ハッピートラブル
happy trouble

刊行記念番外編 「おかしな立場」



1 辛口なライバル



「ほらほら、丸美、休んでないで。自分の部屋の掃除が終わったら、次はトイレとお風呂場よ」

「ひーん。せっかくのバイトのお休み日なのにぃ」

「泣いても駄目。散らかしたのは丸美なんだよ。こんな風にならないために、常日頃から片付けることを習慣化してさえいれば……」

「わかった、わかった。もう、やりますよ。やればいいんでしょう!」

丸美は反抗的に吠え、ドスドスと足音を響かせて風呂場に向かう。その背中を見つめ、蓬は深いため息をつく。

先週も、いまとそっくり同じ会話をした気がする。

今日は月曜日で、エンジェルカフェは定休日。

この最近、バイトやらなんやらで忙しくて、アパートを掃除する暇がなかった。

おかげで蓬の部屋以外は、どえらいことになっていた。

まあ、いつものことといえば、いつものことなのだが……

それにしたって……ひどかった。

丸美には、もっと迫力を込めた喝が必要のようだ。

ようやくキッチンを磨き上げた蓬は、ふうっと息を吐き、額の汗を拭った。

ちょっと動くと汗が出てしまう。

窓から降り注いでいる日差しに視線を向けて、蓬は顔をしかめた。

この数日、かなり暑くなってきた。

それも当たり前か……もうあと一週間で、五月になるんだもんねぇ。

さてと、これから丸美の夕食の支度。

冷蔵庫に手をかけようとしたところで携帯が鳴った。
確認してみると、那義からだ。

ちょっと緊張しつつ電話に出る。

「はい」

「大島君、いますぐマンションに戻って来られるか?」

「は、はい。わかりました。戻ります」

「では」

あっさりと通話が終わる。

丸美の夕食の支度ができていないが、命じられた以上ここは戻るしかない。

「丸美、ごめん。那義さんから呼び出し。戻らなきゃならなくなったから」

水音がしている風呂場に向けて声をかけると、「えーっ」と不服いっぱいの声が返ってきた。

「ほんじゃ、夕食はなしなの?」

がらりと風呂場のドアが開き、ヒマワリの種を欲張って頬張ったハムスターくらい頬を膨らませた丸美が顔を出す。

「そうなるね。冷凍庫にドリアが入ってるから、それ温めて食べるといいよ。ちゃんとサラダもつけるんだよ」

「やる気モードゼロ。風呂の掃除したら……お兄ちゃん家に行く……」

しょげ返っているのを見ると、自分で作って食べるよう、強く言えない。

「それじゃあ、そうする? ……わたし、行くね」

「うん。また明日ね」

丸美は手を上げて見せ、すぐに顔を引っ込めた。

後ろ髪を引かれつつも、蓬は急いで高校の男子の制服に着替えてアパートを出た。

マンションに向かって歩きながら、昨日のバイトのことを思い返す。

『エンジェルカフェ』での二度目のバイトは、一回目以上に精神的ダメージを受けた。

ムーン・ティーラの侍従という設定のユールがかっこいいと瞬く間に噂が広まったらしく、彼目当てのお客様が多数来店されたのだが、その熱狂ぶりは物凄かった。

そのぶん、ユールにかしずかれているムーン・ティーラに扮している蓬は、幾多の嫉妬の眼差しにさらされることとなった。

精神的にボロボロよろよろになった蓬だったが、バイトのあとは、先週も連れて行ってもらった料亭「和」で夕食をいただき、おかげで疲弊したハートもかなり復活した。

柊崎たちは「和」の常連客で、もてなしにも家族に近い親しさがあるから、蓬も緊張せずにすむ。

以前、柊崎が、お土産にと持ち帰った和菓子も、この店で作られたものなのだ。

でも来週はゴールデンウイーク、柊崎は連休中ずっと実家に滞在するそうだから、当然「和」にも連れていってもらえない。

柊崎が一週間も留守かと思うと、どうにも気が沈む。

「ふうっ、それにしても日差しが暑いなあ」

澄んだ青空を見上げ、額に滲む汗を拭う。

これだけ暑いと、制服の上着を脱ぎたいところなのだが、上着の下にベストを着ていないため、脱ぐのがためらわれる。

シャツ一枚では、さすがに胸が目立つ……はずよね?

蓬は、ボリュームのない自分の胸の膨らみを見つめ、唇を突き出した。

「ねぇねぇ」

横合いから親しげに声をかけられ、蓬は驚いて振り返った。

男子高校生に化けているときに、話しかけられたくないのに……

話しかけてきた相手を確認し、蓬はぎょっとした。なんと、葵高校の女子生徒だ。

それも三人。

「はい」

一応返事をと、低い声を意識して口にする。

「何年生なんですか? わたしたち、二年生なんですけど」

問われて狼狽した。

ここで三年生だと答えていいものだろうか?

