笑顔に誘われて…
第6話 不可抗力なトウヘンボク



「あの、綾美ちゃんに何かあったんですか?」

由香は、綾美の兄に尋ねた。
だって、こんな風に由香のところに兄が現れた理由など他にない。

「ここでは…」

吉倉は周囲を見回しつつ口にし、由香に視線を戻してきた。

「貴方も車ですか?」

「はい。そこのシルバーグレーの…」

「別々の車で向かう方が面倒がないな。すみませんが、携帯番号を教えていただけませんか?」

「えっ、携帯?」

由香は戸惑いとともに聞き返した。

こ、このひと…わけがわからない。

かしこまった口調だし、とっつきにくい感じは相変わらず。
なのに、唐突に携帯の番号を聞いてくるなんて…

由香の思いを表情で読んだのか、吉倉は肩を竦めて口を開いた。

「この時間、道は混んでいますからね。互いに車を見失うかもしれない」

その説明を聞いて、由香は納得した。確かに彼の言うとおりだろう。

そうだ。目的地が決まっていればいいのだ。
そしたら離れ離れになっても大丈夫だ。

「あの、どこに行くんですか?」

「話が出来るところ…そうだ。夕食はお済みですか? まだということでしたら、一緒に食べませんか?」

思わぬ誘いに驚き、由香は目をパチパチさせた。

「夕食?」

「どなたかと、お約束でも?」

「い、いえ…まだ」

「まだ?」

瞳を覗き込むようにして問いかけられ、由香はドギマギして顔を赤らめた。

この至近距離で男性と会話したことってあんまりなかったりする。
しかも、こんな風に見つめられて…

このひと、妙に眼力があるっていうか…

困惑しておたおたしてたら、彼の言うままどんなことにも知らぬ間に従ってしまいそうだ。

「高知さん?」

「あ、あの。両親と姪っ子がレストランでハンバーグ食べるって言ってたんで…」

吉倉は、由香の言葉を聞いて、くいっと眉を上げた。

その反応に戸惑い、由香はもごもごと言葉を続けた。

「その…イブだし、ひとりで食べるのもつまらないから、私も三人に合流しようかと思ってて…」

「それは、合流すると、まだ決まってはいないと取っていいのかな?」

「まあ、そういうことです…けど…」

「それなら、私につきあってもらってもいいかな? 付き合っていただく代わりといってはなんだが、ご馳走させていただきますよ」

「そんな、いいです。自分の分は払います」

「ともかく、行きましょうか?」

「あの、どこに?」

すっと背を向けた吉倉を、由香は慌てて呼び止めた。

「貴方の好みそうな…いや、綾美がとても気に入っているレストランがあるんです。そこなら貴方も気にいるんじゃないかな」

「どこにあるんですか、そのレストラン? ここから遠いんですか?」

「そんなには…だが口では説明しづらいな。…高知さん」

「は、はい」

「やはり、私の車で一緒に行きましょうか? その方が安全そうですし、早くつけそうだ」

確かに、場所を知らない由香が彼の車についていったら、見失う確率は高そうだ。それにすでに薄暗くなってきているし…

「そうですね。そのほうがいいのかも…」

同意した由香は、吉倉に促されるまま彼の車に乗り込んでいた。

彼女がシートベルトをつけたのを確認後、吉倉はすぐに車を発進させた。

車は駐車場から出て、すぐに疾走しはじめた。

吉倉は、無言で運転を続ける。

会ったばかりのひとの助手席に座っているというのに、この沈黙はなんとも落ち着かない。が、沈黙を破って声を掛ける勇気もなかなか出ない。

このひとの車に乗り込んでよかったんだろうか?

沈黙が不安を倍増させ、由香は黙っていられなくなってついに口を開いた。

「あ、あのぉ?」

遠慮いっぱいにおずおずと声をかけると、「はい」という律儀な返事があった。

「綾美ちゃんのほうって、緊急というわけじゃないんですか?」

「そういうことでは…」

そう言ったあと、しばらく何も言ってくれない。

運転中は、運転に集中して語らないたぐいのひとなのだろうか?

