた。

「ほんと、コートも冷え切っちゃってますね」

由香は、無意識に冷たいコートを頬に当てながら、感想を口にした。

「あ……ああ」

口ごもったような返事を耳にし、由香は吉倉に目を向けた。目が合った途端、吉倉はすっと視線を逸してしまった。

どうしたんだろう?
わたし、いま何か、彼の気に障ることをしただろうか?

そう考えた時、ハッと気づいた。

コートを頬に当てたから?

「真央さんとトナカイさんは、まだ入浴中なのかな?」

「は、はい。あの……ごめんなさい」

「うん? 由香、何かあったのか?」

吉倉が気遣わしげに聞いてくる。

「いえ……吉倉さんのコート」

「コート? あ、ああ、当たり前みたいに、貴方に渡してしまって……」

コートをまた受け取ろうというのか、申し訳なさそうに手を差し出してくる吉倉に、由香は戸惑った。

そんな意味で言ったのではないのに……

「違うんです。そうじゃなくて……頬をくっつけちゃって……吉倉さん、嫌だったんじゃないかって」

「佳樹」

吉倉は厳しく訂正するように言い、ふっと笑みを浮かべた。

「良かった。厚かましい奴と思われたかと……」

吉倉が微笑みながら、由香の腕へと手を伸ばしてきて、彼女はどきりとした。

手が軽く触れた時、「わーーーい」という甲高い声が聞こえ、由香はびっくりして振り返った。

真っ裸の真央が、お風呂から飛び出してきたのだ。

「あらあら、真央ちゃん」

「うわっ」

苦笑しつつ言った由香と対照的に、吉倉は仰天したような叫びを上げる。

吉倉に振り返ると、彼は片手で目を覆っていた。

年若いレディの裸体を見てはならないと思ったのだろう。

「もうお風呂あがったの?」

「ちあーうー。ぴぴー、ぴぴー」

ああ、そうか。
アヒルのおもちゃを持たせ忘れていた。お風呂の途中で思い出したらしい。

「もおっ、お風呂から叫べば、持っていったのに」

「由香、それよりバスタオルは? あまり身体を拭いていないようだし、風邪を引いてしまう」

「ああ、はい」

あひるを先にと思って動いていた由香は、その言葉に慌てて洗面所に飛び込み、バスタオルを手に飛んで戻った。

吉倉ときたら、真っ裸の真央を、自分のコートで包んでいる。

こんなに困惑した吉倉は初めて見た。

由香は、必死で笑いを堪え、真央をバスタオルで包み込んだ。

「ぴぴーはすぐに持ってゆくから、真央ちゃん、お風呂に戻ってなさい」

「あーい」

ご機嫌で答えた真央は、バスタオルをはためかせ、「とーたーん」と呼びかけながら、お風呂場に向かっていく。

その様子を見て、由香は真央の荷物に歩み寄った。

「よちちい〜」

ぴぴーを取り出そうとしていた由香は、その真央の声に振り返った。

よちちいとは、もちろん吉倉のことだ。

吉倉は、「あっ」と叫んで、自分の顔に手を当てた。

サンタの被り物を被っていないということに、いまになって気づいたらしい。
彼女もすっかり忘れていたが……

「ちゃぷん、よちちいも、一緒に、はいう?」

洗面所の入り口に立ち、真央が言う。

「ええっ? い、いえ……私は」

裸体の上にバスタオル一枚という、しどけない姿の乙女のお誘いを、吉倉は必死に首を振って断る。

アヒルのおもちゃを取り出したところだった由香は、もうどうにも我慢できずに、お腹を抱えて笑いこけた。





   

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