笑顔に誘われて…
第8話 ぱちくり



道順を教えながら両親のマンション近くまでやってきたものの、由香は戸惑いが深くなってきた。

「あの、ケーキ、本当に良かったんですか?」

「ええ。ですが、いただきものなので…どんなものか…保証しかねるんですが…」

そう口にした吉倉は、眉根を寄せて唇を曲げた。

「彼女は、三歳でしたね?」

「は、はい」

「自分から言い出しておいてなんですが…小さな女の子の気に入るケーキなのか…心配になってきたな」

「そんな、いいですよ。私も、買いに行ってそれしかないって言われて買ったんだし…」

あっ!

あのケーキ、ど、どうしよう?

あんなに大きなケーキ、由香ひとりでは…

「あっそうだわ」

由香はパンと手を叩いた。

「高知さん?」

「吉倉さん、私が買ったケーキ、吉倉さんのケーキと交換ってことで、持っていってくださいません?」

由香の提案に、吉倉は眉を上げた。
まあ、甘いものがたいして好きじゃないらしい吉倉にしてみれば、ケーキなど欲しくないかもしれないが…

「私ひとりで食べきれる大きさじゃないし…綾美ちゃん、甘いものが好きだから…」

「それでは…いただくとしますよ」

「はい。良かった」

由香はほっとして笑みを浮かべ、最後の曲がり道を吉倉に知らせた。





吉倉が車のトランクから取り出したもらいものだというケーキは、そんなに大きな箱ではなかったが、外観は、ずいぶんと高級感を漂わせていた。

片手でトランクを閉めた吉倉は、すぐにマンションの玄関へと歩き出した。

由香はそんな彼と自然に並んでいた。

「何階ですか?」

「あ、はい。五階です」

マンション内に入り、吉倉は迷いもせずにエレベーター前へと進み、扉が開くと先に乗り込んだ。

上昇するエレベーターの中で、由香は吉倉が手に持っているケーキの箱のりぼんを見つめた。

赤と緑に金のラインが入った豪華なリボン。
そのまま捨てるのが惜しいようなやつだ。

これ、真央の髪につけてあげたら可愛いかも…

ちょっとクリスマスの雰囲気がありすぎだが、クリスマスの明日限定でつけてあげたらいいかもしれない。真央もきっと喜ぶだろう…

エレベーターの扉が開き、先に出た吉倉は、由香に問うような視線を送ってきた。

どちらに行くのか?ということだろう。

言葉にして、聞いてくればいいのに…とおかしくなる。

「こっちです」

歩き出した由香は、この場に来て、戸惑いを感じた。

なんで、彼までついてきたのだ?
別に彼が付いてくる必要はないわけで…私だけで良かったのに…

だがもちろん、いまさら彼に向かって、ついてこなくてもいいですよなんて言えない。

しかしこのケーキ、彼はいったい誰にもらったのだろうか?

ま、まさか、吉倉さんの彼女の手作りとか?

いや、けど、それは…ないわよね。

クリスマスケーキをくれるような彼女がいたら、いくら妹のことで心配なことがあるからって、イブの日に由香のところにやってくるわけがない。

このひと、恋人とかいないのだろうか?

