笑顔に誘われて…
第27話 伝えたい言葉



吉倉が帰ることになり、由香は彼を見送るために、一緒に家から出た。

「あの、今日はありがとうございました」

エレベーターへと歩みながら、由香は吉倉に向けてお礼を言った。

「呼んでいただいてご馳走になったのは私ですよ。お礼は私が言うべきだと思うんだが」

苦笑交じりに吉倉は言う。

「両親や姉が誤解したままで……そのせいで、こんな風に吉倉さんを面倒なことに巻き込んでしまって……お礼を言うのは、やっぱり私です」

「私は、面倒とは思っていませんよ。それに、自分から好んで巻き込まれているんです。貴方に、いろんなことを提案したりして……考えようによっては、貴方が私に巻き込まれていると言えるんじゃないかと思いますが」

姉のこともあって、申し訳ない気分でいたのに、吉倉のいまの言葉で、由香の心は軽くなった。

「吉倉さんは、本当に不思議な人ですね。……吉倉さんみたいな方、初めてです」

目上の人に対するように口にしてしまい、口にし終えてから、由香はなんとなく気まずい気持ちになった。

そ、そうだった。このひとは、わたしよりも三つも年下……わたしは、三つも年上なんだ。

その事実が、言葉にできないほど胸に重い。

この短い期間で、すでに自分は吉倉に惹かれてしまっている。
それも、後戻りできないほどに……

ただでさえ、こんなに素敵なひとの相手になどなれないのに……三つも年上で……

好きになったら、苦しいだけだ。

だから、好きになってはいけない。いけないのに……

「由香……さん」

おずおずとした呼びかけに、俯いていた由香は顔を上げた。

「これを……お姉さんに」

ラッピングされたものを、吉倉が差し出している。

「姉に?」

「退院祝いに、と思って……」

驚いた由香は、思わず拒む様に手を振っていた。

「そんな、気を使わないでください」

「気を使って……持ってきたわけではないんだが……」

吉倉の言葉に、由香はハッとした。

ふたりの間に、数秒気まずい時が流れる。由香は目を瞑り、顔をしかめた。

「ごめんなさい。わたし……」

包みを手にし、所在無げにしている吉倉を見つめた由香は、包みごとその手を握り締めた。

「ありがとうございます。吉倉さん、ありがとう」

お礼を言って受け取ってから、由香は照れ笑いをした。

「吉倉さんがどんなひとなのか、わかっているのに……。喜びます」

「喜んでもらえるかは……お姉さんを傷つけてしまったからな」

由香は吉倉の目を見つめ、首を横に振った。

「あの言葉は、姉に、とても必要な言葉でした。姉がショックを受けたのは、必要な言葉だったからです」

「ありがとう」

今度は吉倉からお礼を言われ、由香は微笑んだ。

「あっ、エレベーターを呼ばなきゃ」

まだエレベーターを呼んでいなかったことに気づき、由香は慌ててボタンを押す。

ふたりきりだと、どうにも彼を異性として意識してしまう。

こんな状況にいつまでも身を置いていたら、恋心が膨らみ、抜き差しならぬ事態に陥りそうだ。

彼を好きになりすぎてしまったら……これから、生きていくのが辛くなる。

由香は、吉倉から意識を逸らそうと、上昇してくるエレベーターに注意を向けた。

エレベーターの扉が開き、由香は吉倉に振り返った。

「外は寒いから、もう、ここでいいですよ」

その言葉に、由香は内心がっかりして肩を落とした。

「そうですか」

吉倉を好きになるまいと思っているくせに、彼と別れることを思うと、寂しくてならない。

エレベーターに乗り込む吉倉の背中を、由香は虚しい気分で見つめた。

「あ、あの……吉倉さん、また」

まるで追いすがるように言ってしまい、そんな自分に顔が赤らむ。

吉倉のほうは、笑みも浮かべず由香を見つめる。

何も言ってくれない吉倉に、ひどく距離を感じた。そして、彼が何も言わぬまま、エレベーターの扉が閉まる。

胸がすーっと冷えた。そのとき、また扉が開いた。

「えっ?」

「意気地がないな。由香、これを」

エレベーターの中から腕を突き出すようにして、吉倉は由香に手にしているものを手渡す。

呆気に取られて受け取ったものを見ている間に、エレベーターの扉が閉まりはじめる。

「よ、吉倉さん、これ?」

「数日遅れたが、メリークリスマス。おやす……」

言葉の途中でエレベーターが閉まった。もう扉が開くことはなく降下していく。

由香は、しばらくぽかんとして閉じた扉を見つめていたが、ゆっくりと手にしているふたつの包みを見つめた。

ひとつは姉への退院祝いで……もうひとつのこれ……わたしに?

数日遅れの、クリスマスプレゼントということなのか?

わたしだってあげてないのに……

エレベーターの前で立ち竦んでいると、携帯に電話がかかってきた。

も、もしや、吉倉から?

無条件に喜びを感じ、急いで携帯を取り出して確認し、肩を落とす。

かけてきた相手は、吉倉ではなかった。姉の早紀だ。

でも、どうして姉が……

がっかりした後で、戸惑いが湧き、由香は混乱しつつ電話に出た。

「は、はい」

「帰るの?」

どこか切羽詰まったように姉が叫ぶ。

「えっ? う、ううん。まだ帰らないけど……」

戸惑いながら返事をすると、電話の向こう側で姉が自分を落ち着かせようとするように息を吐く音が聞こえた。

「泊まってったら? もう仕事は休みなんだし」

その言葉に、泊まっていってほしいと望んでいる含みを、はっきりと感じた。

「ああ……う、うん。そうしてもいいけど」

「そ、そう。それじゃ……」

そそくさと、電話は切れた。

由香は眉をひそめた。

どういうことだろう?

