ハッピートラブル
happy trouble


5 不安を抱えて結果待ち



陽介は店があるからと先に帰り、蓬はそのまま弥義に案内されてオーナーの家に行った。

なんとオーナーの家は弥義と同じマンション、しかも隣の部屋だった。

まるでモデルハウスのようなお洒落な家に思わず息を呑む。

さらにキッチンに入り、目を丸くしてしまう。

そこにはあらゆるキッチン用品が揃っていた。

冷蔵庫の中の食材の豊富さに、ため息が出そうになる。
どれも見ただけで高級食材だとわかる。

蓬はちょっと興奮してきた。
こいつは腕が鳴るというもの。

「びっくりです。食材、すごく揃ってますね、なんでも作れそう」

「食材のストックは那義がしてる。料理も那義の担当なんだ。それ以外の掃除とかは俺の担当だけどね」

「おふたりが?」

この弥義が家事をやっているなんて、なんだかおかしな感じだ。

見た目で決めつけちゃ駄目だろうけど……

「うん。ほかに任せられる人材がいなくてね」

「そうなんですか」

「まあ、そんなことはいいから、料理作って。俺、そこのテーブルで仕事してっから。料理は二人分頼むね」

これから難関のお受験が始まるにしては、あっさりと言われ、緊張が緩む。

「わかりました」

ついついリラックスして答えてしまい、蓬はそんな自分を叱りつけたくなった。

大学に行けるか行けないかの瀬戸際なのだ。

しっかりしなければ……

だが弥義を見ると、椅子に座り、のんびりとファイルを見ている。

蓬は物足りない気分でため息をつき、キッチンの引き出しをチェックして何がどこにあるかを確認した。
そして食材を見て献立を決める。

そこにあった大きなエプロンを借りた蓬は、必要な食材を出し、さっそく料理を開始した。

キッチンは機能的、調理器具も一級品だ。
切れ味抜群の包丁を持つと、楽しくてたまらない。

料理に夢中になった蓬は、ハミングしつつキッチンの中を動き回った。

「弥義さん、できましたあ」

思わず軽く拍手しながら、蓬は弥義に報告した。ちょうど蓬を見ていたらしく、ふたりの目が合う。

「君、手際がいいなぁ」

立ち上がった弥義は感心したように口にし、キッチンに入ってきた。

料理を目にし、「うおっ、うまそーっ」と言う。

悪くない反応にちょっと嬉しくなった。





お受験を終えた蓬は、言われていたとおり陽介の家に戻った。

結果はあとで陽介に連絡してくれるということだ。

インターフォンを押すと、玄関から丸美が飛び出してきた。
なんと、美少女戦士マリカの姿のままだ。

「蓬、おっかえりぃ」

猫足で、ポンポンと胸のあたりを叩いてくる。

「丸美、出てきちゃって、お店いいの?」

「いいのいいの。わたしはもう上がりだよ。それで、それで、どうだったの?」

「どうって……夕食作って帰ってきただけだから」

「えっ? なにそれ?」

「丸美、陽介さんから、何も聞いてないの?」

陽介の車は、車庫にある。帰ってきているはずだ。

「聞いてないよ。わたし、ずっとお仕事してて、いま上がったばっかりだもん。……あれっ、そういや兄貴は? 一緒に戻って来たんじゃなかったの?」

「ううん、わたし、料理をすることになったから、陽介さんは先に帰ったの」

「へっ? 蓬、どうやって帰ってきたのよ?」

「歩いてよ。車で行く必要がないくらい、近かったの」

「そうなんだ。それで、料理って……ああ、とにかく家に入ろう」

丸美に手を取られ、蓬は陽介の家に上がらせてもらった。

「よおっ、帰ったな」

家の奥から陽介が現れ、歩み寄ってくる。

「お兄ちゃん、家にいたの?」

「ああ」

「ねぇ、どういうことなの? 蓬、料理を作って来たって……」

「居間に行こう。話はそれからだ」

ソファに座り、蓬と陽介は、丸美に一部始終を話して聞かせた。

「へーっ。それじゃあ、蓬、オーナーさんの専属料理人になるってわけ?」

「もしも合格できたらってことなんだけどね」

「それなら、もう間違いなしだよ。蓬の料理は文句のつけようがないからねぇ」

丸美の言葉を聞き、蓬は思わず陽介と目を合わせてしまう。

「なんかね。合格率すごく低いみたいで」

「何言ってんの、自信持ちなよ。蓬の料理なら絶対大丈夫だって」

