笑顔に誘われて… | |
第60話 口元に笑み 「ほらほら、真央ちゃん、そこの箱に向かって投げるのよ」 神社の境内。お賽銭箱の前に立ち、母は孫に初詣のやり方を指南している。が、うまくいっていない。 真央は手に握った百円玉を、どうあっても手放そうとしないのだ。 「お母さん、もう諦めた方がいいわ。別の百円玉を、わたしが代わりに投げるから」 早紀が苦笑いしながら母に言うが、母は渋い顔をする。 「だって自分で入れなきゃ……」 「母さん、そんなことを言ってる場合か」 父に叱られ、母は拗ねた顔をしたが、自分たちの後ろにずらりと並んでいる参拝客を見て、諦めざるを得なくなったようだった。 由香は必死に笑いを堪えた。 靖章は黙ったままこのやり取りを見守っていたが、彼もまた、その口元には笑いを滲ませている。 靖章さん、本当にしあわせそうだわ。 そんな彼を見て、どうにも胸がジーンとしてしまう。 家族のどんなやりとりも、いまの由香は胸がジーンとしてしまうのだから、自分でも笑ってしまうが…… それも仕方のないことだよね。 新年に、こんなしあわせを得られるとは思っていなかったもの。 今日は正月の二日。由香は家族とともに、初詣にやって来た。 昨日、吉倉と初詣をしたわけだけど、両親は家族全員揃って初詣に来たいようだったので、喜んで付き合うことにした。 由香だって、このメンバーで一緒にいられることが嬉しくてならない。 しあわせそうな姉夫婦、そして両親。真央の笑顔も無垢そのものだ。 参拝を終えたあとは、みんなして露店を楽しみ始める。 由香は最初だけ付き合い、途中で抜けるつもりだったのだが、あまりに楽しくて時間を忘れた。 ふと気づくと、すでに一時も近くなっていて、由香は慌てた。 吉倉との約束は二時、あと一時間しかないが、今日はどうあってもイチゴちゃんに会いに行きたい。 会ってお礼が言いたかった。 吉倉と一緒に行くという手段もあるが、彼と一緒では、お礼を口にしづらい。 わたしのアパートに来てくれることになっているから、ショッピングセンターに寄って、アパートに戻ればいい。 一時間あればなんとかなりそうだ。 「あの、わたし、そろそろ先に帰るから」 焦って母に声をかける。 「あら、佳樹さんとの約束は二時でしょう? まだ時間あるじゃないの」 「ショッピングセンターに寄りたいの」 「買い物?」 イチゴちゃんに会いに行くのだが、そんな説明をしている時間はない。 「そう」 「あら、ならわたしたちもこれから行かない?」 早紀が靖章に尋ねる。 靖章は即座に同意した。 いまの彼は、姉のどんな提案でも呑みそうだ。と笑いが込み上げる。 そんなわけで、車は別々だが、全員ショッピングセンターに向かうこととなった。 ショッピングセンターの駐車場はとんでもなく混んでいた。 ここに来るまでに、靖章の車も両親の車も見失った。 なかなか空いている駐車場が見つけられず、もうイチゴちゃんに会いに行くのは無理かもと思った矢先、たまたま目の前の駐車場から車が出てゆき無事止められた。 これもイチゴちゃんのおかげのような気がしてしまう自分が可笑しい。 車を下りて、急ぎ宝飾店に向かう。 これでイチゴちゃんがいなかったら、がっかりだけど……いてくれるかしら? 心配しつつ宝飾店に到着。 すると、イチゴちゃんらしき振袖姿の女の子がいた。 宝飾店に近づいて行き、それがイチゴちゃんだと確認できて、喜びが込み上げる。 「イチゴちゃん」 呼びかけに応えて振り返ったイチゴちゃんは、すぐに由香に気づいてくれたようだ。 喜び一杯に笑みを返してくれる。 もおっ。嬉し過ぎるんですけど! 「お客様、いらっしゃいませ」 彼女に会えたというだけで、胸がいっぱいになる。 わたしの幸運の女神様……いえ、女神ちゃんね。 「イチゴちゃん、明けましておめでとう」 心を込めて挨拶したら、可愛らしい声で返事をもらう。 「はい。