笑顔に誘われて… | |
第56話 過ぎたる褒め言葉 「さあ、どうぞ。入って」 自宅のドアを開けた吉倉は、由香に入るように促してくる。 一人暮らしの男性の部屋なわけで、どうにもドキドキしてしまう。 ためらいを顔に貼り付けてしまっているに違いない。吉倉も、どのような態度を取ればいいのかわからずにいるようだ。 どちらも意識し過ぎていて、それが、ふたりの間の空気を微妙なものにしている。 遠慮しつつ玄関に入らせてもらった由香は、思わず目を見張った。 ひ、広い! そしてそれ以上に、モデルハウスかと思えるほど、高度に洒落た設計、インテリア…… そ、そうだった。彼は、インテリアプランナーという仕事をしているんだったよね。 「由香、上がってくれるかな?」 草履を脱いで上がることもせず、マンションの内部に驚いていたら、笑いの滲む声で催促された。 ハッと我に返り、「あっ、は、はい」と返事をする。 由香は慌てて草履を脱ぎ、上がらせてもらった。 板張りの床は、艶があって光が反射している。 思わずごくりと唾を呑み込んでしまう。 「す、素敵なお宅ですね」 「そうか? ありがとう。……さあ、そのまま進んで……突き当たりのドアがリビングだから」 「は、はい」 歩きながら、色々なものが由香の目を引く…… 壁に造られた凹みに、精巧な車が飾ってある。かと思うと、別の凹みには、綺麗なビー玉の入ったガラス瓶…… どれもこれもセンスがいい。 な、なんだか……場違いなところにきてしまった気がしてきちゃったんですけど…… リビングに続くドアを吉倉が開けてくれ、由香は気後れしながら中に足を踏み入れた。 「わっ!」 由香は、我知らず感嘆の叫びを上げていた。 南に面した部屋は、大きな窓ガラスで光をいっぱいに取り入れ、とても明るかった。 さらに、彼女がこれまで見たことのない独創的な造りをしている。 「ひ、広いですね」 思わずそう口にしてしまったが、この部屋を見て、そんな言葉しか出てこない自分が情けない。 「驚いた?」 吉倉は楽しそうに尋ねてくる。 「は、はい。とても……な、なんていうのか、何から何まで独創的なデザインです」 「これが仕事だからね。あえて意表を突く内装にした。それでも、住み心地は悪くないんだ」 「……ええ、そう思えます。リラックス……できそう」 第一のステップとして、この部屋に慣れればだけど…… 「独身の男性用だな。子どものいる夫婦が暮らすのには、このままでは適さないが……簡単なリフォームで……」 滑らかに説明していた吉倉が、急に口を閉ざした。そして由香を見て、照れたように頭を掻く。 「すまない。つい……」 由香は笑って首を横に振った。 「続けて下さい。説明、聞きたいです」 興味を持って促すと、吉倉はほっとした表情になったが、笑って首を振る。 「いや……そんな話をするために君をここに連れてきたわけじゃない。さあ、好きなところ座って。……何か飲み物を用意しよう。コーヒーでいいかな?」 「飲み物とか、いまはいいですよ」 「いや。私が飲みたいんだ。……実のところ、動揺気味でね。少し落ち着きたいから……それで、コーヒーでいいかい?」 「は、はい」 吉倉は、由香の返事を聞くと、キッチンのほうに行ってしまった。 動揺気味って……彼は、なんに対して動揺を? 話たいことがあるから、わたしをここに連れて来たわけで……当然、そのことなのよね? 由香はリビングを見回し、壁際に置かれたシックなこげ茶のソファに歩み寄った。 洋間なのに、窓は障子になっていて、和と洋がうまく調和している。 不思議と、障子が洋風に見えてしまう。 これだけでも、吉倉のセンスの良さが窺える。 そして、木の風合いを損なわずに仕上げられたローテーブル。 テーブルの表面は黒いガラスになっている。 木目の床に敷かれたモダンなカーペットに視線を向けた由香は、ふいに自分のアパートの部屋を思い浮かべてしまい、恥ずかしくなってきた。 ここと自分の住まいは、天と地ほど違う。 吉倉さん自身、見た目もいいし、センスもいい……そしてこんなにも素敵な家に住んでいて…… なのに、なんでわたしなんかを……? 「由香」 「は、はいっ」 考え込んでいるところに声をかけられて、由香は慌てて振り返った。 「ごめん。急に呼びかけて……驚かせたか」 すまなそうに言われ、由香は手をブンブン振る。 「い、いえ。いいんです」 気づけば、コーヒーの香ばしい匂いがする。 「ソファに座るかい? それとも、床に直接座るかい?」 由香は眉を上げて吉倉を見つめ返した。 床に座るかと勧めてくるひとは珍しい。 つまり…… 「床がお勧めなんですか?」 問い返すと、吉倉はほんのり頬を染めてはにかむ表情をする。 胸がきゅんとしてしまう。 「君には、私の考えが、お見通しなんだな」 「そ、そんなことありませんよ」 「いや、実はそうなんだ。私はこの床に直接座るのが好きなんだ。足を投げ出して……こんな風に……」 吉倉はカップを載せているトレーをテーブルに置き、直接床に座った。そして、両足を前に投げ出す。 振袖を着ているため、ためらったが、由香もそれを真似た。 自分の格好を見て、笑いが込み上げる。 「正座するのが本当ですよ。着物を着ているのに、足を投げ出して座ったなんて、母に知られたら、大目玉もらっちゃうわ」 「だが、私はそれがいい……」 「えっ?」 吉倉ときたら、足を投げ出して座っている振り袖姿の由香をじっくり眺め回す。 「そんなふうに見ないでください。恥ずかしいですよ」 由香は文句を言い、顔をしかめて俯いた。 「日本人形みたいだ。貴女は……本当に美しい」 過ぎたる褒め言葉に、返事ができず、由香は固まった。 |