ハッピートラブル
happy trouble

続編


第2話 三文芝居にお付き合い



雨にしぐれたキャンパスは、学生の姿がそこかしこにあるのに、物寂しい雰囲気だ。

いつも見る、甲高い声ではしゃぐ子たちもいなくて、みな傘をさして黙々と歩いている。

「失敗したかな」

ひとりごとのような丸美の言葉に、蓬は顔を向け「失敗って?」と声をかけた。

「いやさ、ちょっと肌寒いじゃん。上着持ってくれば良かったよ」

丸美は半そでのTシャツ姿だ。蓬は薄い上着を羽織っているから、肌寒さを感じていなかったが……Tシャツだけではちょっと寒いかもしれない。

「ねぇねぇ」

甘えたように丸美がすり寄ってきて、蓬は眉を寄せた。この流れ、すでに予想がつく。

「丸美、そんな風に寄ってきたら、傘から雨のしずくがかかっちゃうんですけど」

「こんな細かいこと言いっこなしだよ。それより、その上着、貸してよぉ」

やっぱりか……

「貸しちゃったら、わたしが寒いんですけど」

「えーっ、悠樹、冷たーい。わたし悠樹の彼女なのにぃ」

傘と鞄を手に、腰をくねくねさせて文句を言う。そのわざとらしい仕草にイラッときたが、ぐっと我慢しておく。

「わたしは丸美の彼氏じゃありません。それに、もう悠樹じゃないし……」

「ふふん、旦那、嘘はいけませんぜ。こちとら、弥義情報入手済みなんすよ」

狡猾そうな表情を作り、丸美が言う。

こんな三文芝居、この子ってば、どこで覚えるんだか……

それにしても……弥義情報って……

「聞いたの?」

「聞いたよぉ。那義さんから、これまで通り悠樹でいろって命令されたって」

弥義さんってば……なんで丸美に言うかな……

「なのに、ヘタな誤魔化ししちゃってさ」

丸美はさもおかしそうに、「ぷっふっふ」と声に出して笑う。

「男の子の服をオーナーさんが返品しない。着ないんじゃもったいない。活動的だから、これからも着ることにした。なーんて色々ほんとらしく並べちゃってさ」

「ほんとらしくとかじゃなくて、全部本当のことだもん」

「てことで、これからも蓬は大島悠樹、わたしの彼氏ってことで、オッケー?」

「いや、オッケーじゃないから」

即座に否定すると、丸美は頬をぷーっと膨らませる。

「もおっ、ノリが悪いなぁ。この場を丸く収めて、オッケー♪って、感じで答えてよぉ」

「丸く収めるの意味、わかって使ってる?」

「なら、どんな言葉を使えば正解?」

「それは……調子を合わせて……とかじゃないかな、やっぱり」

「ほほお。確かにね」

「すみません」

背後からハキハキした声をかけられ、蓬は首を回して振り返った。

同時に振り返った丸美が、「おっ」と声を上げる。

染めているのか、明るい栗色の髪の長身の青年が佇んでいた。が、それなりの雨が降っているというのに、傘をさしていない。

すでに全身濡れそぼり、前髪から雫が垂れている。

「傘ないの?」

見てわかることを、丸美があえて聞く。問われた相手は、苦笑いだ。

蓬は自分の傘をさし出すと同時に、丸美の傘に入った。

「あ……そんなつもりで声をかけたわけじゃないんだけどな」

相手は困ったように笑い、それでも傘を受け取った。

「どのみち、もう濡れてるし……」

「濡れ続けるよりいいと思いますよ。それより、何か聞きたいことでも?」

「ああ、ストレートに聞くけど、大島、君は男、それとも女?」

はい?

ぎょっとした蓬は、そのまま固まった。

このひと……大島と呼びかけてきた。

こ、これって……

「そんなの、見ればわかるじゃん」

くすくす笑いながら丸美が言う。

相手はクールな表情で丸美を一瞥し、こちらに顔を戻してきた。

胸に焦りはあったが、蓬は凛とした表情に見えるようにと願いながら、相手の目をまっすぐに見返した。

大島と呼ばれた以上、用心したほうがよさそうだ。

しかし、このひとはいったい誰なのだ? いったいなんの目的で声をかけてきたのだろうか?

