笑顔に誘われて…
第9話 確約のない安堵



エレベーターへと歩いてゆきながら、由香は携帯を開いた。

時間を確認し、考え込む。

靖章を誘うなら早い方がいいだろう。
朝、少し早めに真央をここまで迎えに来て…靖章とは遊園地で待ち合わせということでいいだろうか?

並んで歩いていた吉倉がエレベーターのボタンを押してくれ、ドアが開いたのを見て、由香は考えごとを進めつつ乗り込んだ。

けど、雨が降ったら、場所を変更した方がいいだろうし…

天気はどうなんだろう?

「明日の天気って…吉倉さん、晴れそうです?」

一緒にいる相手だからという理由だけで、由香は無意識に彼に尋ねていた。

「天気ですか? 私は予報士というわけではないからな。…ですが、明日は晴れる確率が高いんじゃないかな」

「そうですか」

晴れるということだけを頭にインプットし、彼女はさらに考え込んだ。

なら、遊園地で落ち合うので、大丈夫かもしれない。

「遊園地に行くんでしたね。真央さんとふたりで?」

思考の中に割り込んできた吉倉の問いに、由香は顔を上げて「はい」と答えつつ頷いていた。

「質問…してもいいかな?」

エレベーターから降りたところで吉倉は立ち止まり、口ごもりながら言う。

「質問? なんですか?」

「真央さんの、ご両親は?」

「あ…」

まっすぐな目で見つめられ、答えることを躊躇した由香だったが、吉倉に甘えて彼の膝にもたれかかっていた真央の姿が頭に浮かび、彼女は口を開いた。

「姉は離婚したんです」

「そうでしたか」

由香は少し面食らった。
離婚したと告げたのに、吉倉がほっとしたような笑みを浮かべたからだ。

「すみません。真央さんしかいらっしゃらなかったので…もしかしてと…ひどく悪い想像をしていたので…」

ああ、そういうことか…彼は、夫婦ふたりともが亡くなっているのではとでも思ってしまったのだろう。

「それでは、お姉さんは?」

吉倉にしてみれば、自然な流れの問いだろうが…

「実は…具合を悪くして、いま入院してて…」

「それは心配ですね」

彼のその言葉は、すーっと彼女の胸の中に沁み込んできた。

はっきりと言葉で説明はできないが、由香は吉倉の誠実な心に触れられたように思えた。

「はい。でも、明後日には退院できそうなんです。あの、電話を掛けたいんですけど…ちょっといいですか?」

「ええ。どうぞ」

由香は小さく頭を下げ、携帯を取り出して靖章にかけた。

できれば、誰もいないところで掛けたかったが、吉倉からわざわざ離れるというのも…なんとなくやりづらい。

吉倉に少し背を向けるようにして、由香は携帯を耳に当てた。、

「もしもし、靖章さん? 由香ですけど」

『あ、ああ。由香さん』

「あの、急なことなんですけど…」

そこまで言って、本当に彼を誘っていいものかと、いまさらな迷いが湧き、由香は口ごもってしまった。

『由香さん? どうかしたん…ま、まさか、早紀に何か?』

「あ、違います、違います」

靖章の性急な問いかけに慌て、相手には見えないのに、由香は顔の前で必死に手を振った。

「姉のことじゃないんです。あの私…明日、真央ちゃんと遊園地に遊びに行くんです」

『ま、真央と』

「はい。母が、クリスマスだし、真央を楽しませてやりたいっていうので…」

『そ、そうか…あ、ありがとう』

「あの。…靖章さん、明日は仕事ですよね?」

『そうだけど…』

「お仕事、休めませんか?」

『えっ? あ…も、もしかして…それって…お、俺も、一緒にってこと、かな?』

「はい。真央も靖章さんに会いたいと思うんです」

『お、俺も会いたい。付き合わせてもらえるんなら、明日仕事休みます』

迷うことなく、靖章は即答した。そのことに、由香の胸が疼く。

「お仕事の方、休んでも大丈夫ですか?」

『ええ。で、何時に? 明日、どこに行けば?』

「それじゃあ…」

靖章に待ち合わせ場所と時間を告げ、由香は携帯を切った。

いまさら胸がドキドキしてきた。

考えていた計画を、気掛かりを抱えつつも推し進めてしまったことに対して、ちょっとした興奮状態になってしまっているようだった。

気掛かりとは、真央の口から、靖章が一緒だったことがバレないかということ…

姉は…気づくだろうか?