おめでとうございます」 由香はイチゴちゃんの振袖をもう一度じっくり眺めながら口を開いた。 「お正月はどんなかなって、楽しみにしていたのよ」 イチゴちゃんらしく、イチゴの小花柄だ。 奇抜だったイチゴサンタのコスチュームからしたら、ずいぶんとおとなしい。 そんなふうな判断をしていたら、イチゴちゃんが背中を向けてきた。 「あらっ」 驚きだ! なんと、帯いっぱいに、大きなイチゴが刺繍されている。 由香は声を上げて笑った。 さすがイチゴちゃんだわ。 普通に振袖なんてあるわけがなかった。 しかも、イチゴの帯には、河童がいたのだ。 「でも、どうして河童なの?」 どうしてイチゴと河童の取り合わせなのかわからず尋ねたら、イチゴちゃんは周囲を気にしつつ顔を赤く染める。 「か、河童は……」 そう言って、イチゴちゃんは言いよどむ。 理由とかないってことかしらと考えていたら、イチゴちゃんの側にいるすらりと背の高い男性店員が「イチゴが好きなのですよ」と言う。 そのときになって気づいたが、このひとは由香のネックレスを一緒に選んでくれたひとだ。 それはともかく…… 「えっ? 河童って、イチゴが好物なんですか? きゅうりが好きなのは知ってますけど……」 思わず聞き返したら、男性店員さんはにっこりと微笑んだ。 「ええ。きゅうりも好きなんですが、何よりイチゴが好きなんです。もちろん、イチゴも河童が好きなはずですよ。ねえ、鈴木さん?」 あら、イチゴちゃんは、鈴木さんという苗字なのね。 そんなことを思っていると、イチゴちゃんは笑いながら「はい」と答えた。 ふたりのやりとりに、思わず首を捻ってしまう。 イチゴと河童の関係はよくわからなかったけれど、イチゴちゃんとこの男性店員さんの間でだけ、通ずるものがあるらしい。 店員同士というだけではない繋がりがあるのかも…… 「うーん、とにかく……この河童ちゃんは、イチゴが好きなわけね」 くすくす笑いながら口にした由香は、思わず河童の頭を撫で、それから店頭に一杯並べてある福袋に目を向けた。 「福袋、五千円からあるのね」 「は、はい。ネックレスと指輪のセットです。どれもとっても可愛いですよ」 「うーん、どれがいいかしら?」 福袋の外見は、どれも同じ。中身は色々なんだろうけど…… 顎に手を当てて考えた由香は、イチゴちゃんにお願いすることにした。 「イチゴちゃん、選んでくれない?」 「苺がですか? そういえばお客様、ご褒美のお品は?」 その言葉に嬉しくなる。 「実は、大晦日の日に開けちゃった。ほらこれ」 首元に手を当てたら、ネックレスはセーターの下に隠れてしまっている。 由香はネックレスを引っ張り出して、イチゴちゃんに見せた。 すると、イチゴちゃんが「ありがとうございます」と感激したように頭を下げてくる。 由香は驚いた。 だって、お礼を言いたいのは自分のほうなのに…… 由香は慌てて口を開く。 「お礼を言うのはわたしのほうよ。イチゴちゃんに出会ってから、わたしの人生に、信じられないような奇跡が起きたの」 思わず心にあるまま口にしてしまい、顔が赤らんでしまう。 奇跡というのは、由香の嘘偽りのない言葉なのだが…… 「奇跡……ですか?」 「ええ。大袈裟に聞こえるかもしれないけど……」 恥ずかしくて、もごもごと口にしてしまったものの、この感謝の気持ちをイチゴちゃんになんとか伝えたい。 「でも本当なの。何もかも、イチゴちゃんのおかげよ。本当にありがとう」 心を込めて伝えたら、イチゴちゃんの瞳が潤んできた。 振袖の袖で涙を拭こうとするイチゴちゃんに、先ほどの男性店員さんが、さっとハンカチを差し出す。 「あ、ありがとうございます」 涙の滲んだ瞳で、イチゴちゃんは嬉しそうに頭を下げる。 なんだかもう胸がいっぱいになり、由香は大きく息を吸って吐いた。 その十分後、由香はイチゴちゃんが選んでくれた福袋を手に帰り道を急いだ。 楽しくてしあわせで、口元に笑みが浮かんでならなかった。 |