ハッピートラブル
happy trouble


2 やっぱ、無理



「きゅ、休学う?」

目をまんまるにした丸美は、膝立ちになって小さなテーブルに両手をつき、大声で叫んだ。

あのあと両親と話し合い、蓬は大学を一年休学することになった。

両親からペンションを改築するだけの蓄えはあると聞き、蓬は盛大に安堵した。

だが、蓬の次年度分の学費はない。

さらに改築中は当然収入がないため、月々の仕送りも無理。

結局、蓬はこのアパートで暮らしながらバイトをして生活することにした。

話し合いが終わってからというもの、両親は娘を休学させなければならないことが辛そうだった。

そんな両親を見ている蓬も辛くてならず、予定を切り上げて早めに戻ってきた。

改築してまたお客さんが来てくれれば、来年には復学できる。

蓬としては、その間に両親に少しでも負担をかけないで済むよう、バイトでしっかり稼いでおくつもりだ。

「うん。でも……」

「ど、どうすんの? 困るよ、困るって! わたしはどうなるの? このアパートは?」

言うと思ったが……こいつめ。

「丸美さぁ……まずは休学しなければならなくなった、この可哀想なわたしを慰めなよ」

蓬は呆れて言った。

丸美は、ハヤテが怖がってきゃんきゃん鳴きながら逃げるときと同じ顔で、身を引く。

「だ、だってさぁ、あんたとわたしは一蓮生じゃん。蓬の不運はわたしの……」

「いちれんしょうって……?」

聞き返しているうちに、悟った。一蓮托生と言いたかったのに違いない。

「いちれんしょうは、いちれんしょう……。だよね?」

強い口調で繰り返しているうちに、確信が弱まったらしい。不安そうに聞き返してくる。

「……一蓮托生だよ」

「あ、ああ。たくね。そうか、そうだよ。いやだ、もおっ、蓬ったら」

あははと誤魔化すように笑う。疲れるやつめ。蓬はため息をついて、自分の部屋を見回した。

ふたりがおしゃべりするのは蓬の部屋と決まっている。

丸美は片付けという概念を持たない子なのだ。
当然、丸美の部屋は見るも無残なほど散らかっている。

あまりのひどさに、綺麗好きの蓬は片付けたくなるが、丸美の私室に手を出すようなことはしない。

なんとかふたりの共有の場が整頓されているのは、蓬の厳しい指導のたまもの。

「ねぇ、仕送りはゼロになるの?」

「うん。少しくらいならって言ってくれたけど、生活費はバイトでなんとかなるからって断った」

「でも改築できるだけの貯蓄があって、よかったよね」

蓬は笑みを浮かべて頷いた。愛情を注いできたあのペンションを手放すなんてことになっていたら、両親も蓬も辛くてならなかっただろう。

「ペンション経営も大変なんだねぇ。すっごく素敵なペンションなのに……」

「老朽化してなきゃね」

「確かにね……かなり古くなってるなって思ってた」

二度ほど来たことのある丸美の正直な感想に、苦笑いしてしまう。

「うん。わたしがいた間のお客さん、なんと五人だよ。お客さんが少ないと、出費ばっかで……かえって赤字になるんだよね」

「で、でもさ。改築したら、またいっぱいお客さん来てくれるよ。景色最高、もてなし最高、お料理も抜群に美味しかったからね」

「ありがと」

丸美に感謝の笑みを向けると、丸美は蓬の手を取り、力づけるようにぎゅっと握りしめてくれた。

丸美のおかげで元気が湧いた。

ほんと、手はかかるけど、素直でとびきりいい子だよねぇ。

「ねぇ、蓬。とにかくさあ、休学しないで済む方法がないか、知恵を絞ってみようよ」

休学しないで済めば、蓬だってそりゃあ嬉しいが……難しいだろう。

「丸美、大学の授業料、いくらか、知らないわけじゃないでしょう?」

「そ、そりゃあまあ……けどさ、一括じゃなくて月払いもできるはずだよ。月払いなら……」

「なんともならないって。いまのわたしのバイト代じゃ、アパートの家賃と生活費で消えちゃうよ」

