笑顔に誘われて…
第53話 振袖お披露目



あー、やっぱり、ダメ。

こんな姿で、佳樹さんの前には出てゆけない。

部屋にこもり、由香は頭を抱えた。

振袖を着たものの、鏡に映った自分はどうしようもなく受け入れがたかった。

真紅の地に、淡い桃色の牡丹が描かれた柄。

もともとこれは姉のために仕立てたものなのだ。

成人式のときだって、似合わないから着たくないと散々抵抗したのに、結局、母親に押し切られて着ることになって……

あのとき撮った記念写真は、一度見たきり開いていない。だって、全然似合っていなかった。

あのときはハタチだが、いまは三十……

由香は頭痛がしそうな額に指を押し当て、口元を歪める。

こんな姿で初詣なんて、絶対嫌だ。

そのとき、「由香、佳樹さんいらしたわよ」と母の弾んだ声が聞こえた。

き、来ちゃった。どうしよう?

母ときたらひとりご満悦で、もうもどかしいったらない。

いくら、似合ってないからと言っても、母は似合っていると断言し、脱ぎたいと懇願する由香の言葉を取り合ってくれなかった。

アップにした髪にまで、派手すぎる飾りをつけてしまうし……

ううーっ、どうしょう?

いい加減ここから出ていかねばならないが、出てゆきたくない。

佳樹さんとの初詣、楽しみにしていたのに、どうしてこんなことになっちゃうの?

涙目になって進退窮まっていたら、「ゆーか」と姉が呼びかけてきた。

「佳樹さんは居間に通したわよ。ちょっと開けて」

どうすればいいのかもうわからなくなっていた由香は、ドアを開けて姉を入れた。

情ない顔をしている由香を見て、姉はくすっと笑う。

「ほ、ほら、やっぱり似合ってなくておかしいんでしょ?」

「まあね。いまのあんたには、似合ってないわね」

くすくす笑いながら断言され、それが事実だとわかっていても、ショックだった。

顔を強張らせて俯く。

「ねぇ、由香」

暗い顔をしていると、笑いを収めた姉が、真顔で話しかけてきた。

「な、なあに?」

「ヒステリー起こして、喚いていた私って、見た目どうだった?」

「えっ?」

由香は戸惑った。なぜ、そんな話を今?

「そして、いまの私はどうかしら?」

「え、えっと……い、いまのお姉ちゃん?」

「見た目、違うでしょう?」

悪戯っぽく聞かれる。

まあ、それは確かに……

「う、うん」

由香は、ためらいながらも肯定して頷いた。

「さて、それは、どうしてでしょう?」

クイズのように言われ、どう返事をしていいやら戸惑う。

「どうしてって……あの、お姉ちゃん、どうしたの?」

「だからね、見た目って、そのひとの気持ち次第で変わるんだってことが言いたいの。その振袖を、自分には似合っていないと思い込んでいるあんたの表情は、ほんとイケてないわけ。だからこの振袖もしっくりしない」

