笑顔に誘われて…
第38話 謎の急展開



「んもおっ、あんたってば」

太腿をバチンと叩かれ、由香は「いたっ」と叫んだ。

「お、お母さん、痛すぎるう」

冗談抜きで痛かった。

「何言ってんの、ひとをあんなに驚かせといてっ! 何事があったかと思ったわよ」

噛みつかれて、由香は笑った。

両親に事の詳細を話したところだ。

酷く泣いてしまったために瞼は赤く腫れているが、彼女の心は飛んで行きそうに軽い。

「充分何事かあったじゃない」

由香は、プンプン怒っている母から顔を逸らし、父に向く。

「ねえ、お父さん?」

「ああ。そうだな」

父は柔和に笑っている。そして怒り顔ながらも、母も嬉しさがその表情に滲み出ている。

もう絶対に、元には戻らないだろうと諦めていた、姉と靖章の仲が、まさか、こんなに突然問題解決してしまうなんて……

まさに驚愕ものだが、もう嬉しくてならない。

こんなことが起こるなんて。これは奇跡だ!

「由香」

苦笑しながら母が呼びかけてきて、由香は顔を上げた。だが、再び込み上げてきた涙で母が見えない。

「うん。嬉しくて……ほんと、奇跡だよね」

「ああ、そうだな。……これも佳樹君のおかげだと思わないか?」

吉倉の名が出て、由香は慌てて瞬きして涙を払った。

父は母に向いて話しかけたようだ。母も父に向き、同意して頷いている。

吉倉さんのおかげ……由香もそう思う。

彼が現れて、同じところをぐるぐる回っているだけだった流れを、いい方向に変化させてくれたのだ。

不思議なひと……

しかも、彼が現れたのはクリスマスイブ。

あれよあれよという感じで聖夜を共に過ごして……それからずっと一緒にいてくれた。

そう考えると、なんだか、天使様が実体を持って、自分の前に現れたんじゃないかって気がしてくる。

現状は天使の力添えでもなければ動きようがなかった気がするし……

しかも、こんなに短期間で……

うーん、本気で彼は天使なんじゃないかと思い込みそうになるけど……

彼は、ちゃんとした人間だもの。もう役目を終えたからって、ふっと消えちゃったり……

……役目を、終えた?

どきりとした。心臓が急速に鼓動を速める。

や、やだ。あのひとは天使なんかじゃないし。

わたしってば、馬鹿なこと考えて……

そう思うのに、動揺は増すばかりで、馬鹿なことだと笑い飛ばせない。

役目を終えてしまったとの考えが、さらに不安を煽る。

彼の助けを借りる理由がなくなっちゃった。

……これでもう、このまま彼とはなんの関係もなくなって……

「由香、佳樹君に早いところ電話したらどうだ」

父の言葉に、由香は我に返った。

「え? あっ、電話ね」

「ああ。うん? どうかしたのか?」

「えっ? なんで? 別になんでも」

笑みを見せながら首を横に振り、由香は立ち上がった。

電話はしたい。このことを報告すれば、あのひとは我がことのように喜んでくれる。

けど……

さらに膨れ上がる動揺を押し殺しながら、由香はポケットに手を入れ、携帯を探した。

あれっ? ない?

ポケットに入れておいたのに……どこにやったんだろう?

「どうしたんだ?」

無意識に部屋の中を見回してキョロキョロしていた由香は、父に聞かれて顔を向けた。両親ふたりして、由香を見つめている。

「あ……携帯が……」

そう口にしたところで、ようやく思い出した。

そ、そうか……お姉ちゃんに……

「け、携帯、貸したんだったわ。わたしってば、ころって忘れちゃって」

苦笑いしながら自分を見つめている両親に言ったが、決まりが悪くてならなかった。

わたしってば、動揺しすぎてる。

吉倉さんとの繋がりが切れるんじゃないかって……不安で、恐くて……

こ、恐い?

