笑顔に誘われて… | |
第72話 勇気のチャンス テーブルに夕食を並べながら、由香は部屋を片付けてくれている佳樹を見やる。 手際よく片付けてくれ、部屋はどんどん綺麗になっていく。 佳樹さんって、部屋を片付けるのが上手かも。 ああ、そういえば、佳樹さんはいつでも、モデルルームみたいに自分の家を綺麗にしているのよね。 仕事場でもあるから、クライアントにいい印象を与えるためにも綺麗にしている必要があるとは言っていたけど…… 生活感があまりないのに、不思議と寛げる空間になっていて。 そのとき、佳樹がこちらに振り返ってきた。 目が合い、思わず焦ってしまう。 「うん?」 「あ、あの……も、もうできますから」 焦ったところを見せてしまい、由香は思わずそう言って誤魔化した。 「ああ、僕の方もそろそろ片付けを終わる。……由香、これはどこに片付ければいい?」 手に持った物を見せられ、由香は「クローゼットに」と思わず答えた。 「わかった。開けてもいいかい?」 そう了解を取りながら、佳樹はクローゼットの扉の取っ手を掴んだ。 「はい。……ああっ! ちょっと待って……」 由香は思わず叫び、ストップをかけた。 「うん?」 佳樹は、クローゼットの扉を半分ほど開け、首を後ろに回して由香を見てくる。 扉の隙間から、例のものが見えている。 余裕を失くした由香は、佳樹のところにすっ飛んで行った。 「由香?」 血相を変えてやってきた由香に、佳樹は戸惑ったように呼びかけてきた。 由香は答えずに扉を閉める。 「どうしたんだい? ああ、もしや、僕に見られたくない物でも入っていたのか?」 閉じた扉に目をやり、佳樹が言う。 大当たりだ。 気まずく顔を逸らすと、佳樹がくすっと笑う。 「わかった。詮索はしないよ」 「べ、べつに、そんなに変なものが入っているわけじゃないですよ」 つい言い訳がましく言ってしまう。 いや、変なもの……なのか? 「目が泳いでるぞ」 からかうように佳樹が指摘してきて、由香は「お、泳いでません」と言い返す。 「そんなことより、夕食の準備ができたから……ど、どうぞ」 由香は、テーブルに佳樹を促がす。 「うん。それじゃ」 佳樹は素直に席についた。 キッチンに戻った由香は、急いでスープを注ぎ、それもテーブルに並べる。 「狭いですね」 大きなテーブルを買うべき…… ああ、そうだった。もうすぐ両親のマンションに戻るんだから、必要ないんだわ。 「こういうのもいい」 「えっ?」 「狭いテーブルに並べられた君の手料理。これもまた思い出になる」 「そ、そうですね」 満ち足りた表情をしている佳樹を見て、由香も頷いた。じわじわと頬が熱くなってくる。 なんか、照れくさいな…… 「それじゃ、いただいていいかな?」 「は、はい。どうぞ」 佳樹は一口一口味わいながら食べてくれる。 そんな彼を見ていると、胸がいっぱいになってきてしまう。 しあわせが、どんどん心の中にたまっていくみたい。 わたしの心の容量が小さいからなのかしら、すぐに満タンになっちゃう感じだ。 けど、彼とおしゃべりしていると、不思議と詰まった感じの胸が楽になる。 楽しく食事を終え、テーブルの上をふたりして片付けた。 「飲み物を淹れますけど、佳樹さん、何がいいですか?」 「紅茶でもコーヒーでも、君と同じものでいい」 「それなら紅茶にしますけど……いいですか?」 「ああ。それでいい。僕がカップを出そう」 紅茶の準備を始めると、佳樹は食器棚からカップやスプーンを取り出してくれる。 すでに何がどこにあるか知ってくれていることに、くすぐったい気持ちになる。 「このアパート……」 「はい?」 