笑顔に誘われて… | |
第67話 それがいい 数メートル離れたところに、外出先から帰って来たらしき綾美がいた。 「あ、綾美ちゃん」 「びっくりですよ。こんなところでふたりして……」 綾美と突然に顔を合せてしまい、焦ってしまう。 綾美とは、一昨日の元日に、電話で話して以来だ。 あの日、吉倉が電話で綾美に結婚宣言をし、綾美をひどく驚かせてしまった。 本当に結婚するのか? いつから兄と知り合いだったのか? と聞かれたけど……答えぬままになっていて…… あのあと、綾美は電話をかけて来るだろうと思っていたのに、結局、電話がかかってくることはなかった。 かといって、こちらからは電話をするというのは躊躇われて…… やはり、電話をかけてこなかったのは、自分の兄と由香が付き合うことや結婚することを、受け入れられないからではないのだろうか? 不安が込み上げ、それに応じて緊張から鼓動が速まる。 「お前、どこかに出かけてたのか?」 切羽詰まった気分の由香とは裏腹に、リラックスしたままの吉倉は、なんでもなさそうにそんなことを聞く。 綾美は唇をぷくんと突き出し、自分が抱えているものを見せてきた。 レンタルショップのバッグのようだ。 「これを借りに行ってきたの。パパやママと、家でゆっくり映画を観ようってことになって」 吉倉は思案気に「ふーん」と返事をする。 つ、つまり……家族で映画を観る気満々ところを、邪魔してしまうことになるのか? のんびりと休日を過ごそうとしているというのに…… そう考えると、申し訳ない気分になってしまうんですけど。 そのとき、綾美が立ち位置を替えて動き、由香はハッと思い出した。 「そうだ、綾美ちゃん。捻挫のほうはどうなの? もう完全によくなった?」 捻挫のことを思い出して尋ねたが、綾美は吉倉と由香を交互に見て、眉を寄せる。 「あのぉ~、ふたりって、本当に付き合うことになったの?」 戸惑った様子で改めて聞かれてしまい、頬が赤らんでしまう。 「ああ」 吉倉が肯定して頷く。 すると綾美は由香に走り寄ってきた。 そして由香の肩に手を置くと、なぜかむっとした顔で吉倉を睨みつけた。 肩に手を置いてもらえたことに、ほっとした思いが湧く。 こんなふうに触れてくれるということは、少なくとも綾美ちゃんに嫌われてはいないみたい…… 「お兄ちゃん、ひどいんですよ」 「えっ? ひどいって?」 「高知さんに電話して、あれこれうるさく聞くような真似は絶対にするなって……困らせるからって。釘を刺してきたんですよ」 えっ? あ、ああ……なんだ…… それで綾美ちゃんから、なんの連絡も来なかったの? 何も言ってこないから、自分の兄とわたしが付き合うことが受け入れられずに、嫌がっているんじゃないかと心配していたのに…… 「なんか、ちっとも信じられなくて……電話をかけられなかったっていうのもあるんですけど……高知さんに、『そんなわけないわ』って、笑われそうで」 その兄を軽んじたような発言に、吉倉がむっとする。 「お前な!」 声高に怒鳴りつけてきた兄に対して、綾美は澄まし返って両手を振る。 「はいはい。もうわかりました。こうしてふたり並んでいるところを見せられちゃ……でもぉ……」 綾美が大きく首を傾げる。 「ねぇ、高知さん。いったいいつ、この兄と知り合ったんですか?」 綾美にすれば、そのことは気になるだろうし、聞きたいに違いない。けれど、ちょっと答えにくい。 由香が困る間もなく、吉倉が間に入ってきた。 「そんなことを、お前に話すわけないだろう」 「ええーっ!」 綾美は不服そうな叫びをあげ、由香に話しかけてた。 「高知さんは、教えてくれますよね?」 「そ、それは……」 「とにかくいまは、親父とお袋に挨拶するために来たんだ」 「えっ? そうだったの? でも……パパとママに、挨拶に来るとか……伝えてないよね? 映画を観ようって話になってるくらいだし……」 「まあそうだ。それでいま、彼女に叱られていたところだ」 気まずそうに吉倉が言うと、綾美は呆れ顔で兄を見る。 「……あっ、いま思い出したけど、わたしが捻挫して、お兄ちゃんが高知さんを迎えに行くって言い出したのも、ふたりが付き合ってたからなんだよねぇ。考えたら、その時にピンときてもおかしくなかったのに……わたしときたら」 綾美のその言葉に、由香は思わず吉倉と目を合わせていた。 そのときは、まだ付き合うことにはなっていなかった。 「そうよ。それに、クリスマスパーティーに高知さんを誘えって散々うるさく言ってきたのも……だからだったんだ。ああっ!」 ひとりで納得したようにしゃべっていた綾美は、何を思いついたのか、急に叫んだ。 「いったいなんだ? 綾美?」 吉倉が、突然叫んだわけを聞いたら、綾美がにいっと笑う。 由香は首を傾げた。 「喧嘩してたんでしょう?」 綾美は由香と吉倉を、したり顔で見ながら尋ねてくる。 「それで、わたしに誘えって、お兄ちゃん、しつこく言ったんだ。わたしが誘えば、高知さんも来る気になるんじゃないかって。