ハッピートラブル
happy trouble


3 未来に不安



居間に通された蓬は、緊張の面持ちで勧められたソファに座った。
もちろん丸美も一緒に来てくれている。

「急にお邪魔しちゃって、すみません」

蓬は陽介と香織に頭を下げた。

面倒な頼みごとを抱えているせいで、緊張しているのだが、なぜか香織は、にこにこ顔で蓬を見つめている。

な、なんなんだろう?

「姫野君、大変なことになったな」

陽介から言われ、蓬は慌てて頭を下げた。

「は、はい。厚かましいお願いに来てしまって……」

蓬の事情は、すでに丸美がふたりに伝えてくれている。

「ねぇ、それで、蓬のこと雇ってもらえる?」

 出し抜けに丸美が話を切り出し、蓬は焦った。

「ま、丸美。いきなりすぎるよ」

蓬は丸美を抑え込むように手をかけた。

「いきなりって……わたしら、雇ってもらえるか聞きに来たんじゃん」

「そ、そうだけど……」

ドキドキしてならない。

雇ってもらえなかったらがっかりしてしまうが、雇ってもらえたらもらえたで、コスプレをしなければならないのだ。

「なんとしてでも、蓬が休学せずに済むようにしないとならないんだよ。いまバイトを募集してないのはわかってるんだけどさ……お願い、このとおりだから。蓬のこと雇ってもらえないかなぁ」

丸美は必死の形相で、両手をこすり合わせながら拝むように頭を下げる。蓬も慌てて丸美にならった。

「バイト募集はしてないけど、蓬ちゃんならもう大歓迎よ。実はね、蓬ちゃんにぴったりの役どころがあって、わたし、ずっとプランを練ってたのよ。ねえ、陽介さん」

「ええっ! 香織さん、どんなプランなの? なんの役? 聞かせて、聞かせて」

丸美ときたら、飛びつかんばかりに香織をせっつく。

「ふふ。実はねぇ……」

「香織。その話は後にしよう。まだ問題は解決してないんだからな」

「なんでよ? お兄ちゃんとこ時給いいし、このお店でめいっぱいバイトさせてくれさえすれば、なんとかなるよ」

「丸美。さすがに生活費と学費の両方を稼ぐってのは無理だぞ」

「えーっ! そんな冷たいこと言わないで、お兄ちゃん、なんとかしてよぉ」

無茶を言い出した丸美に、蓬は慌てた。

「丸美ってば、無理を言っちゃ駄目よ」

「だ、だってさ……他に頼れる人いないじゃん」

他に頼れるひとがいないわけではないのだが……。

杏子ならば……いやいや、駄目駄目。迷惑をかけるとわかっていて頼れない。

大学を一年休学すればいいだけのこと、やはり諦めよう。
人様に迷惑をかけて大学に行くなんて、両親だって嫌に違いない。

「あの、おふたりとも、すみませんでした。無理なお願いだということはわかっていたんです。もう諦めます」

「おいおい、姫野君、そう結論を急ぐなよ」

「でも……」

「お兄ちゃん、自分が無理って言ったんじゃん」

「それは俺のとこのバイトだけでは無理って意味で言ったんだ。もしかすると、なんとかしてくれるかもしれないし……ひとつ相談してみようかとな」

微妙な言い回しだったが、なんとかしてくれるかもしれないという言葉に、思わず期待してしまう。

「えっ、お兄ちゃん、それ、ほんと?」

「陽介さん、何かいい方法があるんですか?」

蓬も勢い込んで陽介に問いかける。ふたりの食いつきっぷりに、陽介が声を上げて笑った。

「ふたりとも、あんまり期待してくれるなよ。可能性があるってだけで、絶対じゃない。とにかく相談してみるから」

携帯を取り出す陽介に、蓬は戸惑いつつ頷いた。

「どうも、山本ですが。……はい。那義(なぎ)さん、いまよろしいですか?」

陽介が電話の相手と話す様子を、蓬は息を詰めて見守った。

この交渉次第で、蓬の未来が変わるのだ。

「ねえねえ、香織さん。那義さんって、お兄ちゃんのお店のオーナーの片腕さんですよね?」

丸美が香織のほうに身を乗り出し、こそこそと話しかける。香織が「そうそう」と頷いた。

オーナーの片腕?

こ、これは、かなり期待がもてそうな気がする。

陽介のお店のオーナーはかなり裕福なひとらしい。

実は蓬と丸美が住んでいるアパートも、そのオーナーに破格の低家賃で借りているものだ。

陽介は、蓬の現状……次年度分の学費や生活費を、わけあって親に用立ててもらえなくなり、なんとか自力で働いて大学に通いたいと思っていることを伝えてくれた。

「蓬、那義さんってひとが味方になってくれたら、百人力かもよ。凄いやり手らしいもん」

「そ、そうなの?」

丸美の言葉を聞き、蓬は香織に目を向けてみた。

香織は丸美の言葉を肯定するように、微笑みながら頷いてくれる。

蓬の期待はさらに膨らんだ。

「そうですね。わかりました。彼女に聞いてみます」

陽介が振り返って蓬を見る。緊張からごくりと唾を呑み込んだ。

「姫野君、これからなら時間があるし、君に会いたいって……行けるかい?」

突然すぎるし、ためらいも感じるが、尻込みなどしていられない。蓬は大きく頷いた。

「行きます。もちろん」

陽介はこれから連れていくと伝え、すぐに携帯を切った。

「それじゃ、行ってこようか」

さっと陽介が腰を上げたところで、「ちょっと待って」と香織が声をかける。

「なんだ? 香織」

「那義さんに相談して、どうなるにしても、蓬ちゃんにはわたしたちのお店で働いてもらいたいわ。いいでしょう、蓬ちゃん」

「は、はい」

「そうだな。週一くらいなら、大丈夫なんじゃないか? どう姫野君、やってくれるかい?」

週一ということは、たぶん働いてほしいのは休日なのだろう。

土曜日は靴屋でバイトだが、日曜日なら大丈夫だ。

面倒な相談に乗ってもらっているのだし、そのお礼になれば嬉しい。

コスプレ、頑張ってみよう。

「それでは、やらせていただきます」

「ほんとに? やったわ! もちろん無理は言わないわ。週一でも充分」

「蓬と一緒にバイトできるんだね。いやっほーい!」

勢いよく叫んだ丸美が、ぎゅっと抱き着いてきた。

「わわっ」

「蓬と一緒にバイトできて、コスプレ姿も見られるんだぁ。香織さん、できればさあ、蓬もマリカルのメンバーにしてよ」

「丸美ちゃん、マリカルは三人。もうメンバーは揃ってるから駄目よ」

「隠しキャラってことでさ。お店のオリジナルで作っちゃえばいいじゃん」

「うーん、それも魅力的ね。けど、さっきも言ったとおり、もう決めてるの。蓬ちゃんの魅力を最大限に引き出せるキャラよ。楽しみにしててね、蓬ちゃん」

いったいどんなコスプレをすることになるのか、蓬は自分の未来にかなりの不安を覚えた。





   

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