そう考えていると、ようやく返事の続きが再開された。

「貴方は妹と親しいと綾美から聞いていたので…つまり、色々と話が聞けるのではないかと…」

「綾美ちゃんの?」

「ええ」

兄がわざわざやってきて、妹について聞きたい話とは?

「綾美ちゃんの何が…」

「悩みがあるように…」

悩み?

由香の頭に浮かんだのは、もちろん綾美の片思いのことだった。

恋わずらいで食欲がまるでなかったり、ため息ばかりついていたりするのだろうか?

けど、由香としては、綾美に片思いをしている相手がいることを、聞かれたからと言って、兄に話すわけにはゆかない。

「あの、聞いてみたんですか? 綾美さんに、悩みがあるのかって?」

「まあ…。答えてはもらえませんでしたが」

そりゃあそうか…
由香に兄はいないが、もしいたとしても、恋愛相談など、兄相手には出来そうもない。

由香なんて、相手が姉であっても恋愛に関しては相談出来ないのに…

なにせ、綾美の兄は、このひとなわけだし…

こんなにとっつきにくそうなひとに、恋の悩みなど持ちかけられそうもない。

どうしたんだい?綾美。なーんて、微笑みを浮かべてやわらかに尋ねそうなタイプじゃないものね、おい、綾美。いったいどうしたんだ?ってな感じで、眉間に皺を寄せて、つっけんどんに聞きそう。

それじゃあ、綾美も話せまい。

うんうん。

ひとり納得して頷いた由香は、思わずぷっと吹き出した。

し、しまった!

吹き出してしまったことに焦り、慌てて綾美の兄を窺うと、怪訝そうな目をちらりと向けられた。

「高知さんは、ご両親とお住いなんですか?」

その問いに、由香はほっとしつつも拍子抜けした。

吹き出したことにたいして、何か言われるものとばかり思ったのに…

「いえ。いまはアパートで一人暮らしです。半年前まで一緒に住んでいたんですけど…」

「半年前? 何かきっかけがあって?」

「は、はい。まあ。あの、…吉倉さんはご両親や綾美さんと?」

「半々といったところかな」

「半々?」

「実家とマンションを行ったりきたりしてます」

「そうですか」

男性だし、食事を食べに帰ってるってことだろうか?

「それだったら、一緒に暮らした方がよさそうですけど」

「仕事がスムーズに行くんです。ひとりのほうが」

ひとりで住んでいるほうが、仕事がスムーズに行く?

「高知さんは、魔法の手を持っていらっしゃるんだそうですね?」

「は?」

どんな仕事をしているんですかと聞こうとしていたところなのに、先に質問されたうえ、その問いが、なんと魔法の手うんぬん…

由香は思わず喉を詰まらせた。

「綾美が羨ましがっていましたよ」

「け、経験です。魔法の手とか…主任さんが冗談で…」

「そう感じるほどの腕を持っていらっしゃるということですね」

「いえ…だから…」

「そろそろつきますよ」

そっけなく言われ、由香はまたまた拍子抜けして口を閉じた。

このひと…いつもこんななんだろうか?