由香は思わず息を詰めた。

わたし……

「携帯なんか、誰に貸したのよ?」

母から不思議そうに聞かれ、由香は「お姉ちゃんに……」と答えた。そして、これ以上、両親におかしなところを見せられないと、自分を必死に落ち着かせた。

「お姉ちゃん、携帯が壊れてたのに、そのままだったの。それで、わたしのを」

「あ、ああ……そういうこと。何はともあれ、ほんと……よ、良かったわ」

最後は涙混じりに母は言い、顔を覆ってしまう。

母も、ここにきてようやく、現実として受け止められたらしい。

いまさら、喜び合っている両親を見て、心の底からほっとしたのだが……

由香は自分が嫌になった。

わたし、お姉ちゃんたちが仲直りできたことよりも、吉倉さんとの繋がりが絶たれることのほうを気にしてる。

わたしってば、なんてやつ。

そう思うのに、気になってならない。

だが、吉倉に報告しないわけにはゆかない。

吉倉さん、お姉ちゃんと靖章さんのこと、あんなにも気にかけて協力してくれたんだもの。

それでも、お姉ちゃんに携帯を返してもらわなきゃ、無理だものね。

由香は、自分に言い聞かせるように考えてしまい、顔を赤らめた。

でも……お姉ちゃんが満足するだけ靖章さんと話して、通話を終えるまではそっとしておくべきだし……

由香は、姉の部屋を出てからの時間を確認した。

思ったより時間は過ぎていない。まだ十五分ほどだ。

姉たちは、一時間でも、二時間でも話し続けるんじゃないだろうか?

その場合、通信料はわたし持ちってことになるけど……ここは仲直りのご祝儀ってことで、許してあげよう。

自分の心の底にあるものから目を逸らし、そんなことを取りとめもなく考えていたら、家の固定電話のほうに電話がかかってきた。

「あら、こんな時間に誰かしらね」

そう口にした母は、すでに電話に歩み寄っている。電話のベルが鳴ると、身体が反射的に動くらしい。

「はい、もしもし。高知でございます」

いつものように電話に出た母が、次の瞬間「あらっ」と叫び、こちらに向いた。

「ええ、由香ならいますよ。ああ、あの子の携帯に繋がらなかったのね」

えっ、電話、わたしに? いったい誰からだろう?

「由香、佳樹さんよ」

「はいっ?」

思いもしなかった名を口にされ、由香はきょとんとした。だが一瞬後、心臓がバクバクしはじめた。

どうして彼が家に電話を?

電話番号など知らないはずなのに、なぜかけてこられたのかわけがわからない。

「由香? どうしたのよ。早く」

母に叱られ、由香は慌てて立ち上がった。母のところに行き、困惑したまま受話器を受け取る。

「も、もしもし」

「ああ、由香。早紀さんはどうしています?」

急くように聞かれ、由香は戸惑った。

「はい? あ、姉ですか?」

「ええ。いまそこにいらっしゃるんですか?」

「いえ。姉は自分の部屋に。実は……」

「すぐ様子を見に行ってみてください」

こちらの話には耳を貸そうとせず、さらに急かすように言う吉倉に、由香は面食らった。

「えっ? あの、何がどうしたんですか? さっぱりわけが……」

「靖章さんから電話をもらったんですよ。よくわからないんだが、早紀さんと電話で話していたら、おかしなことになって、電話を切られたとか」

「は、はいっ 」

なにがいったいどうなっているのだ? おかしなことになって電話を切られた?

なぜ吉倉が電話をかけてくるような成り行きになったのかも、謎だらけだが……

そんなことはすべて後回しだ。

「様子を見に行ってみます。電話いったん切りますね。また電話します」

「ああ。由香、頼む」

「は、はい」

「由香、な、なに、どうしたの? 佳樹さん、早紀がなんだって……?」

電話を切りった由香は、母に首を横に振って見せ、そのまま姉の部屋まで走った。

「お姉ちゃん」

大きな声で呼びかけたが返事がない。由香はドアを開けた。

「あの、お姉ちゃん?」

「こないでっ!」

突然姉が怒鳴った。

えっ?

「お、お姉ちゃ……」

「う……あ、うわわわ〜〜ん」

早紀の怒鳴り声に目が覚めたらしく、真央が恐怖に駆られたように泣き出した。

「出てって。お願いっ」

火がついたように泣いている真央を抱き起して腕に抱き締め、姉は請うように叫ぶ。

「い、いったいどうしたの? 靖章さんと話し……」

「言わないで」

「お姉ちゃん?」

「早紀、いったいどうしたっていうの?」

由香の後ろから母が部屋に飛び込んできた。父も一緒だ。

「早紀?」

「みんな、ひとりにしといてよっ。お願だから!」

真央の泣き声が響く中、悲鳴のように早紀が叫び、三人はその場に立ち竦んだ。





   

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