それで、高知さんが来なかったから、お兄ちゃんパーティーを抜け出して、高知さんに会いに行ったんでしょう?」 わあっ、綾美ちゃん、間違っているけど、鋭いところついてきてる。 「綾美、お前がそれほど推理力に長けているとは知らなかったな」 参りましたと言わんばかりに吉倉が言う。 まったく佳樹さんときたら、内心、笑っているに違いないわ。 「ふふん。こう見えても、推理は得意なんだから。……あっ、そんなことより、こんなところにいつまでもいたんじゃ、高知さん寒いでしょう? さあ、家に入ってください」 綾美は玄関のドアを開け、由香を家の中へと誘う。 綾美がいるのでは、インターフォンを押すというのもおかしいだろう。 由香は後ろについてくる吉倉を気にしつつ、玄関に入らせてもらった。 「ママーぁ」 綾美は家の奥に向かって大声で呼びかける。 「はーい」 女性の返事があった。もちろん、吉倉兄妹の母親だろう。 「お客さんだよぉ」 そのとき、奥の方の扉が開いた。 そちらは、前回由香がお邪魔した居間だ。 「映画は……あ、あら?」 由香に気付いた母親は、戸惑った様子で歩み寄ってくる。 このひとが、佳樹さんたちのお母さんなのね。 綾美ちゃんに似た感じのひとを想像していたんだけど……綾美ちゃんとはかなりイメージが違う。 そのせいだろうか、由香はまた緊張してきた。 「お袋。彼女は高知由香さん、僕の……」 「そ、そうよね。まあっ、いらっしゃい。いつ連れて来てくれるのかって思っていたのよぉ」 このテンション、顔は似ていないが、綾美にそっくりだ。 やっぱり親子だわ。そう考えて、思わず頬が緩んでしまう。 「えっ? お袋、彼女のこと……あっ、綾美、お前が話したのか?」 「どうして? 話すに決まってるじゃん。だって、隠すようなことじゃないでしょう? ねぇ、高知さん」 「あなたのことは、綾美が工房にお勤めするようになった頃から、聞いていたんですよ」 「そ、そうなんですか」 「そんな方が、佳樹とだなんて……さあさあ、上がってちょうだい。主人も喜ぶわ」 そう言った吉倉たちの母は、家の奥に向かって「あなたー、あなたー」と叫ぶ。 吉倉の父との対面と思って、再び緊張した由香だが、登場した父親はとても温厚そうなひとだった。 母親同様に、すでに由香のことを聞き知っていて、気さくに話しかけてくれた。 居間で一時間ほど話をすることになったが、綾美がいてくれたおかげで、思ったほどには緊張せずにいられた。 それでも、ガチガチになってしまっていたけど……胃がシクシク痛むような嫌な緊張はなかった。 そのあとは、吉倉に誘われて、実家にある吉倉の部屋に案内された。 吉倉のマンションとは違い、彼が子どもの頃から暮らしていた部屋だ。 学生の部屋という雰囲気も残っていて、そんな場所に触れることができて、由香はとても嬉しかった。 「由香、僕の両親の印象はどうだった? ……あっ、いや……こんなふうに聞かれても、返事に困るよな?」 苦笑する吉倉に、由香は笑って首を横に振った。 「お会いできてよかったです。あんなに尻込みしてて、佳樹さんにあれこれ文句を言っちゃった手前、なんですけど……佳樹さん、ごめんなさい」 「謝らなくていいさ。……それにしても、綾美のおかげで助かったな」 「そうですね。考えてみたら、綾美ちゃんが話していると考え及ばなかったことが、いまとなるとどうしてだろうって……」 「確かに。まあ、君と同じく、僕もなんだかんだで……動揺してたってことだな」 照れた様子で顔を赤らめた吉倉は、照れ隠しなのか、にやりと笑い、由香の顔を覗き込んできた。 顔が近づき、心臓がドキドキしてくる。 黙ったまま、なおも見つめてくる吉倉の眼差しを受け止めているのが、いたたまれなくなった由香は、「佳樹さん?」と呼びかけた。 吉倉はふっと笑い、口元を手で覆った。 「……なんというか……こういうこと、すべてにおいて……不慣れだからな」 内緒話のように、吉倉は小声で言う。 由香は思わず噴き出してしまった。 すると吉倉が両腕を伸ばしてきて、由香は彼の胸に抱き寄せられた。 耳を、ちょうど吉倉の心臓のあたりに押し当てる姿勢になる。 彼の速まった大きな鼓動が聞こえてきて、心が満ちる。 「でも、これでまた一歩進めた。君と一緒に」 じんわりと噛み締めるように吉倉は言う。 感情のこもった言葉が胸に響き、泣きたいほど胸がジーンとする。 「いちいち、じたばたしちゃってますけど」 こんなふうに感動してしまっていることが気恥ずかしく、由香はわざと冗談めかした。 「それがいいんだ」 「えっ?」 「それがいいんだ」 吉倉は言葉を繰り返し、由香の唇にそっと触れてきた。 甘い恋人らしい触れ合いに、ドキドキする。 「じたばたするのも……ドキドキするのも……君とだから……」 そう口にしながら、吉倉の顔が近づいてくる。 頬を赤く染め、由香はそっと目を閉じた。 期待したやわらかな感触、温もりが唇に伝わり、由香の世界は、また愛で膨らんだ。 |