会話がストレートじゃなくて、変化球ばっかり…

魔法の手のことも聞いてるみたいだし、綾美とは会話してるようだけど…


レストランの駐車場は車までいっぱいだったが、何とか空いているところを見つけて停められた。

「こんなに多いと、無理かもしれませんね?」

「そうだな。まず私が行ってこよう。高知さん、車内で待っていてください」

「私も一緒に」

「いえ。外はかなり寒い。車の中で待っていた方がいい」

こうきっぱり言われては、頷くしかなかった。

レストランの中へと入った吉倉は、すぐに出てきた。

やはり駄目だったのだろうと思ったのだが…

「大丈夫のようです。ゆきましょう」

「そうなんですか?」

店の中へと入ると、黒服を着た男性が丁寧に対応してくれ、着ているコートを預かってくれた。

ここにきて、由香はいささか萎縮した。

この雰囲気、ちょっとばかし、場違いなような…

チャコールグレーのコートを脱いでしまうと、冴えない私服だ。

対する吉倉は、シックなスーツ姿なわけで…

だが、いまになって後戻りはできない。

店の奥へ案内してくれる店員の後に、吉倉とともに歩いてゆきながら、由香はなんともいえない恥ずかしさを感じてならなかった。

テーブルについて食事をしている人たちは、みんなとってもおしゃれに決めている。

そんなひとたちからチラリと視線を向けられるたびに、由香は身が縮んだ。

「吉倉様、こちらでございます」

ひとつだけ空いているテーブル。窓際のけっこういい席だ。

「ああ。ありがとう」

店員が由香の椅子を引いて彼女を座らせてくれた。

顔を赤らめて、吉倉と面と向かいあった途端、この現実に由香は戸惑いを感じた。

私ってば、なんでこんなところにいるのだ?
初めて会った綾美の兄と、こんな高級そうなレストランに入っちゃって。

服は普段着とまでは言わないが、こんなレストランに釣り合う服ではない。

「高知さん?」

気まずい気持ちでいた由香は、問うように名を呼ばれ渋々顔を上げた。

「どうかしましたか?」

その吉倉の言葉に、由香はカチンときた。

確かに、彼が悪いということではない。

このレストランに連れて来たのも悪気ではないだろう。それでもだ…

「カチンと来てます」

由香は真面目な顔で、そう告げた。
思いもよらない言葉だったのだろう、吉倉はきゅっと眉を寄せた。

「は? どういうことかな?」

「周りを見て」

ムカムカしている気分では彼に対して丁寧な口を聞く気になれず、由香はピシャリと言ってやった。

怪訝そうな顔をしたものの、吉倉は周囲を見回す。

「なんです?」

店内を見回し終えた吉倉は、再度聞いてきた。

「違和感感じません?」

「違和感? 貴方が何を言っているのか?」

「わからない?」

「ええ」

わからないことを認めたくないがといわんばかりの渋い返事だった。
由香は、思わず吹いた。

「もおっ。トウヘンボクって言われません?」

由香はくすくす笑いながら彼に問いかけた。

「君は…」

文句を言いたそうな吉倉の前に、由香はストップといわんばかりに手のひらを差し出した。

吉倉は、しかめっ面をしつつも口を閉じた。

「今日はイブですよね?」

由香は他のテーブルの客の耳に届かないように、吉倉に顔を寄せるようにしつつ、声を潜めて話しかけた。

「ええ、そうですね」

「世間はイブのディナー。男性とレストランにくる女性は…ほら、吉倉さん、どんな服装してます?」

吉倉は、もう一度店内に目を向け、それから由香の服をじっと見つめてきた。

これで、彼が如何にトウヘンボクとはいえ、由香の言いたいことはわかっただろう。

「もちろん、吉倉さんの言いたいことはわかるんです。不可抗力です。吉倉さんは何も悪くない。…けど、それでも私は恥ずかしい」

「わかりました。わかりやすい説明でしたよ」

真顔で頷いた由香は、ぷっと吹き出し、くすくす笑った。

由香の笑い顔を見つめ、吉倉の表情が少し緩んだ。

笑いたくないのに笑ってる。そんな笑み。

吉倉の口元の笑みを見て、由香は微笑んだ。

「文句も言ったし…。吉倉さん、お料理楽しませていただきます」

由香は吉倉に向けて頭を下げながら言った。

「私にご馳走させていただけますね? お詫びに」

吉倉の言葉にいったんは首を横に振ろうとした由香だったが、素直に甘えることにした。

「それでは、ご馳走になります」

由香は、笑みを浮かべて頷いた。

初対面だけど、見た目素敵な男性とのイブのディナー♪

これは神様からの贈り物として受け取るべきかもしれない。





   

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