笑顔に誘われて… | |
第33話 目を白黒 「それじゃ、寿司が届くまで、俺は自分の部屋にいるから」 紅茶を飲み終えたらしい吉倉が、カップを手に立ち上がって言う。 「うん」 綾美が返事をし、吉倉は由香に軽く頷いてキッチンに歩いて行き、カップを洗って部屋から出て行った。 「高知さん」 吉倉を目で追っていた由香は、その呼びかけにハッとして振り返った。 「な、何?」 「パーティのことなんですけど」 「えっと……」 一瞬、ぴんと来なかったが、すぐに思い出した。 由香を誘ってくれたイブのパーティのことだろう。 「あ、ああ、パーティね。……どうだったの?」 「ちょっとだけ嫌なことがあったけど……それと同じくらいいいこともあったんです」 「そうなの」 「仕事関係のひとらしいんですけど、お化粧の濃い女の人がいて、なんか、こう、馴れ馴れしく肩に触れたりとかするんです。そういうの……見てるの辛くて……」 その状況が思い描け、由香の胸まで疼く。 「そうなの」 「でも、彼女とかじゃないみたいなんです。単なる仕事関係のひとだって……お兄ちゃんが」 吉倉さんが? 「お兄様は、綾美ちゃんがその方のことを好きなのを知っているの?」 由香の問いかけに、綾美は苦笑して首を振る。 「そこは話術を駆使して聞き出したんですよ。『あの綺麗なひと、清水さんの彼女なの?』って、さりげな〜く」 どうやら綾美の好きな男性は、清水という名前らしい。 「そう、よかったわね」 由香はほっとしつつ綾美に言った。 「はい」 嬉しそうに返事をする綾美がいじらしくてならない。できれば、綾美の恋が実って欲しい。 恋愛に後ろ向きで、恋愛経験もないのでは、綾美に先輩として助言なんてものできないが…… 「それで、綾美ちゃん いいことのほうは?」 由香の問いかけに、綾美はしあわせそうににっこり微笑む。 「家まで送ってもらったんです」 そういえば、吉倉が、知人に妹のことを頼んできたと言っていたが…… 吉倉の言っていた知人というのが、綾美の好きな清水というひとだったのだろうか? 「もうお兄ちゃんに大感謝ですよ。けど、お兄ちゃんがいつの間にやら消えちゃってたときには、わたしのこと置き去りにしてぇって、すっごい腹が立ったんですけど」 消えて現れた先が、由香のところだったというわけか。 それにしても、吉倉さんときたら、パーティの最中に抜け出すなんて……妹を清水というひとに頼んでまで……まあ、綾美にすれば、嬉しいことだったわけだが。 「お兄様、パーティとか、お好きじゃないのね?」 「お好きじゃないみたいです。仕事関係のパーティだから仕方なくだったみたい。でも、わたしを誘っておいて、自分は消えるなんて……ああ、でもまあ、消えてくれてよかったんですけどね」 プンプン怒ったり、思い直したり、コロコロ表情を変える綾美に笑みを浮べてしまう。 「笑わないでくださいよぉ」 頬を染めて綾美はきまり悪そうに言う。 「だって綾美ちゃん、かわいいんですもの」 にこにこ笑って言うと、綾実は唇を尖らせて由香を睨む。 「高知さん、そんなこと正面切って言われたら恥ずかしいですよぉ。だいたいわたしは、高知さんみたいな知的な女性になりたいんです」 「綾美ちゃん、その知的なっていうのやめてちょうだい。それこそ恥ずかしいわ」 「いいじゃないですか。本当のこと……」 どうしたのか、綾美は急に言葉を止め、にやにやしながらまた口を開いた。 「お兄ちゃんが、わたしたちをパーティに誘ってきたのは、高知さんを見たかったからなんだと思うんですよ。だからお兄ちゃん、消えたんですよ」 「はい?」 綾美の言っている意味がわからず、由香は首を傾げた。 「わたしが高知さんのこと話したら、興味持ったみたいで、会ってみたいから、パーティにお誘いしてみろって」 興味? あ、ああ、そうか…… 「綾美ちゃん、お兄様に、魔法の手とかって言ったのでしょ?」 