笑顔に誘われて… | |
第44話 急展開 「ど、どうして? い、いつ気づいたんですか?」 動揺のあまり、声がうわずる。 「……もちろん、初めから」 は、初めって…… 「あの……お店に来た時?」 そう口にしたものの、それはありそうにないと考え直す。 哀しいけど、いくらなんでも、高校生のわたしと、三十になったわたしが、見てすぐに結びつくとは思えない。 「綾美が、あの工房に就職したのは、まったくの偶然というわけではないんですよ」 「それって……」 「もちろん、工房に就職してはどうかと勧めたわけじゃないですよ。あそこを希望したのは、綾美の意思です」 「なんか……まっ、まったくわからないんですけど……」 「でしょうね。貴女には寝耳に水の話だ」 吉倉は、まるで自分自身を蔑むように口にした。そんな吉倉を見て、由香はますます困惑が増した。 「確かに、寝耳に水の話ですけど……でも、どうして高校生のわたしを知って……いえ、それよりも、いまのわたしと、あの頃のわたしは結びつかないと思うんですけど?」 くっくっと吉倉が笑う。堪えようにも堪えられないという感じだ。 「わ、笑わないでください」 「私が星陵中の二年になった頃、貴女は私の周囲にいる男子学生たちの憧れの君だった」 「は? や、やめてください!」 恥ずかしさで、どっと汗が出た。 「だが、事実です」 「そんなことありませんし! も、もうやめましょう、こんな話題」 「やめてしまっては、私の話が続かない」 「吉倉さんは、いったい何が言いたいんですか? 要点をまとめて、話したいことだけを話してください」 「案外、無茶を言いますね」 「わたし、もう三十なんですよ。そんな大昔のことを持ち出されたら、恥ずかし過ぎて死にたくなります」 「わかりました。……では、要点だけ」 「ど、どうぞ……」 「私も貴女を好きになった」 早口に言われた言葉に、由香は目をむいた。思わず息が止まる。 そんな由香にお構いなく、吉倉はどんどん話を続ける。 「中坊の分際で、憧れの君として名高い高校生の貴女を……」 運転している吉倉は、そう言ってひどく苦々しい笑みを浮かべた。 その表情に痛みが混じっているのを見て取り、話をやめてくれるよう繰り返そうとしていた由香は、何も言えなくなって、そのまま口を閉じた。 「貴女を好きな気持ちを、何度も切り捨てようとした。……けど、どうしても出来なかった」 口を閉ざした吉倉が、ふっと笑い、「そしていまに至る。ですよ」と口にして、由香にちらりと視線を向ける。 信じがたい言葉の羅列に、困惑しすぎて物が言えない。 「言いたくないが……ストーカーまがいのこともしてきた。何年も貴女を追い続けて……。ようやく仕事でそれなりの成功を収めて、いましかないと決意したものの、何かきっかけが必要だと考えたんです。それで……」 吉倉は、そこで一息つくように口を閉ざした。 困惑していた由香は、パチパチと瞬きし、彼が口にした言葉を頭の中で整理しようと試みた。 ……この吉倉さんが、わ、わたしのことをずっと好きだったって……? ほ、ほんとうに? これって、夢? 幻? もしや、まだ夜が明けてなくて……わたし、両親のマンションの一室で寝てるんじゃ? まさか、信じられない成り行きでトントン拍子に進んだ姉夫婦の和解も……夢? 遊園地も、サンタの被り物も……全て、夢? 「それで、綾美に貴女を……」 まだ聞こえてくる吉倉の声が現実のものなのか疑いを持ちながら、由香は右手で自分の頬を思い切り抓った。 「クリスマスパーティーに誘えと、そそのかした」 い、痛っ! かった……気がするけど、ものすごく……これってぇ〜? えっ! パーティーが何? 「貴女が招待に応じてくれたと綾美から聞いて、マジで身が震えた。これで、本当の意味で貴女と出会えると。……駄目だな……運転できない」 ブツブツと呟くように言う吉倉を、由香はぼおっと見つめていた。すると、彼が急に振り返ってきた。 ふたりの目が合い、由香は一瞬にして顔が燃えた。 真っ赤どころじゃないくらい、いまや彼女の顔は発熱している。 みっともない顔を見られたくなくて、両手で頬を覆った由香は、吉倉の視線を避けて顔を背けた。 「なのに貴女は、急な仕事が入ってパーティーに来られなくなった。だからパーティーを途中で抜け出して、あの店に行ったんですよ。