ハッピートラブル
happy trouble


7 覚悟



日曜日があけて、試用期間の三日目となる月曜日、夕食を作りに行った蓬を出迎えてくれたのは那義だった。

今日も那義は、隙のない完璧な執事姿。

「こ、こんにちは」

ちょっと緊張を感じつつ、挨拶をする。

「やりましたよ」

真顔でそう言われ、一瞬なんのことやらわからなかった。

「はい? あの那義さん、やったって?」

那義がゆっくりと頷き、口元に笑みを刻む。彼の笑みを見たのは初めてだ。
ちょっとどきりとしてしまう。

「本採用です。姫野さん、貴女は合格したのですよ」

「えっ、でもまだ、試用期間の三日目で……」

「そんなことは関係ありません。すでに合格が決まったのですから試用期間は終わりです」

どうやら、喜んでいいらしい。

が、決まったことによって新たな不安が湧いてきた。

わたし、男にならなきゃならないんだよね?

「正式採用ということで、話があります。上がってください」

「は、はい。それじゃ……お邪魔します」

一気に事態が前進し、気持ちがついていかない。

蓬はぎこちない動きで靴を脱いだ。

居間に通され、那義の向かいのソファに座る。

那義が用紙を差し出してきた。

正式採用に関する書類だ。

雇用期間は今日から来年の三月末までで、一年分の学費は一括で支払われ、その他に生活費として月々十万円が支給されることになっていた。

「じゅ、十万円?」

「生活費ですが、足りませんか?」

「い、いえ、そうじゃなくて、お、多すぎると思います。……だって、わたしは夕食を作るだけで、一年分の学費も払っていただくのに」

「こちらは貴女の働きに見合うものをお支払いしようというのです。黙って受け取りなさい」

「で、でも……いくらなんでも十万は多すぎます。それに他にもバイトをするので、生活費にはそちらをあてますし」

「山本の店で働くと聞いています。が、週に一度では、たいした額にはなりませんよ。アパートの家賃や光熱費だけで……」

「靴屋でもバイトしているんです。もちろん夕食作りに支障がないようにしますけど、そのバイトを続けようと……」

「そちらは、ただちに辞めてください」

「えっ?」

「どう考えても無理でしょう? 休みなくバイトをしながら大学に通い続けようなんて、姫野さん、あまりに甘い考えですよ」

厳しく叱責され、蓬は顔を真っ赤にして俯いた。

「貴女は明日、靴屋のバイトを辞めること。いいですね?」

蓬は顔をしかめつつも、「わかりました」と答える。

那義の言うことは正論だ。

大学に通いながら休みなくバイトするなんて、最初はよくても次第にしんどくなっていくだろう。

雇用契約書に目を通した蓬は、あまりの好条件にごくりと唾を呑み、震えそうな手でサインをした。

「夕食作りは月曜から土曜まで。五時くらいから入っていただいて七時までにすべてを終えてくださればいい。日曜日は休みですが、山本の店でのバイトがありますね。こちらは、十一時から五時までの六時間ということにしました」

「は、はい」

さくさく話を進めていく那義に、焦りながら頷く。

「食材などはこれまでどおり、私のほうで管理します。欲しい食材がありましたら、早めに言ってください」

「わかりました」

「若のことは、お聞きになりましたか?」

これまでになくやわらかな声で問われ、蓬は首を横に振った。

「若の名は、柊崎圭。二十六になる。私や弥義より一つ下です」

「えっ?」

「うん? どうしました?」

「いえ……」

びっくりだ。

確かに那義と弥義は若と呼んでいるが……そんなに若いひとだとは思わなかった。

なんとなく三十代か四十代かと……。

それに那義と弥義……いまの話だと……?