「あれっ? へーっ、お兄ちゃん、そのこと話題にしたんですね?」 「ええ。もう、恥ずかしかったわ」 「恥ずかしがることないですよ。本当のことなんだし」 「綾美ちゃん」 眉を寄せてたしなめるように呼んだが、綾美はくすくす笑っているばかりだ。 「わたしが捻挫して、高知さんとの約束のこと話したら、自分が代わりに行ってやるって。びっくりしましたよ。ひとりで行っちゃうから」 綾美はマグカップの紅茶を飲み、飲み干したらしくカップをテーブルに置き、また話し始めた。 「当然、わたしも一緒に行くつもりだったんですよ。お兄ちゃんは高知さんのこと知らないんだし。でも、だいたいわかるから大丈夫だって」 それはわかるだろう。すでに会っていたのだから…… 会っただけではない、イブのディナーも一緒に食べ、イルミネーションと花火も観に行き、遊園地にまで付き合ってもらった。 しかも、サンタの被り物を被って。 「仕方がないから、あのでぶうさちゃん、押し付けたんです。そしたら、驚くなかれ、ほんとに持ってゆくんだもん。もうびっくり二乗ですよ」 「いいお兄様ね」 「え……う、うん、まあ、そうなのかなぁ」 曖昧な返事をする綾美に、由香はくすくす笑った。 「お兄様、機嫌を悪くされるわよ」 「だって、ほんと、普段そっけないんですよ。仕事ばっかりだし……」 「お忙しいんでしょう。仕方がないわ」 「パーティを抜け出して、きっと仕事してたんですよ。清水さんも絶対にそうだろうって」 そうそう、清水さんだったわね。彼に送ってもらって、何か進展があったのだろうか? 「清水さんに送っていただいたのよね。それで?」 「それでって……まあ、それだけですよ。でも、ドレスは良く似合ってるよって」 「まあっ、良かったわね」 「はいっ」 嬉しそうに返事をした綾美だったが、急に顔を曇らせる。 「綾美ちゃん? どうしたの?」 「なんか、女の勘なんですけど……清水さん、好きなひとがいるみたい」 「あら……」 「なんかそんな感じだったんです……だから、距離を置かれてるみたいな。……わたしの気持ち……清水さんにバレバレだったのかも」 しょぼんと肩を落とし、萎れている綾美になんと声をかけていいかわからず、由香は唇を噛んだ。 「ねぇ、高知さん」 「はい?」 「高知さん、付き合ったことはないって言ってましたけど……恋はしたことあるでしょう?」 こ、恋? 「どんなひとに恋をしたんですか?」 恋をしたことがある前提で問われ、由香は困った。 男性を避け続けてきたから、色恋沙汰は由香の人生には皆無だ。 「ねぇ、高知さんって、どんなタイプのひとが好きなんですか? わたしはですねぇ。大人の雰囲気で、ペラペラおしゃべりじゃなくて、シャイで、やさしくて、包容力のある人」 綾美の羅列するタイプを聞いていて、由香の脳裏に浮かぶのは綾美の兄の吉倉だった。 「わたしも同じかも」 思わず苦笑しながら言うと、綾美が慌てたように手を振る。 「えーっ、清水さんはあげませんよ」 抗議するように言われ、由香は吹き出した。 「綾美ちゃってば」 「だってぇ……清水さんみたいなタイプが、高知さんは好きなんでしょう? もし会ったら、好きになっちゃうかもしれないじゃないですか。相手が高知さんじゃ、わたし太刀打ちできそうにないんですもん」 「綾美ちゃん、だから、あなたはわたしを買い被り過ぎ。だいたい清水さんって方、わたしより年下だと思うけど?」 「あっ、うーん、そっか。年下は、高知さんの恋愛対象から外れるんですね。よかった」 明るい綾美の言葉に、胸がずくんと痛んだ。 恋愛対象から外れるのではなく、相手の恋愛対象から由香が外れるということだ。