お姉ちゃん、わたしに泊まっていってほしいと思っているんだよね?

吉倉のことだろうか?

そう考えた途端、ちょっと気が滅入った。

吉倉に対して、気を悪くした姉だ。彼に対する文句が言いたいのかもしれない。

由香は、両手に持っているふたつの包みを見つめ、はーっと息を吐き、家へと引き返した。


玄関に入り、靴を脱いで上がったところで、どうしようかと迷う。

このまま姉のところに行くべきか、それともいったん居間に行こうか……

吉倉からの退院祝い……姉は素直に受け取るだろうか?

受け取りそうもない。

由香は姉の部屋を素通りし、居間に入った。

「あら、早いじゃないの」

「エレベーターのところまででいいって、外は寒いから」

由香の言葉に、母が意味ありげににんまり笑う。

「な、なに?」

「いえいえ、あんた、やさしいひとを見っけたなと思って」

からかってくる母に、由香は顔をしかめた。

「あらん、それは?」

由香が入ってきた瞬間、気づいていたに違いないのに、母はわざとらしく言いながら由香のところに歩み寄ってきた。そして、彼女が手にしている包みを、つんつんとつつく。

「こ、これは退院祝いにって、佳樹さんが」

「退院祝い? あらま。お礼、言ってくれた?」

「もちろん」

「でも、これふたつとも……じゃないわよね?」

確認するように言いながら、母は由香の目を見つめ返してくる。

「う、うん。ひとつは……その、わたしに……」

「まあっ。クリスマスにももらったんでしょう。またプレゼントだなんて、あんた愛されてるじゃないの」

「も、もおっ、やめてよ。そういうんじゃないし」

「そういうんじゃなきゃ、どういうのなのよお」

けらけら笑いながら、肩をバシバシ叩いてくる。

どうやら母は、かなり興奮してしまっているようだ。

男性に縁のなかった次女に、突然素敵なお相手が現れたことは、この母にとって大興奮してしまう出来事なんだろう。

そう考えると、ひどく情けなく、さらに申し訳なくなってくる。

ぬか喜びさせちゃってるんだよねぇ。

この先、どうしたら……

「由香」

ふいに姉が声をかけてきて、由香は驚いて振り返った。

「お姉ちゃん」

「早紀。佳樹さんが、あんたに退院祝いですってよ」

「えっ?」

「佳樹さん、きっと渡し損ねちゃった……」

渡し損ねた原因を母は思い出したのだろう、中途半端に言葉を止めてしまう。

もちろん由香も思い出したし、姉も同じだったようだ。おかげで、おかしな空気が流れる。

「あ、あの、そういえば、お父さんと真央は? お風呂?」

「え、ええ」

「あのさ、わたし、今夜ここに泊まろうと思うんだけど、いい?」

「泊まるの? もちろんいいけど……お布団、干してないけど……そうだ、布団乾燥機かければいいわね。すぐにやってあげるわね」

母ときたら、気まずい場から逃げ出そうとしてか、急くように居間から飛び出て行ってしまった。

「あの……これ、なんだけど」

由香は、気後れしながら、まだドアのところにいる姉に向けて包みを差し出した。

早紀は黙ったまま歩み寄ってきて、包みを手に取る。

「こんな、気を使うことないのに……」

吐き捨てるように姉が言い、由香は胸が疼いた。

「わたしも!」

由香は思わず大声で叫んでいた。

「な、何よ?」

怯んだように姉が言う。由香は苦笑いし、首を横に振った。

「同じこと、彼に言っちゃったの。気を使わせてすみませんって。そしたら……」

「なによ、気を使ったわけじゃないって?」

「まあそうだけど……ものすごーく、残念そうな顔されちゃった」

早紀はむっとした顔のままで包みをいじっていたが、急に手のひらで目を覆ってしまった。

泣き出したのがわかって、由香はおろおろした。

「お、お姉ちゃん?」

「疑ったわよっ! 疑うしかないような状況だったんだものっ! 疑って何が悪いのよ!」

興奮した早紀は、激しく地団太を踏みながら、悲鳴のような声を上げる。

「お姉ちゃん」

「愛してたから、すごく愛してたから、許せなかったのよっ! なのに、自分が被害者みたいな顔して……ひどく辛そうな顔して……裏切られて傷ついたのはわたしなのに!」

ドンドンと床を踏み鳴らし、姉は泣き叫ぶ。

由香は、動揺しつつも姉をぎゅっと抱き締めた。

「お姉ちゃん、靖章さんは浮気なんかしてないわよ!」

「なんですって!」

「お姉ちゃんは、絶対に誰かに嵌められたのよ!」

由香は、ヒステリーを起こして叫ぶ姉に負けじと、大声で叫び返した。

「なに言って……」

早紀の瞳が動揺して揺らぐ。

退院してきたばかりなのに、こんな風に興奮させてはいけないと理性では思っても、いま言わなければならないと思えた。

「それが真実なの。嵌められて、不幸にされちゃって、お姉ちゃん、それでいいの?」

「なに言って……」

「信じようよ。愛してるんでしょう? 誰よりも、愛している靖章さんを信じてよっ!」

「な、なに……言って……」

「信じようよ。お姉ちゃん、お義兄さんの愛を信じようよ」

早紀の身体を思い切り抱き締めながら、由香は姉に伝えたい言葉を、必死に何度も繰り返した。





   

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