「高知さん」

考え込み、すたすた歩いていた由香は、吉倉に呼びかけられて足を止めた。

「は、はい?」

「ここではないんですか?」

彼の指さす表札を見て、由香は顔を赤らめた。

どうやら、自分の実家を素通りするところだったらしい。

吉倉は笑っていないが、なんともまぬけなところを見せてしまったわけで、由香は頬をひくつかせた。

インターフォンを押そうとした由香は、いったん指を引っ込めて、吉倉を見上げた。

「あのぉ…お聞きしてもいいですか?」

「何を?」

「そのケーキ、買ったのでなかったら、吉倉さん、どこでもらったのかなぁって?」

「仕事関係ですよ」

「仕事関係?」

「ええ。もって帰ってくれというから、もらってきたんです」

「そ、そうなんですか…」

なんとも消化不良な答えをもらい、由香は吉倉に隠れて顔を歪めつつインターフォンを鳴らした。

「あーい」

真央らしい可愛らしい返事がインターフォンから聞こえた。

きっと、ケーキを心待ちにしていたのだろう。

由香は、インターフォンに顔を近づけ、にこっと笑った。

「由香叔母ちゃんですよ。真央ちゃん、玄関開けてくれる?」

「あーい、ユカバン、ケーキはぁ?」

「もちろんあるわよ」

嬉しげな笑い声が聞こえ、「すぐ開けるからな」と父の声が聞こえた。

「ユカバンですか?」

横合いからの吉倉の質問に、由香は吹きだした。

「由香叔母ちゃんが、ユカバンになっちゃって…」

そんなやり取りをしているところに、ドアが開けられた。

玄関先には、父と真央がいた。

真央はケーキを受け取ろうと、一生懸命両手を伸ばしてくる。

「ユカバン、ケーキ♪」

爪先立ちまでして不安定に身体を揺らしている真央を見て、由香はくすくす笑った。

「おう。おっ?」

娘を迎える声を掛けてきた父が、驚きの含んだ軽い叫びを上げ、一瞬、なんだろうと思った由香だったが、吉倉の存在を思い出し、慌てて後ろに振り返った。

「どうも初めまして。吉倉佳樹です」

父に向けて礼儀正しく頭を下げた吉倉は、すっと前に出てきて真央にケーキの箱を差し出した。

「真央さん、初めまして」

真央に向けても礼儀正しく自己紹介する吉倉に、由香は吹きだしそうになったが、なんとか堪えた。

しかも、このひとったら、三歳児相手に、さん呼びはないだろうと思う。

「ケーキ?」

「そうですよ」

「わーい」

吉倉からケーキの箱を受け取った途端、真央はくるりと後ろを向き、パタパタと駆けていく。

「ま、真央ちゃん、落とさないようにねぇ」

「わかっるる」

舌っ足らずな返事をし、真央はケーキの箱を持ったまま、居間のドアを開けようと無茶をしはじめた。

「お父さん、早く!」

由香の性急な叫びに、父は慌てて飛んでいった。

「母さん、母さん」

父は母を呼びながら、真央からケーキの箱を取り上げたが、ケーキを取り上げられた真央が癇癪をおこし、「ジジダン、メッ、ジジダン、メッ」と喚き出した。

ずいぶんな騒ぎだ。

「あらら。真央ちゃん、お父さんも何事なの?」

居間のドアから母が出てきて、この騒ぎはすぐに終結した。

母の偉大さに敬服しつつ、彼女は自分に顔を向けてきた母に軽く手を振った。

「いや、真央がな」

言葉を言いかけた父を完璧に無視し、母が駆け寄ってきた。

「あら、まあ、由香ったら」

「あの、お母さん」

「初めまして。吉倉佳樹と申します」

「まあ、ご丁寧に。さ、さあ、上がってください」

「お…」

「それでは、失礼します」

母に向けてこれで帰るからと言おうとしたところだった由香は、すっと家に上がってしまった吉倉に驚いた。

母の方は、吉倉が上がったのを確かめると、急いで居間へと行ってしまった。

きっと母は、お客様に恥ずかしくないだけ居間が片付いているか確認しに行ったに違いない。

こんなつもりじゃ…

「ケーキが気になるので…」

「えっ?」

「確認しておきたいんです。どんなケーキを置いていったのか知らぬままでは、帰ってからひどく気になると思うので…。いまさらですが、高知さんいいですか?」

いいですかと言われてもいまさらだ。それに吉倉の言うことも分かる。

「それじゃ、ケーキを見てから…」

「はい」

吉倉とともに居間にゆくと、ずいぶんとかしこまって座っている父がいた。

真央の方は、母とキッチンにいて、キャイキャイ騒いでいる。

「真央ちゃん、どうしたの?」

「ケーキは自分のだからってきかないのよ。けど、この子に持たせてたら、ぐしゃぐしゃにしてしまいそうだから。…お父さん」

「お、おお。え、えっと。君は…吉本君だったか? ほら由香、座ってもらえ」

「お父さん、吉倉さんよ」

由香は訂正しつつ、ついでに彼が佳樹という名だったなと頭に刻んだ。

「吉倉さん、どうぞ」

吉倉は「失礼します」と言いつつ、ソファに座り込んだ。

「突然お邪魔してしまい、すみません」

「いや、いいんだよ。くつろいでくれ」

父はどう応対していいのか分からないようで、首をまわして何度もキッチンに振り返っている。

