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ハッピートラブル
happy trouble

続編


第21話 胸を貫く言葉



「ただいま」

家の中に入り、蓬は玄関先から丸美に声をかけた。

靴を脱ごうとして足元を見つめ、そこで動きが止まる。

えっ?

丸美のものでない靴がある。男性のものと女性のもの。しかも、この靴、ふたつとも見覚えがあるわけで……

まさか?

驚きとともに顔を上げたら、目の前に両親が現れ、蓬は目を丸くした。

「蓬」

「お、お父さん、お母さん?」

「蓬、お帰りぃ」

両親の後ろから、丸美も顔を出した。

「ど、どうしたの? 明日、杏子さんのところに来るとかって……わたし、たったいま聞いたばかりで……」

戸惑いいっぱいに言うと、ひどく真剣な眼差しを向けられた。

両親の事だからそれだけでわかるというか……嫌な予感がし、不安が頭をもたげてきた。

蓬は落ち着かない気分になった。

――いったい、なんなんだろう?

「お前と話がしたくてな」

「あの、話って……どんなこと?」

「まあ、あがりなさいな」

母が笑みを浮かべて促す。

まだまだ混乱していた蓬だが、素直に頷いて家にあがった。


テーブルを挟んで両親を前にし、蓬は座り込んだ。

丸美は立ったままでいる。自分もこの場に参加していいのか、わからないでいるようだ。

両親のほうも、丸美を見て、どうするか迷っているようだった。

「あの、わたし自分の部屋に……」

丸美はそう申し出て、三人の様子を窺い、それから自室に引っ込んだ。

丸美はすべての事情を知っているし、内緒にしなければならないようなことなど何もないのだが……

それでも、こんな夜中にやって来たのは、よほどの話があるからなのかもしれない。

「あの、いったいどうしたの? だいたい、明日、杏子さんのところで会うことになるって、わたし、ついさっき聞いたところで……でも、なんで急にこっちに来たの? わたしたちのほうから行くことになっていたのに……」

両親の考えがわからず、蓬は矢継ぎ早に問い、ふたりの顔を見つめる。

そういえば、両親と直接会うのはひさしぶりなのだと、彼女はいまさら思い出した。

春に大学を休学してくれと言われて以来なんだよね。

でも、電話では頻繁に話していたから……

両親は互いに顔を見合わせ、どちらが話すか視線で相談し合っていたが、母が口を開いた。

「蓬、あなたから、いいバイトの口が見つかって、大学を休学しなくても良くなったと聞いて……たぶん、森ノ宮の奥様が、援助の手を差し伸べて下さったものと、わたしたちは思っていたの」

「そ、そうなの?」

父と母、それぞれと目を合わせ、蓬は問い返した。すると、ふたりは肯定を込めて頷く。

「いくら割のいいバイトだからって、大学に通い続けられるほどの額なんて、とても稼げないわ。……それで、奥様に電話をしたの」

「依子、それより先に、あのことを話した方がいい」

あのこと?

戸惑い顔を父に向けていると、今度は父が話し始める。

「お前がいまの大学を受験すると決めた時、正直、私と母さんは……納得……いや賛成してはいなかった」

「えっ? そ、そうなの?」

「だが、お前はとても行きたがっていたしな……」

確かに、オープンキャンパスで大学を見て、行きたいと思った。

けれど、授業料は高額で、我が家の家計では無理なのだろうと、行きたいという気持ちだけ正直に両親に告げた。

そしたら、なんとかなるから、行きたいのであれば受験すればといいと言ってもらえて……

「蓬」

父に重々しく呼びかけられ、蓬はこれまでにない緊張を抱きつつ「は、はい」と返事をした。

「これから話すことに関して、誤解をしてほしくないんだが……私たちは奥様に、親に対すると同じような愛情を持っている。……だが、譲れないこともある」

「譲れないこと?」

父は深く頷き、話しを続ける。

「森之宮の奥様は、屋敷にいた頃も、その後もずっと、私たちに親身になってくださっていた。もちろん愛情からだ。けれど……それとは別に……奥様は、お前と圭様をいずれ引き合わせるおつもりだった」

