ハッピートラブル
happy trouble

続編


第1話 前途多難な予感



雨音を耳にし、蓬はゆっくりと瞼を開けた。

うーん、今日は雨か……

六月に入ったけど……梅雨入りには、まだ早いよね。

雨降りのせいか気温は高くなく、肌に感じる空気は心地良い。

軽く瞼を擦りながら起き上り、蓬はベッドから出た。

クローゼットを開けて、そこにぶら下がっている服を眺めて、くすっと笑ってしまう。

女の子の服と男の子の服が半々だ。

もちろん蓬は女の子だ。普通ならば男の子の服が入っているのは、おかしなことなのだけど……

わけあって、彼女は男の子の振りをして、ハウスキーパー……正確には夕食作りだけだが……していたのだ。

そのわけとは、両親の経営しているペンション『アルプリ』が老朽化してしまい、急遽改築の必要を迫られたため。その資金繰りで、蓬は大学を一年休学しなければならない事態に陥った。

結果、蓬は、大学に通い続ける手段として、柊崎の夕食作りというバイトを引き受けた。

この男の子用の服は、柊崎が男の子の振りをしていた蓬のために買ってくれたもののごく一部。

蓬は男の子用のほうから、服を取り出して着替えた。

男の子用といっても、どれもおしゃれなデザインで、これを着た蓬は、男の子にもボーイッシュな女の子にも見えるようだった。

すでに蓬が女の子であることは、柊崎に知られてしまい、もう男の子のふりをする必要はないのだが……那義から、これまでどおりにするように指示されたのだ。

つまり、柊崎のマンションに夕食を作りに行くときには男の子の扮装をし、大学からの帰りには、『エンジェルカフェ』に寄り、エンジェルカフェでユールと呼ばれている大島悠樹から、授業内容を書き取ったノートの写しも受け取る。

どうしてそうしなければならないのか、さっぱりわけがわからないのだが……那義というひとには、逆らえないものがある。素直に従っている方が楽。

女の子であることがばれるまでは、柊崎の命令で、彼のマンションの一室に住み込んでいたのだが、女であることがばれた以上、柊崎のマンションに住み続けるなんてわけにはいかないということになり、蓬は丸美と住んでいたこのアパートに戻ってきた。

