ハッピートラブル
happy trouble

続編


第12話 罪のない嘘の勧め



部屋を前にして、蓬はちょっとドキドキしてきた。

ここに住まわせてもらっていたときの自分の部屋なのだが、柊崎に女であることがバレて以来、この部屋にはあまり入っていない。

必要な荷物を取りにきたときだけだ。あのときだって、三十分ほどで出たし……

ドアを開けて中に入った蓬は、部屋の中を眺め回して笑みを浮かべた。

ムーン・ティーラバージョンの部屋。やっぱりすごい。

それに、住まわせてもらっていたときもそうだったが、やはり自分の部屋という気がしない。

さてと、着替えなきゃ。

気持ちを切り替え、蓬はクローゼットに歩み寄った。

ずらりと並んでいる服の中から、柊崎の言っていた青い花柄のワンピースを探す。

「えっと……あっ、これかな?」

取り出して身体に当ててみて、顔をしかめる。

素敵なデザインなんだけど……これって、ちょっとフォーマル過ぎないかな。

あまりに改まりすぎている感じだ。

いまの自分は化粧もしていないし、髪だって普通……

これを着たら、自分が浮く気がする。

ど、どうしよう?

他のもっと無難そうな服を着たいけど……駄目かな?

もちろん柊崎さんの言葉を、無視したくはないんだけど……

それでも、わたしがこれを着ていって、似合っていないのを見たら、逆に柊崎さんを困らせるかも。

もちろん、似合っていないと思われるのも嫌だ。

とにかく着てみようと、服を脱いでワンピースを身に着けてみる。

姿見に全身を映し、激しく顔が引きつった。

や、やっぱり、まったく、全然、似合っていない!

お化粧してたら、そこそこ見られるんじゃないかと思うけど……

お化粧品、ここに置いとけばよかった。と思ったが、ここに化粧品があったとして、お化粧までしてみんなのところに出て行けたとも思えない。

蓬は頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。

ど、どうしよう?

似合っていないのを承知で、これを着て出て行く?

それとも、柊崎の言葉を無視して、違う服を着て出て行くの?

だ、駄目だ、どっちも選べなーーい!

身悶えていると、コンコンとドアがノックされた。

「は、はいっ」

ま、まさか、遅いからって、柊崎さんが迎えに来たのだろうか?

「アルプリちゃん、入ってもよくって?」

な、なんだ杏子さんか。

ほっとした蓬は、「はい、どうぞ」と返事をした。

すぐにドアが開き、杏子が入ってくる。

「ま、まああっ」

まだドアが開いている状態で、杏子が驚きの叫びを上げた。

「ど、どうしたんですか?」

驚きに驚いて、聞いてしまう。

「アルプリちゃん、なんてまぁ、凄い部屋ね」

あ、ああ、そうか。杏子さんは、この部屋がムーン・ティーラバージョンだなんて知らなかったんだ。

「びっくりしたわ」

笑いながら、杏子は歩み寄ってきた。

「すみません。びっくりさせちゃって」

頭を下げて謝ると、杏子がくっくっと笑う。

「アルプリちゃんは、こういう部屋が好みだったの?」

「好みというか……もちろん嫌いじゃないんですけど……この部屋のものは、色々あって那義さんが……」

「那義が?」

「はい」

蓬は、この部屋がこうなった経緯を、手短に杏子に説明した。

家具を揃えるようにと那義からお金を受け取ったものの、彼女はそのお金を使えず、この部屋にはほとんど物がなかった。

その実情をたまたま弥義に見られてしまい、那義の知るところとなった。そして、最終的に那義が、これらすべての家具を揃えてしまったのだ。

「それはそれは……」

話を聞いた杏子は、腹を抱えて大笑いを始めた。

「翌日、この部屋がこうなってるのを見て、もうわたし、仰天しちゃって」

「那義はいつだって仕事が早いわね」

笑いを堪え気味に、杏子は感心したように言う。

そうだ……那義と弥義のこと……杏子さんなら……

大島悠樹こと、ユールが言っていたことが、蓬はずっと気になってならない。

ふたりは本当に双子なのか、それとも、実は同一人物なのか?