だが、そこに貴女はいなくて……。自分にどれだけの覚悟があるのか、神に試されてるんじゃないかと思いましたよ」 「え、えーっと」 話についてゆけず、今度は両手で頭を抱える。 抓った頬は涙が出そうなほど痛かったし、いまもジンジン疼いている。 これは現実のことだと、思い込んでもいいのだろうか? 「結婚を視野に入れて、試しに私と付き合ってみてくれませんか?」 「えっ?」 「どこまでも紳士的に振る舞うと約束します。けして無理強いするようなことはしませんから。もちろん許しがない限り、貴女に指一本触れたりしません」 ついに話し終えたのか、吉倉が口を閉ざした。 彼の思いつめたような目を見て、胸がきゅんきゅんする。 な、なんか……事態は有り得ないことになってるけど…… こ、これってつまり、信じがたいけど、わたしは吉倉さんに気に入られてて……付き合ってほしいと言ってもらえた。と、解釈していいのよね? 「引いた……のかな?」 「は、はい? 引いた……?」 「失敗したとすれば、ストーカー発言か……あれは余計だったな……」 吉倉は肩を落とし、ぶつぶつ呟く。 「えっと……あの?」 ぶつぶつ言っていた吉倉が、ゆっくりと顔を向けてきた。 彼は無表情で、由香をまっすぐに見つめる。なんだか、顔色が良くない。 「あの……顔色が……」 口にしつつ、由香は手を伸ばして吉倉の頬に触れた。その瞬間、吉倉がビクリと身を揺らし、由香もビクッと手を引いた。 「ご、ごめんなさい」 「それは、私の申し込みに対する答えですか? それとも……」 「い、いえ、頬に触れてしまったから……」 「嫌じゃないですよ。むしろ逆です」 むしろ逆? それって、触れてもらいたいと言っている? 「触りたかったら、いくらでも……。ああ、ダメだな。頭がうまく機能していない」 「わ、わたしも、うまく機能していないんですけど……」 「驚かせましたよね。貴女にとっては、突拍子もない話でしょうから」 「……突拍子すぎて……あの、吉倉さん」 「はい」 「三十なんですよ。わたし」 言い聞かせるように由香は言った。 吉倉は、きょとんとしたように「ええ」と言う。 彼の反応がもどかしく、由香は地団太を踏みそうになった。 「ええ、じゃなくて! 三つも年上なんですよ。あなたはまだ二十七才で、いくらでも若い子を選べる立場なのに……。あなたは、すっごいモテるはずです。な、なんか……いまの話、絶対おかしいですよぉ」 急に涙が湧き上がってきた。 信じられないのと、困惑した頭のせいで、心が不安定になってしまったのだ。 「ゆ、由香!」 頬に伝い落ちる涙を見て、吉倉がおろおろし始めた。 手を差し出してくるのに、触れることはせず、困ったように眉を寄せている。 どうしてかひどくムカついてきて、由香は吉倉の手を掴んだ。 「えっ?」 「もおっ。わけわかんないです。けど……」 由香は吉倉の手を、自分の口にくっつけた。吉倉のぬくもりに、無条件に慰められる。 「一緒にいたいです。吉倉さんと。これからもずっと一緒にいられたら、すごく嬉しいです」 由香は胸にある思いをわかってもらおうと、必死に口にした。 まだ出会って五日……なのに、こんなにも好きになってしまっている。 このひとは、わたしにどんな魔法をかけたんだろう? ふと吉倉を見ると、目を見開いたまま固まってしまっている。 彼の瞳を見つめ返したら、ぎゅっと目を閉じてしまった。そして、由香が掴んだままでいる手を握り返してきたと思ったら、勢いよく自分のほうに引く。 びっくりしたが、あまりに力いっぱい握りしめられて、手が痛い。 「あ、あの……」 「どうしよう……」 「えっ?」 「信じられない。が……」 吉倉は由香の手に唇を押し当てた。 「あたたかい……これは現実のぬくもりですよね?」 唇を触れたまま、吉倉が話すせいで、肌に声の振動が伝わり、なんとももどかしいような甘い疼きを生む。 「よ、吉倉さん」 「いまさら撤回しませんよね? 俺をこんなにも喜ばせておいて、奈落に突き落とすなんて許しませんよ」 凄みを帯びた目で、脅すように言われた由香は、焦って首を横に振った。 「そ、そんなこと……」 なんだか眩暈がした。 この急展開……できれば一週間ほど、整理する時間を与えてもらえないだろうか? どうしても、信じられないんですけどっ! |