ことごとく言い返されてむっとしたらしく、丸美が拗ねた目を向けてくる。

大きな目の丸美がそんな表情をすると、なおのことハヤテに似て見える。

「初めっから、そんな風に諦めてちゃ、いい解決策なんて思いつけないと思うんですけどぉ」

ほっぺたをパンパンに膨らませて言う丸美に、蓬はため息をついた。

蓬だって色々考えてみたのだ。バイトを三つくらい掛け持ちして、なんとかならないかとか……

だがどう考えても、高額の学費を稼ぎながら大学に通うというのは無理がある。

お金を稼ぐというのは簡単じゃない。

いまの蓬は、バイトで生活しながら、どれだけ貯金ができるのかということを考えなければならないのだ。

いまやっている靴屋のバイトは週に二度。できればもっと働きたいが……

経営者である森之宮杏子は、両親がやっているペンションの常連客だ。

杏子はペンションを気に入っていて、年に何度も来てくれている。

実は蓬の通っている大学も、杏子がすすめてくれて受験したのだ。

さらに靴屋でのバイトにも誘ってくれた。

蓬が事情を話してもっと働きたいと言えば、杏子はきっと快諾してくれるだろう。

だが、そうなると他のバイトの子のシフトが減ることになる。

やはり新しいバイトを探すよりない。

なるべく割のいいのを……

「蓬が休学しちゃうんなら、わたしも休学しようかな」

考え込んでいた蓬は、丸美の言葉に目を丸くした。

「ま、丸美、何を言い出すのよ」

「だって……蓬がいるから、なんとか課題もクリアできて、進級できることになったんだよ。蓬が一緒じゃなきゃ、進級なんて絶対無理だもん」

はあ〜っ。蓬は盛大に息を吐き出した。

「あのねぇ、丸美。あんたはできる子なんだよ。課題の意味を勘違いしたり、試験でのイージーミスが多すぎるの」

「それが直せないから、蓬を頼るんじゃん」

丸美は唇を突き出して言う。

「自立しろっ!」

 蓬は思わず怒鳴りつけた。

握り締めた両手を顎の下に当て、丸美は怯えた子犬のように震える。

「あーのねぇ」

「わ、わかってるもん! 馬鹿じゃないんだから」

「へーっ、いまのが、わかってるひとの発言ねぇ」

蓬は頬をヒクヒク引きつらせて言った。

「蓬、意地悪すぎるよぉ……」

涙目になっている丸美を見つめ、蓬は大きなため息をつくと、改めて口を開いた。

「でも、丸美は自立しなきゃ。わたしが一生一緒にいてあげられるわけじゃないんだから」

「そ、そんな悲しいこと、言わないでよぉ〜」

丸美はピーピー泣き出した。

やれやれ……

「なんか、飲む? 丸美、ミルクティーなんてどう?」

すすり泣きながらも頷く丸美を見て、蓬は苦笑しつつ立ち上がった。

自立の必要性は感じるが、それでも丸美は大丈夫だと思う。

性格も悪くないし可愛いし、きっといい相手が現れる。

頼りがいのある男性なら、丸美のドジな部分さえ可愛く見えるだろう。

「はい。丸美、ミルクティー」

すんすんと鼻を啜っている丸美に、蓬はカップを差し出した。

「あ、ありがと」

少しは落ち着いたらしい。

小さく頭を下げてお礼を言い、丸美はカップを口に運ぶ。

蓬は自分の湯呑みを取り上げた。

緑茶だ。蓬は緑茶が大好きなのだ。

それにケーキよりもおまんじゅうや大福のほうが好み。

もちろんケーキが嫌いってわけじゃないんだけど……

「……あのさぁ」

おずおずと丸美が話を切り出してきた。

「うん?」

「お兄ちゃんと香織さんなら、力になってくれると思うんだ。相談してみようよ」

「それって。あの店でバイトするってこと?」

丸美は、兄の山本陽介が経営している店でバイトをしている。香織は陽介の妻だ。

靴屋とかけ持ちで働かせてもらえるだろうか?

だが、ふたりの経営しているお店は、『エンジェルカフェ』という名のコスプレ喫茶なのだ。

わ、わたしにやれるかな?

