ハッピートラブル happy trouble |
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6 途方もない条件 超難関だと聞かされていた料理のお受験に無事合格した蓬は、翌日、指示されたとおり、那義たちのマンションに向かった。 夢のような気分だが、その反面、好条件すぎて不安にもなる。 夕食を作るだけなのに、大学の費用と、さらに生活費までいただいてしまっていいものなのか? 約束の時間より少しだけ早くマンションに着いた蓬は、深呼吸して部屋の番号を押した。 「はい」 「あ、あの。姫野です」 「どうぞ」 エントランスの解錠をしてもらい、マンションへと入る。 インターフォンを押し、待つことしばし、ドアが開けられた。 「こんにちは。昨日は……」 挨拶をし、頭を上げた蓬は、目の前の人物を見て思わず固まった。 えっ、このひと、弥義さん……よね? でも……な、なんか雰囲気が違い過ぎるんですけど。 物凄く凝ったデザインのスーツを着ている。 こ、これって、あれよね? 丸美に無理やり連れて行かれた執事喫茶の執事さんたちが着ていた制服っぽい。 「姫野蓬さんですね?」 「は、はいっ。あ、あの……弥義さんじゃ……?」 「私は貴島那義です。初めまして」 那義? そ、そうか……このひとが最初に陽介さんが電話をしていた那義さんなのだ。 良く似ている。顔に限ってだけど…… 「は、初めまして」 「さあ、どうぞ入って」 「は、はいっ」 ど、どうしよう。このひと、弥義さんと違って、ものすごーく緊張する。 無表情だし、とっつきにくい。 弥義さんはどうしたのだろう? どうせなら、弥義さんのほうがよかったのに…… おたおたしつつ、那義に勧められるまま、昨日座ったソファに腰かけた。 沈黙の中、向かいから目を細めて見つめられ、緊張がさらに高まる。 「難関を見事突破しましたね。まずはおめでとう」 そっけない物言いに一瞬なんのことだがわからなかったが、すぐに料理のお受験に通ったことに違いないと気づく。 「は、はい」 焦って言うと、くいっと右眉を上げられた。 その反応に「ひいっ」と悲鳴を上げそうになる。 「これから試用期間に入ります。三日から一週間をめどに考えています。ただし、日曜日は休みになります」 「試用……期間?」 「ええ。無事、試用期間を終えられましたら、本採用となります」 どうやら、本決まりというわけじゃなかったらしい。 そうわかってちょっと気落ちしたが、まだ望みは絶たれていないのだ。 そのことを喜ぶべきだろう。 「ですが、本採用となる確率は高い」 その言葉に思わず笑みを浮かべた蓬とは裏腹に、那義は考え込んだ様子で「ただ……」と続ける。蓬は笑みをひっこめ、那義の言葉を待った。 「採用の際には、ある条件を呑んでいただきたい」 条件? 「あの、どんな?」 「貴女には、男になってもらう」 夕食を作りながらも、那義の口にした条件が頭から離れず、蓬は激しく動揺していた。 那義の説明によると、彼らが若と呼ぶオーナーは、女性を近づけたがらないらしい。 その理由は教えてもらえなかったが、蓬が女である以上、採用されることは絶対にないという。それで男のふりをしろというわけだ。 騙したりしていいんですかと聞いたら、「若がお気づきにならなければ、なんの問題もない」と言われた。理解に苦しむが、蓬としては条件を呑むよりない。 この話が消えたら大学は休学しなければならない。 逆に考えれば、男のふりをするだけで蓬の望みは叶うのだ。 だが、そのためには…… 蓬は奥歯を噛み締めた。 誰の目から見ても、男に見えなければならないということだ。 いまはセミロングのこの髪……切らなければならない。 けど、やるしかないよね? 蓬は鍋をかき混ぜながら、自分に強く問いかけた。 「ふむ。ビーフシチューですね」 突然の声に、蓬はぎょっとして顔を上げた。 いつの間にか那義が隣に立って鍋を覗き込んでいる。 「は、はい」 「ありがたいですね」 「あ、あの……ありがたいって?」 「もちろん貴女の料理の腕がいいことですよ。……若は、昨日の夕食を作ったのは、私だと思っておいでなのです」 「はいっ?」 「全部食べてしまわれた。今日の夕食は美味しかったというお言葉までいただきました」 口元に微かな笑みを浮かべながら言う那義に、蓬は戸惑った。 それじゃ試験にならないような……? 「試用期間で、まず間違いなく、若は私の料理では満足できなくなります。そうなれば、若はどんな条件を呑んででもあなたを雇うでしょう」 確信を込めて那義が言う。 「そ、そうでしょうか?」 「ええ。若をよく知る私が言うのです、間違いありません」 蓬は納得して頷いた。 |