「いいか丸美、これはそんな簡単なことじゃないんだ。だからこそ、ありえないほどの好条件を提示してくれてるんだ」

「好条件? どんな条件なの?」

「うん、それが夕食を作るだけで、学費を払ってもらえて、生活費もくれるって」

「ええっ⁉ す、すっごいじゃん。まさにありえないほどの好条件だよ。蓬、やったね!」

丸美はすでに蓬が合格したかのように、無邪気に飛び跳ねながら肩をバンバン叩いてくる。

「だからね、そんな簡単じゃないらしいんだってば」

そう繰り返すものの、合格を信じて疑わない丸美ははしゃぎ続ける。蓬と陽介は目を合わせて苦笑いを浮かべた。

「丸美、もうお仕事終わったんなら、着替えて帰ろ」

「ああ実はな、香織が君らにも食べてもらいたいって、カレーを作ってるんだ。試験の結果も気になるだろうし、結果待ちついでに食べていかないか?」

「うわあ、楽しみぃ。ご馳走になるなる。そいじゃ、わたし着替えてくるね」

蓬は丸美と一緒にスタッフルームの更衣室に向かった。

「香織さんと陽介さんって、お店のほうは出なくていいの?」

「ふたりとも顔は出すけど、ずっとじゃないよ。裏方仕事のほうがメインだし。お店はキャップがいて、全部仕切ってる」

「そうなの」

「蓬も、お店に入ったら紹介してもらえるよ。キャップ、すっごいかっこいいんだよ」

「女のひとなんでしょう?」

「違うよ。キャップは男のひと」

「へーっ。男のひとは厨房だけじゃなかったの?」

「キャップも、問題が起きない限り表には出てこないよ。でも、みんなキャップに褒められたいがために、頑張ってるところがあるんだよ」

しゃべっているうちに丸美は着替えを終え、ふたりは陽介たちの待つキッチンに行った。

美味しそうなカレーの匂いに、空腹を感じる。彩りのよいサラダも大きなお皿いっぱいに盛ってあった。早速席に座って、ごちそうになる。

「すごく美味しいです」

「そう。嬉しいわぁ。わたし、カレーだけは自信あるのよぉ」

「うん。香織のカレーは最高だ。しかも、いろんな種類を作れるんだよ」

デザートと紅茶までいただき、お腹が満足した蓬は、やけに落ち着いている自分に気づいた。

そろそろ結果の電話がくるはずだが、どうせ駄目だろう。

合格率が一パーセントにも満たないんじゃ、期待も持てやしない。

だからこその、好条件。

世の中そんなに甘くはないのだ。

それでも、陽介のポケットから着信メロディが鳴り始めると、どきりとした。

陽介が携帯を確認し、蓬に向けて意味深に頷く。

やにわに鼓動が速まり始めた。

も、もしかすると……もしかして、合格してるかも。

そしたら大学に通い続けられるのだ。

蓬は無意識のうちに両手をぎゅっと握り合わせて、携帯を耳に当てる陽介を見守った。

丸美も香織も陽介に注目する。

「はい。山本です」

陽介が表情を引き締めたのを見て、蓬はぐっと眉を寄せた。

やっぱり、駄目……だったのか?

「蓬」

丸美が力づけるように呼びかけてくる。

「うん」

「那義さん。……はい。彼女はいまここに。どうでしたか?」

電話をかけてきたのは、那義というひとのほうだったらしい。

心臓が破裂しそうなほどドキドキする。結果次第で、蓬の未来が決まるのだ。

「そうなんですか? ……わかりました。伝えます。それじゃあ」

「陽介さん、あ、あの?」

陽介が電話を切るのを待っていた蓬は、何かに急かされるように声をかけた。

だが、陽介は黙ったまま。

「ちょっとお兄ちゃん。早くなんか言いなよっ」

「お、おお……うまくいったらしい」

信じられないというように陽介が言う。

ドキドキしっぱなしだった蓬の心臓は、その言葉に大きく跳ねた。

「ほ、ほんとですかっ!?」

「う、うん。驚いたな。まさか合格するとは……。と、ともかくよかった。これからのことを話したいから、明日午後四時半に那義さんとこに来てくれってさ。あ、昨日行った弥義のマンションと同じだから」

「は、はいっ」

返事をした途端、身体中の力が抜け、蓬はよろよろとその場にしゃがみ込んだ。





   

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