蓬が戻り、丸美はそれはもう大喜びだった。

さて、その丸美を起こさなければ……

蓬は、薄手のシャツをTシャツの上に羽織り、自分の部屋から出て丸美の部屋のドアを叩いた。

「丸美、時間だよ。起きてる?」

返事を聞き取ろうと耳を澄ましたが聞こえない。クーカクーカと寝息が聞こえるだけ……

起きないか……

ふうっと息を吐き、蓬はドアを開けて中を覗いた。

ベッドの上に大の字に転がっている丸美がいた。

女の子だというのにへそをだし、両腕を上げてバンザイの姿勢をしている。

まったく、うら若き乙女が……なんて寝相だ。

首を振り振り、ベッドに歩み寄ると、丸美の身体を大きく揺すってやる。

「ほら、起きて。お弁当作り手伝ってくれるんでしょう?」

「ふ……ああ~、お弁当……おにぎりにコンブがいい……」

「丸美が握るんでしょう? 用意しとくから、起きてよ、いい?」

強めの口調で言うと、丸美はようやく目を開けた。

「もう朝なの?」

「もう朝だよ」

蓬は丸美の両足首を掴んでぐいっと引っ張り、彼女の身体をベッドから半分落とした。

腰から下がベッドから落ちてしまっては、さすがの丸美も寝続けるわけにはゆかない。

「もおっ、乱暴すぎ」

「素直に起きるなら、やんないんだけど」

背を向けようとした蓬は、後ろから思い切りタックルされて、よろめいた。

「ま、丸美、危ないって」

「自分だって、ひとのこと容赦なくベッドから落としたくせにぃ。それにしても」

目が覚めたのか、蓬から離れた丸美は、彼女の姿を見て、にやつきはじめた。

「な、なに?」

「いんやー、彼氏と同棲してる気分。蓬、男の子の格好に磨きがかかったってか……ますます似合ってきたねぇ」

男の子の扮装をしている蓬が、自分の彼氏っぽくていいと、丸美は愉快がっているのだ。

「はいはい。自分でも、半分男の子の気がします」

適当に肯定し、丸美の部屋から出た蓬は、顔を洗ってキッチンに立つ。

朝食を作りながら、柊崎のことを思う。

圭さんは、まだ寝てる時間だ。

彼のマンションで目覚め、彼を起こしてあげられていた日々が懐かしい。

そして朝食を用意してあげて、一緒に食べて……

彼に、男の子と思われての同居生活は、とても苦しかったけど……楽しかったな。
色々と思い出されて、口元が自然に緩む。

「なーに、にやけてんの」

横合いから手が伸びてきて、口の端をつつかれた。びっくりして顔を向けると、丸美がにやにやしている。

「なっ!」

「まあ、問わずともわかってっけどねぇ」

勝手にそんなことを言い、丸美は洗面所に歩いて行った。

「別に……にやけてなんか……」

赤らんだ顔が気まずく、蓬は唇を尖らせてブツブツ言い、朝食の準備を急いだ。





「あーあ、今日は雨か」

水色の水玉模様のビニール傘越しに空を見上げ、丸美が不満そうに呟く。

大学に向って、丸美と並んで歩いているところだ。

蓬は丸美を振り返った。

「ザーザー降りってわけじゃないし、このくらいの雨、嫌がるほどじゃないと思うけど」

「雨なんて好きじゃないの。晴れが好きなの。青空が見たいの」

ふてくされて文句を言っても、意味はないと思うが……なにかイライラしてるように見えるけど……

「丸美、なんかあったの?」

「へっ! な、なんでよ?」

焦ったように丸美が聞き返してきて、蓬は眉をひそめた。

「何かあったのね? 何があったの?」

「ベ、別にぃ……」

「授業のこと?」

ぴんときて指摘すると、丸美がぐっと詰まった。

「まさか……今日提出予定のレポート、できてないんじゃ?」

丸美は顔を伏せたが、ひどく顔を歪めているのが窺える。

「どうして終わってないのよ? 昨日までに仕上げなさいって……」

「言われたし、やろうとしたけど、出来あがらなかったのっ! わたしが思うに、レポート用紙ってやつには、睡眠作用があるんじゃないかと思うんだ」

そんなもの、あるわけがないっ!

