笑顔に誘われて… | |
第70話 自分に勝利 バレンタインデーの贈り物か? いったい何がいいかしら? どんなものが、一番佳樹さんを喜ばせられるのかしら? 「あれっ、高知さん、イチゴですか?」 隣で仕事をしている綾美が、由香の手元を覗き込んで話しかけてきた。 由香はいまさら自分の手元を見て、眉を上げる。 いまは昼休みで、午後からの仕事開始までの空いた時間、のんびりと新作のぬいぐるみのデザインを考えていたのだが…… 無意識にイチゴを書いてしまっている。 しかも、イチゴにフリルたっぷりのスカートまで穿かせてしまっていた。 バレンタインデーのコスチュームの、イチゴちゃんのインパクトがありすぎたせいかしら? 「いいですね♪」 綾美がわくわくしたように言い、由香は首を傾げた。 「いいって、何が?」 「何がって、もちろんこれですよ」 綾美は、由香が描いたイチゴを指さして言う。 「くだものとか野菜のぬいぐるみも可愛いいですよね。ここではあまり作ってないけど……高知さんもこれまで作ってないし……わたし、高知さんがイチゴをどんなぬいぐるみにしちゃうのか、期待しちゃいます」 どうやらすっかり誤解されてしまったようだ。 これはただの落書きよと伝えようとした由香は、言葉にする直前思い直した。 イチゴを模したぬいぐるみか。……案外いいかも。 もちろん、この世にイチゴの形をしたぬいぐるみはいくらでもあるだろうけど……わたしも考えてみようかしら? 他にないような個性的なのがいいわよね。 で、まずは試作品を作ってみて…… あっ、イチゴちゃんにあげたらどうかしら? 喜ぶかしら? 考えるほどにウキウキしてきて、由香はバレンタインデーコスチュームを着ていたイチゴちゃんを、イチゴの隣に描き込んだ。 「あらら、高知さん、お人形さんも上手いじゃないですか? それ、すっごく可愛いですよ」 「これはお人形さんじゃないの。ほら、前に話したでしょ。この近くのショッピングセンターの、宝飾店の店員さん」 「ああ、イベントになるとイチゴ尽くしのコスチュームを着てるって言ってた」 「そうそう」 「えーっ? ほんとにこんなの着て店頭にいるんですか?」 綾美は信じられないというように目を丸くしている。 「ええ。バレンタンイデーまで、ずっとこの格好をしてるはずよ。綾美ちゃんも会いに行ってみたら?」 「へえーっ、だんぜん興味引かれちゃいました。そのコスチュームを見たいし、行ってみたいけど……」 綾美は頬杖をつき、ため息を落とす。 「いま、残業しなきゃならなくて、帰宅時間が遅いから……ショッピングセンターに寄ってたらかなり遅くなっちゃうし、無理だなぁ」 「ああ、そうよね。綾美ちゃん、家までだいぶ時間がかかるものね?」 「そうなんですよ。あーあ、高知さんみたいに近くにアパート借りて独り暮らしできたら……通勤時間もぐっと減るんですけど……」 「その代わり、家事を全部自分でやらなきゃならないけど、大丈夫?」 尋ねたら、綾美が由香の目をじっと見つめてくる。 「ん?」 「無理でしょう!」 綾美が断言し、ふたりは一緒に噴き出した。 「もおっ、綾美ちゃんったら」 「すっかり母に甘えちゃってますからね。それに両親もお嫁に行くまでは家から出してくれそうもないです」 「でも、それはしあわせなことよ」 思いを込めて言うと、綾美はにこっと笑って頷く。 「高知さんも、実家に戻ることにしたんでしたね。あっ、引っ越し、よかったらわたしも手伝いますよ」 「ありがとう」 そんなに荷物はないからと、いったんは断ろうかと思ったが…… 「それじゃ、綾美ちゃんの都合がつけば、お願いしようかしら?」 「はい!」 嬉しそうな返事をもらい、由香の胸も膨らむ。 わたし、これまでひとに遠慮ばかりしてきたけど……それでは、人との距離を縮められないのよね。 遠慮はほどほどにして歩み寄れたら、人生はもっと豊かなものになる。 由香は適当に描いていたイチゴちゃんのイラストを、もっと真剣に描き始めた。 「ねぇ、高知さん」 「なあに?」 「バレンタインデー、兄に渡すチョコはもう用意したんですか?」 からかうように綾美は聞いてくる。頬を染めてしまった由香は、困って綾美を軽く睨んだ。 「綾美ちゃん」 「十四日は、もちろん一緒に過ごすんでしょう?」 「……」 返事に困り、ますます顔が赤らむ。そんな由香の反応を見て、綾美は楽しそうだ。 