吉倉の恋愛対象からも…… 「男性は、自分より年上の女より、年下の子が良いに決まってるわ」 「そうかなぁ。子どもっぽい女より、やっぱり、好まれるのは大人の魅力ですよ」 「一概には言えないと思うけど……」 「少なくとも清水さんは、子どもっぽい女は恋愛対象から外してます」 「綾美ちゃんはこれからだわ。これから大人の女性を目指せばいいのよ」 「簡単に言ってくれますねぇ。これでも、すでに、ずーっと目指して頑張ってるんですよ、高知さんみたいになりたいって」 「悪いこと言わないから、わたしなんかを目標にしないほうが……」 「高知さんは自分を卑下し過ぎです。うちの兄貴だって、高知さんのこと気に入ってますよ」 「えっ?」 「女にそっけない兄貴が、高知さんには、そこそこそっけなくなかったですもん」 それはすでに知り合いだったからだ。 そのとき、由香の携帯に電話がかってきた。 「誰かしら、綾美ちゃん、ちょっと出てみるわね」 「どうぞ、どうぞ」 バッグから携帯を取り出し、相手を確認して眉を寄せる。 工房の主任である弘子からだ。 「主任さんだわ」 「えっ、そうなんですか?」 何事だろうと綾美も首を傾げている。 携帯を開いて耳に当てたところで、インターフォンらしき音が鳴った。 「はい。高知ですけど」 玄関の方を気にしつつ由香は電話に出た。綾美が指で上を指し、それから玄関を指す。 兄が出ますよ、ということだろう。 「ああ、高知さん、いまいい?」 「はい。何かありました?」 「それがねぇ」 どうしたのか、弘子はもったいぶるように言う。 戸惑いながらも、返事を促すように「はい」と言うと、大きく息を吸っている音が聞こえた。 「でぶうさちゃん! なんと特大の注文が入ったのよ!」 大きな声で宣言され、由香は「えっ!」と叫んで目を見開いた。 もちろん、喜ばしい情報だ。 「ほんとにですか?」 「売り物にもするんだけど、ぬいぐるみ売り場の客寄せに飾りたいって。売り場の華になるのよ。あのおでぶちゃんが」 「そうですか」 嬉しさで胸をいっぱいにしながら、由香は答えた。 内容がわからないでいる綾美が、気にして目を合わせてくる。 由香は、笑みを浮かべてこくこくと頷いて見せた。 「年明けすぐに制作に取りかかってもらうから、その心づもりでいてちょうだい」 「はい。規格の特大でいいんですね?」 「ええ」 ならば、休みのうちに型紙を作っておこう。 由香はワクワクしながら、弘子との通話を終えた。 「なんだったんですか?」 問いかけてくる綾美ににっこり笑いかけた由香は、ソファに座らせてあるでぶうさちゃんを取り上げると、綾美と向かい合うように抱え、でぶうさちゃんの両手を掴んだ。 「綾美ちゃん、おいら、特大になるんだよ。ご注文が入ったんだぞ」 でぶうさちゃんの両手を大げさに振り回しながら、由香は綾美にでぶうさになったつもりで報告した。 「ぷっ、あはははは、高知さんったらあ、面白すぎです」 綾美は膝を叩きながら大声で笑う。 「入るぞ」 ドアが開き、吉倉が入ってきた。 綾美は笑い止み、吉倉に向いてから「もう入ってるじゃん」と声をかけ、由香に顔を戻してきた。 「でも、すっごい。ほんとにですか?」 「ずいぶんと楽しそうだな」 吉倉はそう言いながら、三人分のお寿司をテーブルに置く。 「ふふん、いまね、ビッグニュースが飛び込んできたんだよ」 「ふーん、それは聞かせてもらえるのか?」 「どうしよっかなー」 綾美は兄をからかうように、とぼけ顔で言う。 「由香、君から、聞かせてもらえるかい?」 突然振り返ってきた吉倉から、名前を呼び捨てにされ、由香はぎょっとして目を剥いた。 「お、お兄ちゃん、何、高知さんのこと呼び捨てにしてるのよ。失礼だよ」 「失礼かな、由香?」 真顔で聞かれ、由香はどう返事をしてよいやらわからず、目を白黒させた。 |