ハッピートラブル happy trouble 続編 |
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第3話 否応なく巻き込まれ 「あー、開放感ダーッ!」 大学校舎から一歩出たところで、晴れ晴れとした顔で丸美は叫び、勢いよく万歳をする。 なんとか昼休みのうちにレポートを提出でき、午後の講義も終えたところだ。 蓬は空を見上げた。 いいタイミングで雨も上がり、少し日差しも出てきている。 この様子なら、明日は晴れそうだ。 「うーむ、出没しないねぇ」 キャンパスを歩きながら、きょろきょろと辺りを見回して丸美が言う。 「出没……あ、ああ。あのひとのことね」 そういえば、今朝濡れそぼり青年が表れたのは、この辺りだった。 蓬としては、もう二度と現れないことを願いたい。 「蓬、電話してみたら?」 丸美から勧められ、蓬は頬を染めて「う、うん」と返事をした。 「それじゃ、ちょっと、かけてみようかな」 丸美のおかげで疲労感いっぱいだし、柊崎さんとほんの少しでもおしゃべりできれば、心の疲れも取り去れる。 「出てくれるかなぁ。忙しくないといいけど……」 心を弾ませながら携帯をいそいそと取り出し、さてかけようとしたら、丸美が邪魔をする。 「な、なに?」 「あんたさ、オーナーさんにかけようとしてるでしょ?」 「えっ? そ、そう……だけど……どうして?」 「かける相手が、ちっがーう!」 「はい? 柊崎さんでなかったら、いったい誰にかけろって言うの?」 「この恋ボケちゃんはぁ」 丸美は呆れ返ったというように、目玉をくるりと回す。そして蓬の鼻先に指を突き出してきた。 「あんたね、決まってるじゃん。あの超失礼極まりる、濡れネズミ貴公子のことを、那義さんに電話して聞くんだよぉ」 「貴公子? あのひとに腹を立ててるわりには、ずいぶん素敵な呼称じゃないの」 「こしょう? なによ、こしょうって?」 呼称が伝わらなかったか……つくづく残念だよ、丸美…… 「なんで、そんな憐れなものを見るような目をすんのよ。失礼だねっ!」 「つまりね、貴公子なんて呼び名は、素敵過ぎないかってこと」 「あん? 別に素敵じゃないじゃん。超失礼な濡れネズミがついてんだよ。そんなことより、ほら、那義さんに電話、電話」 「な、那義さんは……ちょっと……」 那義に電話なんて、よっぽどな用事がない限り、かけたくない。 すっごい緊張させられるし、余計な心の負荷を食らう可能性が馬鹿高い。 「もおっ、なら弥義さんでいいよ、弥義さんにかけなよ。あのふたりは、性格真逆だけど、通じ合ってるから、どっちにかけてもきっと大丈夫だよ」 「わかった」 残念だけど、柊崎さんへの電話は後回しにするしかないか。 弥義の携帯に電話し、呼び出し音を数える。 那義はこちらがぎょっとするほど素早く出ることが多いが、弥義はいつでもちょっと遅い。 「やあ、遅かったじゃないか」 朗らかな弥義の声に、ほっとした反動か、思わず口元が緩む。 しかし、開口一番に言う言葉じゃないと思うが…… 「それって、わたしがかけてくると思っていたわけですか?」 「ああ、もちろん」 笑いの混じった返事。 「丸美の言葉で言わせていただくと、超失礼な濡れネズミの青年に、突然声をかけられたんですが」 「丸美ちゃんか……もちろん君は男の子の服だったんだね?」 「はい」 「那義が、山本の妹を褒めてやれと言ってたよ」 「褒めて? それってどういうことですか?」 「丸美ちゃんがばらす確率、那義は五割と踏んでたんだ。ちなみに僕は八割と思ってた」 「ばらすって……わたしが男か女かってことですよね?」 「そう。彼のほうから、すでに那義が報告もらってる。俺も那義から詳細を聞いた」 「そうですか」 ならば、蓬からの説明の必要はないらしい。 「あのひと、那義さんが養成している部下のおひとりなんですね?」 「うん、そうだよ。彼は、君が男か女かを突き止めるよう、那義から指令を受けたってわけ」 また那義さんときたら、おかしなことを…… 巻き込まれるこっちの身にもなってほしい。 ユールのことだってあるのに…… 蓬が名前を拝借していた大島悠樹こと、ユール。彼のほうは、蓬のことをいまだに男だと思い込んでいる。 「それで、わたしは、あのひとに対してどう接すればいいんですか?」 「さあ、僕にはわからないよ。那義のほうから君に、連絡なりなんなり入るんじゃないかな」 弥義も曖昧ってことらしい。 「ちょっと、名前は? どこの学部だって?」 痺れを切らしたように、丸美がせっついてきた。 「丸美、足元に水たまり、気をつけ……」 水たまりに気づいて速攻で注意したが、すでに遅く、パシャンと水音がし、靴を水浸しにした丸美が、「ああっ」と叫ぶ。 ほんと、おっちょこちょいなんだから…… 「ちゃんと前を見て歩かないから」 「もおっ、いいよっ。そんなことより、あいつのこと聞かないの?」 丸美は情けない顔で、濡れて泥が点々とついた足を見ながら言う。 「あ、そうだった。ちょっと待って、聞いてみる。……弥義さん、あの……」 「悪いけど、彼についての情報は教えられないんだ」 問いかける前に、否定の返事が来た。 蓬は鞄から取り出したハンドタオルを丸美に手渡しながら、一応、「どうしてですか?」と尋ねてみた。 「俺は那義の指示に従ってるだけだからさ、ごめんな」 すまなそうに言われては、弥義に文句を言えない。 結局、あの謎の青年について、なんの情報も得られぬまま、通話を終えることになった。 「面白いことになってきたじゃん」 顔をしかめていると、丸美が声を弾ませながら言う。そして、汚れてしまったハンドタオルを返してきた。 タオルについた泥を気にしつつ、蓬は鞄に戻した。 「丸美、あのひとのこと、怒ってたんじゃないの?」 「だってさ、那義さん関係でしょ? なら仕方ないかなって。それに、なにやら面白いことに巻き込んでくれそうだし、楽しみじゃん」 丸美ときたら…… わたしはそんなことに巻き込まれたくないのに…… 柊崎さんと一緒の時間を、何事もなく普通に過ごせればそれで…… 面倒事に巻き込むのは、それを望んでいる丸美だけにしてもらえないものだろうか? いくらそう願っても、否応なく巻き込まれることになるのだろう。 蓬はがっくりと肩を落とし、疲れたため息を吐き出した。 |