「あの、那義さんと弥義さんって?」

「我々は双子ですよ」

「ええっ!?」

思わず叫んでしまった。だって、どう見ても、弥義のほうが若く見える。

いや、那義が落ち着いて見えすぎるというべきか。

「まあ、貴女の反応は普通です。私は常に、弥義よりも年上に見られますからね」

「か、顔は、とてもよく似ていらっしゃいます。ただ雰囲気がずいぶん違っていらっしゃるから」

「うむ。では、話を進めますが……」

相槌を打った那義は、あっさりと話を変える。蓬は思わず姿勢を正した。

「は、はい」

蓬の返事に、なぜか那義が顎に手を当てて考え込む。蓬は再び緊張した。

「これから貴女には、男としてふるまっていただかなくてはなりません」

「そ、そうでしたよね」

すでにわかっていたことだが、現実になると思うと、戸惑ってしまう。

「ご自分のことを『わたし』と呼ぶよりは、『僕』、『俺』のほうがよいですね。まあ、貴女の場合だと、僕のほうが妥当でしょうか」

「ぼ、僕……ですか?」

「ええ、早く慣れてください」

顔が引きつる。

簡単に言ってくれるが、これってかなり大変なことだ。

さらに柊崎に疑いをもたれないためにも、高校生ということにし、実際に葵高校に通っている香織の従弟の名を借りることになったと言われ、蓬は困惑した。

「大島悠樹。呼ばれて返事ができるように、頭に叩き込んでおいてください。私も今後は貴女のことを大島君と呼ばせていただきます」

情報をいったん頭の中で整理したいのに……那義はさらに説明を続ける。

「高校三年生。制服は、山本のほうで用意できるとのことです。それから……」

「あ、あのっ!」

蓬はようやく声を上げた。那義が言葉を止め、蓬を見つめてくる。

「あの。一度、整理を……」

那義は右眉をくいっと上げ、「どうぞ」と言う。

「え、ええーっと、わたしは……」

「僕」

即座に訂正され、蓬は頬をひくつかせた。
すでに始まっているらしい。

「ぼ、僕は……大島悠樹。高校三年生」

「よくできました」

那義の返しに頬が赤らむ。

那義の表情、言葉の響き……馬鹿にされたとしか思えなかった。

「若にも、貴女について説明することになりますが、ご両親がペンションの改築をするので、学費を出せないというあたりは真実にそって話します」

「は、はい」

赤らんだ頬を隠し、俯きがちに答えた。

「それと、貴女にはあとひとつ、クリアしていただかねばならないことがあります。今後、貴方と若が顔を合せることがないとはいえませんから。その場合、いまのままの貴女では、問題でしょう?」

そう口にする那義の眼差しは蓬の髪に向けられている。

「髪ですね?」

那義が頷く。

「明日までに切ってください。もちろん着る服も、男に見えるものにしていただかなければなりません」

「はい。では、それも明日までに……」

髪を切るというのは正直とても辛い。だが、蓬は平気なふりをした。

このバイトをすれば、大学に行けるのだ。

髪くらい……また伸びる。

「大島君、聞いていますか?」

強い声に蓬はハッとして顔を上げた。

「こちらで用意しましょうか?」

「あ、あの……聞いていませんでした。あの用意って何を?」

「服ですよ。男物の。こちらで用意……」

「じ、自分で」

蓬は咄嗟にそう言っていた。だが、ひどく動揺していて、正直自分が何を言っているのかよくわからない。

「大島君?」

冷静に呼びかける那義と目を合わせると、不思議と気持ちが落ち着いた。

どんどん進む事態に動揺するばかりで、ちゃんとついていけてなかった。

自分のことなのに……人任せで……

わたし、覚悟が足りていなかった。

蓬は姿勢を正し、まっすぐに那義を見た。

「自分で用意します」

「……そうですか。それでは、領収書をもらってきてください」

「はい?」

「制服代としてこちらが持ちます」

「これは制服というものではないと思いますし、着る服ぐらい自分で買います」

「そのような遠慮は無用です。領収書を提出してくださればいい。わかりましたか?」

言い聞かせるように言われたが、なかなか素直に受け入れられない。蓬は黙ったまま曖昧に頷いた。






読んでくださってありがとう。
この続きは書籍にて、楽しんでいただけたら嬉しいです。fuu

  

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