やっぱり、不味かったかしら…でも、もう誘っちゃったし…ど、どうしよう?

不安と迷いが胸の中でせめぎ合い、顔をしかめて考え込んでいた由香は、すぐ側にいる吉倉の存在を思い出し、ハッとして彼に顔を向けた。

「吉倉さん、お待たせしてすみませんでした。それじゃあの…」

外へと促すように言いながら、由香は歩き出した。

「明日は、真央さんとふたりだけではなかったようですね?」

吉倉の声はいくぶん鋭さがあり、由香は驚いて彼を見つめた。

義兄を誘って良かったのかと迷いを感じていたせいで、吉倉にすべてを見通したうえで咎められている気がして、不安と焦りが湧く。

「は、はい。この間、病院で義兄の…えっと、いまは義兄じゃないんですけど…たまたま会って…病院で…」

支離滅裂に話してしまってから、由香は唐突に口を閉じた。

私ときたら…彼に言い訳することでもないのに…なんで…

「義兄? それではいまの電話の相手の方は、真央さんの父親?」

「え、ええ。真央はずっと会ってないはずなので…ふたりを会わせてあげたくて…」

「そういうことでしたか。…お姉さんには、了解を取っているんですか?」

「いいえ。…姉は会わせたがらないから…」

「いいんですか?」

強い口調で問われ、由香は吉倉と目を合わせた。

「えっ?」

「お姉さんには、お姉さんの考えがあるのではありませんか? 貴方が勝手にふたりを会わせてしまっていいのかな?」

吉倉の言うことは、正論だ。けど…

「わ、私だって…考えがあります」

由香は不服と腹立ちを込めて吉倉に言い返していた。

だって、彼は他人で、由香は妹であり叔母なのだ。

そうは思うのに気が咎めるのは、自分が間違っているかもしれないという思いを消せないから…

私ってば…なんか情けないかも…

「それはそうでしょう。ですが、貴方は真央さんの母ではない。真央さんの親権は貴方のお姉さんが持っている」

まるで弁護士が、無知な相手に対して法を振りかざしているような意見で、由香はカッとした。

「そ、そんなの。私は妹です。姉の幸せを願っているんです。姉は間違いを犯してると私は確信してるんです。靖章さんは離婚の原因になった浮気なんてしてないって…私は確信したんです。けど姉はそう思い込んでて…」

ムキになって憤るまま吉倉に言葉を投げつけていた由香は、急激に憤りの波が引いていき、言葉を止めた。

「ご、ごめんなさい。私ってば…」

「謝る必要はありませんよ。謝るのは私です。無関係な立場なのに…貴方に出すぎた意見をしてしまった」

頭を下げる吉倉を、由香は言葉無く見つめた。

「色々事情があるようですが…。いまさらだが…私も、貴方の力になれませんか? 何か役に立てるかもしれない」

「い、いいですよ」

「そうですか良かった。乗りかかった船です。お役に立たせていただきますよ」

へっ?

こ、断ったつもりなのに?

戸惑っている由香にお構いなしに、吉倉は口許に笑みを浮かべ由香の背を軽く押してきた。

「あ、あの…」

「ともかく車に乗って、走りながら話しましょう」

ええーっと…これはいったいどういうことで…?

「あの…私…」

「高知さん、ひとつ提案があるんですが?」

「え? 提案?」

「まだ時間も早いし…この後、予定がないのでしたら、もう一時間ほど私に付き合ってくれませんか? ちょっと行きたい所があるんです」

「予定? あ、あります予定。大型スーパーに行かなきゃならないんです」

そうだった。危うく、忘れるところだった。
イチゴちゃんのラッピング、取りに行かなきゃならないのに…

時間を確認し、由香は慌てふためいた。

「やだ、早く行かきなゃ、閉店しちゃうわ」

明日でもいいといわれたけど、イチゴちゃんがサンタちゃんなのは今日まで…

「これから買い物ですか?」

「ラッピングを頼んであるんです。それを取りに行くことになってて…」

「どこの大型スーパーですか?」

店の名を告げると、吉倉は頷き、すぐに車を発進させた。

「それでしたら、すぐに向かいましょう」

「は、はい。でも、もう間に合わないかも…」

「心配しないで、大丈夫。間に合わせるから」

力強く請け負う吉倉は、無条件で頼れる存在に感じられた。

なんの確約もないのに、由香は安堵を感じつつ吉倉に頷いていた。





   

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