ハッピートラブル
happy trouble

続編


第13話 ついてゆけない急展開



杏子に手を引っ張られ、蓬は気後れしながら部屋を出た。

ほんとにこれで良かったのかな?

いまさら迷いが湧く。嘘は嘘だし……

だからって、あの青い花柄のワンピースは着られなかった。

「はーい、お待たせ」

ダイニングのドアを勢いよく開けて、杏子が声をかける。

杏子に手を取られていた蓬は、次の瞬間には部屋の中に入っていた。

ソファに座ってこちらを向いている柊崎と目が合う。

すると柊崎は、意外そうな眼差しを蓬に向けてきた。

い、いけない。早くこの服を着ているわけを説明しなきゃ。

口を開いたもものの、どう言おうかと固まっている蓬を置いて、杏子は柊崎にスタスタと歩み寄ってゆく。

「圭さん。あなた、愛されてるわねぇ」

へいっ?

杏子の言葉に、蓬はぎょっとした。

杏子さんってば、突然何を言い出すのだ。

「杏子さん?」

どういうことかというように、柊崎が杏子に声をかける。

「アルプリちゃんに、青い花柄のワンピースを着るように言ったんですってね」

「ええ……そうですが」

いったん杏子に向けられていた柊崎の視線が、蓬に戻る。その目は、どうしてあのワンピースを着ていないのかと、問いかけている。

「え、えっと……」

焦っていると、杏子が戻ってきて、蓬の肩を軽く叩いて話を続ける。

「彼女が困ってたから、どうしたのって話を聞いたら……」

「困って……とは?」

柊崎は、眉をひそめて蓬に聞いてきた。

「あ、あの。それが……」

「つまりね、彼女、あなたからもらった服、全部アパートに持っていっちゃってたんですって」

「なんだ、そうなのか」

柊崎は杏子の言葉で、すんなり納得してくれたようだ。

蓬はほっとし、話をうまくつけてくれた杏子に感謝した。

「さあ、それじゃあ食事にしましょう。アルプリちゃんもお腹空いてるそうよ。ねっ、アルプリちゃん」

「は、はい」

お腹が空いてる発言に頬を赤らめながら返事をすると、杏子は蓬を手招き食卓に歩み寄った。だが、蓬はすぐには動けなかった。

なんとなく緊張してしまい、どうしていいかわからない。

毎晩、ここで夕食を作ってきたけれど、八時にアパートに帰宅するためには、七時半過ぎにはここを出なければならず、柊崎が戻るのと入れ替わるようにして帰ることが多かったのだ。

それに、いつもは男の子の服装でいたわけで、こうして女の子らしい恰好をして柊崎の前に出るのは、ひさしぶりのこと……

まあ、数日前の日曜日のバイトで、ムーン・ティーラのコスプレをした姿を彼には見られたわけだけど……

あのときは、驚いた。いや、驚いたなんて生易しいものじゃなかった。

もうビックリ仰天。天地がひっくり返ったくらい驚いた。

なんと柊崎は、ムーン・ティーラ姫のお相手である王子様の姿で突然現れたのだ。

ユールがいつもするように、紅茶を手にして。だからユールの服も新しいものを仕立てたのだなと思っていたら、顔を上げたら、圭さんで……

ぶっ飛びそうになって当然。

それにしても、かっこよかったなぁ。

また今度の日曜日、圭さんもバイトに付き合ってくれると、すっごく嬉しいかも。

「蓬」

思い出して口元をにまにまさせていたら、目の前に柊崎が歩み寄って来ていた。

名を呼ばれて、一瞬にして緊張が舞い戻る。

いやだなぁ。なんでこんなに緊張するんだろう?

男の子の服装のときはこれほど緊張しなかったのに……

いま、柊崎の目に自分がどんな風に映っているのか、もう気になってならない。

まったく、ひとの気持ちって、おかしなものだ。

蓬はおずおずと柊崎を見上げた。

「え、えっと……その」

「よく似合う」

「え?」

「その服だ。那義は見立てがいいな」

「あ、あの。柊崎さんも……柊崎さんの選んでくれた服も、全部素敵です。あの青い花柄のワンピース、とっても好きです」

化粧っ気のないいまのわたしに似合わないだけで……

「そうか。私も君に似合うと思う。今度着て見せてくれるね」

「は、はい」

複雑な思いで、返事をしてしまう。

そのときには、しっかりとお化粧しなければ。

「はいはい、あなたがた。いつまでいちゃいちゃしてるつもり。早く食卓につきなさいな。せっかくの料理が冷めてしまうわ。弥義、もういいから、スープ注いで頂戴」

えっ、弥義さん、いるの?

焦って、キッチンに向いてみる。

ついに那義と弥義が一緒にいる現場を押さえられるのかとドキドキしたのだが、キッチンにいたのは弥義だけだった。

ドキドキしたぶんだけ拍子抜けする。

「あ、あの……那義さんは?」

「那義は用事があるので出かけたわよ。代わりに弥義に来てもらったの」

杏子が説明してくれ、納得したけれど……

杏子さんの口ぶりだと、やっぱりふたりは別人みたいだよね。

そういうことなのかなぁ?