「ぼ、僕は……」

「よおっ、偶然だなぁ」

肩を軽く叩かれ、どきりとして振り返る。

またまた葵高校の制服だ。

今度は男子生徒だが……

こ、このひとは……

「あっ、お、大島先輩っ!」

「きゃあ」

女の子たちの目の色が急に変わった。

三人ともひどく興奮している。

「お、大島……」

君と呼ぶべきか、さんと呼ぶべきか迷い、中途半端な呼びかけになる。

「お前、暇なら付き合えよ」

悠樹は蓬の腕を掴み、さっさと歩き出す。

女の子たちのことなど、完全に無視だ。

だが、女の子たちのほうも、そんな悠樹を大人しく見送る。

かなり歩いたところで蓬はそっと後ろを振り返り、先ほどの女の子たちの姿がないのを確認してほっとした。

「お前、馬鹿?」

「は、はい?」

冷たく罵られ、後ろを見ていた蓬は、悠樹を見上げた。

かなり身長差がある。
彼は柊崎くらいありそうだ。那義と弥義はもっと背が高いが。

「話しかけられて困るんだったら、知らんぷりしろよ」

「あ……そ、そうですよね。すみません」

思わずぺこぺこ頭を下げて謝ってしまい、相手が年下なのを思い出して口惜しくなる。

「なんか、イライラするなぁ。なんで俺があんたを助けなきゃならないわけ?」

「そう、問われましても」

あー、こうなると、『エンジェルカフェ』の、凛々しく、やさしいユールが懐かしい。

甘い言葉と、甘い笑みには閉口するが……

「いま、学校の帰りですか?」

「聞くまでもないことを、わざわざ聞くやつって、マヌケに見えるぞ」

すみませんとまた口にしてしまいそうになり、蓬はぐっと口を結んだ。

お世話になっているひとだが、それを差し引いても失礼過ぎる。と思う。

黙って歩いていると、悠樹は立ち去りもせず一緒に歩く。

気になってちらちらと見ると、急に振り返ってきてふたりの目が合った。

「俺、那義さんに呼び出されて、これからマンションに行くんだ。お前もなんだろ? あ、ごめん。さすがに年上相手に、お前はないよな」

そう言って苦笑いする。

「だってさ。あんたのこと、どうしても年上に思えないんだ。高校の制服着てると、そう見えちまうし」

なぜか悠樹は面白くなさそうに言う。
それでも、現役高校生に、それらしく見てもらえているというなら安心できる。

「そ、そうですか? 高校生に見えます?」

「中学の制服着てたら、中坊に見えるだろうな」

今度は馬鹿にしたように口にする。

「ち、中坊?」

「ほんとは中坊なんじゃね? 俺のことも、騙してるんだろ?」

「そんなことありません」

言われている意味がわからない。

「そうか? 那義さんは何を考え出すかわからないし……。あんたみたいなのが俺のライバルなのかと思うと、むかつくんだよな」

は、はいっ? ライバル?

「あ、あの、ライバルって?」

「俺もそうだから。なあ、あんたさ、那義さんと弥義さん、ふたり一緒に会ったことあるか?」

ライバル扱いされて困惑していたのに、話がさっさと進んでしまい、蓬は焦りつつ会話についていく。

「えっ? おふたり一緒にですか?」

「ああ。あるのか? ないのか?」

さっさと答えろよ、と言わんばかりに聞いてくる。

高飛車な悠樹に、悲しいことに慣れてきていた蓬は、むっとすることもなく、素直に首を傾げて考え込んだ。

これまでのことを思い返し、そういえばと思う。

「確かに、一緒には、会ったことがないですけど」

「やっぱりな」

悠樹は、そう口にしながら、まるで鬼の首を取ったようにしたり顔で頷く。
そして、また蓬に向いてきた。

これまでになく機嫌がいいし、楽しそうだ。

「そうなると、ふたりは同一人物ということもあると思わないか?」

眉を寄せて悠樹の言葉を考えるも、那義と弥義を頭の中で比べてしまうと、とてもそんな風には考えられない。

「おふたりは違いすぎますよ」

「違い過ぎるな。けど、ふたりは一緒に現れない。だが、俺は、ふたりは同一人物じゃないと考えている」

「はい?」

「面白いだろ」

「面白いというか……」

「那義さんはそういうひとなんだよ」

空を見上げながらまるで敬うように言ったあと、悠樹は蓬に向いてきた。

「那義さんは侍、弥義さんは忍者って感じだよな」

「あ、まあ、そういう感じかも」

「曖昧だなぁ。あんたさ、そんなんでよく那義さんに気に入られたな。やっぱし、その年齢不詳、性別不詳の外見か」

悠樹の言っていることは、やはり、さっぱりわからない。

ただ、自分の知らないことが、なにやら色々とあるようだということだけはわかった。

蓬は、自分を冷たく一瞥してそっぽを向いた悠樹と並んで歩きながら、疲れたため息をついたのだった。




  

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