「頬を染めると、また一段と色っぽいですねぇ」 「だから、からかわないで」 「あっ、いいこと思いついた」 綾美は瞳をキラキラさせて、ポンと手を叩いた。 「綾美ちゃん?」 「コスプレして、びっくりさせてやったらどうですか? いつも落ち着き払ってる兄貴も、ビックリ仰天して喜びますよ」 「はいっ? コスプレ?」 「そのバレンタインデーのコスチュームですよ。それと同じの作って……って」 興奮してしゃべっていた綾美のテンションが急に下がった。 「さすがに無理ですね。もう日数ないし、いまは仕事で手一杯ですもんね。残念」 つまり、バレンタインデーの日、このコスチュームを着て、佳樹を驚かせろと? 綾美の口にしたことはあまりに馬鹿馬鹿しく、由香は声を上げて笑った。 「でも、その格好をした高知さん、わたしもすっごい見てみたかったです」 「あのねぇ、綾美ちゃんならとっても似合うと思うけど、わたしじゃ失笑を食らうだけよ」 「えーっ! 似合うと思うけどなぁ。まあ、想像つかないといえば、つかないですけど。……いえ、だからこそ見てみたいんです」 「悪趣味ね」 由香は笑いながら言い返した。 仕事を終えて車に乗り込んだ由香は、ポケットに入れていた紙を取り出し、自分の描いたイラストを見つめた。 仕事中、綾美のとんでもない提案が頭から離れなかった。 佳樹をアッと驚かせるようなことをしでかしてやりたい。そんな気持ちになってしまっている。 「まったく同じものは作れないけど……似たようなのなら、作れないこともないわよね」 そう呟き、必要な材料を、頭の中でリストにする。 イチゴちゃんみたいな格好をわたしがしているのを見たら……佳樹さん驚くわよね。 仰天している佳樹さんか……やっぱり見てみたいかも。 やっちゃおか! 楽しい気分に取りつかれ、由香はくすっと笑う。 冗談半分だったのに、本気の比重がどんどん大きくなる。 似合わないのはわかってる。けど、似合わないからと諦めるのはやめたい。 車も、ほんとは綾美ちゃんのようなピンクの車がよかったのに、似合わないからって結局グレーにしてしまった。 そんなこと考えずに、好きな色を選べばよかったのに…… わたし、人に笑われるのが嫌で、人の目ばかり気にして…… なんか、とても残念なやつだったかも。 こんなんじゃ、本当の意味で人生を楽しめないわよね? 「よし、やろう!」 由香は自分が描いたイチゴちゃんを見つめ、決心した。 「ふわわわわーっ」 大きな欠伸をした由香は、なんとか眠気を覚まそうと何度も瞬きした。 手にしている物を見て、いったい自分は何をやっているんだろうと思ってしまう。 こんなこと始めちゃって…… 自分らしくない大胆なことをしてみたくなって、その勢いで材料を買い込んだ。そして寝る間も惜しんでコスチュームを制作している。 「やっぱり、やめておけばよかったかなぁ?」 仕事は忙しいし、もう日にちもないし……やっぱりばかげてる。 佳樹さんを仰天させてやろうと勢いづいて始めちゃったけど……悪い意味で仰天するんじゃないかしら? もう明日はバレンタインデーだ。 残業はせずに、佳樹とアパートで過ごすのだけど…… こんなの着て見せたら、引いちゃって、そのまま帰っちゃったりして…… そうなりそうな気が強烈してきて、針を動かす手が止まる。 ご馳走と、チョコと贈り物だけでいいんじゃないの? 無難に…… そう考えたら、なんか自分に嫌気がさした。 「これまでの自分を変えるんじゃなかったの?」 自分に怒鳴ったら、『なら、これを完成させて着るの?』と皮肉な問いが返ってきた。 「そ、そう思うと、気が引けてくるけど……」 もう作るのは止めてしまおうかと本気で思ったが、いざそうしようと思うと、これまた躊躇ってしまう。 「あー、もおっ! わたしってばごちゃごちゃと!」 とにかく、作ってしまおう。 制作途中で放棄なんて、気分がよくない。着る着ないは別にしても、完成させてしまったほうがいい。 迷いが消え、由香は再び針を動かし始めた。 それから三十分後の由香は、作り上げたコスチュームを満足して眺めていた。 勝利感が沸々と湧き上がってくる。 由香はぷっと小さく噴き出した。 おかしなものだ。自分に勝利した気分になるなんて。 くすくす笑いながら由香は立ち上がった。 そして、出来上がったばかりのコスチュームを胸に当て、弾む足取りでくるりと一回転したのだった。 |