「あ……」

どんな反応をしていいやらわからず、曖昧に声を漏らす。

柊崎と過ごした過去を、蓬は何も覚えていない。柊崎や杏子から聞いて、そうだったのかと思っただけ。

柊崎は特異体質で、そんな彼に、なぜか蓬は好転反応を引き起こすらしい。

「私たちは……それをよくは思っていなかった」

父は言い難そうに口にする。

蓬は黙って父を見つめた。

娘の動揺が伝わったようで、母はテーブルを回って蓬に近づき、彼女の肩に手を置いた。

そして顔を覗き込むようにして、話の後を引き継ぐ。

「だから、大学に進学するにあたって、奥様が全面的に援助させてほしいと申し出て下さった時に、お断りしたのよ」

「そう……だったの?」

まさか、杏子がそんなことをしてくれようとしていたなんて、まるで知らなかった。

つまり両親は、柊崎と蓬を引き合わせるつもりの杏子に、援助を断ることで自分たちの気持ちを伝えたのだろう。けど、結局、両親は授業料を支払うことができなくなってしまって……

母が重いため息をつき、再び父が話を引き取った。

「今回、お前が休学するしかない事態になってしまって……奥様から改めて援助させてほしいと言われて……お前のことを一番に考えるべきで、ここにきて断るのは大人げないことだと判断し、お任せすることにしたんだ」

そうだったのか。だから両親は、割のいいバイトが見つかったというわたしの説明を、あんなにもあっさり受け入れたのか。

「圭様とお付き合いをさせていただくことになったと、お前から聞いて……やはりそういうことになったかと……そのときは、ただそう思った」

父の言葉に同意して頷いた母の目が、暗く翳る。

「でもね。……不安になってしまったのよ」

「不安?」

「蓬、あなたは……圭様に同情していないかしら?」

ど、同情?

「そんな、わたしは……」

「特異体質のせいで、ひとと普通に接することができない圭様に、自分だけは側にいられる存在だと、優越感を覚えたりしていないと言い切れる?」

同情に優越感?

「圭様も、あなたのことを本当に愛してくださっていると言い切れるのかしら?」

「お母さん……」

「蓬、わたしたちが意地悪でこんなことを言っているわけではないと、あなたはわかってくれるでしょう?」

両親の言いたいことは、よくわかった。それにより、不安が芽生えたのも否定できない。

同情、優越感……正直ゼロではない。けど……

蓬は両親の目を真っ直ぐに見返した。

「お父さん、お母さん。柊崎さんがひとと接することができない体質だとわかって、もちろんわたしは気の毒だと思った」

ふたりは頷きもせず、蓬の言葉を聞いている。

「側にいてほしいと望まれていることは、いい気分だし、優越感もあるわ。でも……それだけで好きになったんじゃない」

「そう」

母が相槌を打ってくれたが、いまの言葉だけでは足りない気がして、蓬はさらに言葉を重ねた。

「男のひとと付き合うなんて、柊崎さんが初めてだけど……これがほかのひとだったら、わたしは望まれても付き合いを承諾したりしない」

今度は父が「そうか」と頷く。

蓬は落ち着かない気分になり、目を伏せた。

自分の気持ちははっきりしている。それを伝えたことにより、柊崎の気持ちはどうなのかというところに目を向けることになってしまうわけで……

圭さんも、わたしのことを本当に愛してくれていると言い切れるのか?

柊崎にとって、蓬は特別な存在ということになる。他人の中では、唯一といっていい、側にいて心地良い人間。

「ふたりの言いたいこと……わかったわ」

硬い声で言うと、両親は揃って頷いた。ふたりとも、蓬以上に表情を硬くしている。

「圭様は、恋愛感情があるなしに関わらず、あなたを側に置いておきたいだろうと思うわ。もちろん、あなたに好意を持ってくださっているのは本当だろうと思うけど……」

「お前は忘れてしまっているが……過去に」

「そ、それは知ってる!」

蓬は父の口を封じるように叫んでいた。父が口を閉じ、気まずい気分で「聞いたから……柊崎さんから直接」と伝える。

父はこくこくと頷いていたが、その瞳にある不安の色は濃くなるばかりだ。

もどかしさにかられてならなかったが、両親の不安を打ち消す言葉も思いつけずに、蓬は黙りこくった。

柊崎は自分を愛してくれていると思う。

側にいて心地良い存在だからというだけで好きになってくれたのではないと思っている。

けれど、それをそのまま両親に伝えても、両親の気持ちは収まらないだろう。

「もし……蓬、もしもよ。……あなたが圭様に受け入れられない体質だったら……あの方は、それでもあなたを愛してくれたかしら?」

母の声はとてもやわらかな響きだった。けれど、その言葉は蓬の胸を鋭く貫いた。

それは、蓬が無意識に考えまいとしていたことだった。

喉のあたりが強張り、唇に震えが帯びる。

蓬は唇を噛み締めて俯いた。

口の中で血の味がした……





   

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