ハッピートラブル happy trouble 続編 |
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第9話 恥ずかしすぎる状況 ぎくしゃくとした歩みで、蓬はベッドに歩み寄った。 緊張する。柊崎の寝室に入ったのはひさしぶりだし、しかも、いまはふたりきり。 大きなベッドは、なんとも目の毒だし…… おかげで危機的状態なまでに、心臓が激しく稼働してしまっている。 バックンバックンする心臓と、無意識に合わせて足を前に運ぶ。 ふたりの距離が縮まると、柊崎は枕に頭をくっつけたまま、手をゆっくりと差し出してきた。 とても気だるそうだ。表情も動作も…… 頭を上げたくても、いまはそれすらできないのかもしれない。 「辛いですか?」 心配が増し、蓬は声をかけながら柊崎の手を取った。 口にしてしまってから、那義からの指示を破ったと気づいてどきりとしたが、もういまさら取り消せない。 『はい』だけしか口にしないでいるなんて、ちょっと無理だし……叱られるなら、もうそれでもいい。 そんなことより……柊崎さんの手、ひどく冷たい。 「ああ、あたたかいな……」 口元に微かな笑みを浮べ、柊崎は蓬の手を握りしめる。そして、手に伝わるぬくもりを味わうように目を瞑った。 ふっと嘆息する柊崎を見て胸がきゅんとし、蓬は顔をしかめた。 やはり辛そうだ。 この最近は、ずっと体調が良さそうだったのに…… 仕事のせいでは、避けることもできず、仕方がないのだろうけど。 ベッドにもたれるようにして、蓬は柊崎の手を握り返し、その肩におずおずと触れた。 「さすって欲しいところとか、ありますか?」 「どこでもいい。触れて……」 『触れて』と言う声は、ひどくセクシーな響きで、いやおうなくドキドキが加速する。 しかし、どこでもいいと言われても……何処に触れればいいか迷ってしまう。 迷った末に、肩から背中に手のひらを滑らせる。 早く、ラクになるといいけど…… ワイシャツ越しに、柊崎の背中をそっとさすりながら、顔を覗く。右手は彼の手に握りしめられたままだ。 辛そうだった表情が、いくぶんやわらいできたように見える。 ほっとしていたら、うつ伏せになっていた柊崎が急に仰向けになった。 突然の行動に驚いていると、握られていた手をぐっと引っ張られ、彼女は柊崎の上に倒れ込んでしまった。 「わわっ!」 じたばたする蓬を、柊崎は強く抱きしめた。 う、うわーっ! か、顔が熱いんですけど。 「蓬」 甘く囁くような呼びかけに、蓬は身を固めて「は、はいっ」と返事をした。 両手を柊崎の胸に当て、見つめ合う形になる。 顔色が悪かった柊崎の目元あたりに、ほんのり赤みがさしていて、なんとも……その表情、艶めいていた。 ど、どうしよう。も、もう、心臓が持たないかも…… 「キスし……」 キスと口にされて、どきんとしたが、柊崎は眉をひそめて口を閉じてしまった。 そのあと、彼の目は、自分に覆いかぶさっている蓬の全身に注がれる。 「あ、あの……?」 「最悪だ!」 柊崎が疲れたように叫び、蓬はびくりと身を震わせた。 「ああ、君に怒ってるわけじゃない」 慌てた様子で、柊崎は取り成す様に言う。 「私がむかついているのは、那義だ」 「那義さんですか?」 「ああ。……その姿なら、君に手を出せまいと見越してのことだろうな。確かに、やつの狙い通りだ」 むっつりした顔で口にした柊崎は、蓬の着ている上着の裾をくいくい引っ張る。 そういうことか、と腑に落ちた。 いまの自分は、那義の子分みたいだと、わたしも思う。 「抱きしめてキスをしたくてならないのに、頭の中で、どうしても那義が邪魔をしてくる」 「すみません。