「あの……」

「あらん、アルプリちゃん」

話しかけたと同時に杏子も話しかけてきて、蓬は口を閉じた。

「そのドレスなら、お化粧したほうがよさそうよ」

蓬が着ているドレスを見て、杏子が正しい指摘をする。

「そうなんですけど……お化粧品は、アパートのほうに置いてあるんです」

「そうなの。なら、他の服にしたほうがよさそうね」

「やっぱりそうですよね。でも、柊崎さんがこれを着て欲しいみたいで……」

「ああ、そんなの気にしなくていいわ。それより、わたしに選ばせてちょうだいな」

杏子は、さっさとクローゼットのところにゆき、下がっている服を嬉々として物色し始めた。

「うーん、悩むわねぇ。これもいいし、これも……」

「あの、杏子さん?」

「なあに?」

「夕食の準備のほうは?」

「料理なら、もうできてるわ。那義が食卓に並べてくれているところよ。アルプリちゃん、お腹が空いたの?」

「いえ……」

思わず否定した蓬だが、言われてみれば、けっこうお腹が空いていることを実感する。

そういえば、いつもならアパートに立ち寄ったとき、ちょっとおやつを食べたりしてるのに、何も食べていないんだった。

「お腹空いてました」

「アルプリちゃんったら」

杏子はくすくす笑いながら服を手に取り、蓬に見せる。

「これにしましょう。どう?」

「はい」

返事をして、改めて服を見る。

涼しげなサマーニットのワンピースだ。

へーっ、こんなのもあったんだ。

薄茶の地に、茶色の糸で、襟元とスカートの裾に刺繍が施してある。

裾がフリルのようなデザインになっていて、上品な感じなのにかわいらしい。

でも、これって多分……

「すみません。杏子さん、これは駄目です」

「あら、どうして?」

「これ、那義さんが選んだものだと思うので」

「別にいいじゃない」

いやよくないのだ。
これを着て出て行ったりしたら、柊崎の機嫌を損ねるのは必至。

「駄目です。柊崎さんが選んだものにします」

そう言ってから、蓬は顔をしかめた。

そうか……柊崎さんが選んでくれたものの中で、普段でも着れそうものは、全部アパートに持って行ったんだった。だから、ここには柊崎さんが選んでくれたものが少ないのだ。

青い花柄のワンピースはフォーマルなものだったから、ここに置いたままにしたんだ。

「アルプリちゃん、どうしたの?」

「それが……」

仕方なく、杏子に事情を話す。

「あらま、色々あるわねぇ。なら、誤魔化すいい方法があるわ」

「ご、誤魔化す?」

「罪のない嘘をつくのよ」

「えっ! しゅ、柊崎さんに嘘つくんですか? そ、それはちょっと……」

「罪のない嘘と言ったでしょう?」

たとえ罪がなくても、嘘は嘘だと思うが……

「圭さんに買ってもらった服は、ぜーんぶアパートに持って行ったと言うのよ。ここにはないんだから、着ようにも着られない。となれば、那義の選んだ服を着るしかなかった」

おおっ!

蓬は目を見開いた。

なんて妙案だろう。

それならば、蓬もあまり罪の意識を感じずにいられそうだ。

柊崎さんも機嫌を損ねたりしないだろうし……

「はい。それじゃ、アルプリちゃんはこれを着て、ご飯にしましょう。わたしもお腹が空いちゃったわ」

「はい」

蓬は大急ぎで青い花柄のワンピースから、サマーニットのワンピースに着替えた。

今夜帰るときには、嘘を本当にするべく、このワンピースもアパートに持ち帰るとしよう、と心に決めて。





   

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