由香は姉の顔をじっと見つめ、姉の言葉を考える。

気持ち次第で、変わる……自分自身が否定的だからか……

否定的な顔をして、この派手な振袖を着ていたら、似合いはしないだろう。そして、いまの私が、そうなんだ。

「ねぇ、自信を持って、にっこり笑ってみなさいよ。その真紅の振袖に負けないくらい、明るい顔してご覧なさい」

「そんなの……」

暗い顔で言ったら、早紀が否定するように大きく手を振る。

「あー、暗い。辛気臭いわねぇ」

顔をしかめて言われ、由香はむっとした。

「あらあら、ますます遠退いたわ。……ねぇ由香、私の言いたいこと、伝わんなかった?」

「……気持ちで見た目が変わるって話なら……そうかもとは思うわ。けど……」

「あら、ちゃんとわかってるんじゃない。なら、どうすればいいのかも、わかってるのよね?」

「自信持って、にっこり笑えば、この振袖が似合うって言いたいの?」

「ええ。その通り」

自信満々に微笑む姉に、由香は顔をしかめた。

「そんな、簡単に断言されても……」

「ほらほら、顔をしかめないの。とにかく佳樹さんに見てもらったら? その反応次第で、着替えればいいじゃない。佳樹さんの反応が悪かったら、私ももう止めないから」

説得されたわけではなかったが、由香はため息をつき、頷いた。

出てゆくより仕方がないと、すでに諦めてはいるのだ。

姉の言いたいこともわかる。けれど、この振袖が私に似合わないのは、表情云々の話ではないと思う。

似合わないものは似合わないのだ。

これで、佳樹さんに幻滅されたらと……最悪のことを考えざるを得ないから、ここまで渋ってしまっている。

吉倉に見合う女でありたいと望んでしまう。見合わないとわかっていても……

……考えたら、佳樹さんに幻滅されて、さっさと振られた方がいいのかも。

少しでも傷の浅いうちに……

姉より先にドアを開けて部屋から出た由香は、知らず、またため息をついてしまう。

後ろで姉の呆れたようにため息が聞こえ、むっつりしてしまう。

みんな、気楽に考え過ぎだ。佳樹さんは私にぞっこんで、何があろうと、振られたりするはずがないと家族は思い込んでいる気がする。

居間の前までやってきたが、ドアを見つめ、妙な汗が噴き出す。

肩だってガチガチだ。

なんとか肩から力を抜きたいが、そうできそうもない。

ドアノブに手をかけた由香は、音を立てないようにゆっくりと開いた。

居間の中に視線を向けると、その瞬間、由香は吉倉と目を合わせていた。

狼狽し、思わずドアを閉めそうになる。

「由香さん」

ソファに座っていた吉倉が、さっと立ち上がって呼びかけてきた。

ドアを中途半端に開けたまま、由香はドアノブから手を離した。

どうしても中に入れずにいたら、後ろから姉に背中を押される。

「お、お姉ちゃん」

「ユカバン!」

ドア口で足を踏ん張っていると、大きな声で真央が叫び、こちらにタタッと駆けてくる。

すると早紀が、すかさず由香の前に出て、真央をすくい上げた。

「真央、あなたさっきお菓子を食べて、お手々が汚れてるでしょう? だから、ユカバンの服に触っちゃダメよ」

「おてて?」

真央はもみじのようなかわいらしい自分の手のひらを広げて聞く。

姉はにっこり笑って頷いたが、由香も、思わずにっこりしてしまう。

真央のおかげで、少し身体の力が抜けた気がする。

「ええ。だから、ユカバンの服に触っちゃ、ダーメ」

「ダーメ?」

そんなやりとりをしながら、早紀は真央を抱いて、みんなのところに戻る。

それと入れ替わるように、吉倉が歩み寄ってきた。

由香は極度に緊張した。

身が強張ってしまい、歩くことすらできそうにない。

「明けましておめでとう、由香」

「あ……お、おめでとうございます」

ぎこちなく頭を下げたが、あまりに無様な挨拶で、顔が真っ赤になる。

「綺麗だ……」

囁くような声に、由香はどきりとして顔を上げ、吉倉を見た。

吉倉は目を潤ませているように見え、由香はどきりとした。

「すまない。私ときたら、みっともないな。こんなことで男が泣きそうになるなんて……」

吉倉は居間にいるみんなに聞こえないよう声を潜めて言い、そして苦笑する。

吉倉の言葉に胸を震わせていた由香は、自分を見つめる彼の表情に胸がきゅんとしてしまい、もうどうしていいかわからなくなる。

「よ、佳樹さん」

「でも……貴女の振袖姿を見られて……感無量だ」

「佳樹さん、大袈裟です」

そう口にしながら、顔が真っ赤になってしまう。

「大袈裟なんかじゃないんだが……。由香」

「はい」

「もう出掛けられるかな?」

「は、はい。……あ、あの……佳樹さん、こんな私をつれて、ほんとに初詣に行っていいんですか?」

「うん?」

よく意味が呑み込めないという表情をされて、由香は笑みを浮かべながら首を横に振っていた。

胸にこびりついていた不安は、いまの吉倉の反応でふっきれた。

吉倉が嫌でないのなら……それどころか、この振袖姿を喜んでいるというのなら、他人がどう思おうと構わない。

「初詣、行きましょう」

由香は宣言するように言い、早紀と目を合わせた。すると姉はにやにやしながら手を振ってくる。

手を振り返した由香は、吉倉が気づかぬ様に、顔をしかめてみせた。





   

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