「う、うーん、それがさあ、いま募集してないんだよ」

「な、なんだ」

蓬は思わずがっかりして肩を落とした。

コスプレしてウエイトレスなんて、気が引けていたのに、駄目と聞くと惜しく感じるとは……わたしって、勝手なやつ。

「ええっ! よ、蓬、まさかその反応……バイト、やる気あったの? 香織さんからいくら誘われても、ずっと断ってたのに……」

「これまではね。そんなに稼ぐ必要を感じてなかったもん。いまのバイトで充分だったし。だけど、今はそんなこと言ってらんないじゃん。……でも、募集してないんじゃ駄目だね」

「いやいや、何言ってんの。蓬がやりたいってんなら、とにかく聞いてみようよ」

それって、無理やりお願いすることになるんじゃないだろうか?

だが、いまはなんにでもすがりたい。

雇ってもらえるなら、時給以上の働きをするつもりで……

け、けど、コスプレだよ。という心の声を、ぎゅっと握り潰す。

「そうだね。聞いてみようかな。……時給、すごくいいみたいだもんね」

その代り、かなりぶっとんだコスプレをして、客をもてなさなきゃならない。

丸美がバイトしているから、蓬も何度か客として行ったことがあるのだ。そのときの店員たちの様子を頭に思い浮かべ、ついつい顔がひきつる。

丸美は、美少女戦士マリカというキャラに扮していて、「君のハートを、マリカのミラクルパンチでとろかすぞぉ〜」と言いながら、真っ赤な猫足グローブをはめた手で、客の胸に可愛らしくパンチを繰り出していた。

丸美と同じことをしている自分を想像しようとした途端、眩暈に襲われ、蓬は手のひらでぐっと額を押さえた。

可愛い顔をしている丸美には嵌まり役だが、蓬があの姿をしても可愛くもなんともない。

募集してなくてよかったかもしれない……

もし募集していたら金欲しさに、やってしまっていたかもしれない。

客の冷笑を浴びている自分を思い浮かべ、顔が歪む。

「蓬、どうしたの? 気分悪いの?」

心配そうに顔を覗き込まれ、焦った蓬は急いで話を変えた。

「あ、あのさぁ。陽介さん、他にバイトの口とか紹介してくれないかな?」

できるだけ割のいいのをと付け足したかったが、さすがに口にできなかった。

「うーん。そだね。とにかく会いに行ってみようよ。まずは兄貴に連絡取ってみるね」

蓬は感謝を込めて頷いた。

「ねぇ、ところでさ。参考のために聞きたいんだけど、『エンジェルカフェ』の時給は、いくらくらいなの?」

「二千五百円だよ」

携帯をポケットから取り出しながら、丸美はこともなげに言う。蓬は呆気にとられた。

にっ、二千五百え〜ん?

「こ、コスプレ喫茶って……そんなにもらえるの?」

蓬は思わず頭の中で計算した。日曜日、八時間働かせて貰えたら二万円になるのか?

胸がドキドキしてきた。

携帯を操作する手を止めて丸美は頷き、さらに説明してくれる。

「うちは、他んとこより高いと思う。その代わり、審査がすっごく厳しくて、そう簡単に雇ってもらえないんだよ」

「ええっ、審査なんてあったの?」

目を丸くしている蓬を見て、丸美はくすくす笑う。

「うん、本来はそうだよ。蓬はあっさり断っちゃったけど、香織さんの審査に受かるのは簡単じゃないんだよ」

「そ、そうだったんだ」

「うん、そうなの」

そう答えながら、丸美は陽介に電話をかける。

断ってしまってもったいなかったかも……

時給二千円をみすみす棒に振っていたとは……

でも、コスプレだしなぁ……

微妙だぁ。

蓬は眉を寄せて真剣に考え込んだ。

こうなったら、頼み込んでなんとか雇ってもらうべきか?

い、いやいや、「ミラクルパーンチ」だもんな、しかも猫足で……

猫足を着けてへんてこな笑いを浮かべている自分がポンッと浮かび、頬がヒクつく。

やっぱ、無理かもぉ……





   

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