ハッピートラブル
happy trouble

続編


第17話 鍛錬にガッツ



自分を鼓舞しようと拳に力を入れた蓬は、先ほどの丸美との会話を頭の中で集約しながら口を開いた。

「ぬ、濡れネズミ青年が現れず……探し回りましたが、結局見つけられませんでした。もしかすると、向うはわたしたちの動向をすべて把握していて、探し回っているわたしたちを観察して笑っているのかもしれません」

憤りに押され、蓬は言った。

数秒、車内が静まる。

「……ふむ。煽った甲斐がありましたね」

那義が言う。ずいぶんと愉快そうな声だった。

あ、煽っただと?

「他には、報告はありませんか?」

催促するように言われ、反逆心が湧く。

「いえ。ありま……」

ぴしゃりと言ってやるつもりだったが、蓬は途中で考えを変え、言葉を止めた。

腹を立てて会話を止めるのは得策ではない気がする。

那義と話せる機会は少ない。

考えたら、かなり貴重な時間ではないだろうか?

も、もしかして……那義さん、そういうのも見越してわたしを迎えに来たんじゃ?

やっぱり、いまって、色々な情報を那義さんから手に入れるチャンス……だよね。

よ、よーし。

「報告あります。まだありました」

慌てて訂正して言う。

「そうですか……では、どうぞ」

促されて、ごくりと唾を呑み込む。

思い付きから、あると口にしてしまったようなもので、正直、何を言うかまとまっていない。

「は、はい。……えーっとですね。……ぬ、濡れネズミ青年は、あそこの学生かもしれませんし、そうではない可能性もあると思っています。えっと……か、彼はわたしを大島という名だと思っていて、男か女のどちらであるか、突き止めようとしています。……あっ、そ、そう……さらにユールこと大島悠樹も、わたしのことを探ろうとしているわけで……」

思いつくまま口にした蓬だが、もうそれ以上思いつけずに口を閉じた。

「……それだけですか?」

なんてつまらない報告だといわんばかりで、蓬は怯んだ。が、ふと、いいことを思いついた。

「そ、それでですね、考えたんですけど……」

出来うる限り、もったいをつけるように言い、わざと言葉を止める。

だが、実際のところ、心臓がバクバクしてならないし、嫌な汗まで出てきそうだ。

「何をです?」

淡々と催促され、蓬は大きく息を吸ってから口を開いた。

「情報を集めるのに、那義さんからいただいたバッチは、有効かもしれないなって」

「……」

那義は返事をしない。まだこちらの出方を待っているようだ。

「いただいたもの、有効活用してもいいんでしょうか?」





柊崎の会社の駐車場に着くと、吉野が待ってくれていた。

「さあ、あまり時間がありません。急ぎましょう」

吉野に急かされ、小走りで彼のあとについて行く。

いつものようにマンションに寄り、男性物のスーツに着替えてきた。男性に見えるようにしないとと気を遣うせいで、ここでは四六時中気が張ってならない。

まあ、柊崎さんの専用の部屋である社長室だけは、気を抜けるけど……

それにしても、那義の反応は思ったようにものではなく、拍子抜けだった。

『なんでも、あなたの好きに活用しなさい』と、軽く言われてしまったのだ。

那義の宝物だから、失くさないでやってくれって、あんなにも真面目な様子で弥義さんに言われたから、貰ってしまってよかったのかと、不安になっていたのに……

活用しろと本人が言うのだから……使っちゃっていいのかな?

あのバッチは、大島悠樹には、とても有効なアイテムだとわかっているわけだし……

うーん、どうしよう。悩むぅ。

那義さんがなんと言ったとしても、宝物だというものを、軽く扱いたくない気持ちもあるわけで。けどなぁ? なぜ那義さんは、そんなに大切なものをわたしに簡単にくれたりしたんだろう?

そこには、なんらかの思惑があるってことなのか?

だって、あの那義さんだしなぁ~。

考え込んでいるうちに、社長室に辿り着いた。

「社長」

吉野が軽いノックをして声をかけると、「はい」と柊崎の返事があった。

ドアを開けてもらい、遠慮しつつ中に入る。

柊崎は立ち上がってこちらに歩み寄ってくるところだった。

しかし、いまの自分を見た柊崎が、どんな反応をするのか、いまいち不安だったりするわけで……

蓬と目を合せた柊崎が、ピタリと動きを止めた。

怪訝そうな表情になった次の瞬間、憤慨したように顔をしかめる。

「どうしたんだ? その頭」

驚きとともに問い詰められた。

蓬は柊崎が見つめている自分の頭に、パッと手を置いた。

昨日まで柊崎が目にしていた髪型とは違うのだ。

毛先はそれなりに長いのだが、ボリュームがかなり抑えられている。

「こ、これ、地毛じゃないので」

柊崎があまりに強く反応するので、慌てさせられた蓬は早口に彼に伝えた。

「地毛……じゃない?」

「は、はい。カツラなんです。髪がかなり長くなってきたようだから、那義さんが、髪を切るか、これを被るかって……お、おかしいですか?」

「あ……いや……おかしくはない」

「そ、そうですか?」

肯定してもらえたことにほっとし、蓬は頭から手を下ろした。

すると柊崎が動き、彼女の目の前に立つ。

彼の手がすっと上がってきて、頬に触れられた。

ドキリとしつつ視線を上げると、笑いのこもった瞳が自分を見返している。

うっわーっ、柊崎さん、やっぱりカッコイイ。

おかげで速まった鼓動が鼓膜に響いちゃって、うるさすぎるんですけど……

「那義のやつめ、それならそうと、あらかじめ報告すればいいものを……あの男は、ひとを驚かせることに執念を燃やしているからな」

柊崎の言葉に、蓬は思わず噴き出してしまった。

確かに、そのとおりだと思う。

「だが……うん、いいな」

「そ、そうでしょうか?」

軽く曲げられた指で頬をそっと撫でられているものだから、どうにも声がうわずる。

「ああ……中性的に見えるし……大人びても見える」

射抜くように見つめながら言われ、身体の芯が痺れるような感覚に陥る。

「柊崎社長。そろそろ時間ですので」

痺れを切らしたのか、吉野が声をかけてきた。

彼がそこにいるという事実はちゃんと頭にあったはずなのに、蓬はぎょっとした。

反射的に一歩後退し、柊崎と距離を取ってしまう。

「わかってる」

柊崎は不満顔で答えた。

拗ねた彼の様子に、ついくすっと笑ってしまう。

会議に同席するのは嫌だけど、働く柊崎はまた別格で素敵だし……

そんな彼を見られるうえに、側についていられるのだから、頑張らねばなるまい。

これも精神力の鍛錬と、蓬はガッツを入れた。

そして、柊崎のあとを秘書然としてついていったのだった。





   

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