こんな格好しちゃってて」 気まずく頭を下げた蓬は、柊崎から身を離そうとしたが、彼はそれを強い力で拒む。 急に腰に腕が回され、蓬は「えっ?」と叫んだ。 そのままベッドに引きずり込まれ、気づいた時には、柊崎の横に横たわっていた。 「し、柊崎さん!」 さらに、上掛けが首から下にかけられる。 「これで、その服を見なくてすむな」 にやりと笑った柊崎は、せいせいしたかのように言う。 「ダ、ダメですよ」 「どうして?」 「ど、どうしてって……」 那義からアンダー・バトラーらしくしろと指示されているのに……指示に対して、まるきり無視はしたくない。次に顔を合せたとき、那義の顔をまともにみられなくなってしまう。それではまずいのだ。 「アンダー・バトラーだから、とか言う気じゃないだろうな?」 咎めるように柊崎が言う。言い当てられて、蓬は汗をかきつつも、思わず笑ってしまった。 少しほっとする。 見たところ、柊崎はかなり具合がよくなったようだ。おかげで、蓬もちょっと余裕が持ててきた。 「元気になれたみたいですね? 気分はどうですか?」 「まあまあよくなった」 どうやら、全快というわけではないようだ。今回は、よっぽど具合が悪かったらしい。 「そんなこと、いまはどうでもいい」 口にした柊崎が顔を近づけてくる。どきりとした蓬は、思わず顔を逸らしてしまった。 「どうして? 嫌なのか?」 少し傷ついたように言われ、蓬は困った。 「そ、そんなこと……けど……いまは杏子さんもいますし……」 正直なところを言うと、柊崎は拗ねたように顔をそむけてしまった。 年上のひとだけど、こういう圭さんは可愛いし、胸が切ないほどきゅんとしてしまう。 「柊崎さん」 少しご機嫌を取ろうと、遠慮がちに呼びかけてみる。 「圭だろ」 顔をそむけたまま、ぼそりと言う。 「あっ、はい」 「まあ、『若』と呼ばないだけ、ましか……」 ああ、そういえば、そうか。アンダー・バトラーであるならば、那義や弥義たちのように、『若』と呼ぶべきだったのかもしれない。 「那義さんから、そういう指示はでなかったので……」 「蓬、那義の指示に、君が従順に従う必要はない」 不機嫌そうに言われ、蓬は困った。 柊崎の立場なら、そうだろうけど…… 「でも……」 「君の雇い主は、この私で、那義ではないんだぞ」 た、確かにそうか…… けど、それでも従うことになっちゃうんだよね。 今日なんて、結局、パフェに釣られてしまったわけだし。 あっ、そうだ。 「柊崎さん、わたし、もう行かないと……」 「行く? なぜ?」 「夕食を作らないといけませんから」 「作らなくていい」 「そ、そんな、ダメですよ。気分が悪いのかもしれませんけど、ご飯はちゃんと食べないと」 「そうじゃない。それなりに空腹だ。ちゃんと食べるさ。今夜は那義に作らせればいい」 そ、そんなわけにはゆかない。 「今夜は、杏子さんもいるんですよ」 「そうだったな。ああ、ならば杏子さんに作ってもらおう。杏子さんは、あれでかなり料理がうまいんだ。よし、私が行って頼んでこよう」 蓬にとってとんでもない発言をする柊崎に、蓬は慌てた。 「そ、そんな、ダメですよ」 ベッドから下りようとする柊崎を、彼の腰を両手で抱えるようにして、蓬は必死に止めた。 「私がいいと言っているんだ」 「そうはいかないですってばぁ」 言い合っているところに、ドンドンと大きなノックの音がした。間を空けずに「入るわよ」との声が聞こえ、ドアがパッと開く。 蓬はぎょっとしてドアに顔を向けた。 「あらま、何をやっているの?」 ま、まずい。この状況って……? ベッドから降りようとしている柊崎を、ベッドの中にいる蓬が引きとめようとしている図にしか見えないはず 。 は、恥ずかしいっ! 真っ赤になった蓬は、慌てふためき、両手で顔を覆った。 |