「見ればわかることだと思います」

蓬は考えた末にそう答えた。隣の丸美が余計なことを言いませんようにと祈りながら。

「それより……名前を知っているのは、なぜですか?」

「ふーん」

長身の彼は感心したように頷くと、上から蓬を眺めて、にやりと笑う。

「失敗したな。不意を突くつもりで、雨の早朝を狙ったのに。……すでに那義さんから聞いているのか? それとも、即座の判断? 後者なら、一歩後れを取ったか」

ずいぶんと悔しそうに言われ、蓬は困惑した。

「ねぇ、あなた誰なの?」

濡れそぼり青年は、自分に問いかけてきた丸美にちらりと目を向けたが、目に何も映らなかったかのように無視した。

「むきっ」

内心の思いをストレートに、丸美が叫ぶ。

すると相手は、すっと顔の横に右手を上げ、丸美が視覚に入る範囲を遮断した。

「関わり合いを持つ必要性を感じない。子ザルの気配排除」

どこまでも淡々と、相手は口にした。さすがの丸美も、この所業に唖然としている。

こ、このひと……絶対、丸美で遊んでる。

なんだか、彼と似たような雰囲気のひとを、すごく知っているような……

「あの……あなたは誰なんですか?」

「俺が誰かとストレートに問いかけてきたことにより、君がまだ那義さんから詳細を聞いていないことを確信した。つまり……俺が一歩後れを取ったことは確定か……ちっ」

彼は舌打ちしたものの、苛立っているというわけではないらしく、ずいぶんと楽しそうな舌打ちだった。

しかし、やっぱり那義さん関係のひとか……

「では、今日のところはこれで失礼する。傘はありがたく借りて置く。ありがとう、性別未確認の大島」

軽くお辞儀した青年は、踵を返し、蓬の傘をさしたまま、スタスタと歩き去っていく。

結局、名乗ってくれなかったな。

けど那義さんに聞けば、彼が何者なのかも、なんのためにわたしに会いに来たのかも教えてもらえるだろう。

「ちょっとぉ、このままあの無礼者を去らせちゃうつもり。彼女のわたしが馬鹿にされたんだよ。彼氏のあんたは、なにがしかでも反撃すべきだと思うけど!」

濡れそぼり青年に、よほどむかついたらしく、丸美ときたら大声で叫ぶ。

その叫びは当然青年の耳に届いているはずだが、彼は聞こえていないかのように反応しなかった。

ほどなくして、彼は校舎の中に消えた。

「ええーっ? あいつこの大学の学生なわけ。まったくぅ、どこの学部のやつよ。あんなやつ、初めて見た」

頬を膨らませていた丸美が、ぐっと眉を寄せ、「ぷほっ」と口から空気を抜く。

「しっかし……性格は最悪野郎だったけど……あいつ、見た目だけはよかったね」

丸美ときたら、渋々のように言う。

確かに。

笑いが込み上げ、蓬はくすくす笑った。





「ねぇ、蓬ぃ。お腹空いちゃって、おいら、もう力が出ないよぉ」

レポート用紙から顔を上げた丸美が、情けない顔で言う。

蓬は頑として首を横に振った。

「課題を終えなきゃダメ。昼休みの間に、なんとしても教授に提出しなきゃ。午後遅くなってじゃ、印象悪くなるよ。そんなことでせっかくの評価落としたくないでしょ?」

「そうだけど……蓬まで食べられないの申し訳ないし……そうだ。ならさ、蓬、食べながらわたしの口にぽいぽいっと放り込んでよ。そしたら、手を止めることなく栄養吸収できて、頭も冴えるしすきっ腹も満ちるよ。まさに一石三鳥」

食べ物を咀嚼しながらレポートに集中できるとは思えないのだが……空腹過ぎては、頭の回転が鈍るのも確かだ。

いたしかたないか……

「まあ、それじゃ……」

蓬は弁当の包みを解きはじめた。

「よっしゃーっ。愛してるよん、悠樹」

蓬は笑いながら、呆れた。

「ほら、丸美、口開けろよ」

丸美に付き合い、男言葉で促しながら、おにぎりを彼女の口元に運んでやる。

嬉しそうにぱくりと頬張った丸美は、もぐもぐ食べながら、これまでよりはスムーズにシャーペンを走らせはじめた。





   

inserted by FC2 system