笑顔に誘われて… | |
第24話 サンタの光 「すみません。結局……その……すみません」 顔をしかめ、靖章は頭を下げながら謝罪を口にする。 いまの靖章は、トナカイではない。そして靖章の腕の中で、あどけなく眠りこけている真央。 「謝らなくていいですよ」 吉倉の笑い交じりの言葉に、由香も頷く。 「そうですよ。仕方ないですもの」 トナカイの被りものを被ったままお風呂に入った靖章だったが、湿気と熱気で湯あたりしたらしい。 ちょうどそのときに真央が風呂から飛び出ていってしまい、ふらふらになっていた靖章は、つい被り物を外したらしいのだ。そして、ぐったりしているところに真央が戻ってきてしまった。 風呂場に父親がいるのを発見した真央は、びっくり仰天で、父親に飛びついた。 風呂から上がった真央は、もともと眠かったし身体が温まったことで、すぐに寝入ってしまったのだが…… 「でも、すぐに寝てしまったし……きっと夢を見たって感じですみますよ」 「そ、そうですね。そうだ、きっと」 安心しながらも寂しげな瞳に、由香も複雑な気分になる。 「そろそろ、真央さんをベッドに寝かしては? そろそろ話をしませんか」 「ああ、はい」 靖章は心残りな表情で返事をし、真央をベッドに運んでくれた。 すでにぐっすり眠り込んでいた真央は、起きることなく、スース―と心地よさそうに寝息を立てる。 「今日は……本当に楽しかった……」 そう呟いた靖章は、気を取り直したように由香と吉倉に向き直り、正座して頭を下げてきた。 「由香さん、佳樹さん、今日は本当にありがとうございました」 「貴方が楽しかったなら、良かったですよ。ですが、これからが正念場ですよ、靖章さん」 「はい!」 靖章が顔付きを変えて返事をする。 三人はテーブルを囲う様に座り、顔を突き合わせた。 「まず、はっきりさせたいことがひとつ。靖章さん、貴方は本当に、離婚の原因となった浮気をしていないんですね?」 「ええ、もちろん。身に覚えなどない」 靖章がきっぱり言い、由香は安堵を感じられた。 靖章が浮気していないのなら、由香としても、姉と靖章が寄りを戻すのに、心置きなく力を貸せる。 「ふむ。では、靖章さん、まず離婚に至った経緯を話してくださいませんか?」 吉倉と由香に視線を向けた靖章は深く俯き、しばし黙り込んだ。 「はっきり言って……」 靖章は顔を上げずにそう言い、大きなため息をつく。 思い出すだけで、疲れを感じるようだ。 「原因がいまだによくわからないんです。……もともと早紀は……その……疑いを……つまり、その、とても嫉妬がひどくて……」 「うん。どんな風にと聞いて……話せますか?」 吉倉が質問し、靖章は顔をしかめていたが、話す必要があると考えてか、顔を強張らせて語り始めた。 「そうだな……真央と三人して町中を歩いていて、すれ違う女性を、僕が見つめたとか言って苛立ったり……。職場の女の子と仲良くしているんじゃないかって……勝手な妄想して、ヒステリーになったり……」 「早紀さんは、疑心暗鬼に陥りやすいわけですね?」 「ええ、まあ」 ストレートな表現を使い、問いかけてくる吉倉に、靖章は曖昧に答える。 「由香、君はお姉さんについて、どう?」 今度は自分に問いを向けられ、由香は腹を決めた。 素直に伝えるべきだろう。取り繕ったりしている場合じゃない。 「正直、姉はかなり疑心を持つ方だと思います。それに、ひとりで悪い方にばかり考えてしまうところがあるし……」 「とすると……靖章さんが浮気をしていると自分ひとりで勝手に思い込んでしまったという可能性もあるということかな?」 吉倉の仮定に、靖章は強く頷いた。 「俺には、そうとしか思えないんです。浮気をしたと早紀は信じ込んでしまってて、俺がいくら否定しても、信じてくれなくて……」 「では、それは一番大きな可能性として置いておきましょう。他の可能性は、どうかな?」 「他の?」 由香は思わず口にして、吉倉と目を合わせた。 「ええ。靖章さんは、早紀さんがありもしない浮気を信じ込んでしまって、夫婦関係がこじれたと思っているわけだが……もしかしたら、そうじゃないかもしれない。その可能性だってあるでしょう?」 「それは……確かに……けど、でも、あの、佳樹さん、どんな可能性が……?」 他に何も浮かばず、由香は吉倉に聞いてみた。 「第三者が絡んでいると考えるのは?」 「だ、第三者?」 「ええ。例えばの話ですから……ふたりとも、そのつもりで聞いてください」 そう前置きし、吉倉は靖章と由香の頷きをもらってから、例えばの話を始めた。 「靖章さんのことを、とても好きだという女性が存在いていて、その女性が早紀さんに、靖章さんは自分と浮気していると思わせた」 吉倉の仮定は、由香には目からうろこだった。確かに、そういうことだってあるかもしれない。 