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その7 脱出躓き
エレベーターまであと少しのところまできたとき、かなり離れたところから小さな女の子が手を振ってきた。
明らかに、苺に向けられたものだ。
可愛いブチネコちゃんだからねぇ。
にしししっ。人気者は辛いよ。
苺は、いい気分で女の子に手を振り返した。
エレベーターを待つ間、ネズミ店長さんと並んでいたら、さっきの女の子がハーハ―と息を切らしながら駆け寄ってきた。
四才くらいかな?
「ネコちゃん、どうしてこんなところにいるの?」
前に回り込んで、人懐っこくブチネコ苺に尋ねてくる。
返事に困った苺は、「にゃにゃにゃーん」と鳴き声を上げながら、両手でお腹を押さえてみせた。
「お腹、痛いの?」
苺はうんうんと頷き、「にゃんご」と叫んだ。
女の子は、今度は店長さんの腰のあたりをぐっと掴み、顔を覗き込む。
「クマさんは? どこが痛いの?」
ク、クマ?
クマと言ったのか、この子?
どう見ても、ネズミなのに……
「ねぇ、クマさんってばぁ。頭が痛いの? それともお手々?」
店長さんは、女の子を無言で見下ろしている。
どう答えるべきか、思案しているんだろうか?
クマと言われちゃ、「チューチュー」とネズミの鳴き声は出しずらかろうし、さりとて、クマの鳴き声を真似るのもな。
うーん、だいたいクマは、なんて鳴くんだっけ?
いや、クマは吠えるのか?
ガオーっとか?
いや、それじゃ、怪獣になっちゃうか?
「クマさん、おしゃべりできないの?」
その言葉に、クマに間違えられたネズミ店長さんは、機敏に頷いた。
ネズミの着ぐるみ姿でありながら、そのあまりに凛々しい仕草に、苺は目を見張った。
女の子も同じ感想を抱いたらしい、驚きに目を丸くしてネズミ店長さんをマジマジと見つめる。
女の子がぱあっと瞳を輝かせたとき、エレベーターの扉が開いた。
ネズミ店長さんは、颯爽とエレベーターに乗り込んだ。ブチネコ苺もそれに続く。
閉じる扉の向こうで、女の子はネズミ店長さんにだけに、お別れの手をブンブン振っていた。
おかげで苺は、負け犬ならぬ、負けネコになった気分だった。
「苺」
「……なんですか」
拗ねた苺は、不機嫌に答えた。
「どうしたんです?」
「どうしたって何がですか?」
「いえ。怒っているようですね、どうしてです?」
どうして怒っているかって……
別に怒っちゃいない。
ただ、負けネコになった気分なだけだし……
そっぽを向いていた苺は、気持ちが収まらず、パッと店長さんに向く。そして、両手に荷物を持ったまま「にゃごー!」と叫び、襲いかかる真似をした。
「な、なんです?」
飛びかかってきたブチネコにびっくりして、ネズミさんが飛びのく。
その様に、ちょっと溜飲が下がった。
「店長さんは、ネズミ。苺はネコですよ。ネズミはネコの獲物と昔から決まってるです」
「嬉しいですね」
へっ?
獲物にたとえられて、嬉しいだ? なんで?
苺が首を捻ったところで、エレベーターが一階に到着した。
扉が開き、苺は店長さんより先に出た。
「嬉しいってどうしてですか?」
一階にはたくさんのひとがいて、エレベーターから出てきたネコとネズミに驚いていたが、店長さんに話かけていた苺は、それに気づかなかった。
「店長さん、苺に襲われて食べられちゃうんですよ」
「苺のネコにならば、襲われてみたいですね」
クックッと愉快そうに笑う。
「喜んでどうするですか。襲いかかられたら怖がって逃げてくれないと、襲いかかる楽しみがありませんよ」
「それはそうですね。それでは、ネコの貴女が満足するだけ、怖がって逃げる真似をしましょう」
なんかなぁ。
そんな風に言われちゃ、こっちがからかわれてるとしか思えないよ。
「店長さんは、もっとネズミとしての立場を理解しなきゃ駄目ですね」
苺は小言のように言った。
「そうでした。クマと間違われたのは、そのせいかもしれませんね」
真面目に自分を振り返る店長さんに、苺は笑った。
「店長さんってば、ネズミさんなのに、凛々しすぎでしたよ」
「凛々し過ぎ? そうですか?」
「はい」
病院の玄関を抜け、外に出たところで、店長さんが急に立ち止まった。
すぐ後ろにくっ付いて歩いていた苺は、店長さんが立ち止まったことに気づくのが遅れて、背中にぽんとぶつかる。
あわわ!
足がもつれて危うく転びそうになった。
「もおっ、いったいどうしたんですか? 急に立ち止まるから……」
「鈴木さん、緊急事態です!」
「へっ?」
緊急事態って、救急車で怪我人でも運ばれてきたのか?
わけがわからず店長さんの隣に並んだ苺は、とんでもないものを見つけた。
な、なんと、三十メートルほど前方に、羽歌乃おばあちゃんの姿があるではないか。
「て、店長さん、あれ!」
「どうやら、ちょうど病院にやってきたところのようですね」
声を潜めて店長さんが言う。
いやいや、もう悠長に語っている場合じゃ……
羽歌乃お祖母ちゃんは、真柴さんの病室にいるものとばかり思ってて、無事脱出できてすっかり安心していたのに……
「ど、どうするんですか?」
「苺、もう口を閉じなさい。ネコの鳴き真似も駄目ですよ!」
鋭い声で命じられ、「は、はい」と答える。
「この姿に、すでに興味を持たれている。回避は無理だ……」
回避は無理という言葉に、強烈に緊張する。
こちらに向かって、嬉々として小走りで駆けてくる羽歌乃おばあちゃんを見て、苺はガッチガチに身体を固めたのだった。
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