ハッピートラブル
happy trouble


4 料理のお受験



「陽介さん、本当にご面倒をおかけして、すみません」

車が走り出したところで、蓬は陽介に頭を下げた。

「いやいや、いいって……俺こそ丸美が世話になりっぱなしで、君にはすまないと思ってるんだ。丸美も言ってたが、あいつが進級できたのは君のおかげだし。なのにあいつときたら、自分のことしか考えてない。我が妹ながら呆れるぜ」

世話をしているというのは事実だが……自分のことしか考えていないということはない。

「丸美はやさしいです。わたしことを心配して、一生懸命になってくれて……」

陽介がぷっと吹き出し、蓬は戸惑って顔を向けた。

「君はあいつの食事を作り、弁当も作ってやり、アパートの掃除もしてやってるんだろ? さらに、課題も手伝ってくれてる」

「あ……はい」

「丸美は君に甘え過ぎだ。もっと自立したほうがいい。兄としては、あいつの将来が心配でならん」

陽介の言葉に蓬はハッとし、ひどく気まずくなった。

わたしは丸美を甘やかしてしまっている。それは丸美のためになっていないんだ。

「すみません、陽介さん」

「えっ? お、おいおい、俺は君を責めてるわけじゃないんだぞ。あいつが悪いんだって。姫野君は被害者だよ」

「被害者なんてことは……丸美や陽介さんのおかげで、あんないいアパートに格安で住まわせてもらえて、感謝しているんです」

「とにかく……なんとかなるといいんだがなぁ」

真剣に考えてくれている陽介に、彼女は感謝を込めて頷いた。

「さーて、姫野君、着いたぞ」

「えっ、もう着いたんですか?」

まだ五分も走っていない。

「ここの最上階なんだ」

見上げた建物は、かなり高級そうなマンションだった。





「では、改めて紹介させてもらうよ。姫野蓬君だ。今度大学二年になる」

「ふん、ふん」

向かいに座っている男性が軽い返事をする。

「姫野君。このひとは、貴島弥義(やぎ)さんだ」

「よ、よろしくお願いします」

焦りつつ頭を下げたが、蓬は内心首を傾げた。

いま陽介は弥義と言ったような……電話で話しているときには、那義と言っていた気がするのだが……

それにしても、丸美の話とはイメージが違い過ぎていて、面食らった。

オーナーの片腕で、凄いやり手のひとだと言っていたけど……

蓬は、改めて弥義を見つめた。

二十代前半くらいの男性で、大きなドクロ模様のTシャツに真っ赤なジャンパー、破れたジーンズを穿いている。

髪はちょっと長めで、洗ったまんまという感じ。

もちろん、人は見た目ではわからないものだが……

「それで、弥義、どうにかなるかな?」

「うん。妙案がね、あるにはある」

「妙案? どんな?」

「君さ、料理は得意かい?」

唐突に弥義が蓬に質問してきた。

「は、はい? 料理ですか?」

「姫野君は、料理の腕はいいようだぞ。俺の妹がずいぶんと自慢してる。けど……料理って?」

「若のだよ」

「えっ?」

陽介がきょとんとした。

わけがわからない蓬は、ふたりのやりとりを黙って見守る。

「オーナーのって? 意味がわからないんだが……」

「若の夕食を作ってもらうのさ」

「け、けど……オーナーは……無理だろ?」

陽介は、言葉にかなりの力を込めて言う。

「那義は試すと言ってる」

那義? どうやら那義というひとも存在しているらしい。

「ま、まあ……那義さんがそうするっていうなら……けど、無理だろ?」

陽介は、蓬をチラッと見て言う。蓬は肩を落とした。そんなに無理だ無理だと連呼されては気落ちする。

「陽介、お前が無理無理言うから、姫野さんが落ち込んじまったじゃないか」

弥義に叱られ、陽介は顔をしかめた。

「あっ、姫野君、ごめん」

「い、いえ……」

「姫野君」

弥義から改まって声をかけられ、蓬は姿勢を正した。

「はい」

「君には、試験を受けてもらいたい」

「試験ですか?」

「君の作った夕食を若が受け入れたら、今後君には若の夕食係りになってほしい。その場合、君の問題はすべてこちらでなんとかしよう」

「な、なんとか……?」

どうにも話が呑み込めない。

夕食を作って若というひとが受け入れたら、蓬の学費をなんとかしてくれるというのか?

夕食を受け入れてもらうというのがどういうことを指すのか、いまいちわからないのだが……?

だが、もし夕食を作るだけで学費を出してもらえるなら、あまりに蓬にとって都合のいい話だ。

「姫野君」

困惑していると、陽介が声をかけてきた。

「は、はい」

「夕食を作るだけだが……ことはそう簡単じゃないんだぞ。まず無理だと思って挑んだほうがいい」

「そ、そうなんですか?」

「おいおい、陽介。これから試験を受けてもらうってのに、そんな萎縮させるようなこと言うなよ」

「だが真実だ。簡単じゃないってわかってるから、そっちだって、ありえないほどの好条件を出してきてるんだろ?」

「ま、まあな……」

陽介の指摘に、弥義は困ったように頭を掻く。

「けど、可能性はあるんだからさ……なあ、姫野君、もちろんチャレンジするだろ?」

弥義に問われ、まだ話がよく見えていなかったものの、蓬は頷いた。

「はい。まだよくわかっていないんですけど……とにかくわたしは、夕食を作ればいいんですよね?」

「そういうこと」

「あのどんなものを作れば……い、いえ、その前に……もし試験に受かったら、本当にわたしの学費を……?」

「うん。若が君の夕食を食べて受け入れたら、君の学費及び生活費はすべて保証しよう」

「生活費も?」

「そりゃあ、学費だけじゃやっていけないだろ?」

「で、でも。あの夕食を作るだけなんですか? 掃除とか……」

「それは必要ない。君は夕食を作るだけでいい。仕事の負担が増えたんじゃ、大学に通えなくなる」

話を聞けば聞くほど驚きが深まり、蓬は目を丸くした。

「つまり、料理のお受験ってわけだよな」

料理のお受験?

「姫野君、繰り返すけど、このお受験の合格率は一パーセントにも満たないと思って挑むんだぞ」

言い聞かせるような陽介の言葉に、蓬は頷いた。

しかし一パーセントにも満たないとは……

確かにこんな好条件のバイトが、そう簡単なわけがないだろうが……

「あの? 何か対策とか秘訣とかは……」

「ない」

弥義の返答は取りつく島もない。

「君はなんでもいいから、とにかく作ればいいんだ。君がこのチャンスをものにできるかどうか、俺たちにもわからない」

結局、詳しいことはまったくわからないままだったが、夢のような好条件のバイトをゲットするため、蓬は料理のお受験に挑むことになったのだった。





   

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