「いや……やはり寂しいなと思ってね。すでに思い出が詰まってしまって……こんなことを言うのは、男らしくないか」 佳樹は少し頬を赤らめ、苦笑を浮かべる。 そんな彼を見て、胸がきゅんきゅんしてしまう。 「嬉しいですよ。そんな風に思ってもらえること……」 由香はもじもじしつつ、佳樹以上に赤くなりながら言葉にする。 ちょうどお湯が湧き、佳樹は黙ってヤカンを取り上げ、紅茶のポットにお湯を注いだ。 コポコポコポという音を、しあわせを噛み締めながら耳にしていると、佳樹は空いている方の手で由香を抱き寄せた。 紅茶のポットと、カップを載せたトレーを佳樹が持ち、ふたりしてテーブルに移動する。 佳樹は向かい側でなく、由香の隣に座り込む。そして寄り添ってきた。 こ、この雰囲気……なんか甘すぎて……心臓が破裂しそうかも。 そっ、そうだ。 そろそろバレンタインデーの贈り物を渡そうかしら? タイミングとしては、いまがいい? それとも、紅茶を飲み終わったあとがいい? ……コスチュームはどうしよう? 頭に思い浮かんでそう考えた由香だが、正直、お披露目する勇気はまるでない。 だって、それこそタイミングが…… もし、今夜泊まってくれるのであれば、彼がお風呂に入っている間に着替えて。 いや、やっぱり無理。 この年で、あんな派手なコスチューム着て……似合うはずがない。 あ……そういえば……一度も試着してないんだっけ。 うわーっ、そうよ。どんな感じか、試着して確かめるべきだったのに。 「由香?」 顔をしかめたり歪めたりして考え込んでいた由香は、佳樹に呼びかけられて驚いて顔を向けた。 「は、はい?」 「どうした?」 「えっ? ど、どうしたって……どうもしていませんけど」 「そうか? なんだか、心ここにあらずのようだけどな」 「……ちょ、ちょっと色々と考えてて」 「何を考えてたんだい?」 「……そ、それは……その……」 困って口ごもったら、佳樹がくすくす笑い出した。 「な、何がおかしいんですか?」 「いや……楽しいなと思って」 「楽しい?」 「バレンタインデーだから」 「は、はい?」 「二月十四日……これまでなんてことない日だったのに……今年は特別過ぎるなと思ったら、なんでか笑いが込み上げてくる。……それに、胸を弾ませている自分にも笑いたくなった」 「佳樹さん」 由香は佳樹に向き直り、彼にぎゅっと抱き着いた。 「あ、あの……」 「うん?」 抱き締め返しながら、佳樹がやさしく聞き返してくれる。 「こ、今夜……その……と、泊まって……いけ……ます?」 言葉を口にするほどに恥ずかしさが立ち、顔が赤らんでしまう。 「……」 返事を待つが、佳樹は黙ったままだ。由香は居心地が悪くなってきた。 「あっ、だ、駄目ならいいんです」 焦って口にし、佳樹から離れようとしたら、もっと強く抱き締められた。 「違う、そうじゃない。……嬉しかったんだ。それですぐに言葉がでなかった」 「佳樹さん?」 「君のほうから泊まらないかと誘ってくれたのは、初めてだったから……」 「あ……」 「もちろん泊まらせてもらいたい」 「そ、そうですか。よかった……」 思わずそんな台詞を口にしてしまう。 うわーっ、佳樹さんが泊まるなら、あのコスチュームを着るチャンスができちゃった。 そう考えて慌てている自分が笑えてしまう。 「やっぱり、こういうのもいいな。結婚して一緒に暮らしたいんだが……こういうやりとりでドキドキするのも、捨てがたい」 佳樹さんってば…… でも、わたしもそうかも。 ……や、やっぱり、勇気を振り絞ろうかな。 クローゼットの中のコスチュームを頭に思い浮かべつつ、由香は顔をほころばせた。 |