「そ……んなことは。だいたい、そんな女性なんて、いませんよ」 「貴方に思いを伝えていないということもある」 「いや……ありえないと」 「靖章さん、いいですか。可能性を、ありえないでつぶしては駄目だ」 「そうですよ。わたしもそう思います。靖章さんが知らないだけで、そういう女性がいても、おかしくないです。……そうですよね。そういうひとがいて、姉に根も葉もないことを吹き込んでいたら……」 由香は突然視界が開けたような気がした。 「きっと、そうです!」 勢い込んで叫んだ由香は、吉倉からそっと口を押さえられ、びっくりした。 吉倉は、苦笑いしつつ、ベッドで眠っている真央のほうを指す。 「ご、ごめんなさい。つい興奮しちゃって……」 顔を赤らめて謝罪し、由香は小さくなった。 「由香、まだ可能性のひとつですよ」 苦笑しつつ、吉倉がたしなめてきた。 「えっ、そう……ですか?」 「ええ。可能性はまだありますよ」 「どんな?」 「靖章さんか、早紀さんに恨みを抱いている人間がいて、しあわせそうな貴方がたを不幸にしてやろうとして……」 吉倉が口にしていることを頭の中で想像してしまい、由香は顔が引きつった。 「な、なんか、佳樹さんが言うと、そうなのかもって、思えてきちゃいます」 「可能性は色々あるということです。生きているだけで、知らぬ間に恨みを買うことだってある。逆恨みなんてことも」 なんとも、顔が歪む。 な、なんだか、世間が物凄く怖くなってきたんだけど…… 「由香……そんな顔しないで」 「そう言われてもぉ」 「佳樹さん、可能性が色々あるかもしれないのはわかりました。けど……これから、どうすればいいんですか? 犯人がいるとして、どうやって捜し出せば?」 「一番簡単なのは、早紀さんから聞くことですね」 吉倉の言葉に、由香は思わず靖章と顔を見合わせてしまった。 「そうですよね……確かに」 「ええ。姉が、誰かに何かされていたのであれば、姉に聞くのが一番早いですよね」 「あの、ひとつ疑問が……」 靖章が、由香と吉倉に向けて言う。 「疑問とは?」 「もしそんな犯人がいたとしたら、その犯人のことを、早紀が誰にも言わないとは思えないんですが」 「犯人は、名乗っていないのかもしれない」 「あ、ああ……確かに……そういうこともあるのか」 「でも、男か女かはわかりますよね」 「ですね。早紀さんが話してくれれば、犯人を割り出すのは早いかもしれません」 吉倉の言うとおりかもしれないが…… 「だけど……どんな風に話を聞き出せばいいのか……」 うまくやれなかったら、興奮させてしまって……ヒステリーを起こした姉は、敵意を剥き出しにしてきそうだ。 「私も協力させてもらえないかな? 由香」 「えっ? 佳樹……さんが?」 「協力って、あの、どんな?」 靖章が身を乗り出すようにして聞く。 「もちろん、話を聞き出すための協力ですよ」 「貴方が一緒で、早紀が話すかな……?」 「由香だけのほうがいいと? 由香、君はどう思う?」 「私は……」 由香は、今日の姉を思い返した。 吉倉への態度を反省していた姉、由香にも謝ってくれたが…… 「よくわからないです。いまの姉は、気分がとても変わりやすくて……」 「ならば、じっくりいったほうがよさそうだ。明日とかいうのではなくて……靖章さんはもどかしいかもしれないが……」 「いや。協力してもらえるだけで、ありがたいですよ。うまくいく可能性が高い方がいいし、可能性がある中で待つのは……」 大丈夫というように靖章が頷き、由香は笑みを浮かべた。 「そうですよね。時間をかけても、姉の気持ちをほぐして……落ち着いてくれれば、色々と切り出しにくいことも、聞けそうかも……」 「そうだね。私も協力させてもらえると嬉しい」 「佳樹さんに協力していただけたら、私も安心できます。嬉しいです」 力の入った由香の言葉に吉倉は微笑み、面を改めて靖章に向いた。 「靖章さん」 「はい」 「どんなに親しいひとであっても、復縁のために動いていることを伝えないほうがいい」 「そうですか?」 「もし、犯人がいるとして、その者の耳にそのことが入ると、なんらかの邪魔をしてくる可能性がある」 靖章は真剣な目で聞き、うんうんと頷く。 「邪魔をするとすれば、きっと早紀さんに対してでしょう。早紀さんの心を掻き乱されては、事態は悪化してしまう」 「佳樹さん、すごいです」 「ええ。本当に……言われたことは確かにそうだと思うのに、俺はまるで考え及ばなかった」 「なんか、光が見えてきたみたい」 「今日はクリスマスだから」 吉倉が楽しそうに言い、由香は思わず大きな笑みを浮かべた。 本当だ。クリスマス。そして吉倉は…… 「サンタさん、光をありがとう」 吉倉の手を取った由香は、大きな手をぎゅっと握りしめて、心からの感謝を伝えた。 |