「由香、ケーキそっちに持ってって。真央が足に纏わりついてきて、何もできないわ」

「ああ、はい」

由香は急いでキッチンにゆき、ケーキを抱えて戻った。
もちろん真央はついてきた。

「やん、やん、真央のぉ」

由香の服の裾を掴み、真央は片足でダンダンと床を踏み鳴らす。

可愛らしい仕草に、吉倉がなんともやさしげな笑みを浮かべている。

このひと、こんな笑い顔もするんだ。

「ユカバンちょうらいー。真央のよ」

服を必死に引っ張る真央に、由香は注意を戻した。

「もお、真央ちゃんったら。ほら、怒ってないで、開けなさい」

居間のテーブルの上にケーキの箱を置き、由香は箱を両手で押さえた。

真央は素敵に結んであるリボンを掴むが、ほどこうとしているわけではなく引っ張るばかりなので、どうやってもほどけそうにない。

「真央ちゃん、おばちゃんにも手伝わせてくれないかなぁ」

「やっ、真央」

拒否されて、由香は顔をしかめた。

「横の方から、切ったらどうかな?」

「おお、そうだな。ハサミを持ってこよう」

吉倉の意見に即座に父が動いた。

正直、中途半端なところでこのりぼんを切りたくはないのだが…

自分で開けたい真央は、どうにも手伝わせてくれそうもない。

結局、真央に気づかれないようにリボンを切り、ついにケーキの蓋が開けられた。

「わあっ♪」

ケーキを目にし、真央が興奮した叫びを上げ、パチパチと手を叩いた。

由香も現れたケーキを見て、目を丸くした。

ずいぶんと凝ったケーキだ。

「切って食べるのがもったいないくらいだな」

「ほんとに」

父と由香の会話を耳にしたのか、母もやってきて驚きの笑みを浮かべた。


ケーキは、その見た目を裏切らない美味しさだった。

甘さは控えめ、真央の好きな生チョコもたっぷり。

由香と吉倉も仲間に加わり、ケーキは六つに切り分けられた。

余ったワンカットは、姉の分だ。

真央が食べ終わったところで、母は真央を歯磨きにつれてゆき、由香は片付けの方を引き受けた。

姉の分のケーキを冷蔵庫に入れ、食器を片付け終えたところで母がやってきた。

「あら、真央ちゃんは? もう寝かすんでしょう?」

「それが、ほら、あれ」

母が居間のソファの方を指さし、視線を向けた由香はきゅっと眉を寄せた。

なんでか真央は、吉倉に抱かれている。

「驚いた。真央ちゃん、懐いちゃってる」

小さな声で言った由香は、母からトントンと肩を叩かれた。

「はい?」

「きっとね…パパを思い出して、あのひとに甘えてるんじゃないかなと思うわ」

ひどく小声で母が言った。
不憫そうな眼差しをしている母をみて、由香は胸が疼き、唇を噛み締めた。

離婚してから、真央はほとんど父親の靖章と会っていないはず。

「やっぱり…真央ちゃんだって、パパと会いたいよね…」

「そりゃあね…けど…」

母の言いたいことが分かり、由香は頷いた。

姉の早紀は、靖章に会わせたがらない。

「それでお姉ちゃん、いつ頃退院できそう?」

「先生とも話して、一応明後日ってことになったわ。…早紀自身も正月は家で一緒にすごしたいのよ、けどまたあの痛みが襲ってきたらって怖いみたいでね」

それはそうだろう。

由香は、母と一緒にソファのところにゆき、座り込んだ。

母が父の隣に座ったため、当然由香は、吉倉の隣に座ることになる。

吉倉の隣にちょこんと座った真央は、彼の膝に顎を載せるようにして、お気に入りのおもちゃをいじっている。

「まーしゃん、おねーむよぉ」

まーしゃんというのは、ネコのぬいぐるみだ。
もちろんそれも由香の作ったもの。

小さな真央が抱えるのにちょうどいいくらいの大きさだ。

明日プレゼントする新作も、喜んでくれるだろうか?

「由香、明日は頼むわね」

「うん」

「どこに連れて行く? やっぱり遊園地?」

「うん。遊園地がいいかなって思うけど……あんまり寒いようなら…どこか真央の喜びそうなところに行くわ」

そう語る由香は、すでに心に決めていた。

明日は、靖章を誘ってみよう。

真央はまだ三歳だし、きっと姉にばれはしないだろう。

靖章はいうに及ばず、真央も喜ぶはず。

あ…けど、義兄さん、明日は仕事だろうか?

「寝ちゃったわね。佳樹さんありがとう」

「いえ」

母の佳樹さん呼びに、由香はいささかびっくりした。

真央をそっと抱き上げた吉倉は、母に真央を手渡した。

「寝顔がなんとも可愛いな」

「ほんとに。起きてるとやんちゃばっかりだけど、寝顔はねぇ…佳樹さん、天使みたいでしょ?」

「ええ、そう思います」

母に親しげに微笑み返す吉倉に、目をぱちくりさせていると、その彼が振り返ってきた。

「それでは、そろそろ失礼しましょうか?」

「あ…は、はい」

「佳樹くんの車で来たのか?」

「え、ええそう」

父まで佳樹くんときた…

「佳樹くん、またゆっくり来てくれたまえ」

「はい。ありがとうございます」

なんとも和やかな中で見送られ、由香と吉倉は高知家を後にしたのだった。





   

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