食卓に座った蓬は、それまでよりは緊張を緩められた。

給仕をしてくれるのが那義だったら、緊張は持続しただろうが、弥義ならば緊張せずに済む。

そう考えて、蓬は笑いが込み上げた。

ふたりは同一人物じゃないかと疑いを抱いているくせに、完全に別人だと思ってるのよね、わたし。

「それじゃ、いただきましょう」

杏子の言葉で、食事が始められた。

蓬は柊崎の隣だ。杏子は柊崎の真向かいに座っている。

スプーンを手にして、蓬はスープを口に含む柊崎をそっと見守った。

彼の隣にいられるしあわせに浸る。

「おや? 美味しいな」

意外そうに柊崎が言い、杏子に向く。

「杏子さんが味つけを?」

「ええ。どうかしら? 腕を上げたでしょう?」

含み笑いをしていた杏子は、そう言いながらぐいっと胸を張ってみせる。

「そのようですね。とても美味しい」

そう言うと、柊崎は蓬に向いてきた。

「君も食べてごらん」

「は、はい。それじゃ、いただきます」

汗を掻きそうになりながら、蓬はスプーンでスープをすくう。だが、柊崎にじっと見つめられていては、どうにも指が震える。

は、恥かしいよお~。

「あ、あの。圭さん」

「なんだい?」

「そんなに見つめられていると……ちょ、ちょっと……」

「あらん。恋する女の子は複雑なのねえ。見つめられて嬉しいけど、指は震えちゃうのねぇ」

感心したように杏子が言い、蓬の頬は発火しそうなほど燃えた。

「あ、杏子さん!」

蓬は、非難を込めて叫んだ。

「あらあら。かわいいこと」

非難などどこ吹く風、さらりとかわされる。

「杏子さん。アルプリをからかうのはやめてください」

「自分が原因のくせに」

そう言った杏子は、どうしたというのか、急に涙目になった。

ええっ?

「あ、杏子さん、どうしたんですか?」

「いえね……嬉しくて。ふふ、ほんとよかった」

涙をこぼしながら微笑む杏子を、蓬は黙って見つめた。

杏子は、蓬と柊崎のことを、何年もの間、ずっと見守ってくれていたのだ。

ふたりが結ばれるように……と。

杏子がいなかったら、蓬は柊崎と再会できなかっただろうし、こうして一緒にいられる現実など手にできなかっただろうと思う。

「アルプリちゃんたちが、私の家を出て行くときは、寂しくてねぇ」

「すみません」

思い出を懐かしむように語る杏子に、柊崎が酷く顔を強張らせて頭を下げた。

「あら、圭さんを責めるつもりで言ったのじゃないのよ」

「それはわかっていますが……。私のせいですから」

この場の雰囲気が暗くなり、蓬は困った挙句、柊崎の腕を掴んだ。柊崎が蓬に向く。

目を合せたが、言う言葉が見つけられない。

蓬は言葉の代わりに柊崎の腕をさすった。

柊崎は驚いたようだったが、その表情が徐々に和む。

「蓬……ありがとう」

蓬は少しほっとして首を横に振った。

「離れ離れのあなたたちが、なんともいえずもどかしかったものだけど……」

ふたりを見て、そう言った杏子は、ふっと笑みを浮べ、もう何も言わずに食事に戻った。

「杏子さん」

今度は柊崎が話しかけた。どうしたのか、ひどく険しい顔をしている。

どうしたんだろう?

「なあに?」

「蓬の両親は……やはり、私のことが許せないんじゃないでしょうか?」

「そんなことはないと言ったでしょう。あなた、電話で話をしたの?」

「いえ……電話などで謝罪するのは失礼かなと」

「そんなことを言っていたら、いつまでたってもアルプリちゃんの両親と心を通わせられないわよ。電話じゃ駄目だって言うなら、さっさと会いにゆきなさいな。一日くらい都合付けられるでしょう」

「それは……ですが、いまは改築中でおふたりの邪魔になっては、かえって印象を悪くするのでは」

「圭さん、御託を並べてるんじゃないの!」

喝を入れるように、杏子が怒鳴り、柊崎が黙り込んだ。

「顔を合わせづらいだけのくせに」

その言葉に、柊崎が顔を強張らせた。

そんな柊崎を見つめて、杏子は愉快そうに笑う。

「杏子さん!」

蓬は黙っていられず、柊崎を追い詰める杏子に向けて怒鳴った。

「圭さんを苛め……」

思わず口にして、言葉の選択が悪かった気がして、蓬は途中で言いやめた。

「あ……ご、ごめんなさい」

謝ると、杏子が噴き出し、声を上げて笑い出した。

「いや、私こそ、すまない。そうだな……食事を終えたら電話しよう。それと、次の休みにお会いしに行こう。蓬、君も一緒に」

突然の柊崎の決断に、蓬は動揺した。

「つ、次の休み?」

「早い方がいい。ですよね、杏子さん?」

「ええ。よかったわ。来たかいがあったわ。だって、わたし、このために来たんだもの」

「やれやれ、杏子さんには勝てないな。……でも、ありがとうございます」

柊崎は苦笑しながら頭を下げる。

そんなふたりを見て、蓬の動揺はさらに増した。

次の休みに、柊崎と一緒に両親のもとに帰るのか?

ペンションのダイニングのソファに、柊崎と並んで座り、両親を前にして、どうしていいかわからないでいる自分が浮かぶ。

い、いや……ペンションはいま改築中だから、このシチュエーションはありえないんだ……

いや、そんなことはどうでもよくて……

ああ、もおっ!

な、なんか……急展開で、ついてゆけないんですけどぉ~。





   

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