「へーっ、そうなんだぁ」

怒りに胸を震わせながら、蓬はわざとらしく口にした。すると、丸美はぎょっとしたように蓬から飛び退く。

「蓬、こっ、怖いよ」

大げさなほど怯えてみせる丸美に、蓬は肩を落とした。

「今日の昼までに、なんとか仕上げるわよ」

のよ、と言いたいところだが、手伝ってやらないと、もう無理だろう。

なんとか丸美ひとりで仕上げさせたいと、突き放したのだが……

まあ、独り立ちさせるのも、少しずつってことかな。

「……蓬、ありがとうね」

丸美は鞄を持った手を差し出し、蓬の手をぐっと握り締めて言う。

「はい、はい」

半分諦めの境地で、蓬は返事をした。

「あー、よかった。これで心が晴れたよ。雨も受け入れられるわ」

晴れ晴れとした顔で口にした丸美は、歩みを止めずに蓬の顔を覗き込んできた。

「ところでさあ、蓬、あんたそろそろ、これの時間じゃないの?」

これ、のところで、丸美は耳に手を当てる。

「あ……うん」

口ごもって返事をし、顔を赤らめた蓬は、ささくさとポケットから携帯を取り出した。

そろそろ柊崎が起きる時間なのだ。

蓬が電話で起こさなくても、那義か弥義が彼を起こすのだが……やっぱり自分が起こしたいわけで……柊崎も望んでくれているし……

蓬は丸美から顔を逸らし、携帯を耳に当てた。

雨降りで、傘をさしているし通学鞄もあるから、ちょっと大変だ。

「持ってあげるよ、ほら」

そう言って、丸美は蓬の鞄を手に取る。

「あ、助かる。丸美、ありがと」

「いーえ、どういたしまして。しっかし、恋人にモーニングコールかぁ。羨ましい限りだけど……相手があのオーナーさんってのがねぇ」

顔をしかめ、丸美は首を横に振る。

初めての顔合わせが問題なのか、丸美は柊崎がひどく恐いらしい。

初対面の場で彼に手厳しく叱責されたために、厳しい大人の男性という印象がぬぐえないようなのだ。

柊崎はとてもやさしいひとなのだが……

蓬にすれば、那義のほうが苦手だ。

「アルプリ」

やさしい声が耳元で響き、蓬の心臓は狂ったように鼓動を速める。

彼の声をちょっと聞いただけで、どうしてこんなに反応してしまうのか、自分でもわけがわからないが、勝手に速まる心臓を、止める手立てはない。

「柊崎さん、おはようございます」

緊張から少し強張った声になった。

恋人というには、ふたりの関係はまだ深くない。き、キスは……したけど……

「圭と呼んでほしいな。あるいは、シュウケイ」

甘く請うように囁かれ、顔の赤みが一気に増す。

蓬は、丸美からなんとか完全に顔をそむけようと頑張った。

「け、圭さん」

必死に声を抑えて呼びかける。

「くっ、ひっひ」

雨の音に紛れると思ったのに、丸美の耳は聞き取ったらしい。友をからかおうと、おかしな笑い声をあげて、前にひょいと出てきた。

蓬は、何も言わせまいと、丸美をギンと音がするほど睨んだ。

携帯を口から遠ざけ、丸美に向けて「レポ」と叫び、すぐに携帯を戻す。

丸美は右の口の端をつり上げ、顔を歪めると、おとなしく蓬の横に並んだ。そして無言で歩く。

やれやれ……

「起きましたか?」

「ああ。けど……君に直接起こしてもらえたら、もっと嬉しいんだが……」

残念そうな口ぶりに、どうにも口元に笑みが浮かんでしまう。

「わたしも……その……起こしてあげたい……です」

「ほほお」

「アルプリ」

丸美の声が、柊崎の声にかぶさって聞き取りづらかった。

この友ときたら……

「あの、今日もお仕事頑張ってくださいね」

「君に会えるまでが、長すぎるな……。会議の時だけじゃなくて、毎日秘書役をしてくれると嬉しいんだが……」

「那義さんが駄目だって言いますよ」

「那義の意見など聞く必要はない。だが……そんなことを頼んでは、君の負担になるだろうし、我慢するよりないな。はあっ……」

苦笑のこめられていた言葉が、最後にはため息で終わる。

「で、でも……あまりに気分が悪くなったら……いつでも呼んでください。わたし、飛んで行きますから」

「アルプリ……そう言ってもらえるだけで嬉しいな。ありがとう」

「は、はい」

柊崎との会話に夢中になり、丸美の存在が霞んでゆく。

嬉しそうな笑い声が耳に届き、ハートがとろけそうになる。

「うひょーっ。恋する女の子、ハニーよもぎちゃんって感じだね」

は、ハニーよもぎちゃん?

「いまの声、山本の妹か……」

そう口にする柊崎の声からは甘味がきれいさっぱり消え、いくぶん不機嫌なものになる。

「は、はい」

「彼女は、相変わらずのようだな」

「は、はい。まあ」

「アルプリ、君、彼女に困らせられてはいないか?」

困らせられてはいるが……正直に言うわけにはいかない。

「いえ。そんなことありません。大丈夫です」

「そうか……」

柊崎は何か言いたそうにしつつも、黙り込んでしまう。

「柊……け、圭さん?」

「うん。なんだい?」

黙り込んでしまったから、こちらが問いかけたつもりだったのだが……

「えっと。そ、それじゃ、そろそろ大学に着くので」

「そうか。蓬」

「はい」

「今日は、なるべく早めに帰るようにする」

「は、はい。待っています」

胸いっぱいで通話を終えた直後、物寂しさに囚われる。

毎日会えているのに……それでも会えない時間が、寂しくてならない。

「順調なようだねぇ。超羨ましいよ」

丸美の順調という言葉に、ちょっと不安が湧いた。

順調と言えるのかどうか……

蓬の両親は、どうも蓬が柊崎と付き合うことを、よしとしていないようなのだ。

それはひどく意外なことで、蓬は困惑してしまった。

杏子から聞いた話から、ふたりとももろ手を上げて賛成してくれるとばかり思っていたのだ。

丸美に持ってもらっていた鞄を受け取り、大学の門をくぐりながら、蓬は小さくため息をついた。

なんだか、無性に前途多難な予感がしてならない。






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読んでくださってありがとう。

fuu

  

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